第二百三十二話
あがった悲鳴に、俺は素早く《アクティブ・ソナー》を放つ。戻ってきた反応は──一つだった。
って、は?
どういうことだ、それ。
怪訝になりながらも、俺は未だにあがる悲鳴の場所へ向かった。平野に隣接する森の中だ。気配はそんなに深くない。
警戒しながら俺はメイにアイコンタクトを送り、さっと二手に別れて移動する。
足音を殺しながら森の中へ入ると、程なくして暗がりの中に佇む女の人を見付けた。
その女の人は、思いっきり息を吸い込み──
「へぎょおおおおおおおおおおっっっ!!」
と思いっきり意味不明な叫び声をあげる!
え、ちょっと何これホントに意味不明なんだけど!?
衝撃波でも生むんじゃないかと思いたくなるぐらいの爆音に俺は両耳を塞いだ。
「くっきょぉぉぉぉぉ────っ! ぶっぱぁぁぁぁっ、げふぉ、ごほごほ、おえっ」
あ、むせた。
俺は無感動に咳き込みまくってうずくまる女の人を観察した。いや、そりゃむせるだろ、あんなバカみたいな大声出しまくったら。
っていうか、どういう状況なのかがまるで理解できないんだが、どうなってんだ?
物陰に潜むメイに目線を投げ掛けるが、メイも困惑した表情で小さく頭を振った。まぁそりゃそうだわな。
「へらっぐらんすううううう────げぇぇえっ」
女の人はめげずに声を放ち、またむせる。いい加減喉を潰すぞ。
とはいえ、魔物に襲われているわけでもないし、知り合いでもない。かかわり合いになるな、と本能が警鐘を鳴らしまくっているので、俺はこのまま撤退することにした。
そっと後ろに下がったタイミングで、気配は唐突に生まれた。
「ギギャアアアアッ!」
ぼこん、と地面が盛り上がり、モグラと人間を一緒にしたような魔物が現れる。その手には強靭な爪が宿っていて、一撃で生身の人間など引き裂けるだろう。
そんな魔物は赫怒を顕に、女の人へ襲いかかる!
──ちっ!
俺は鋭く飛び出すと同時に魔法を放つ。
「《エアロ》っ!」
魔物を潰さない程度に、魔物の上から風の塊を直撃させて動きを封じ、俺は魔力を高める。
「《ベフィモナス》っ!」
そのまま地面を爆裂させ、魔物を吹き飛ばした。
《エアロ》の一撃で潰さなかったのは、スプラッタな光景になることと、女の人がそれを見て気絶する可能性があったからだ。
短い悲鳴を上げながら飛ばされるのを確認して、俺はため息をつく。
力の限りかかわり合いになりたくなかったが、無視するのは後味悪すぎるからな。ここは仕方なく爽やかに当たり障りなく良い人を演じてさっさとオサラバしよう。
「大丈夫か?」
「ひゃっ、え、は、はいっ! ああああああああありがとおおおおぉぉぉぉぉござぁいまぁぁぁあ────すっ!!」
「いきなり大声出すなやかましいっ!」
迷わず俺は《クリエイション》でハリセンを作り出し、勢い良く頭をしばきあげた。
ぱかぁんっ! と景気良い音が響き、女の人の大声を強制的に中断させた。
「いったぁ……! ちょっといきなり何するんですかっ! お礼言ったのにいきなりしばかれるなんて初めての経験ですよ!」
「それはこっちのセリフだよっ! 俺だっていきなり鼓膜破れそうなぐらいの勢いでお礼言われるなんて初めての経験だっ!」
がなるように抗議してくる女の人に、俺も精一杯反論する。
お互い唸りながら睨み合うと、メイが微苦笑しながら割って入って来た。
「まぁまぁ、落ち着いてください。あんまり大声出したらまた魔物がやってきちゃいますよ」
メイの正論に、俺と女の人は押し黙った。
とりあえず仕切り直しに、と俺は一つ咳払いする。
「とにかく、だ。こんなとこで何やってるんだ? 危ないだろ。っていうかあんた自身もアブナイ」
「しれっと罵倒しないでくださいね? これにはれっきとした理由があるんですから」
微妙なニュアンスの違いは気付かれていたらしい。
っていうか夜に一人で森の中、奇声あげるれっきとした理由ってなんだ?
