第百五話
灰になって散っていくエキドナ。もはやそこに断末魔もなく、ただ灰色の雪を散らすように消えていくだけです。
ふう、と脱力感が襲ってきたのはその時で、私は全身に巡る炎の魔力を解除します。
う、立っていられません。
大剣を地面に突き刺し、私はすがるように抱きつきますが、それでも支えきれず、私は膝から崩れ落ちました。
さすがに体力の消耗が激しすぎますね。今日はもうこれ以上動きたくありません。
というか、瞼が重いですね。敵がいないなら……──
「大丈夫か、メイ!」
「おいおい、ここで寝るなよ」
そんな私を抱き起こしてくれたのは、ご主人様ではなくアマンダさんとエッジさんでした。
二人ともかなり疲れているはずです。何せ動き回ってエキドナを翻弄していましたし、私だけでなく、セリナさんの魔物のフォローまで入ってましたから。
「あ、ごめんなさい……」
私はなんとか意識を鼓舞し、起き上がります。
するとセリナさんたちも駆け寄ってきてくれました。
「無理してはいけませんねぇ。お二方のどちらかに背負って、って思いましたけど、お二方とも疲れてるでしょうし」
セリナさんは二人をさりげなく労いながら、側にキマイラを寄せてくれます。大きい背中に乗りなさい、ということでしょうか。
セリナさんを見ると、一つ頷いて下さいました。
私はホッとして、その背中にまたがって、もたれ掛かりました。ほわっとした体毛が、私を包み込んでくれます。もふもふでいい感じですね。鬣はもっとふわふわです。
キマイラはセリナさんの足取りに合わせてゆっくりと歩いてくれます。その穏やかな振動がまた眠気を誘いますね……。
「さて、戻りましょう。こちらは終わりましたし」
セリナさんに従い、二人も歩き始めます。
「そうだな。しっかし、まさか魔神と戦うとはなぁ」
「本当だ。最強の魔族、良く勝てたものだ……」
大きく伸びをしながらエッジさんは疲れた声を出し、アマンダさんも同調します。疲労は色濃いですが、しっかりとした足取りで、私は少しだけ忸怩たる思いをします。
私だけ、こうしてのびてしまっているのに。
同じ
「倒せたのは、魂が四つに分断されたからですねぇ」
セリナさんは人差し指を立てながら説明をします。
「本来、魂というのは分離させられたら弱体化して滅びるものです。それなのに生存できてる魔神がおかしいのですねぇ。とはいえ弱体化は避けられません。だから、私たちの攻撃が通るようになったんですねぇ」
「だからこそ、核の──エキドナの本体、魂の場所も感知できたってことか?」
「そうなりますねぇ。本来のエキドナだったら、膨大すぎる魔力のせいで感知できませんし」
アマンダの言葉にセリナさんは頷きます。
すると、エッジさんが怪訝な表情を浮かべました。
「だったら、良く分断出来たな? っていうか、分断出来るならその攻撃で魂を砕けば良かったんじゃねぇの?」
「あれだけ強大な魂ともなれば、分断させるだけでかなりの労力を求められます。封印から解除された瞬間を狙った不意打ちで辛うじて四分割が限界だったんだと思いますねぇ。エキドナが魂を本気で守ろうとすれば、あの攻撃さえも防いだと思いますよ」
「マジかよ……」
エッジさんは絶句します。
私も同意見ですね。魔神とはかくも恐ろしいものです。
「四分割されたからこそ、魂を守る力も弱くなって、核を攻撃できるようになったと思うべきですねぇ。火力と言う点で、私たちは不利でしたし」
「なるほど。それでとにかく細かく分断して防御力を低下させていったのか」
「ついでに《サイレンス》が効くように、ですね」
そう言うと、セリナさんは疲労の息を吐きました。
どうやらかなり魔力を消費しているようです。あの精霊さんを使った《サイレンス》は相当食らったのでしょう。
「あの魔法は精霊召喚のようなもので、ほぼ全部の魔力を吸い取る上に、魔力の流れを止める、という効果しかありません。しかも格上には通用しませんし」
なるほど。それでエキドナをバラバラにして弱体化させたんですね。もちろん、核が逃げる場所を狭めて特定させるためでもあるんでしょうけど。
色々な狙いがあっての作戦だったわけです。
