第百十九話
「……なんの冗談だ。俺にそんな依頼される覚えはないぞ」
「さぁ、それはお前さんが預かり知らぬだけかもな」
暗殺者は明らかに俺の反応を楽しんでいる。
これだけ動揺していれば、攻撃の一つや二つ、仕掛けてきてもおかしくはないはずなのに。
「お前さんには借りがあるからな。だから簡単に暗殺するのは面白くないと思ってな」
暗殺者はヒヒ、と引きつるように笑う。
「ゲームをしよう」
そう、提案してきた。
俺はますます怪訝になりながらも身構える。相手のペースにのまれるな。今は攻撃を警戒だ。
「そう身構えるな。クックック。今は暗殺するつもりはないさ」
「そう言って油断させて暗殺するのがお前らのやり方だろ」
「違いない。だが、今は本当だ。ゲームの説明をするだけだからな」
暗殺者は自分の懐から一枚の封筒を取り出す。そこには、暗殺依頼、と書かれていた。
「これから一定期間、お前さんを暗殺しようとする。もしその期間、暗殺から逃れればお前さんの勝ち。俺は依頼主を殺しに行く。お前が殺されれば、お前さんの負けだ。分かりやすいだろう」
「依頼主を殺すって、物騒だな」
「俺は完璧主義でね。失敗したらその痕跡を消すために、依頼主を殺すことにしてるんだ」
深くくぐもった声は、しれっととんでもないことを言い放った。
こいつ、悪い意味で狂ってるな。
「アリアスの小娘を殺す時もそうだった。お前さんによって見事に打ち砕かれたからな。だから依頼人を殺してきたよ。暗殺そのものは単独で動いていたようだから、俺には問題ないが……色々と厄介そうな集団だったからな、もしかしたら勝手に跳ね返って、血迷って自分たちで小娘を襲うかもな」
「テメェっ……!」
「そんなことよりも、今は貴様のことだ。おっと、コイツを忘れていた。依頼主をお前さん自身が仕留めたら、それもまたゲームはお前さんの勝ちだ。悪い条件ではあるまい?」
俺の怒気が膨らむのを感知しているはずだが、暗殺者は泰然としていた。
「そもそもそんなゲームに乗るつもりはねぇよ」
吐き捨てるように言って、俺は一歩間合いを詰める。
だが、暗殺者は微動だにしない。
「ははは、面白いな。だが乗ってもらわなくては困るんだよ。俺が楽しくない」
「そんな個人的理由になんで付き合ってやらないといけねぇんだ」
「それならばこうしよう」
俺の言葉を無視して、暗殺者は両手を広げた。
「もしお前が無事に生き残れば、アリアスを狙った集団の名前を教えてやる」
「何……?」
「後は好きに潰すなりなんなりするがいい」
おそらくこれは用意されていたものだろう。
俺がタダで乗るはずがない。そう考えて。どこまでも周到だが、これで俺は断れなくなった。
実際のところ、アリアスの生存ルートが掴めたかどうか、まだ確定していない。
ハインリッヒの血迷った《神託》によると、俺とアリアスが結婚する、というルートが見えたらしく、生存ルートを選べたらしいことぐらいだ。事実、アリアスは生きている。
──今は。
もしアリアスを狙う集団の存在が分かれば、壊滅させる。それこそ掴めたと確信が持てるだろう。
それは、ハインリッヒが喉から欲しがっているものだ。もちろん俺としても欲しい。
って、同時にコイツ、自分の命を守りやがったな。もし俺がコイツを殺せば、その情報が手に入らなくなる。狡いが、実に賢いとも言える。
「どうだ?」
「選択肢のない選択肢だな……!」
俺は苦りながら暗殺者を睨み付ける。
「つまりそれは受けるということだな。ははは、さすがに甘い」
暗殺者は俺に指を向けて嘲笑う。
「自分の命が狙われているというのに、他者を考え、己と天秤にかけて譲る。まるでハインリッヒそのものじゃないか」
「一緒にしてくれるな。今回は特別だ」
「どうだかな……ククク、せいぜい生き残ると良い」
暗殺者が黒い風に包まれる。
姿をくらますつもりだ。
「我が名はヅィルマ。人は俺をこう呼ぶ。──影のヅィルマ」
そう言い残して、ヅィルマは消えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その日から、俺の特訓が始まった。
理由は単純だ。暗殺者──ヅィルマを感知するためである。あんな挑戦状を叩きつけるってことは、よっぽど自信があるのだろう。だとすれば、こっちも急ぐべきだ。
急務なのは、
ヒントはハインリッヒの言う波動の感知だが、そもそも波動がどういうものかが分からない。《魔導の真理》には波動に関する知識はなく、つまり魔法、魔力に関するものではない、ということだ。
こればっかりは文献を読み漁るしかないのだが、該当する書籍がないのである。
おおいに困った。
詰まった時は外に出るのが一番なのだが、夜に出歩くのは危険だ。ヅィルマの脅威がある。
結局、机の上で頭を抱えるしかない。
『悩んでいるようだな、主』
そんな俺に声をかけてきたのは、ポチだった。
「まぁな、って何を咥えてんだ」
振り返ってポチの姿を認めてから、俺は目を細めて呆れる。
まさか狩りをしてきたとか言うんじゃないだろーな。
『クータだ』
「クータ?」
クータって、あのドラゴンのクータ?
