第百六話
――ハインリッヒ――
『か、はっ、かはっ、がはぁあああっっ!』
上がったのは、苦痛の悲鳴。
六色の剣がエキドナに突き刺さり、地面に縫い付ける。エキドナは必死に暴れるけれど、ただ蠢くくらいしか出来ない。
当然だ。剣から放たれる夥しい魔力が、エキドナを封じ込めているのだから。
太古と呼ばれた昔、魔族と対抗するために作られた伝説の剣。それがこの
もちろん、全性能を発揮させることが出来れば、魂を分断させなくても対抗する力になりそうだけど。
それをするためには、もっと剣と対話して、僕自身も強くならないといけない。
今回はその剣と対話するちょうど良い機会だったのだけれど、そうも言ってられなくなった。
『か、かはっ、ぐっ……! や、やってくれるねぇ、ハインリッヒ坊や!』
「ああ、知っているよ」
僕は静かな怒りを湛えて言う。これはエキドナへの怒りではない。自分の失策に対する怒りだ。
どういうことか、と考える暇はない。
僕の初撃――魂を分断させたのは成功した。僕とグラナダくんが担当するエキドナの魂だけ大きくさせた。けど、このエキドナはその魂に比例して弱い。つまり、瞬間的にエキドナは魂の分離を悟り、工作を仕掛けたんだ。
一見、魂の量が少ないと思える方に、より多くの力を渡すという、狡猾な方法だ。
たぶん魂の密度を調整したのだろうけれど、あの刹那でそれをやってのけるとは思わなかった。これは完全な僕の油断と言っていい。魔神とはかくも恐ろしい存在だ。
否、問題はそこじゃあない。
その魂の密度が濃いエキドナが、アリアスたちとぶつかったことが問題だ。
イベルタがいるとはいえ、あのエキドナを相手にするのは分が悪すぎる。グラナダくんだったら、まだどうにかしてくれたようなものを。
僕は歯噛みする。ここにも、アリアスの死亡ルートが隠されていたなんて。
「最近の僕は、本当に浅はかだね。嫌いになりそうだよ」
『な、なにをっ……!?』
「エキドナ。君の方にはもう用事がないんだ。さっさと消えてくれ」
僕は最後の一本を抜く。
それは雪よりも白く、魂よりも無垢な色をしていた。
聖属性の剣。それがこの剣だ。僕は魔力を注ぎ込み、その輝きを増大させる。
「《終われ、七つの頂の先に》《彼方は彼方に押し戻せ、万象の楔に》《揺り籠に眠れ、世界の唄に》」
唱えた呪文は、解放の序曲。それだけで魔力がごっそり持っていかれるけど、僕は気にしない。
暗がりの空が輝き、一条の光を持ってくる。
僕はそれを剣で受け止め、そして振り下ろす。
「《
放ったのは、ただの白。
それは艶やかで静かな光となってエキドナに突き刺さる。
悲鳴はなかった。
ただ、その光に晒された瞬間、エキドナは浄化されていく。ただの灰となって散っていった。
その残滓を見送ってから、僕は着地して剣を回収、意識を集中させる。
探査魔法(サーチ)を使って、アリアスたちの居場所を突き止める。当初予定していた位置からほとんど動いていなさそうだ。
ここからなら、どれくらいかかるか。
時空間転移魔法が使えれば一番なんだけど、まだ僕が使うのは不味い。
仕方なく、僕は空へ上昇する。
最高速で向かう。それしか、方法は無い。
ちらりとグラナダくんの方も確認するけれど、これは――。
「待ってて、アリアス……!」
僕はただ、全力で加速した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――グラナダ――
足踏み。俺が着地したのは、燃え尽きた街路樹が立ち並ぶエリアだった。
おそらくここは雑木林だったか、それとも憩いの場として植林された一帯だったのか。ともあれ、建物といった類はない。
ただ焦げた大地、焦げた木々。立ち込める臭いはただ焦げ臭く、肺まで炭になったかのようだ。
その不快さに眉を寄せていると、ただ真っ暗の中に浮かぶ赤が一つ。
――エキドナだ。
徐々に形を取り戻そうとしていて、不気味な威圧と魔力が辺りを熱している。
俺は静かに魔力を高める。すると、どこからともなくポチが走ってやってきた。
「ポチ」
『遅くなったな、主』
ポチは跳躍すると、俺の肩に乗っかった。口に何か咥えている。それは白く輝いていた。
今回、ポチは行くところがあると言って単独行動を取っていた。それで俺はソロだと思っていたが。
「それは?」
『眷属から力を貰ってきた』
訊くと、ポチは一言答えて、それを噛み砕いた。同時に俺の肩から飛び降りる。
瞬間、稲妻が迸り、ポチの身体を真っ白に包むと――ポチは巨大化した。っておお。
大型犬どころの騒ぎではない。もはやトラとかライオンクラスである。ぶっちゃけ、俺を背中に乗せて走り回れるんじゃないだろうか。
などと邪推していると、エキドナがこっちに気付いた。
『なんだいなんだい。どんなヤツがやってくるかと思ったら……ガキと犬かい』
「ハインリッヒの方が良かったか?」
蔑む調子のエキドナに言い返すと、ふん、と鼻で返された。
どうやら機嫌を損ねているらしい。
俺はそこに疑問を抱く。俺はエキドナと戦っているのだ。その時の記憶はあるはずだが?
