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第百九十八話

 朝がやって来る。
 小鳥の囀りがやってきて、穏やかに入ってくる朝日は始まりを告げる。俺はゆっくりと伸びをして起き上がる。今日は特別な日だから、訓練はなしだ。
 いつものように朝の準備をして階段を降りると、良い匂いがやってきた。

 俺がこよなく愛する出汁の香だ。

 どうやら今日は奮発してくれたらしい。特上の匂いだった。
 思わず顔を綻ばせながらテーブルに移動すると、エプロンをつけたメイがちょうど朝ごはんを作り終えたタイミングだった。メイはいつものようにとびっきりの笑顔を俺に向けてくる。

「おはようございます、ご主人さま」
「うん、おはよう」
「ちょうど朝ごはん出来たところなんです! 出来立てが美味しいですから、食べちゃいましょう」

 嬉しそうに笑いながら、メイは早速配膳してくる。
 今日の朝ごはんは、俺の大好きな和食づくしだ。たちこめる炊き立てご飯に、ナスとジャガイモの入ったお味噌汁。後はネギがたっぷり入った出汁巻き卵に、べったら漬け。

 うん、完璧。

 早くもぐぅ、と鳴ったお腹に従って、俺は手を合わせた。

「いただきます」

 はく、と、しろご飯を食べる。ほくほくで、瑞々しくて、噛めば噛む程甘みが増していく。これだけでほっぺがジワーってする美味しさだ。それを味噌汁で流し込む。しっかりした出汁の味は、昆布とカツオの合わせだしだ。そこに味噌の奥深い塩気と、野菜の甘みが入ってくる。

 ああ、美味しい。

 べったら漬けを口にいれる。米麹で漬けた甘いダイコンだ。コリコリと触感もあって、砂糖とは違う甘みが広がってこれもまた美味しい。
 口の中に甘みが少し残っている状態で味噌汁をすすると、また美味しいんだ、これが。
 美味しさのコントラストをしろご飯で清算し、俺は出汁巻き卵を食べる。もうお箸で持つだけで柔らかさが分かる。ぷるぷるしてるんだよ、ぷるぷる。

 んん、美味いっ!

 一口食べて、卵がほつれるように崩れていく。そこから、じわーっと出汁の旨味と卵の芳醇な優しい甘さが味わいとなって広がってくる。
 このちょっとだけ甘い味付けがもうたまらん!
 俺は一気にご飯をかきこんでから、味噌汁をすする。そしてナスだ。
 じゅわっとお出汁をふんだんに吸い込んだジューシーさ、ナスのコク。ジャガイモもほくほくで甘い。

「うん、美味しい」
「ふふふ、ご主人さまの顔を見ているだけで十分伝わってきます」
「え、そう?」

 きょとんとして言うと、メイは嬉しそうに顔を少しだけ赤らめながら頷いた。

「だって、すごく美味しそう、というか幸せそう」
「そりゃ美味しいものは美味しいし、美味しかったら幸せな気分になるだろ?」

 なんてったって、異世界でここまで完璧な朝ごはんが食べられるんだ。日本人の俺にとってすれば幸せの極みだ。
 さすがに刺身とかは無理なんだけどな。
 でもいつか養殖してやってみたい。ノウハウ知らないけど。

「ご主人さま、ごはんつぶ」

 微笑みながら、メイは手を伸ばして俺の口許についとぃたごはんつぶをつまんで自分の口へ入れた。
 そしてまた笑う。

「ふふふ」
「嬉しそうだな」
「ええ。少し寂しくもありますけどね……何せ、今日は卒業式ですから」


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


 外に出ると、いつもの光景があった。
 にこにことセリナが待ち構えていて、アリアスが少しふてくされたようにそっぽ向いて待っていた。そんなアリアスをフィリオは苦笑しながら見ている。
 そんな三人は同時に気付いた。

「おはよう、グラナダ」
「……お、おはよう」
「おはようございます。今日も爽やかで麗しい朝ですねぇ」

 口々に挨拶がやってくる。

「うん、おはよう」
「皆さん、おはようございます」

 俺とメイは挨拶を返しつつ、いつもならいるはずのアマンダとエッジがいないことに疑問を抱いた。寝坊か?
 エッジなら十分有り得るが、真面目なアマンダがそんなヘマをやらかすとは思えないんだけどな。何かあったか?

 こういう時のトラブル発生確率が異常に高いことはこの三年間でバカみたいに経験してる。

 密かに警戒しながらも登校を始めると、早くもけたたましい足音が響いてきた。素早く《アクティブ・ソナー》を放つと、アマンダとエッジだった。
 うわ、嫌な予感的中か?
 一応武器に手をかけながら、俺は神経を尖らせて角を曲がると、何だかスゴいものが走ってきていた。いや、なんだあれ。とにかくなんだあれ!?

