第百二十話
──波動。それは、魂の拍動。
その感知さえ出来れば、俺は絶えず暗殺者、ヅィルマを捕捉できる。俺はようやくその糸口を掴んでいた。
『んぐっ……ひくっ……』
すっかり伸びたポチは置いておくとして。
俺は早速、机に向かって魔法陣を作っていた。この複雑な術式を覚え込むことで、魔法は使えるようになる。さすがにこれは本番で、しかも常時使うことになるので、ただ作るだけではいけない。改良も欠かせないのだ。
魔力の消費効率を考慮した術式を組み立てながら作業に没頭していると、扉が開かれた。
「ご主人様、ご飯ですよ。ここで食べると思ってお持ちしました」
「ああ、ありがと。悪いな」
「いえ、ここで私も食べますから」
メイは微笑みながらトレイをソファ近くのテーブルに置いた。
メニューはだしまき卵に、豚肉ともやしの炒め物だ。万能食材もやしはこの世界にも存在している。後はスープとご飯だ。
実に食欲がそそる匂いだ。
「「いただきます」」
テーブルを挟んで向かい同士になり、俺とメイは食事を始める。
うん、美味しい。ちゃんともやしはシャキシャキしてるし、豚の旨味がしっかりある。だしまき卵も完璧な具合だ。ふわふわだし。
俺は思わず顔を綻ばせながら、ご飯を食べていく。
「ふふ、ご主人様、嬉しそうですね」
「ん? そりゃまぁ、美味しいご飯を食べられたら嬉しいだろ。メイはホントに美味しいご飯を作ってくれるよな。これは本気でありがたいことだ」
当然のことを言うと、メイはいきなり顔を赤くさせた。かなり嬉しそうだ。
「そ、そんなことっ……ご主人様ったら、もう!」
メイは両手で赤くなった頬を覆いながら首を盛大に振った。
「ほらほら、ご飯食べろよ」
「分かってます。って、あれ、そのコウモリみたいなのはなんですか、ご主人様」
視線を向けたのは、必死にテーブルへよじ登ろうとしているクータだった。
しまった。すっかり忘れてた。
「あぁー、クータだよ」
「クータって、あの?」
「おう、そのクータだ」
頷くと、メイはまじまじと見ながら、もやしの一切れを渡した。
クータは待ってましたと言わんばかりの勢いで食い付き、美味しそうに頬張る。うん、この勢い、お腹が空いてたんだな。まずったなぁ、全然気づいてやれなかった。
俺はお詫びとして豚肉の一切れを渡す。
クータは目を輝かせて肉に齧りついた。
「どうしてまたこんな小さくなったんですかねぇ」
「たぶんだけど、変身魔法を覚えたんじゃねぇかな。それでここに来たんだと思う」
「変身魔法を、ですか? 確かにドラゴンは覚えるとは聞きましたけど……クータってまだ子供でしたよね?」
その通りである。
だが、俺は先日、クータに変身魔法の補助をしている。それがきっかけで覚えたって可能性は十分に考えられる。というか、それしかないだろう。うん。
それに、クータは甘えん坊だ。田舎村にいた時は常に構ってやれていたが、ここ王都では全然それが出来ていない。だからこそ、必死に覚えてやってきたんだろうな。
俺は肉を美味しそうに頬張るクータの眉間を優しく指先で撫でてやった。
クータは嬉しそうにグルグルと喉を鳴らす。
「そう言えば、クータってこの前話せてましたね」
「セリナに変身してたからな。元々俺たちの言葉は理解してたし、単純にドラゴン形態ではまだ喋れないってだけだ」
ちなみにドラゴンが人語を話すためには、鳴き声を魔力によって言葉に変換しているからだ。これは人間程度の魔力では不可能な芸当で、ドラゴンでも相当年数を生きなければ習得できない。
それこそまだまだ子供のクータには無理だ。
とはいえ、俺にとっては天啓だ。
ポチもそうだが、クータも気配にはかなり聡い。ヅィルマが接近した際、気付いてくれる可能性が高いのだ。さすがに俺も一日中警戒なんてしてられないからな。
「うん、ご馳走様」
「ぺろりと平らげましたね、安心しました」
すっかり空になった皿を見て、メイは胸を撫で下ろした。
「え?」
「だって、ご主人様ずっと閉じこもってるから。特にここ最近」
「……言われてみれば」
家のことは完全にメイへ任せっぱなしなので、少し申し訳ない気分だ。
「だから心配だったんです。お体無理されて壊されないかなって」
「一応気を付けてるつもりなんだが……心配させてたな。悪い」
「いえいえ、ご主人様が無事ならそれで良いんです」
言いながら少し寂しそうな顔してるぞ、メイ。
俺は思わず苦笑する。メイだって人間なんだ。そう思って当然である。ここはちゃんとコミュニケーションを取っておくべきだ。
「そういや、メイのクラスは何をするんだ?」
「学園祭ですか?」
俺が頷くと、メイは少し嬉しそうに目を輝かせた。
「はい。私達はパンケーキ屋さんをやろうと思いまして」
「パンケーキ?」
「はい。あれなら手軽に作れますし、フルーツとかでデコレーションしたら可愛いですしね。なので仕込みと調理は男子、女子はデコレーションと店員さんをやることにしました。えっと、メイド喫茶? っていうらしいですよ」
俺は思わず傾いだ。
メイド喫茶って……。誰だそんなの教えたの。いやまぁ転生者なんだろうけど!
