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第百五十二話

 ――殺人者。
 俺の頭にこびりついた言葉は、かつてセリナから教えてもらったハインリッヒの過去をさしている。
 確か、同級生のSSR(エスエスレア)からやっかみを受けて、戦闘。その流れで、殺すことになった。通常であればとんでもない事件のはずだが、同級生たちからの一方的で逆恨みな末のことなので、ハインリッヒを守るために王国政府が乗り出してもみ消した。
 同時に相当厳しい情報統制が行われ、当事者たちの親でさえ知らずに事故として処理された。

 つまり、ハインリッヒが不慮とはいえ殺人を犯した事実を知る人物は、限りなく少ない。

 だが、知らなければ、あんな発言は出来ない。
 あの女は何者だ?

 思う間に、女は着地し、ハインリッヒと対峙する。ハインリッヒはまだ回復が終わっていないのだろう、膝を折った状態だ。対して、女は何も持っていない。それどころか素足だ。
 ひた、ひた、と、破壊されて悪くなった足場を女は歩く。

「どうして、君がここにっ……!」
「決まってるじゃないですか。光を始末しに来たのよ。影を作る光なんて要らないの」
「君は、何を……」
「ねぇ、返してよ」

 ハインリッヒが分からずに眉根を寄せて訊くが、女はさらに言い募る。

「ネェ様を、返して?」

 どうしてだろう、あの女の声が、ざわつく。
 まるで内臓を撫でまわされているかのように、気持ちが悪い。そして、怖い。

「カトラス。君はまだ……!」
「当たり前じゃない! ネェ様を。ネェ様ををををっ!」

 刹那、女が地面を蹴る。どう見ても弱々しいのに、女は一瞬で間合いを詰めてハインリッヒに肉薄し、ハインリッヒに抵抗を許さず首を絞めながら押し倒した。
 なんだ、今の動きはっ!?

「あああああああああっ!」
「カトラスっ……やめろっ!」
「返して、返して! その《神託》はネェ様のもの! ロクに使いこなせもしやしないのに、なんでアンタなんかが使ってるのよォ!」

 女の尖ってボロボロの爪が、ハインリッヒの首に食い込んで血を滲ませる。
 まずい、あれ、息が出来てない!
 咄嗟に飛び出そうとしたが、ぐいっと肩を掴まれて阻まれる。誰だ、と思う間もなく、俺はしっかりとその場に蹲らされた。

「じっとしてろ。今、君が介入してはならない」
「だ、だれっ……!」
「《神眼》のラテア。この場は私に任せろ」

 そう耳打ちしてきたのは、全身包帯塗れの、見た目は少女の人だった。って、《神眼》のラテアってあの伝説の冒険者の一人の!?
 驚く間に、ラテアはたん、と、軽く地面を蹴って高く跳躍し、そのまま落下を始める。

 否。落下ではなく、加速だ。

 思う間にラテアは全身を包む包帯を一部剥ぎ取り、それを伸ばしてカトラスを縛り上げる!

「やめろ、カトラス!」
「これはっ……解けないっ!? そんな、どうして!」
「そう簡単に解けると思わないことだ」

 きつく縛り上げ、ラテアは着地と同時に包帯を手繰り寄せて、女──カトラスをハインリッヒから引きはがす。
 即座にハインリッヒが起き上がり、剣を抜きながらライゴウの元へ向かう。

「まったく……動かないで、と言ったはずなのに……!」
「そんな嘘が、この《神眼》を誤魔化せると思ったのか?」

 ラテアは尚もカトラスを引っ張るが、カトラスも踏ん張って耐える。あの矮躯に一体どうしてそんな力があるのだろうか。
 二人の攻防が拮抗する間に、ハインリッヒはライゴウに回復魔法を施し、気絶から解放させる。

「む、ぐう……?」
「ライゴウさん、起きてください。敵です」
「ほぉう!」

 たった一言受けただけで、ライゴウは跳び起きた。見る間に戦意を高め、周囲に威圧を放ちながら戦斧を持ち構えた。とたん、それに晒されたカトラスが委縮したように肩を竦ませた。
 まぁ、そりゃそうだわな。
 あの教室で向けられたものを思い出しつつ、俺は苦笑する。

 ハインリッヒはライゴウから離れ、剣を構える。ちょうど三角形の形だ。
 この世界でもトップクラスの連中に囲まれて、しかし、カトラスは睨みつけてくる。必死の様子で暴れ、包帯を何とかしようとしている。

「いい加減、解けなさいっ……!」
「無駄だ。カトラス。この包帯は、特にお前へ効果的だからな」
「くっ……!? こんなっ!」

 叫ぶカトラスに余裕はない。

「ハインリッヒ。ライゴウ。仕留めろ。今ここで倒せなければ……っ!」
「……! 分かりました」
「敵とあらば、もとより容赦せんぞ!」

 二人が戦意を漲らせ、武器に乗せた瞬間だ。
 何かが上空から突き刺さり、一気に蒸気を放って周囲を濃霧に包みだす!
 それは次々とやってきて、周囲に煙を放つ! これは、魔力!? 攪乱されていく!

