第百二話
──ハインリッヒ──
さて、行こうか。
意思に従い、僕の体は飛び散った一つの魂へ加速する。西へはグラナダくんが向かっていった。彼なら無難に倒してくれることだろうと思う。
僕の方は……どうだろうか。
集団時空間転移魔法の影響はまだ少しだけど残っている。全力を出せば、また乖離が始まってしまう恐れがあった。
故に、今の僕に出せる全力は八割といったところ。
素早く魂の力を感知しつつ、どう戦うのかを計算。
結論は、なんとかなる、だ。
けど他の人たちの援護にまで手が回るかと言われたら微妙だ。
『くっくっく、こっちに来たかい、ハインリッヒ坊や』
魂が形を取り戻し、空中でエキドナになる。
燃え盛る炎は相変わらずで、見るだけで燃やされそうだ。
「こっちに来たよ。こうして相まみえるのは久々かな?」
『あんたの年月計算なら久々かもしれないねぇ』
荒々しい調子でエキドナは返してくる。
この魔神は戦闘狂のように見えて、実はかなり理性的だ。自分の実力と状況を鑑みて、確実な勝利を狙ってくる。
そのためには、精神的な揺さぶりだって厭わない。
これだから、魔族でも魔神と呼ばれている。
ただでさえ油断が出来ないから精神的余裕なんて無いのにね。こっちとしてはたまったものじゃない。
『見ない間に随分と雄々しくなったんじゃないかい?』
エキドナは僕の傷に触れてくる。
消そうと思えば消せるけど、これは僕への戒めだ。術の行使に失敗した、という。みんなに要らぬ心配をかけさせてしまったからね。
『魔力の痕跡で分かっているよ。集団時空間転移なんてバカな真似をしたからだろう。正気の沙汰じゃあないねぇ。それで生きてるってのがあんたがあんた故たる所以かね?』
「そうかもね」
『ハッハッハ、英雄様は大変だねぇ。そんなナリになってまで人々を救わないといけない。あんなゴミみたいな連中』
嘲笑いながら、エキドナは密かに魔力を集めているね。
話に折り合いがついたら、一気に仕掛けてくるつもりかな?
だとしたら、こっちの状況も探られてる、か。
『人々は救いを求める。全員が、助けてくれと。助けてもらって当然だと思っている。助けられる保証など、どこにもないと言うのに。だが、何故か責務としてあんたの両肩にのしかかる』
エキドナの言葉は、ある意味で真理だ。
『それは、あんたが英雄だからだ。辛いだろう、苦しいだろう、憎いだろう』
「──……エキドナ」
口上の途中で、僕は割り込んだ。冷ややかな笑みを携えて。
「僕はそんなもの、とっくに分かっているし、受け入れている」
それが転生者としての役目だからだ。少なくとも、僕はそう思っている。それが出来るだけの力も手にしたのだから。
エキドナが沈黙したところを狙って、僕は反駁する。
「僕は救う。僕が救いたいから。そして、僕はそんな僕をいつだって肯定するんだ」
『あんた……!』
「さぁ、始めようか」
揺るぎない意思に、エキドナが動揺する。珍しいことだね。
「──
唱えると、僕を中心として七色の剣が出現する。それぞれ、地、水、火、風、雷、聖、闇だ。
この属性の魔力を極限にまで集約させられた半透明の剣。
僕の周囲に展開した、黄土色の一本を抜き、僕は構えた。同時に持てる威圧を発揮する。
『ガァァァッ!』
瞬間、エキドナが攻撃を仕掛けてくる。口を大きく開き、レーザーを撃ってくる。高めていた魔力はこれか。
思いながらも体は半自動的に反応し、剣の腹でレーザーを受け止めて弾き散らした。
とはいえ衝撃は凄まじく、僕の腕が跳ね上がった。剣は離さなかったけど、それだけに腕が軋んだ。
くるね。
予想通り、エキドナが突っ込んでくる。けど甘い。僕はもう片方の腕で、水色に輝く剣を抜く。
太刀筋の軌跡はキラキラと氷の粒子を放っている。
「はっ!」
世界を鎖す氷の魔力を解放しながら僕は袈裟から斬りつける。
美麗な切っ先は、美麗なままエキドナを切り裂いた。
『っがはっ!』
「鎖せ」
僕の意思に従い、剣から放たれる氷はエキドナの体を氷付けにする。傷口から水晶のように氷柱が突きだし、そこから一気に氷の範囲が広がった。
しかし、それだけの威力にも関わらず、エキドナの炎は猛り、氷を破砕して溶かしていく。
分断されたとはいえ、魔神。この一撃では仕留められないか。
『はっはははははは! さすがハインリッヒ坊やだねぇい!』
「特攻属性をくらって笑ってられるとか、魔神とは厄介だね」
『遊ぼう、アソボウ、あそぼう! アタイを燃え上がらせておくれ!』
それが魔神としての望みか。
良いよ、叶えてあげよう。ただし、その身の死をもって。
僕は空を蹴った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
──アリアス──
灰の積もる地面。黒焦げの、骨組を僅かに残した家々。真っ黒な、枝葉を失った街路樹。
見事な廃墟の中は、妙に焦げ臭い。
不快さに顔をしかめていると、隣にフィリオがやってきた。
「──……苦しいな」
破壊の残滓とも言える光景を見渡して、フィリオは今にも泣きそうな表情を浮かべていた。
あの厚顔不遜にして、人を攻略対象呼ばわりし、人と見ていなかったフィリオはどこへ行ったのか。いやまぁあんなのに戻って欲しくはないんだけど。
拍子抜けってワケじゃないけど、ちょっと調子狂うわね。
「これが、俺の行動のもたらした結果か」
フィリオは歯を食い縛り、拳を握ってから──がつん、と自分を思いっきり殴った。ってちょっと!?