だが、俺としては必要性があまり感じられない。まぁ、毎日メイからご主人様って呼ばれてるし。今思ったけど、かなり贅沢なことかもしれない。
「私も、メイド服を着ることになってます」
「おお、そうなのか。メイなら似合うだろうな。見せて欲しいけど」
「え、そんなっ……申し訳ありませんが、まだデザインを起こしている途中なので。もし出来上がったら着てみますね!」
力いっぱいメイが主張してくる。自信がある、のか?
「おし、じゃあお披露目会だな」
「ふふっ。お披露目できる時が待ち遠しいですね。っと、そろそろお片付けしないと。ご主人様、くれぐれも無理をなさらないようにしてくださいね」
「ああ。ありがとうな」
そう言うと、メイは恭しく一礼してから皿を片付け、部屋を出て行った。
さて、俺は研究の再開と行くかな。クータも満足したみたいだし。
テーブルの上で、膨らんだお腹をさすりながら寝転がるクータを確認してから、俺は机に戻った。
空間が歪んだのは、まさにその時だった。
もう驚くことはない。ハインリッヒである。今日は戦場帰りのような恰好ではなく、私服だった。
「ごめん、遅くなったかな?」
「いえ、構いませんよ。お茶でも飲みます?」
「頂けるなら有り難いな」
ハインリッヒは苦笑して言う。うっすらと額には汗が滲んでいた。
しっかりとテーブルに置いてあるポット(もちろんメイである)からコップにお茶を注ぐ。程よく冷えているので、今のハインリッヒにはぴったりだろう。
グラスいっぱいに注いだお茶は、すぐになくなった。
「……ふうっ。生き返った。ありがとう」
「よっぽど大変だったみたいですね?」
「うん。でもおかげでしっかりと情報を掴んで来たよ」
ソファをすすめると、ハインリッヒは「ありがとう」と一礼して座る。ついでにお茶も注いだ。
俺はアリアスを通じてハインリッヒに密書を渡したのだ。
暗殺者ヅィルマに関する情報の提供である。これはアリアスの命を狙った組織(?)にも繋がるものなので、重要な案件だ。
どうやらハインリッヒはそれを見て、調べてくれたようだが。
「情報を掴んできたって、何かわかったんですか?」
「うん。暗殺者ヅィルマ。僕でも凄腕の暗殺者だってことしか知らなかったから、色々と調べてみたけど、これはまぁ中々とんでもないね」
「そうなんですか?」
いやまぁ、とんでもなく強かったから、そんなことだろうとは思っていたけど。
「うん。暗殺者ヅィルマ。通称、影のヅィルマ。闇の世界においても、その正体を知るものは誰もおらず、コンタクトを取ることさえ難しい。故に影。そして――……暗殺者の中でも最凶と呼ばれている」
「最凶……」
「推定レアリティは
それに関しては俺も頷く。
あの強さは半端ではなかった。おそらく、幾つもの隠し手を持っている。あの防御力を貫通する技もそうだったが、黒い風を纏って姿をくらます魔法もだ。
「それと、さっき《神託》も降りてきた」
うわ嫌な予感。
「最悪の場合、だろうとは思うけど――君は死ぬよ?」
予想通りの言葉だったが、俺は衝撃を受けた。