第百五十一話
誰もがそう思ったはずだ。だが、ライゴウは尋常ではない反応速度で振り返り、ハインリッヒの一撃を受け止めた!
「──《野性》ですかっ!」
「がっはっはっは!」
ハインリッヒは苦笑しながら飛び退く。
攻守がまた入れ替わる。
「行くぞォォっ!」
ライゴウは片足を上げながら戦斧を振りかぶり、思いっきり地面に叩きつける。フィールドの石版が音を立てて砕け、直後、三つの衝撃波──爪みたいだ──が出現する!
「三撃痕!」
その衝撃は地面を抉りながら一つに集束し、ハインリッヒを狙う!
「《聖者の理、聖骸の願い、我を守り給え》」
ハインリッヒは冷静に魔法を唱え、防壁を構築する。
刹那、轟音が空気を震わせた。
衝撃波が荒れ狂い、周囲に破壊と風をもたらす中、ハインリッヒだけは無事だった。
しかし、ハインリッヒを包む薄青い壁もまた砕け散る。
「防壁を一撃で破壊しますか……。上級魔族の攻撃にも耐えるんですけどね、これ」
「がっはっはっは! 道理で硬いと思ったわ!」
言いながら、ライゴウは戦斧を振り回し、地面を砕いていく。その飛礫は容赦なくハインリッヒを殴ろうと迫るが、ハインリッヒは華麗に回避した。
どうしても激突しそうな飛礫だけを斬り払い、ハインリッヒは魔力を高めながら接近を試みる。
「轟雷奮迅っ!」
ライゴウが仕掛ける。巨大な戦斧に雷を纏い、思いっきり振り上げてから振り下ろし、二重の衝撃波を放ちながら稲妻をばらまく!
その威力は凄まじく、周囲の地面を砕きながら広範囲に拡大し、ハインリッヒへ迫る。
うげ、範囲だけなら《神威》クラスだぞ、あれ!
だがハインリッヒの表情に変化はない。
「《マテリアル・コフィン》」
展開したのは地水火風、全ての属性が加味されたマーブル模様の盾。
容赦ない稲妻を受け止め、散らしていく。
だが、二人の攻防はそれだけではない。ライゴウは凄まじい勢いで迫り、ハインリッヒも応じて突撃を仕掛ける。破壊がまき散らされる中、二人は正面から衝突した。
光。そして、轟音。
風圧だけで吹き飛ばされそうになる中、二人の刃が競り合っていた。
ガリガリと火花が散り、二人は野蛮に笑う。
「がっはっはっは! さすがハインリッヒだな! このワシと撃ち合えるか!」
「相変わらず、バカ力ですねっ……!」
荒々しい金属音を擦らせ、二人は何度も刃をぶつけ合う。だが、やはり力比べはライゴウに分があり、ハインリッヒはたちまちに押し返される。
ハインリッヒは即座にスピード勝負へ持ち込む。
「がっはっはっは!」
周囲に展開する七つの剣を自在に掴んでは離し、多角的で且つ残像さえ見えるような速度で繰り出される攻撃を、ライゴウは笑いながら捌いていく。
おそらく、一撃をやや過剰な力で弾くことでハインリッヒに大きな動きを取らせ、自分が対応できない速度を出させるのを防いでいるんだ。しかもちゃんと次の攻撃を予測しながら。
俺は寒気さえ覚えていた。
ライゴウは豪快だ。だが、そこに超がつく繊細な力加減がある。
あんな芸当、どうやったら身に付くんだ。
「これが、世界最強同士の戦い……」
轟音が何度も何度も重なる。その一撃一撃が闘技場を破壊していく。
まったくの互角。俺から見てもそう映った。いつまでも続くんじゃないか、と思い始めた時だ。
「じゃあ、そろそろ決めますね」
「ぬぅ!?」
ハインリッヒは涼しげな表情で言い放つ。ってマジか。
俺は思わず目を見張った。ハインリッヒの全身に濃密な魔力が集っていく。とたん、フィリオが音を立てて席を立った。その表情は驚愕に満ちている。
「バカな……! その魔力は、まさかっ……!」
明らかな動揺だ。
俺は不審になりながらハインリッヒに目線を戻すと、ハインリッヒの全身が光を放っていた。
え? あれって、まさか――!? いや、違う!