しかも一回だけじゃなく、二回、三回と殴ろうとする。
私は慌ててその腕を掴んだ。
「ちょっと何してんのよ!?」
私が掴んだことでフィリオは動きを止めたけど、その顔は思い詰めたものだった。
「あんたね、これから戦うんだって時に自分を傷付けてどーすんのよ」
「あ、ああ、そうだ。そうだった。ごめんな」
あ、あああ、あ、あ謝った!?
小さい頃、サイクロプスと出会った頃よりも衝撃的だった。
いや、嘘でしょ。あの自分が絶対正義、世界は俺のためにあるって公言しまくった(に等しい)あのフィリオが?
ちょっと本気でどうなってんのよ。
「けど、この破壊の跡が俺の責任だと思うと……な」
反省してる……あのフィリオがっ……
「命を落とした人もいるだろうし、そうでなくても生活の基盤を失った人たちが無数いる。もちろんその補償はするし、復興にも尽力するけど……でも、それで俺の罪が消えるかっていったら、そうじゃない」
私が愕然としている間に、フィリオは語っていく。そこには強い自責の念があって、今にも自分の命を断つとか言いそうだ。
「やってしまったことに取り返しはつかないんだよな……。グラナダに怒られて分かったんだ。逃げるため、許してもらうために謝っても意味がないんだって」
グラナダ、という言葉で私は我に返った。
そうだ、そう言えばコイツをぶち倒して反省させたのはグラナダだったのよね。しかも、今回の作戦だって兄様と同様に単独であのエキドナへ挑むし。
ただのR+(レアプラス)がそんな力あるはずがないのに。
そう思って疑問をぶつけたら、兄様が能力値が一時的に増大する加護のアイテムを渡したからって答えてくれた。
どうも、現状のメンバーではグラナダにしか適応しないアイテムらしく、戦力強化で渡したんだとか。
あくまで一時的なものらしく、さらに多用したらグラナダ自身の体に悪い影響を与えるから、今回だけ特別ってことみたい。兄様も危険な状態だったしね。
とはいえ、どんなことをしたらここまで変えられるのかしら?
「心から悪いと思って、心から相手に謝りたいと思って、はじめて謝罪なんだって思い知ったよ。許すとか許されないとか、そんな話は後からついてくるもんだって」
「まぁ、そう思って謝るのは良いけど、ちゃんと今を見据えなさいよ。これから私たちは戦うのよ?」
「うん、そうだった。本当にダメなヤツでゴメンな」
あああ、なんだか鳥肌立ちそう。
「それと、アリアス」
「何? まだ何かあるの?」
「あー、そ、その……攻略対象とか言って、本当にゴメン」
「あぁ、それね」
フィリオは真摯な態度で頭を下げてきた。まぁ確かにあれはかなりムカッて来たわね。
二千や三千くらいビンタしたいわ。
「その、身分とか立ち位置とか、属性とか、確かにそういうのもあったんだけど、でも、何よりもアリアスが魅力的だったから」
「……………………はぁ」
いきなり口説き文句のような言葉に、私は戸惑った。
「キレイだと思うし、物事ハッキリと言うし、俺には本来ないものだったからさ、それで……好きだなって」
す、すすすすすすすすすす好きィッ!?
「あ、あああ、ああんた何言ってんのよ!」
「あーいや、本気でキレイだって思ってたから!」
「何言ってんのよバカじゃないの!」
そうよ、好きとかまだ意味不明だしそういう関係じゃないしそもそもフィリオなんてタイプじゃないし。
うん。タイプじゃない。っていうかない。うん、ない。
兄様が理想だけど、せめてグラナダくらいには包容力とか容姿とか──……って何考えてんのよ私。なんでグラナダ?
ああでも、私が動揺してた時、グラナダが慰めてくれたんだっけ、あの時は安心した……いやいや。
「そ、そうだな。ヒドいこと言ったししたもんな、ゴメン」
「言ってないで、集中してよ!」
あー絶対顔赤くなってる。絶対。
暑くなった頬をさすっていると、後ろから小さいため息が聞こえてきた。そう言えば、イベルタさんがいたんだった。
「……青春ね」
半ば呆れたような発言に、私は撃沈した。