さすが《ビーストマスター》というべきか、セリナさんは軍師に向いているかもしれません。今回、全員に指示を出していましたしね。
「この精霊さんがもっと攻撃向きだったら、楽だったんでしょうけどねぇ」
「まぁ、とにかく勝てたし良いんじゃないか?」
エッジさんが気楽なことを言います。
確かに、今は勝利を喜ぶべきでしょうね。それぐらいで良いと思います。
「そうですねぇ。学生身分でありながらこの成果です。分不相応な経験をさせてもらいました」
「それで思ったんだけど。これ、どう報告すれば良いんだろうな、そう言えば……」
「明らかに実習で許可された範疇外のことだしな」
アマンダさんの言葉に、三人は苦笑を浮かべました。
確かに、状況的判断で協力しましたが、学生身分で許されることではありません。ハインリッヒさんからの依頼なので、その辺りはなんとかしてもらえそうですが……。
問題はエキドナを仕留めたことですね。
甘く考えるのであれば、学園側が大きい功績だと謳って大々的に発表するんでしょうけど……。けど、相手がエキドナともなればとんでもないことになりそうですね。世界のことはあまり良く分かりませんけど、ご主人様へのこれまでの対応を考えると、簡単ではなさそうです。
これが上級魔族とかであれば、大きく喧伝されたでしょうけれど。
「まぁ、後のことは後に考えようってことで」
「気楽ですけど、今は何を考えても栓無きことですね」
セリナさんはそう言って会話を終えました。
そして私も、うとうとと眠気に誘われて――……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――アリアス――
目の前に、氷の壁。それはエキドナの炎を防いでいた。とはいえ、薄氷と化したそれは、今にも破られそうだった。
私はそんな光景を、薄くなった視界の中で、ぼんやりと見ている。全身が焦げ臭くて、痛みはもう超越していた。
すぐ近くには、フィリオが倒れている。
背中がうっすらと上下していることから、辛うじて息はあるわね。でも、このままだと危険だわ。
けど、どうにかしようにも、私も動けない。
最初の炎の渦は、辛うじて回避できた。立て続けに二回目がやってきた時は、イベルタさんが防いでくれた。三回目、四回目も。でも、五回目でイベルタさんの結界が弾け、炎が私とフィリオを呑み込んだ。
今は、何回目だろうか。
意識を失っていたから分からないけど、相当な数、耐えているんじゃないかしら。
「……くっ!」
近くで、イベルタさんの苦悶の声が響く。
ゆっくりと目線を上げると、いつもはあれだけ冷静沈着なはずのイベルタさんが、汗にまみれていて、髪を振り乱しながら魔力を振り絞っていた。その荒々しさは、明らかに魔力を振り絞っていて、なりふり構っていない。
ここまで、追い詰められるなんて。
きっと、私たちをずっと守っていたからだわ。
起きなきゃ、なんとかして、起きなきゃ。
『アッハハハハハハハハ! まさかこんな手でくるとは思わなかっただろ? 遊ぶと思ってたもんな? アタイが遊ぶと思って、その油断を突いてアタイを殲滅するつもりだったんだよなぁ?』
エキドナの薄汚い哄笑が響いてくる。
そう。そうだった。
エキドナは確実に遊んでくる。そう踏んで、私たちは作戦を立てていた。魂が分断されて弱体化していることもあって、接近戦でもある程度対応できると思っていた。
けど、エキドナはそれを嘲笑ってきた。
その身を解放するように炎を展開し、矢継ぎ早にこちらを燃やそうとパワープレイを仕掛けてきたのよ。
『分かってた、ワカッテタ、わかってた! ねぇ、どう、今どんな気持ち!? 予想を裏切られた今、どんな気持ち!?』
そう吼えるエキドナの全身は痩せ細り、髪の毛の炎もかなり弱くなっているわ。
たぶん、命そのものを削りながら炎を連打しているのね。
確かに、純粋な魔力量で勝負したらエキドナに勝てる道理はないわ。相手は魔神だし。
そこにはこっちも気付いていて、なんとかそうさせまいとしていたけれど――。
「このっ……!」
『アハハハハ、形無しだねぇ、カタナシダネェ、かたなしだねぇ!』
氷の壁が、撃ち破られる。
このままじゃ、このままじゃ――――…………。
助けて、誰か――――――――。