第九十四話
伝承によれば、魔族は完全階級社会だ。
その強さによって階級が分かれ、絶対的身分差がある。完全な弱肉強食の世界とも言える。ある意味、レアリティで貴族にもなれる俺たちと近しい部分がある。
そんな魔族には、魔神と呼ばれる存在がいる。
かつてアマンダにかけられた呪い――《月狼の呪い》でも発生するが、通常は魔族の中から生まれる。
現存する魔神の総数は知られていないが、存在が確認されているのは全部で四体。
その中の一体が――《炎の魔神》の名を冠する《エキドナ》だ。
遭遇したら最後、骨さえ残らないとまで言われている魔神だ。
現状、対抗できるとしたらハインリッヒだけである。全快状態の俺ならどうだろうか、と考えるが、ステータス値はともかく、スキルレベルや経験が足りない。たぶん勝てない。
そんなバケモノに、フィリオはちょっかいかけたのか。
もうアホを通り越してアホだな。
呆れて物も言えない(というか、しゃべるのも辛い)でいると、アリアスも同じ様子だった。
「フィリオ……あんたなんてことを……」
「いうな。イベントだったんだ、仕方ないだろう」
まだイベントかよ。
『アハハハハハ、ワケわかんないこと言ってるけどさァ。アタイ、結構テンション高いんだよね』
威圧が上昇する。
俺でさえ呼吸が苦しくなる。当然、メイも喉を押さえて苦しみ始めた。
『これはマズいな、まさかエキドナだったとはな。随分と力を隠すのが上手くなった』
ポチがヨロヨロと身体を起こしながら唸る。すると、稲妻がスパークし、少しだけ楽になった。
威圧的に放たれた魔力を中和してくれているのだろう。
『あのじゃじゃ馬娘だ、一瞬で街を火の海にするぐらい、簡単だ』
冗談って言ってほしい情報だな、それは。
俺は苦笑するしかない。まさに絶望的な状況ってワケだ。
こんなの、俺たちで切り抜けられるもんじゃないぞ。
周囲ではもう騒ぎが始まっている。兵士たちや、応援にやってきたのだろう冒険者たちも集まりつつあるが、誰も攻撃しようとはしていない。
まぁ、あの姿見て攻撃しようとはフツーしないわな。
『っていうワケだからさ、まず手始めに、そこの小僧。切り刻まれてみようかァ!』
エキドナが動く。
その巨躯を折り曲げ、一気にフィリオへ迫る! その体格差は十倍はある。勝てる見込みはない。
アリアスが巻き込まれてたまるかと言わんばかりの勢いで地面を蹴って逃げる中、フィリオはその身体を眩く輝かせて跳んだ。
「なめるなっ!」
無骨な剣を叩きつけ、何度も身を輝かせては移動して駆けあがっていく。
あれは間違いなく固有アビリティだろう。瞬間的に加速し、本来なら相手を不意打ちするものなのだろうが、移動手段としても優秀なようだ。
だが、エキドナの前でどれだけそれが通用する?
フィリオの行為は蛮勇の極みだ。
「はぁぁあっ! 氷帝剣っ!」
剣に氷を纏わせ、フィリオはエキドナの顔面に斬りつける。
氷のキラキラした軌跡を残し、袈裟斬りがエキドナの頬を撫でる。だが、それだけだ。剣に纏った氷はすでに融けて蒸発している。
「――クっ! 通用しない!?」
当たり前だろ。あんな中級魔法の剣でどうやって通用させるつもりだったんだ?
