第百三話
「と、とにかく、前を向きなさい!」
「うん。ありがとう」
「そういう意味じゃないからねっ!? 物理的な意味よ物理的な意味!」
「うん、わかってる」
フィリオは何故か柔らかい笑みを浮かべて言う。
ダメだコイツ絶対勘違いしてる。ぜっったいに勘違いしてる。
「──お二人とも。来るわよ」
動揺を殺せないでいると、イベルタさんの冷ややかで緊迫感に満ちた声がやってくる。
ぴしゃりと冷水を浴びせられたように私の脳は冷え、正面で起こっている事態を把握した。
エキドナが閃光に分断されたのだ。
さすが兄様だわ。
思っていると、分断されたエキドナの破片がこっちへ飛んでくる。座標予測位置、完璧ね。
私は瞬時に思考回路を戦闘に切り替える。
作戦は単純だ。私とフィリオでエキドナを釘付けにしつつ、イベルタさんが攻撃を仕掛ける。水属性を得意とするイベルタさんは、エキドナに対して特攻戦力だ。貴重なダメージソース。
とはいえ、接近戦だと不利なので、私たちがそれを補うってワケ。ステータス的にはフィリオの方が上だから、フィリオのサポートになりそうね、私は。
「フィリオ。自責するのは終わってから出来るわ」
「うん、分かってる」
その顔は分かってないわね。
「良い、エキドナを倒すってことは、贖罪の第一歩よ。全力でやりなさい!」
「……! そ、そうか、そうだな、うん。頑張るよ。ありがとう、アリアス」
こ、こここここ今度はお礼を言った――――――――っ!?
また動揺を誘われたけど、後ろからの刺すような視線で私はすぐに意識を切り替える。
いちいち惑わされてどうする、私。
頭を振ると、エキドナの気配が濃厚にやってきた。
『ハッハッ! 随分と面白そうなメンツだねぇ! イベルタ! あんたハインリッヒにフラれたんかい?』
けたたましい口調で、エキドナはイベルタさんを詰る。
一目でこの編成の中心がイベルタさんだと見抜いたのね。まぁそうか、エキドナはイベルタさんのことを知っているし。
イベルタさんは兄様と行動を共にするパーティの一人であり、主力でもある。兄様はその時に最適なメンバーでパーティを組むけど、ほとんど一緒に行動してるわ。
だからこそ、エキドナとも面識があるはず。
エキドナは魔神の中でも最も活動的だから、何度も戦っているし。
そのたびに何とか退けるのが限界だって兄様は言って
いたけど……。
「フラれる? 誰が? 相変わらず表面的で且つウブなことを言うのね。エキドナ」
『何千年と生きてるアタイをウブ扱いとは、面白いねぇ、相変わらず!』
「愛を知らないアナタには分からないことだからよ」
イベルタさんは軽くあしらいながらも、魔力をどんどんと高めていく。こっちが震えてしまいそうになるくらい。
挑発なんてこれっぽっちも流されない、湖の水面のような精神力。見習うべきね。
『愛? アイ? あい? 知ってるよ、そんなもの。今も愛してるからね、あんたらを』
エキドナはその両手に燃え盛る剣を生み出し、しっかりと握る。大蛇の下半身がうねり、ぐっと立ち上がる。高さは、三メートルくらいかしら。
かなり、高いわね。
身体能力強化魔法(フィジカリング)した上で跳び上がれば攻撃を仕掛けられるだろうけど、空中戦を挑むのは愚か過ぎるわ。
『ああ、壊れないでおくれよ、あたいの愛の前にさァァァァァっ!』
瞬間、エキドナが身体を折り曲げて襲い掛かってくる!
なんて速度!
でも、私には《超感応》がある!
間合いに入ると同時に、私はエキドナの狙いを知る。即座に対応し、私は剣に風を纏わせた。
「風王剣っ!」
エキドナの狙いは袈裟斬りからの押し潰し。
私はその燃え盛る剣に風を纏わせた剣を合わせ、刃と刃を擦り合わせながらずらし、一気に風を解放して逆に押し返す!
反動で私も弾かれるけど、それでいい。
今は私一人で戦ってるわけじゃないから。
「おおおっ! 《雷神》っ!」
予測通り、フィリオが突っ込んでくる。
それも、例の瞬間移動に等しい速度で。
『へぇっ!』
のけ反るようにバランスを崩していたエキドナへ肉薄し、フィリオは体重を乗せながら一気に分厚い剣を振り下ろし、エキドナの肩から脇腹へ斜めに切り裂く!