「あ、あれは……?」
「中々愉快な状況みたいですねぇ」

 絶句にとられる中、セリナだけが悠々と言ってのける。
 走ってきているのは、必死の形相のエッジとアマンダだ。問題は二人の格好である。

「ぐ、グラナダっ! よかった! 助けてくれ!」
「え、嫌ですけど?」
「「即答された!?」」

 息切らせ走ってきながら懇願してきた二人を、俺はざっくりと切り捨てた。いや、だって。
 考えても見てほしい。いくら友達だからって、着崩れした感のあるウェディングドレス姿で走ってきたんだぞ? しかもバッチリメイクされてるし。面影とか声で分かるけどさ。
 フツーに近寄りたくないし、別の意味で明らかにめんどくさいトラブルに巻き込まれてるの明白だ。

「いや、頼むよ! このままじゃあ俺はこの姿で卒業式に出席させられるんだ!」
「いったいどういう状況なんだ!?」

 思わずツッコミを叩き入れると、アマンダは泣きそうな表情でがっくりと膝から崩れ落ちる。

「実は……母上が来てるんだ……」
「母上?」

 訝ると、アマンダは絶望色に染め上げた顔を俺に向ける。

「母上は、俺を女にしたいんだっ……」

 …………………………………………。
 え、えーっと?
 状況らしい状況がまったく掴めないまま、俺は首を傾げる。

「すまん、まったく意味がわからん」
「まぁ、つまり、だ」

 メイクが浮きまくりでバケモノみたいになってるエッジが説明を始める。
 直視するのもキツい状態なんだけど。っていうかアリアスなんてずっと顔を背けてるし。セリナも口元を手で隠しているが、絶対に笑ってるぞ。

「アマンダのお母さんって、ずっと娘さんが欲しかったんだよ。でも産まれてくる子は全部男でさ。で、末っ子としてアマンダが産まれたんだけど……なんか、すっごい女の子みたいだったらしくてさ」
「ああ、確かに女顔っぽいっちゃあぽいな」
「それで、小さい頃はずっと女の子として育てられてたんだよ。だから名前もアマンダ」

 ……なるほど。
 なんとなく俺は理解した。つまりアレか。暴走か。

「それで、今日は晴れの舞台だろ? だからせめてってことで、アマンダが寝てるうちに……」

 寝てる間にやっちゃったのか。

「まさか食事に睡眠薬盛られるとは思わなかったんだ」
「すごいお母さんだな? それで、なんでエッジまで?」
「いや、アマンダの家に泊まっててさ。それで、アマンダ一人だと寂しいからってとばっちり食らった」

 さ、さいですか……。完全な被害者じゃねぇか。
 ガックリと項垂れるエッジの肩を、俺は叩くしか出来なかった。
 ちょっと人様の親に向かって言うもんじゃないけど、随分とぶっとんでいらっしゃるな! フツー息子の友達にまで薬盛って眠らせて道連れにするか!?

「で、逃げて来たってか」
「ああ。さすがにな……。追手を振り払うのにすっげぇ苦労した」

 既に一線で活躍出来るレベルにあるSSR(エスエスレア)二人をして苦労させるって、どんな追手だよ。っていうか本気過ぎかよ、母上様。
 俺は完全に顔を引きつらせるしかない。

「でも、会場に行ったら追手とかいるんじゃねぇの?」
「そうなんだよ!!」

 呆れながらも指摘すると、思いっきりアマンダは俺にしがみついてきた。

「だから頼む! 助けてくれ!」
「アマンダ……」

 俺はゆっくりとアマンダの肩を叩く。

「人生、諦めも重要だぞ?」
「ここで諦めるワケにはいかないから助けて欲しいって頼んでるんだけど!?」
「んなこと言われてもな、G級もビックリなクエスト依頼されても困るんだけど。どうしろってんだよ」

 眉根を寄せながら言うと、アマンダは唸った。
 よもや友達の母親倒せなんて無理だぞ、絶対に。まぁ、説得というか、庇うくらいは出来るか?