「なんだっ!?」
「ちっ! これはっ……! 《エアロ・プライド》!」

 あがる驚愕。ハインリッヒが素早く魔法を展開し、周囲の煙を薙ぎ払う。
 視界が一気にクリアになるが、そこにカトラスはいなかった。ただ、叡智なもので切り裂かれた包帯があるのみ。どこにいった?
 俺は素早く《アクティブ・ソナー》を撃って周囲を確認する。反応は上空だった。

 見上げると、そこにはカトラスを抱える、白装束に身を包んだ男がいた。特徴的なのは、額にある、三角形を幾つも組み合わせたようなマークだ。

「まったく。少し目を離したらこうだ。さすがにこの三人を相手にして勝てる道理はないぞ。お前はまだ未完成なんだ」
「でもっ……!」
「聞き分けろ。ここにはコイツらだけじゃない。他にも油断できない連中は多いんだ。また何も出来ないまま死にたいのか?」
「……また、またっ! それは……イヤァ!」

 何かのキーワードのように、カトラスは取り乱す。白装束の男はため息を一つ入れると、懐から取り出した布切れをカトラスの口に押し当て、意識を奪った。
 薬品かなにかを吸い込ませたか?
 だらんと力なく項垂れるカトラスを片手で抱えながら、男は一瞬だけ周囲を気にかけてからラテアを見下ろす。なんだ、今の動きは。
 違和感を覚えた俺は、即座に《アクティブ・ソナー》を打つが、反応がない。まさか、と思いながら《ソウル・ソナー》を打つと、三つの反応が感じられた。

 間違いない、暗殺者だ。

 俺は密かに行動を取る。男に気付かれないように。俺は今、ラテア以外には認識されていない存在だからだ。

「さて……久し振りだな、ラテア」
「貴様っ……!?」
「攻撃するつもりか? 貴様は自分ごと死ぬつもりか?」

 ラテアが過剰に反応し、ナイフを握るが、男は冷静な口調でそう嘲る。

「まさか、貴様……ルナティーブ薬を……!?」
「当然だろう。己の身を守るのは大事だからな」

 平然と言ってのける男に、ラテアは強い敵意を剥き出しにする。それは、俺も同じだ。危うく殺意を向けそうになった。
 ルナティーブ薬。フィルニーアから学んだ、絶対に手を出してはならない薬品の一つだ。
 服用すると強い睡眠作用があり、少しでも吸引すれば半日は目覚めない。毒素を排出するまで眠り続ける。しかも、その毒素は強制的に排出させようとすると、凶悪な毒となって服用者を殺し、周囲にその致死性の毒を撒き散らすのだ。

 もし、攻撃をして、カトラスに当たったら。

 まさに自爆を込めた盾にしたのである。
 イカれてるとしか思えない所業だ。

「どうして貴様がここにいる!」
「決まっているだろう。ラテア。貴様を迎えに来たのさ」
「……何?」
「そんなはずないだろう。一瞬でも期待したか? 誰が貴様のような出来損ないを迎えに来るんだ」

 訝る様子を見せたラテアに、男は口汚く罵る。一気にラテアの全身から殺意が漲るが、辛うじて自制したのか、動かない。
 どうやら二人には浅からぬ因縁があるようだ。
 男はそれを利用して、ラテアを侮辱しながら機を狙っている。

 狙いはただ一人。

 ──アリアスだ。
 さっと晴れ始めた霧に紛れて、暗殺者が迫ってくる。だが遅い。俺は既にアリアスの傍だ!
 素早く俺はボロボロになったリボルバー式のハンドガンを抜き、魔力を注ぎ込む。

「《ヴォルフ・ヤクト》」

 背中から虹色の刃を解放し、迫り来る暗殺者に向けて容赦なく放つ。刹那にして刃は音を超え、暗殺者を切り刻んだ。
 遅れてやってくる、幾重もの斬撃の音。
 血が舞い、暗殺者どもはその場に崩れ落ちた。

「──……なに? ちっ!」

 白装束の男は驚愕して俺に視線を向けて、直後、急上昇する。その僅か後に、時空間転移魔法で背後を取ろうとハインリッヒが出現した。
 ちっ、と舌打ちがハインリッヒから漏れる。ギリギリで気付かれたか。あの男、意外とやるな。

「やはり伏兵がいたか……まぁいい。いずれ迎えに来るからな。それまで別れを惜しんでおくことだ!」

 言い放ちつつ、男は空へ逃げていった。
 追い掛けたいところだが、男は狡猾なことを仕掛けてくれていた。周囲から、夥しいまでの気配が生まれたのだ。

「これはっ……!」
「くるぞ!」

 ハインリッヒとライゴウも気付く。
 ぼこ、と、闘技場の地面が音を立てて盛り上がり、魔物を次々と生み出す!
 モグラ系の魔物ばかりで、強力ではないが、今、観客たちは深い眠りについている。襲われたらひとたまりもない!
 否が応にも、俺たちは魔物の殲滅戦に挑むこととなった。

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