第二百三十四話
「は?」
俺は呆気にとられ、首を傾げた。隣ではメイが変な笑顔で硬直していた。
え、いやだって。そりゃそうだろ。いきなり結婚してくれとか言われたんだぞ!? いったいぜんたい、何を考えてんだ!
すがり付いてくるウルムガルトを一旦離し、近くのソファに座らせた。
「落ち着け、何があった?」
「いやだから結婚してほしいの!」
「色々と大事な経緯を全部すっ飛ばしてるから聞いてるんだけど!?」
声を張り上げるウルムガルト以上の声で俺はツッコミを入れた。とにかく狼狽っぷりが凄い。
「話すと長いんだけど……」
「それでも良いから話せ」
言いつつ俺はメイに目配せする。これは重症だ。美味しいお茶とお菓子で落ち着けないとダメだ。
心得たようにメイは退室した。
それを見送ってから、俺はウルムガルトと対面する形でソファに腰かけた。
「えっと……知り合いの大商人の息子に結婚してくれと言われて断ったら、相手にだったら結婚相手連れてこいと言われて困ってるの」
「すっげぇ短く終わったな!?」
「だから結婚して!」
「嫌だよ!?」
ばん、とテーブルを叩いて迫ってくるウルムガルトに、俺は否定をぶつける。そんな理由で結婚なんてしてたまるか!
「そんなっ……ボ、ボクはグラナダと……結婚しても……良いと思ってるんだよ……?」
ウルムガルトは顔を赤らめ、目をうるうるさせながら言ってくる。っておい。なんで恥ずかしがってんだ。
「そんなこと言ったってなぁ……」
「そうですねぇ、さすがにそれで結婚とか、この私を差し置いて、なんてことをおっしゃるのでしょうねぇ?」
困って頭をかいていると、いきなり声が隣からやってきた。どこか艶美でありながら、強かさと怒りを内包したような声。
ぎょっとする合間もなく、緑の髪を揺らしながら彼女――セリナは俺に抱き着いてきた。
って、ちょっと待て。
俺はさっと回避し、一足飛びで距離を取った。
「おい、なんでここにいるんだ!? セリナ! っていうかどこからどうやって入ってきたんだ!?」
「お久しぶりですねぇ、グラナダ様」
「人の話をまず聞いてくれるかな!?」
「ご安心を。ちゃんとそこの窓からピッキングして鍵を外した上でそっと気配を完全に遮断し音を抹殺してそっと忍び込んだだけですから。ご存知です? シノビの技だそうですねぇ」
「ご存知も何も俺の世界の知識っぽいけどっていうかまず何てものを習得してんだ!?」
ちょっと待て、俺は決して油断はしていなかったんだぞ。もちろん強力なアンテナを展開していたワケじゃあないけどさ。
ちらりと、綺麗に何事もなかったかのような窓を見てから、変わらず強さを覗かせる笑顔を見せるセリナに視線を戻した。
「それはもちろん、グラナダ様に夜這いかけるためですねぇ」
「分かった。今度からもう窓は絶対外から開かないように細工しておく」
「ご無体なことおっしゃらないでくださいねぇ? それよりも、今はウルムガルトさんのことの方が重要なのでは?」
相変わらず話の逸らし方が上手い。でもまぁ窓はロックするぞ、間違いなく。キリアとシシリーに頼んで即刻対応してもらおう。
内心で誓いつつ、俺は頷いてウルムガルトを見た。だが、口を開く前にセリナが一歩前に出る。
「それでウルムガルトさん、グラナダ様と結婚を申し込むだなんて、覚悟できてるんですねぇ?」
「よし待てセリナ。不穏だから穏やかにいこう?」
ずず、と背中から黒いオーラを臆面もなく放ちながら言うセリナに、俺はたまらずツッコミを入れる。
だが、セリナが引く様子はない。
「これは女の戦いですねぇ」
「そういう意味に捉えてるから待てって言ったんですけど!? お願いだから落ち着いて!? っていうかいきなり出てきて場を乱さないで!? つか、そもそもなんで来たんだよ!?」
「たまたま用事があって王都に来てたのですけれど、なんだかここに来なければならない使命感に急に突き動かされまして、馳せ参じた次第なんですねぇ」
「どういうカンしてるんだよ……」
頭痛を覚えて俺は頭をさすった。
っていうかさっきからウルムガルト放置しっぱなしだ。
「っていうか、まぁ、アレだ。ウルムガルト。やっぱり結婚はダメだ。っていうか、断ったんだったら、その後は無視すれば良いんじゃないの?」
「そういう訳にもいかないんだよ……相手は大商人、クロックブーク家だしさ?」
クロックブーク?
