第百九十七話
ぱきんっ、と、結晶にヒビが入る。
触れるまでもなく砕け、ようやくメイが解放された。
「ご主人、さまっ……」
「メイ!」
倒れこんでくるメイを俺はキャッチして抱きしめる。すぐに《ソウル・ソナー》で状態を確かめると、少し衰弱しているが問題なさそうだ。どこにも瘴気もない。
よかった……! 本当に良かった……!
「そうだ、みんなは?」
「みんなも無事だよ」
俺よりも先に無事を確認していたらしいハインリッヒが言う。瘴気に侵されて大ダメージを負った影響で動くのは辛そうだが、瘴気そのものは弾き飛ばせているらしい。
うーむ、あの《セイクリッド・スフィア》とかいう魔法か。
あのハインリッヒが詠唱する魔法である。絶対に俺じゃあ使いこなせない魔法だよな。
自分で自分を治療出来るってスゲェよな。いや、俺も自動回復は持ってるけど、瘴気に当てられた状態を治療するとかは出来ないからな。
密かに嫉妬しつつ見やると、みんなは気絶しているようだった。たぶん、ベリアルの仕業だ。メイだけを敢えて意識を保たせていたのは、なす術なく倒される俺を見せ付けて楽しむつもりだったんだろう。
本当に最悪なヤツだな。細かいとこまで気が回ることだ。
「とりあえず、事態の収拾をしようかな。どこかに責任者は残ってるだろうからね。その人たちに報告してくるよ。彼らは直に目を覚ますだろうから、グラナダくんはここに――」
テキパキと後始末を始めようとしたハインリッヒの言葉が止まる。
一瞬だけ鋭い目つきでハインリッヒは右を睨み、俺もつられる。そこには砕けた結晶が固まっていて、誰かがゆっくりと起き上がって来た。
あれは――アザミ!?
俺は驚きを隠せなかった。
理由は単純だ。ベリアルに乗っ取られた時点で、死んだと思っていた。けどまさか、生きてるとは。
っていうか、まさかベリアルが変化したか?
警戒を最大限にしながら《ソウル・ソナー》を撃つ。返って来た反応は、アザミそのものだった。ただ、流れる魔力経絡の量が恐ろしく低くなっている。何があった? ただ衰弱したって感じじゃないぞ。
「ぐ……くそ、どうなったんだ……」
「どうなったもこうなったも、ないんだけどね?」
目眩があるのか、頭をさすりながらアザミが言い、ハインリッヒが珍しく険のある声を放った。
突き刺されるような威力のある言葉に、アザミは露骨に表情を変えて睨みつけてくる。
「貴様誰にものを……って、まさかハインリッヒ!?」
「僕は礼儀礼節にはあまり頓着しない方だけど……いきなり見も知らぬ年下に呼び捨てされるのは好きじゃあないかな?」
いつもなら絶対に口にしないだろうことを言い放ち、ハインリッヒは即座に壁を作っていた。
うわ、この容赦のなさ、寒気がするな。
こんなのを向けられたら、顔を青ざめさせて姿勢を正すものだが、アザミにその様子はなかった。むしろ不遜な態度まで見せつけてくる。
「英雄と聞き及んでいたが……意外と器の小さいことを言う」
「どう思ってもらっても構わないよ。それで僕が君に対する態度は変わらないからね」
「……随分なことを言ってくれる!」
ぴしゃりとやっつけられたにも関わらず、アザミを怒りを露わにした。おいおいマジかよ。
呆れを通り越して、俺は感心した。
フツー気付くだろ、そこで。
だがアザミは敵意と魔力を膨らませながら、ハインリッヒを睨みつける。まさか戦うつもりか?
「……まさか、戦うとでもいうの? この僕と?」
ハインリッヒも気配を感じ取り、すぅ、と目を細める。どうやらかなりささくれ立っているのか、遠慮はなさそうだ。
《レアリティ》から見ても圧倒的な差があるはずだが、アザミから戦意は崩れない。
むしろ鼻を鳴らして余裕さえ見せつける始末だ。
「戦うのはこの僕ではない。ここいる連中――全員だ」
手のひらを掲げ、アザミは魔力を乗せる。まさか。
「《帝王の呼び声》」
発動したのは、自分よりも低い《レアリティ》たちを強制的に隷属させる、脅威的なアビリティ。だがそれは、発動しなかった。否、正確には誰にも届かなかった。
確かに支配されるような魔力はやってきたが、俺でも簡単に弾くことが出来たのだ。
って、どういうことだ?
顔に出さないようにしつつ、俺は《鑑定》スキルを打ち込んだ。
すぐに表示された文字列に、俺は絶句する。
クロイロハアザミ《
――は?
