第九十話
敵が一斉に躍りかかってくる。どいつもこいつも腕を炎に変化させていて、気温が一気に上昇したようだ。
だが、その一つだって俺に触れることはない。
さて、試してみるか。
俺は魔力を高め、魔法を発動させる。
「《エンチャント・マテリアル》」
これは属性付与の魔法だ。とはいえ、今の俺に可能なのは聖だけだ。何せこの魔法は中級魔法以上を使えなければダメだからな。
魔族は総じて聖に弱い。かなりのダメージが期待できる。
七つの刃が空間を自由に躍り、一瞬で魔族どもを切り刻んでいく。それは全方位に及び、その黒い体躯はバラバラになって地面に転がっていった。
見た目よりも脆い。低級の魔族か。
判断していると、一瞬の惨劇にも驚かず上から炎の弾丸を放ってくる。俺はそのことごとくを撃ち落としてやった。
それだけに終わらない。
地面を蹴り、一気に駆け上がって屋上へと達し、魔族がこちらを振り向くよりも早く切り刻んだ。
僅かな時間で戦闘が終わる。
討ち漏らしがないかを確認してから、俺は屋上を蹴った。
アリアスの気配を探ると、まだ遠くにはいない。あっという間に終わらせたから当たり前だけど。
俺は屋上を飛びながら接近し、敢えて音を立てて屋上から飛び降りる。誰もが見上げる中で、俺は着地した。
「グラナダ! 無事だったのね!」
いのいちに声をかけてきたのはアリアスだった。
まぁ、他の連中は俺の強さを知ってるからな。さほど気にしている様子はないからだけど。
「っていうか大丈夫だったの? いきなり飛び出すからどういうつもりかと思ったわよ」
「ああ。思ったより弱そうだったから、俺が引き付けて片付ければ良いやと思ってさ。実際あっという間だったし」
もちろん嘘だ。魔族は魔族である。本気で挑んだから弱かったに過ぎないし、あの場で戦闘をしていたらケガの一つは誰かが負っていたかもしれない。
魔族は低級でも十分強敵だ。
俺が紙切れ同然に切り裂けたのも、絶大なステータスと聖属性という特攻があったからに過ぎない。
「でも、そうならそう言ってから動きなさいよ! こっちは心配するじゃない。ましてあんたはレアリティ高くないんだから、負けたらどうしようかと思ってたのよ!」
「ああ、ごめん」
俺は素直に謝った。
アリアスとはまだ阿吽の呼吸など不可能だ。だからこそ、連携を取るなら密なやり取りをするべきだ。それを怠ったのは俺なのだから、謝るのは当然である。
「わ、分かればいいのよ。今度から気を付けてよね!」
何故かアリアスは少しだけ意外そうな表情を浮かべてから、どこか視線を外して言った。何この意味の分からないツンデレ。
思いつつも、俺たちは北へ向かう。
時折、俺は微弱な《アクティブ・ソナー》を撃っていた。もし暗殺者が近づいてくれば分かるように、である。
雑然としてて、掴みにくいが、その手の気配はない。
魔族の気配も感じられなかった。
無事に街を抜け出せそうだな。
気は抜けないが、直面の危機からは脱出できそうだ。
「それにしても、今のゴリラみたいなの何だったのかしら」
「炎そのものって感じだったね」
疑問を口にするアリアスに反応したのはウルムガルトだ。
魔族だと口が裂けても言えない。メイもあれが魔族だと気付いているようで、少しだけ苦笑していた。
「これだけ火の手が上がっているんだから、もしかしたら火の精霊なのかもしれないわね?」
「精霊?」
「というか、火霊じゃないかしら」
火霊、というのは、火の魔力が集まって微弱な意思を持つようになった存在だ。精霊に近い存在ではあるが、カテゴリ的にはアンデッドである。何故なら、その魔力が集まる核が強い残留思念だからだ。
少し強引だけど有り得るのかな? 納得してる感じだしいいか。
「でも、もういないみたいだね」
ウルムガルトは暑いのだろう、顔の半分を隠すように巻いていたスカーフを取った。もう自分のことを男だと偽っていないので、薄くメイクまでしてある。
「そう言えばそうね。これだけ火の手が上がっていれば、出てきてもおかしくないんだけど」
そりゃ俺やメイやポチがさりげなくエンカウントしないように誘導してますからね。
実際はちょいちょい気配がある。
言うつもりないけどな。もし魔族だって言ったら大騒ぎになるだろうし。あの状況では逃げられないから咄嗟に対処したけど。でも騎士団の人たちには伝えておくべきだろう。
まぁ、あれだけの数が出て来たんだから、どっかでもう騒ぎになってても――
──って、あれ?
俺は強い違和感を覚えた。
街中が火の手に包まれている中で魔族が出て来た、ということは、まずこの火事と魔族は繋がっていると考えて良い。その証拠に、気配は感じるわけで。
それなのに、なんで兵士たちは避難誘導してかしていなくて、誰も戦闘態勢を取っていない?