『ハインリッヒ? 誰だいソイツは』
え? マジか?
俺は一瞬意味が分からなかった。どうして、コイツは――。
違和感の直後、エキドナがこちらを向いた。
そこには、無数の燃え盛る蛇を模した髪を携えた、一糸まとわぬ女の姿をした炎だった。
どこか不定形で、どこか揺らぐその様は炎そのもので、両手には長い爪が伸びている。俺が知っているエキドナとはまるで違う。
「お前、まさか……」
『ああ、気付いたかい。アタイはエキドナ。分離されたエキドナ。記憶を消された代わりに、力を手にしたエキドナだよ』
ぞく、と、背筋が凍った。
まるで今までのエキドナとは全くことなる、凄烈な炎。どこか雑然としていた炎ではなく、統一性のある静かな炎でもある。俺は思わず身構える。
コイツは――強敵だ。
なんの躊躇もなく、俺は魔力を高めながら威圧を放つ。
さすがにカイブツ染みたステータスの威圧を感じたか、エキドナが構える。
『あんた……強いね?』
その一言にさえ、以前にあった楽しむような要素はない。
俺はここで推測していた。おそらく、このエキドナは理性のエキドナなのだろう。魂が分離された時、記憶を失ったようだが――。おそらく、その理性を手にするために記憶を失ったと思う。
ってことは、エキドナの油断を誘って戦う、って戦法は無理くさいな。
俺は思い描きながら、
その数は七本。今の俺ならもっと操れるが、精度と速度をより高めた結果だ。
下手に数を増やすより、より細かいコントロールが効く方が効率的だと判断したワケだ。
「強いかどうか、試してみろよ」
『ふん、挑発しようったってそうはいかないよ? アタイは元に戻らないといけないんでね』
エキドナの全身から炎が噴き出す。その熱量は、最初に戦った時とは雲泥の差だ。
これは、最初っから全力で行かないとマズいパターンだな。
俺はさっとポチに目くばせする。ポチも小さく頷いた。
「はあああああああっ!」
裂帛を放ち、俺は地面を蹴る。
ステータス全開、
「――《ヴォルフ・ヤクト》っ!」
狼の狩りが始まる。
俺の周囲を飛び回っていた刃がエキドナへ向かう。その速度は音を超え、目にも止まらぬ速度でエキドナを上下左右から襲い掛かる!
「《エンチャント・マテリアル》っ!」
発動させたのは聖属性の付与。もちろんこれも
その効果か、刃に白く美麗な光が強く宿った。
エキドナが燃え上がる。否。躍るように身を翻し、その刃のことごとくを回避していく。
速い!
俺は最高速で次々と刃を繰り出す。だが、エキドナはしっかりと反応して躱す。さすがは魔神。常識外の反射神経と対応力である。
身のこなしもプロそのもの、戦闘に異常に慣れてやがる。
その上で感情に身を任せず、冷静に対処しているのだから、隙が見つからない。
だったら、これはどうだ?
「《アイシクルエッジ》!」
俺が放ったのは、氷の槍。
ぱきぱきと空中を凍らせながら突き進むそれは、バク転で左右からの刃を回避したエキドナへ向かう。だが、エキドナはその氷の槍を一瞥しただけで《着火》させて溶かす。
って、なんだそれ!?
驚愕しながらも、俺は動揺を殺して刃を所定の位置に立たせる。
すでに刃には《アイシクルエッジ》が宿っていた。
直後、その刃から氷が放たれる。
『なんだって!?』
さすがに予想外だったのか、エキドナは驚愕しながらも回避を取るが、僅かなその動揺が反応を遅れさせたのだろう、氷の槍の一つがエキドナの腕を穿った。
槍は展開するように裂け、一瞬でエキドナの腕と肩、胸に至るまで氷に鎖す。
次の瞬間、その氷が砕け、炎を飛び散らせる。エキドナの顔が苦悶に染まった。
『くっ……! やってくれる、でも!』
エキドナの炎のような髪が揺れる。燃え盛る蛇のようなそれは、ギラリと目をぎらつかせたような気がした。あ、これって、まさか。