どうなってんだ、さっきまでコイツ、
驚いていると、アザミは不審に眉根を寄せていた。手応えがなかったからだろう。
「なんだ、どうして発動しない?」
「当然だよ。《ステータスウィンドウ》で自分の状況を確かめると良いかな」
ハインリッヒに促され、アザミは己のステータスを確認し、顔を本気で青くさせた。
「な、なんだ……どうして、どうして! 僕の《レアリティ》が下がっている!?」
「功罪だよ」
愕然とするアザミに、ハインリッヒは冷たく言ってのけた。
重ねるようにため息をつき、ゆっくりと指を向ける。
「君は強くなるから、と言って、月狼の呪いを受け入れた。その上で、ベリアルから超再生の細胞さえも受け取って、その身にねじ込んだ。ここ最近調子がすぐれなかったのは、その二つが君の器を侵食していたからなんだけど……疑いもせず、努力もせず、ただ見せかけだけの強さを求めた結果だ」
「な、なんだと……」
「その二つはいずれ魔神になる器のためのものだ。少し考えれば分かることなのに、君はその場で強くなれるから、というだけで受け入れた。それは大きな罪のなにものでもないし、結果、事実としてベリアルが降臨して、世界は危なかったんだ」
事実だけをハインリッヒは突き詰めていく。
「だから僕たちは世界を救うために戦った。その結果、君は《レアリティ》を失った。それだけさ」
「なっ……」
「残念だよ。君は僕を超える器の持ち主だった。けど、そうやって落ちぶれた。失敗したね。転生者だからって努力しないで強くなれるなんて、この世界じゃあ有り得ないんだよ」
「き、貴様っ……!」
「自分の器に感謝することだね。だからこそ君は《レアリティ》を落としながらも助かったんだ」
そうか。
俺はやっと理解していた。ハインリッヒはベリアルを弱体化させるために、器を削る技を使っていた。それが原因だ。だからこそベリアルは弱体化され、乗っ取られていたにも関わらず、ほんの僅かだけアザミは助かったんだ。
なんとも皮肉だな。良いか悪いか――それは本人次第だけど。
アザミはわなわなと震えながら、ただハインリッヒを睨みつける。
「つまり、つまり、全部お前らのせいじゃないかっ!」
信じられない言葉がやってきた。
呆気にとられていると、アザミは怒りをぶちまけてくる。
「どう責任を取ってくれるんだ! 帝国の切り札だぞ、僕は! それをこんな目に遭わせて! 帝国と戦争でもしたいのか!?」
「知ってるよ。君の強化プランに、帝国が関わってることぐらいは」
ハインリッヒは冷徹な口調で告げた。
「もう調べもついてるんだ。今回のことでそれは公になるし、僕も今まで調査していた分は公表する。そうすれば帝国は国際社会からの非難は避けられない。経済制裁も行われるだろうし、孤立するだろうね」
「なっ……」
「もしそれを誰かのせいにするとしたら……他でもない君じゃないかな? 帝国は簡単に罪をなすりつけると思うよ? 帝国側からすれば、失点を犯したのは君だからね」
さもありなん。
俺は単純にそう同情した。
きっとこのまま戻れば、アザミは消されるのだろう。恐らく大罪人として公開処刑でもされるんじゃないだろうか。それで帝国の責任が消えるはずもないが、腹いせにやっても不思議はない。
「あ、ああ、あああ、ああああああああああッッッ!」
壊れたように、アザミは叫んで頭をぐしゃぐしゃにかきむしった。
すっかり血走った眼で、口から涎を垂らしながらアザミは俺を睨んでくる。
「お前だ、お前だお前だお前だっ! お前がいたから、僕はこうなったんだ! お前さえいなければ、僕は今頃、きっと! 操られていればいいのに! 泣きながら仲間に殺されておけばいいのに! どうして、どうして僕の言う通りにならない!!」
支離滅裂に吐き捨てながら、アザミは一歩、また一歩と俺へ向かってくる。
「この劣等種がぁぁぁぁぁっ!!」
我慢が切れたのか、アザミは駆け寄ってくる。握られた拳は、ひどく弱々しい。
「あのさ」
俺はその拳を片手で受け止め、握りつぶす。ボキボキ、と骨が砕けて、アザミが小さく叫んだ。
曲がってはいけない方向に曲がった拳を離し、俺は腰を落として構える。
「なんで俺がお前の言う通りにならなきゃいけねぇんだ。このアホめ」
「あ、ああ、あ、ああああっ!?」
「せめて性格が良かったら、まだなんとかしてやろうと思うんだけどさ」
コイツは性根から腐ってるからな。手加減する必要なんてないだろ。
俺は全身に魔力を漲らせ、力を発動させる。
「《
バチ、と、奔流とも言える雷を宿し、俺は拳を向けた。
「ふっざけんなぁぁぁぁぁ――――――――――――――――っ!!」
ごきん。
と、確かな手応えと音がして。
俺の突き上げるような拳は、アザミを華麗に殴り飛ばした。
あーもう、ホントに腹立つ。好きに死刑にでもなんにでもなれって話だ!!
弧を描きながらどこかへ飛んでいくアザミに背を向け、俺は憤懣のため息を放った。
「ま、自業自得というか……せめて反省してくれてたらね、とは思うかな」
「俺もそう思います」
「とにかく、彼は後で回収するとして……今度こそ僕は事態を収拾してくるね。グラナダくんはここで休んでて。疲れただろうからね」
「……ハインリッヒさん」
「ん?」
爽やかに立ち去ろうとするハインリッヒの肩を、俺はがっしりと掴んだ。割と骨を砕きそうな勢いで。
不穏な何かを悟ったらしいハインリッヒの爽やかな笑顔が固まった。
「俺、殴ったり蹴ったりするって言いましたよね?」
「え、えぇ……」
俺の笑顔に、ハインリッヒは顔をひきつらせたのだった。