疑りながら首を傾げると、女の人はどん、と胸をはる。
「私は泣き女になりたいんです!」
「泣き……女?」
堂々と言い放たれて困惑しまくると、メイが頭の上にクエスチョンマークを大量生産した。
「えっと、これはあくまでも俺の前世での知識なんだけど……泣き女、っていうのは、葬式とかで泣く役目の女性のことなんだよ」
「え、どうしてそんな役目が?」
「涙は死者の供物になるんだよ。まぁ、この知識がそのまんまこの世界で通用するかは分からんけど」
「大方その通りですよ?」
あ、あっさり肯定された。
「まぁ、涙もそうですけど、さめざめと悲しむ声も供物になると言われていて、どれだけ大声で泣き続けられるかが勝負なんです」
「勝負なのか?」
「勝負なのです」
強く肯定されて、俺は反駁の余地をなくした。
いやまぁ、そこまで言われると、ねぇ?
「いや、でもさ、さっきの奇声で泣かれても迷惑だと思うんだけど……」
「何をおっしゃるのです。私は泣き女となり、最後は精霊であるバンシィになるんです! だから今から色んな声を出せるようになっておかないと!」
「バンシィ?」
「確か……死の前触れを意味する精霊だったと思うけど……」
もちろんこれも前世の知識だ。
「ええ、そうです。偉人の屋敷の前で、偉人の使者を迎えるための声を出す精霊です。バンシィは人のあらゆる声、果ては獣の声までもを同時に放つことが出来る精霊で、格式も高いんですよ!」
何故か自慢げに語る女の人。
実際、精霊ってだけで格式が高いからな。滅多に見れるもんでもないし。そもそも精霊は通常異界に住んでいるので、滅多に現れるものじゃあない。
「でも人間がバンシィになれるのか?」
「泣き女として一定の功績を手にし、見込みがあると判断されたらお迎えが来るそうなのです。なので、一生懸命トレーニングしてますよってアピールするためにも、夜の訓練は欠かせないのですよ!」
なるほど、バンシィは夜の精霊ってことか。
合点がいきつつも、俺はやっぱりため息を吐く。
「いや、でも夜はやっぱり危険だろ。そういうのは良くないと思うぞ。それで死んだら元も子もない」
「それはそうだけど……」
「さっきも魔物に襲われただろ?」
事実と正論を口にすると、女の人はばつが悪そうに押し黙った。
一応反省は出来るらしい。
「とにかくもう今日は家に帰れ、送ってってやるから」
「いえ、それは出来ないわ」
「どうしてですか?」
すかさずメイが訊ねる。すると、女の人は少し困ったように眉根を寄せた。
「私の一族は代々泣き女の家系なの。だから、この練習を途中で切り上げることなんてできないわ」
「でも、危険だろ」
「それを乗り越えるのも試練なのよ。途中で切り上げでもしたら、どんな目にあうか……考えただけでも涙出て来た。ああ、ああ、あ、いやあああああああああ――――っ!?」
「いきなり叫ぶな落ち着けってぇの!」
「だって、だって、だってぇぇぇぇぇぇええええええ――――っ!?」
「ちょ、まっ、かた、つかむな、頭、ゆら、すなっ」
俺は両肩掴まれ、がっくんがっくん揺らされる。ってこれあかん、マジであかん!
ひたすらに叫ぶ女の人は止まる気配がない。これは、もう!
「だから落ち着けっつってんだろ!」
俺は強引に振りほどくと、再びハリセンで頭をしばきあげる!
景気の良い音が響き、女の人はようやく沈黙した。
「はーっ、はーっ。まったく」
「ご、ごめんなさい……でも、私、泣き女になりたいの……せっかく、精霊様にも目をかけてもらえ始めたところなの」
「精霊に?」
おうむ返しに訊くと、女の人は頷いた。
そのタイミングで、鮮やかな魔力がいきなり発生する。それは唐突に膨らみ、あっさりと俺の最大値を超える。これは――まさか!?
驚く合間に、俺と女の人の間に光が収束し、小さい女の子を出現させる。
神々しい色の髪に、尖った耳、いくつものヴェールを重ねたような衣装。何より、清らかな魔力。間違いない、精霊だ。
まさか、こんなとこで見れるなんて。
『――……さよう。この娘は、私が見込みがあると思っている』
響くような声で、精霊は静かに声を放った。
『我が名はバンシィ。偉人に死を与え、迎え入れる使者。偉大なる精霊なり』
「バ、バンシィ様っ!」
『久しぶりだな』
精霊――バンシィは微笑みながら女の人へ歩み寄ろうとして、そのヴェールを重ねた衣装に自ら足を絡ませ、思いっきりこけた。
そう、思いっきりこけた。
「「…………え?」」
その光景に目を奪われていると、こけたバンシィは見る間に目をうるうるさせ――。
『『〇▽◇■□×◎―――――っ!!!!!!!』』
この世のものとは思えない叫びをあげた。