一瞬理解が追い付かず、俺は首を傾げながらも、ポチが咥えている物体を良く見た。どーみても小さい、ちょっと可愛らしいコウモリにしか見えないんだが。
「……クータ?」
「がぅっ」
名前を呼ぶと、首根っこを咥えられているクータ(?)は元気良く返事した。うん。多分本物だ。どーしてこうなった。
とりあえず俺はポチからクータを受けとる。
「どういうことだよ……」
『外に出たら玄関の前に転がってた』
「意味不明なんだが?」
『私も分からないから連れてきたんだよ』
どうもポチも困惑して連れてきたらしい。
「良くクータって分かったな」
『それは分かるだろう。波動が同じだからな』
「ほう……」
………………………………お?
よしちょっと待て。今、ポチはなんつった?
「ポチ。今、なんつった?」
『おおっ!? 主よ、何故に荒ぶるのか』
「い、い、か、ら。なんつった?」
『波動が同じだと答えたが……?』
この時点で俺はクータをテーブルに置き、ポチをがっしりと掴んで持ち歩いている。
「なぁ。ポチ。俺は波動について悩んでたんだが、それは知っているよな?」
『うむ。知っているぞ』
「……なんで教えてくれなかったんだ?」
『ふむ。それは波動について悩んでいたからだが?』
どんなとんち返しだ。
「言葉を変えよう。俺は、波動とは何か、が分からなくて調べてたんだが、もしかしなくても知ってるよな?」
『うむ。波動とは魂の拍動だ。こればっかりはどれだけ姿を変えても身を隠しても誤魔化すことなど不可能だ。まぁ私のような超常的存在なら常識──……ぉぅ?』
「俺はそれが知りたかったし、ずっと調べてたはずなんだけどな……? 知らないはずがない、よな?」
『……くぅーん』
「俺が調べてて不思議に思わなかったワケ?」
『……くぅーん』
「もしかして、まさかそんなコトを調べてるとは思ってなかったってパターンですか?」
『……くぅーん』
図星かよ。
確かに俺はハインリッヒからもヒントはもらっていた。波動、生命オーラのようなものだとは聞いていたが、それが何なのかが分からなかったのだ。
それが特定出来ないと魔術の組み立ても何もないからな。
「じゃあポチ。俺が波動の何について悩んでたと思ってた?」
『は、波動について……だから、その、波動、魂の拍動そのものがどういうものか、だと……』
「…………それだったらそう言わない? っていうか、それで俺、質問したと思うんだけど? その時、ポチは分からん。だけで終わったよな?」
『……くぅーん』
つまりあれか。あれだけ気付くヒントあったのに、全てスルーしてたってことか。しかも質問していたにも関わらず。
ほほう。この駄犬め。
俺はお仕置きをすることにした。
「じゃあ、今から魂の拍動を感知する魔法を使うな」
『ちょっと待て主。たった今聞いただけでどうやって術式を組み上げたんだ!?』
「勘」
『嘘だろう!? なんだその死んだ魚の目のようなっ……ぎゃいんっ!?』
嘘ではない。
魔力の循環経路と魂は密接に繋がりがあるという。なら、そこに魔力を流し込んで魂の拍動というものを実際に感じれば、どういうものか、どうすれば感知出来るのかが分かるのだ。
とはいえ、そのためには隅々の隅々まで魔力の循環経路を調べなくてはならない。
俺は容赦なく、繊細に魔力を打ち込んで調べていく。
『うぐっ……!? こ、ここ、これは、!? 主、やめるのだ、いや頼む、やめてくれ、ひゃひっ、きゃきゅいんっ!?』
悲鳴を聞き流し、俺はしっかりと魔力を流し込み続けた。