「ちなみに言っておくけど。母上はグラナダやフィリオも友達だって知ってる」
「へ?」
「つまり、お前らも女装させられる可能性がある。俺のためにって一蓮托生で」
「えっ、アマンダ、えっマジ?」

 俺の顔から血の気が引いていく。すると、アマンダは沈痛な表情を浮かべて頷いた。
 ちょっと待って、死ぬほどイヤなんですけど。何その超絶イヤな巻き込まれ型!
 つまりアマンダはあれか、助けて欲しいってのもあるけど、俺たちに危機を報せるために駆け付けてきたってことか!
 瞬間、身の危険を察知した俺の全身が粟立った。

「ここにいましたの、アマンダちゃん」

 たちこめるマダム臭。ゆらりと姿を見せたのは、白い日傘を差しながら、真っ白なドレスに身を包んだ女性だった。日傘のせいで顔の全ては窺えないが、真っ赤な唇はとても整っている。

「なっ……母上……!?」
「あらあら、せっかくの御召し物をこんなにして……すぐに仕立て直さないといけませんわ」
「母上! 俺は嫌だ!」

 アマンダは声を震わせながら抵抗を始める。

「何がイヤですの? そんなワガママを言うのではありませんわ」

 な、なんだ、この声だけで逆らおうって気を失わせる威圧はっ……! ハインリッヒ級か!
 全身から汗が噴き出るのを感じつつも、俺は勇気を振り絞る。いけない、今ここでのまれたら、俺まで女装させられる!

「あ、あの!」

 俺は一歩踏み出して声を上げた。我ながら上ずっていて恥ずかしい。

「あら、なんですの?」
「あの、アマンダ、嫌がってるじゃないですか。そこらへんにしておきましょうよ」
「そんなことありませんわ」
「そんなことあるんだけど」
「おだまりなさい?」

 アマンダが口を挟んだ瞬間、凄まじい威圧が放たれる。

「ほら、そこですよ」

 だがそれは俺にとってチャンスだった。
 指摘すると、母親は分からないようで、少し戸惑った。攻めるなら、今だ!

「アマンダだってもう男だし、立派な大人です。いつまでも親がでしゃばって意見するもんじゃないですよ。だって、それってアマンダのことを認めてないってことじゃないですか」
「み、認めてない、だなんて! そんなっ」
「けどそう言うことなんですよ。いい加減にしないと、アマンダも愛想つかせて絶縁するかもしれませんよ?」
「ぜ、ぜつえんっ……!」

 雷に打たれたように、母親はショックを受けて後ずさる。あれ、意外とチョロい?

「そういうことなんで、アマンダの好きにさせてやってください」
「そ、そう、そう、よね……私ったら……ごめんなさい、アマンダちゃん。女の子の格好をお願いするのは、家の中だけにするわ」

 いや諦めろよ。
 即座に俺はツッコミを内心で叩き入れた。
 表に出さなかったのは、ここが線引きだからだ。もしここでもっと攻めれば、反発される可能性がある。俺はアマンダに目線を送る。
 アマンダが頷いたことで、母親も力の限り残念そうではあったが、すごすごと引き下がっていった。

「と、とりあえず着替えてくるよ……」
「俺も……。俺の家にこいよ、着替え貸すからさ」
「すまん」

 母親の姿が消えてから、アマンダとエッジは互いに項垂れながら退場していく。
 いや、ホントなんなんだ。朝からなんで俺はこんな危機感を覚えなきゃならないんだ。
 二人の姿を見送りながら、俺は安堵と呆れのため息を吐く。

「なんか、ここまで疲れたのって、一年の頃に経験した学園対抗戦以来だな……」
「この短時間で随分と凄まじい消耗をされましたねぇ」

 持ち出したモノが持ち出したモノだけに、さすがのセリナも苦笑を浮かべた。
 ちなみにあの後、事後処理もかーなーりー大変だったんだよな。
 国が幾つも動いて帝国を弾劾する流れになって、俺たちはバカみたいに事情聴取されまくった。ただ、生徒たちが魔神を倒す、なんて流れにはさすがの王国もしたくなかったので、担任とライゴウ、そしてハインリッヒが中心となって、俺たち生徒はサポートするってことで取り決めて、色々と立ち回った。

 アレはしんどかった。

 結果、帝国は国際社会から非難され、その地位を大きく落とすことになる。
 今や完全孤立され、国交も多くの国から断絶されている。そのせいで経済的に厳しくなっているようだ。更に冒険者たちの流出が発生し、自衛さえままならない状態だとか。

 ちなみに、アザミは処刑だけは免れた。というか、行方不明になった。まるっきり音沙汰もない。噂によれば治安の届いていない貧民街に逃げ込んだらしいが……。
 真偽のほどは定かではない。

「とにかく行きましょ。卒業式に遅れたら話にもならないわ」
「ああ、そうだな行くか」

 アリアスに急かされ、フィリオが同意する。俺も頷いて、足を動かした。

しおり