ぼっ、と音を立てて傷口から炎が噴き出し、エキドナの表情が苦痛に染まる。
「はぁあぁっ! 《雷神烈破》っ!」
そこにフィリオが追撃をかける。
最高速でのタックルがエキドナを高く打ち上げる。
「風王剣っ!」
そこを狙って、私は剣から風の刃を放つ。
クロスの字を刻んだ風の刃は、容赦なくエキドナの下半身を切り裂き、血の代わりの炎を吐き出させる。
『っくっ! 雑魚かと思ってたら、意外とやってくれるねぇ!』
言いながら、エキドナはすぐに体制を整える。
これ、ダメージあるのかしら。
疑問に思ってしまうレベルの速度に驚きつつ、私とフィリオは後ろへ退避する。
「《ダイヤモンド・ダスト》!」
イベルタさんが仕掛ける。
冷えた空気が渦を巻き、ダイヤモンドダストが輝きながらエキドナの周囲を巡る。
瞬間、それらは一斉に刃となってエキドナに収束した。
――ぱきんっ。
と、空気がさえ固まってしまうような乾いた音。
文字通り、エキドナは氷の彫像と化した。
「終わりを迎えるには、ちょうど良いんじゃないかしら?」
そう静かに言い放ち、イベルタさんは掲げていた掌を握りしめる。
まるでガラスが砕けるように。
氷の彫像に亀裂が走り、一気に砕ける。跡形もない、と思ったけど、その破片が次々と燃え始め、業火のように燃え盛ると、エキドナは元の姿を取り戻した。
『初っ端から大技とは、やってくれるじゃないか!』
激しい炎の中から身体を生み出しつつ、エキドナは嗤う。
その底なしな威圧感に圧され、私は少したじろいだ。
なんて底の見えない強さ――。これが、魔神という存在なのね。
汗ばむくらい暑いのに、手足の感覚が消えそうになるくらい、冷えを感じる。
こんなのと単独で挑むなんて、兄様とグラナダは何を考えているのかしら。
「アリアス。フィリオ。前衛は任せたわよ」
冷えた声に鼓舞され、私はなんとか呼吸を再開する。
そうか、今、プレッシャーに呑まれていたのか、私は。
意識を鋭くさせ、私は剣を構えて魔力を高める。今回の作戦は、とにかくエキドナをイベルタさんに近寄らせないことよ。ダメージソースになろうとしてはいけない。
私は地面を蹴り、加速しながらエキドナへ魔法を放つ。
「《エア・カッター》!」
「《ヴォルテック・ハウル》!」
風の刃がエキドナの脇腹を抉り、フィリオの放った電撃の咆哮がエキドナの顔面を穿つ。
けど、エキドナは次の瞬間には復活してくる。
『もっと、もっとだよ、もっと楽しませてくれなきゃ困るんだよねぇ!』
エキドナは高笑いしながら私へ肉薄してくる。
さっきよりも、速い!
――けど!
私は意識を集中させて剣を構える。エキドナは双剣を振るいながら斬りかかってくる。左は横から、右は上から! 先に到達するのは左。だったら!
私は《超感応》を利用してバックステップし、まず横薙ぎの一撃を躱す。
エキドナは踏み込みながら上から切り下ろしてくるけど、それももう見えている。
素早く剣を掲げ、その一撃を受け止めた。
ずしん、と、凄まじい重みが私を襲う。
「――くぅぅっ!」
歯を食い縛り、腰と足を踏ん張って耐える。が、持たない!
なんて重さ! それに、熱がっ……!
『アハハハハ! 押し潰されちまいな!』
「――《雷神》っ!」
エキドナの腕が膨れ上がった瞬間、フィリオはエキドナの真横から斬りかかる!
「《雷轟破断》っ!」
一撃を加えてから、フィリオはその剣に稲妻を纏う。
それは空気を切り裂きながらエキドナの顎を捕え、一気に跳ね上げる!
エキドナは全身を稲妻に襲われ、焦げながら悲鳴を上げた。
『っがヵああああぁっっ!』
解放された私は腕に痺れを覚えつつその場に屈む。
まずに、足も、動かない!
一時的なのは分かってる。けど、回復まで少しかかる!
焦っていると、フィリオが私を庇うような位置で着地し、剣を構える。
「俺が、護る!」
『あははははっ! 男らしいことを言うねぇ! けど、どこまで耐えられるかな!』
「耐えるんじゃない! 攻めるまでっ!」
地面を這うようにエキドナが迫ってくる。
その両手の双剣の炎が強くなる。けど、フィリオは構わずに地面を蹴った。
「後少しだけ粘って!」
イベルタさんの声に頷き、フィリオは特攻する。
「うおおおおおっ!」
エキドナが右から斬りかかる。それをフィリオはほとんどスイングで迎撃し、腕ごと弾く。
重い金属同士の鈍い剣戟が、また響く。
フィリオが一瞬で剣を引き戻し、左からの一撃に対応したのだ。
そして、その全身から稲妻を迸らせる。
「受けてみろ! 《雷神剣》っ!」
バリバリと轟音響かせ、稲妻の一撃がエキドナをしたたか殴りつける。
大きく呻きながらエキドナがのけ反る。
「《ダイヤモンド・ダスト》っ!」
そこにまたイベルタさんの氷魔法が襲い掛かり、エキドナを氷像にしてから砕いていく。
このタイミングで、私は痺れから解放された。
『アハハハハ、いいねいいね、少しは楽しめそうじゃないかぁい!』
粉々になったはずなのに、エキドナはまた復活する。
そして、今度は自分自身の周囲に炎を宿し、渦を巻いた。
これは――。
熱が、やってきた。