ってことは、まだ魔族が出たって伝令がされてないってか?
それっておかしいだろ。なんで、俺たちのところに魔族が出て来たんだ? たまたまって言うには、あまりにも確率的におかしすぎる。つか、そもそもなんで誰とも遭遇してないんだよ。
まさか、誘導されてる?
結論に至った刹那だ。
俺は咄嗟に飛び出し、アリアスとウルムガルトの首根っこを掴んで引き寄せた。
ちょうど路地裏の広場へ出るタイミングだった。
二人の声が詰まる音を耳にしつつも、抗議はやってこない。
――グオオオオオオオオオオオッ!!
凄まじい咆哮は衝撃となり、全身を叩いてくる。思わず身を屈むほどの威力だ。
同時に火柱が発生し、まるで竜巻のように渦を巻きながら周囲へ熱を放ってくる。これは、息を吸うのも辛いな。というか、吸ったら肺が焼けるかもしれん。
「《エアロ》」
俺は二人を解放してから少し前に出て、盾になりながら魔法を放った。
熱風を弾くように風の壁を展開する。
少し呼吸が楽になったおかげで、頭に酸素が行きわたって思考が巡り出す。
『ほぉ、直前で気付いたか? 面白い』
どこか面白がるようなその声は、火柱の内側から響くようにやってきた。
周囲に熱を与えるだけ与え、灼熱地獄のようにさせてから火柱が消えていく。
やがて姿を見せたのは、燃える炎を髪の毛にした、アマゾネスのような女だった。口にはタバコらしきものを加えているが、激しく燃焼している。
こんなヤツが、当然人間なはずがない。
異常な威圧を覚えながら、俺は身構える。
やっぱり罠だったか!
「ちょ、ちょっと、何よアイツ……!?」
俺の後ろで、アリアスが愕然としながら言う。
『あぁ? 分かんないのかい。レアリティは高そうでもオツムは弱いんだね、あんた』
「な、なんですって!?」
見るまでもなく怒るアリアス。
『アタイは魔族。火の眷属だよ。どうせあっという間に燃えカスになっちまうだろうけどな!』
「魔族っ……!?」
『さぁ、死ね!』
上がる驚愕に被せて、魔族がその手から炎を放つ。激しく渦をまくそれは、直撃を受けるわけにはいかない威力が籠められていた。俺は即座に悟る。
回避は厳しいな。向こうは広場、こっちは狭い路地。しかもウルムガルトがいる。何よりあれは炸裂したら周囲に膨大な熱を放つ系だ。
だったら、防御するか?
だが《クラフト》で耐えられるかどうか、際どいな。
一発なら大丈夫だ。だが、立て続けに攻撃されると怪しいだろう。そして相手は喜々として連続攻撃してきそうな勢いである。
「ポチ、メイ」
だったら迎撃しかない。
俺が名を呼ぶと、ポチが地面を蹴って稲妻を放って迎撃し、前にでたメイが剣を構える。
「風神盾っ!」
展開したのは盾の風だ。迎撃された炎は、まるで風船が破裂するように弾け、マグマ色よりも濃い何かを周囲へ撒き散らす。ただの一滴でさえ、それは地面をじゅわりと溶かす。
これは、ヤバいな!
熱を風で防ぎつつ、俺は気を引き締める。
この魔族、かなり強い。
なりふり構っていられなさそうだ、と力を籠めようとした、その瞬間だった。
上空で、ほんの僅か、本当にほんの僅か、気配の残滓とも言えるような何かを感知した。
瞬間的、というより、本能的だった。
俺は踵を返し、アリアス目がけて跳躍し、手を掲げる。それがちょうどアリアスの真上に到着したところで、何かが落ちて来た。
ずんっ!
異物が手の中に入ってくる中、俺はそれを握りしめて止める。
ダガーだと分かったのは、その刃を掴んでからだ。
「グラナダ!?」
「くそっ!」
手から大量の血を撒きながら、俺はアリアスの頭上を通過し、ダガーを手から抜き捨てて空中で一回転、着地した。
だがそこで終わってはいけない。
俺は血を吐き出す手を地面に叩きつける。
「《ベフィモナス》!」
発動させたのは、牢屋作るように相手を覆う、
「何っ!?」
アリアスの驚愕は、しかし途中で遮られた。分厚い土の壁に覆われたからだ。あの壁には鋼鉄も忍ばせてある。そう簡単には破られないはずだ。
一時的な防護結界を展開してから、俺は上空を睨む。そこにいたのは、全身黒ずくめの人だった。その手には刃まで黒塗りにしたダガーが握られている。
「……ほぅ」
低い唸り声。だが、そこに感情は見られない。
あるのは、ただただ、純粋な殺意だけ。
マジか。ここでエンカウントするとか聞いてねぇぞ。
俺は戦慄を覚えながら、痛む掌を握りしめる。
――暗殺者だ。言うまでもなく、アリアスを狙う。