「いくらあなたの《野性》でも、反応できませんよ?」
ハインリッヒの光は六体の分身となり、一瞬にしてライゴウを囲む。
「ぬっ!?」
「《ライトニング・イグナイト》!」
瞬間、ハインリッヒが加速し、その光の分身も加速する。それぞれ、剣を持って。
七つの光が一点に収束し、斬撃が重なる。
刹那、ライゴウの身体が打ち上げられた。
「あっ……がはっ……!?」
あがる苦痛の声。剣閃がライゴウの身体を駆け抜け、ダメージを刻み込む。出血はしていないようだが、尋常ではなさそうだ。
っていうか、今の、マジか。
あれは、分身じゃあない。加速の《基点》だ。どういう理屈でかはまだ分からないが、おそらく、フィリオの使う《雷神》と同じ原理じゃないだろうか。瞬間的に魔力経絡を迸らせ、超加速する。
ハインリッヒが恐ろしいのは、その加速を誘導した点だ。
まるで瞬間移動に等しいぞ。
あの《基点》となる分身まで移動すると、瞬時に加速のベクトルが変化、姿勢が分身と同じものになり、また加速する。それを繰り返しているのだ。つまり、あの分身は強制的に進行方向を捻じ曲げ、さらに加速まで付け加えるのだ。
結果的に、ほとんど同時と言って差し支えがない連撃が繰り出される。
「いてて……」
もちろん、そんなの荒業の荒業だ。いくらハインリッヒと言えど、無事で済むはずがない。
案の定、ハインリッヒはその場に座り込む。苦笑で隠しているが、かなりの激痛のはずだ。俺も《アジリティ・ブースト》を使った後の負荷は凄まじいからな、少しは分かる。
ずん、と、重い音を立ててライゴウが背中から地面に落ちる。
卒倒しているようで、ライゴウは動かない。同時にそれは、試合終了を意味した。
「「「オオオオオオオッッ!!」」」
沸き上がる歓声。またフィールド全体が揺れるほどの地響きが起こり、俺はそれに揺さぶられながらも回復魔法をかけるハインリッヒを見た。
あの人、いったいどこまで強くなるつもりなんだろう。
いや、あんな技を出させたライゴウさんも規格外なんだけど、ハインリッヒはその上だ。
あれだけ強かったら、見える世界も違ってくるんだろうか。
なんて考えていると、立ちながら茫然としたフィリオが座った。そのまま頭を抱えてがっつり卑屈モードに入る。っておい。
思わず頭をはたきそうになったが、気持ちは理解出来る。フィリオはハインリッヒの再来と言われている人物なんだ。その言葉の重圧を感じ取っているのだろう。
「あの人に、どうやって追いつけば良いんだ……」
「さぁな」
俺だって分からん。
あんなのにどうやって抵抗しろって感じだ。もはや単体で魔神を撃退出来そうな勢いである。いや、っていうか、単体で撃破出来るようになるために、あんな技を開発したんだろうな。
それは、世界最強だから。
人類の希望を背負う、ということがどれほどのプレッシャーなのか。
「ふふふ、相変わらず、眩しいくらいの光なのね」
どこから声がしたのだろうか。
まるで錆びついてこびりついてくるような声だった。ぞっと背筋が凍る。
思った瞬間、あれだけ騒がしかったはずの喧噪がぴたりと止んでいた。
どうして、と思った瞬間、世界が真っ白な霧に包まれる。
本能的に危険を察し、俺は魔力を高める。同時に、次々と周囲の人々が気絶したように倒れていく。
「おい、みんな!」
俺はすぐに隣で倒れたフィリオを確認する。意識がないが、脈はある。魔力の乱れも特別悪いわけではなく、まさに眠らされたかのようだ。
――なんだ、どういうことだ?
動揺を押し殺しつつも、俺は魔力をひたすらに高める。原因は明らかにこの霧だ。すぐさまに追い払いたいところだが、相手の姿も気配も掴めない状態で動くのはマズい。
わざわざ催眠作用のある霧を展開させたのだから、相手は何かしらの狙いがあるはずだ。
それで風を起こして追い払えば、こちらの居場所を相手に伝えるのと同意だ。
「この魔法は……!」
声はハインリッヒだ。当然のように無事の様子だ。
俺はかなり悪くなった視界の中、密かに動く。ハインリッヒと合流すれば、何か分かるかも――?
「ふふふ」
また、あの声がした。
瞬間、霧が消えていく。まるで何もなかったかのように。だが、ギャラリーたちは未だに深い寝息を立てている。これはちょっとやそっとじゃ起きないな。
どれだけの範囲で影響を与えたのか分からないが、物音一つしない辺り、かなりの範囲だな。
俺は姿勢を低くさせ、様子を窺う。
すると、上空から気配が生まれ、見上げると薄汚れたワンピース姿の女がいた。
まるで針金みたいな髪は長く、顔まで隠れている。微かに見える片目は、なんとも壊れているんじゃないかと思うような目の色をしていた。
なんだ、アレ、ヤバいぞ。
「君はっ……!」
ハインリッヒも少女を見つけ、驚愕に顔を染め上げる。
「カトラスっ……!」
「はぁい。お久しぶりですわ。ハインリッヒさん――……いえ、日向に佇む殺人者さん」
少女はやはり錆びついた声で、とんでもないことを言ってのけた。