分からないで首を捻っていると、セリナは驚いたように目を見開いて、口に手を当てた。どうやらビッグネームらしい。
「それはまぁ……ある意味玉の輿ではありませんかねぇ?」
「名前だけならボクもそう思うんだけど、相手がもうなんていうか、肌に合わないんだよ」
「どういうことだ?」
「ボクに家庭へ入って、家を守ってくれ、商人は引退してくれって条件で結婚を申し込んできたんだよ」
かなり不満を抱いているのだろう、ウルムガルトは眉を怒らせながら答えてきた。握りこぶしまで作ってる始末だ。
その怒りは分かる。
「それって家庭に入れってことだろ? ウルムガルトはそんなタイプじゃないだろ」
「そうなんだよ! ボクは商人として成功したいんだ。だから……ま、まぁ、確かに、好きな人と結婚したいって思いもあるけど、でも、それだったらボクはずっと一緒に商売したいし、そんな人と結婚したい。もしくは商売しても許してくれる人」
幸せの形は、誰だって一人じゃないからな。それなのに、己が思い描く幸せを相手に押し付けて、さも幸せにしてやったんだって自慢する輩はどこにでもいるもんだ。
おそらくも何も、ウルムガルトはそんなタイプの男に見初められたんだろう。
しかも、下手に権力持ってるから無下にもできないという厄介なパターン。
「それで、俺のトコへ? 俺が婚約者だったら相手が諦めるとか思っちゃったのか?」
話を訊く限り、絶対にそんなことはないと思う。
俺は腕組みしながら、真っすぐにウルムガルトを見据えた。
「うぐっ……で、でも、そうなったら……」
「相手を排除すれば良いかもだけど、そうなったら後々立場が危なくなるのウルムガルト、お前だろ」
いつもならそんなことに気付かない人間じゃあない。よっぽど追い詰められていたんだろうと思う。
「そうなんだけど……うう、じゃあ、どうしたら良いのか……」
「そういうタイプの殿方であれば、認めさせるしかないのではありませんかねぇ? ウルムガルトさんにある商才というものを」
ぐったりと項垂れてからテーブルに突っ伏したウルムガルトに、セリナがアドバイスを送る。
「そうですねぇ、例えば、期間を設けての売り上げ対決、とか?」
「お、それ悪くないんじゃね? ルールとかちゃんとすれば良いと思う」
「うーん。確かに。負けるつもりなんてないし」
俺が同意すると、ウルムガルトも顔を上げた。
「そうと決まれば、善は急げ、だな」
乗り気になっているうちにコトは動くべし。
俺は膝を打って立ち上がった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ふーん、つまり、この僕と商売対決をして、勝ったら結婚を認めると。この僕からのプロポーズに対して、そんな返答をするんだ?」
瀟洒とはとても言い難い豪奢な屋敷の一室、もう成金趣味を通り越してアホにしか見えない部屋に、俺とメイ、ウルムガルトは、青年と対峙していた。
その青年は、一目で高価だと分かるソファに横柄な態度で身を預けてこちらに挑発的な視線を送ってきている。
正直ムカつく。殴りたいんだけど。
我慢しながら話を耳にしていると、ウルムガルトが強く頷いた。
「そうだよ。僕は商人として成功したいんだ。だから、そんな家に入れなんて願い聞き入れられない」
「あのさぁ」
強い言葉を放ったウルムガルトに、青年は嘲弄の眼差しを送って来る。
「騙し合い、出し抜き合いのこの世界、書類と数字だけが正義のこの世界で、女の君が生き残れると思うの? さっさと僕の家に入りなよ。何不自由ない生活が待ってるし、毎晩可愛がってあげるよ?」
うわ、素でキモい。
我慢できずに顔を引きつらせてしまうが、ウルムガルトは気丈にも顔色一つ変えなかった。
「それを証明するための勝負の持ち掛けでもあるんだけど。というか、答えを聞きたいな。イエス? ノー? それともビビってるからいちいち話題そのものを無くそうとしてるの?」
「強気だね。そこもまたそそるんだけど、僕を怒らせて良いと思ってるのかな? 僕に勝てるとでも?」
「そもそも家の銘柄に縋ってお人形よろしく売ることしか出来ない人に、負けるつもりないんだけど」
ウルムガルトはぴしゃりと言ってのけた。
「……上等だよ。この僕が勝ったら、本当に毎晩可愛がってあげるからね!」
「分かったわよ」
ばちっ、と火花がぶつかり合う。
よし、これで言質は取ったな。後は、売上でキッチりと勝てば良い。
「それと、さっきから気になってたんだけど、口にソースついてるし、ズボンのチャック全開なんだけど」
「えっ!?」
青年は慌てて口を拭い、ズボンを見て顔を青くさせた。
情けない様子に、ウルムガルトは呆れてため息をついた。
「身だしなみは商人の基本でしょ……」
「くっ……! 分かったなら、出ていけ! ルールはこの紙に従ってやるさ」
青年は顔を真っ赤にしながら追い出しにかかった。
手に持っている書状は、ウルムガルトが考えた商売勝負のルールだ。不公平出来ないように考えてはある。
その紙に従って、勝負の開始は明日の昼から。
出ていけと呼ばれ、喜んで踵を返すウルムガルトの目は、やる気に満ちていた。