『この身体じゃあ痛くも痒くもないんだけどさァ、でもちょっと舐めてないかい?』
エキドナも呆れ気味だ。というか、呆れてない方がおかしい。
『テンション下がるようなことしないでほしいねェ。すぐにでも街を炎の渦で消してしまいたくなっちまうじゃないか。いや、それも面白いか? オモシロイカ? おもしろいか!』
「戯れたことっ! ボスなんだったら、とっとと倒されろよっ!」
『はぁ?』
「うぐあぁっ!」
エキドナが呆れたため息をつくと、それはブレスとなってフィリオを襲う。ギリギリで風の魔法を展開したようだが、ダメージを受けて地面に落下してくる。
落下距離が長かったせいか、辛うじて姿勢を整えて(無駄にカッコつけて)着地した。
「ブレスかっ……!」
いや、ため息。ある意味ブレスだけど。
しかし、これは歯牙にもかけないとか、そんな次元じゃねぇな。
とはいえ、フィリオも全力ではないはずだ。何をどうアホやらかしてエキドナなんかにちょっかいをかけたのか知らないが、逃げて来たということなら疲弊しているはずである。
実際、目に見えて動きが鈍い。固有アビリティで隠している様子だけど。
「このおおおおっ!」
フィリオは凝りもせずまた地面を蹴ってエキドナに仕掛けていく。
そのたびに弾かれるのだが、「くそっ!」とか「やるっ!」とか言いながらまた起き上がる。
あれは完全にエキドナに遊ばれてるな。
おそらくちょっと面白いから付き合ってるんだろうけど、飽きたら瞬殺されるな。
「まったく。困ったものだね、フィリオには」
声がやってきて、気配が生まれる。振り返ることは出来ないが、正体は分かっている。
「兄様っ……!」
俺の近くまで逃げてきていたアリアスが顔を綻ばせる。
アリアスの兄と言えば一人しかいない。
――ハインリッヒ・ツヴェルター。世界最強のその人である。
「無事のようだね、アリアス」
「はい!」
もし尻尾があればブンブンと振っているに違いないだろうな。
そう思いながら俺はアリシアの嬉しそうな表情を見上げる。
ハインリッヒはあやすようにアリシアの頭を撫でた後、俺を見てきた。
「遅くなって済まなかったね。ガルナの森まで出張してたんだ……って、痺れてるようだね」
「はい、さっきから解毒を試しているのですが、うまく行かなくて……」
困ったようにメイが訴える。
「薬草が効かないとなると厄介だね。イベルタ」
「はい」
返事をしてから俺の前にやってきたのは、絹のように細い水色の髪の毛を携えた美女だった。格好からして神官か何かか。
美女──イベルタは細く白い指で俺の傷口に触れる。
細い眉を一瞬だけ寄せてから、イベルタは微笑む。
「《イリーガル・アウト》」
上級魔法が発動する。
ふわりと俺は光に包まれ、一気に体の自由が回復していく。
おお。すげぇ。
「《キュア・プロテクトフィル》」
さらにイベルタは俺だけでなくメイやポチにも回復魔法をかけてくれた。その回復量は凄まじく、イベルタの実力の高さが良く分かる。
ハインリッヒと一緒に来たってことは、パーティの一人だろう。さすが、という所だ。
「すみません、ありがとうございます」
礼を言うと、イベルタはにこりと笑ってから立ち上がった。
「君の護衛対象だったのかな? ウルムガルトって言ってたけど……彼女は少し前に保護させて貰ったよ。街の外に出来つつある避難エリアへ先に運んでおいたから」
「そうなんですか? いつの間に……」
「ついさっき。時空間転移魔法で」
相変わらず規格外である。
「ということだから、僕たちも逃げようか」
「え?」
「さすがに僕だけでエキドナを相手にするのはしんどいからね。ちょっと準備を整えないと厳しいのさ」
「し、しかし、兄様、この街にはまだたくさんの人達が……」
「大丈夫、マーキングはしてきたから」
マーキング?
微笑むハインリッヒに首を傾げると、ハインリッヒは俺に魔力水を渡してから肩に手を置いた。
俺に飲めってことか。頷いて俺は魔力水を飲み干す。
うげ。相変わらずひどい味だ。
それでも魔力が回復していくのを感じていると、ハインリッヒは辺りに魔石をばらまいていた。輝きからして純度の高い品だ。
一つでも売れば家の一軒は建つだろう。それを気にもしていない様子だ。
「さて、と、グラナダくん。魔力を借りるよ?」
「魔力?」
「うん。これからちょっとしんどいことするから」
「……しんどいこと?」
力の限り嫌な予感がしておうむ返しに訊くと、ハインリッヒはお得意のイケメンスマイルを浮かべた。
「集団時空間転移魔法だよ。この辺りにいる人たち全員飛ばすから、魔力が少しでもほしいんだよね。グラナダ君はかなり魔力持ってるから、ちょうど良くて」
「え」
「それでも足りないから、魔石からも使うんだけど」
「……はい?」
確かに俺の魔力は約九万ある。
極大魔術をぽんぽんと打ってたフィルニーアでさえ約四万だったので、倍以上だ。
だが、それを枯渇させるって、どういうことだよ。
顔を引きつらせている間に、ハインリッヒは魔法を唱える。いい加減エキドナがフィリオの相手に飽きてきていたからだろうか。
ハインリッヒの足元に魔法陣が生まれ、同時に俺の魔力が急激に吸い込まれていく。
「うっ……」
「ご主人様!?」
ぐらつくと、慌ててメイが俺を支えてくれた。
ちょっと、これ、気持ち悪っ……っていうか、これ、いくらなんでも強引っ……!
思う間も魔力は吸い込まれ――、俺の意識はぷつん、と切れた。