第九十一話
ズキズキと手が痛む。
まさか、俺の防御力を貫通してくるなんてな。
この世界の物理防御力は、防具の耐久性を上げる効果がある。つまり生身では生物的な防御力しかない。
故に今回はしっかりとグローブをはめていた部分で受け止めたのだが、簡単に貫通された。ハッキリと予想外だ。
いや、今は深く考えないで良い。
問題は強そうな魔族との戦闘が始まったタイミングで、アリアスを狙う暗殺者が出現したことだ。
絶対に狙ってたなこれは。
「グラナダ君!?」
ウルムガルトの動揺した声がやってくる。アリアスを閉じ込めたからだろうか。それとも、新しい敵の出現にだろうか。
今は説明してる暇はないな。
俺は刹那だけ意識を魔族へ向けると、メイとポチが応戦してくれている。戦況まで把握している余裕はないが、厳しい戦いになる可能性が高い。
──これはもう、形振り構ってられねぇか。
俺は強引だがステータスで押しきることにした。無事な方でナイフを握り、暗殺者を睨み付ける。
明確な殺意を持って、相手に向かって地面を蹴る。地面が爆裂し、俺は刹那にして建物の屋上まで駆けあがり、暗殺者に肉薄した。
「はっ!」
「!」
ぶん、と、風を押し出す速度での斬りつけ。だが、暗殺者はぬるりと下がって回避した。
なんだ今の動きは、気持ち悪い!
思いつつも、俺はまたナイフを繰り出す。しかし、見切っているのだろう、暗殺者は苦もない様子で回避した。
ヤバい、戦闘経験が桁違いだ!
おそらく相手は俺の動作から軌道やら何やらを見切っている。しかも、驚くぐらいの正確さで。
これには舌を巻くしかない。何回攻撃したとしても掠ることさえしなさそうだ。
だとしたら、《ヴォルフ・ヤクト》しかない。だが、手負いの状況でどこまで通用するか……。
ハッキリ言って、ダガーを受け止めた左手はくっそ痛い。血はだらだらと止まる様子がないし、止血したくてもこの暗殺者がそんな余裕をくれるとも思えないし。
いや、言ってられないか。
「――《ヴォルフ・ヤクト》!」
俺は魔族との精製で作っていた刃を周辺にばら撒き、
思わず舌打ちしそうになるのを我慢して、俺は刃を操った。
――だが。
暗殺者は静かに嘲笑うかのように、俺の範囲から逃げ出す。それだけでなく、抜き手さえ見せない素早さでナイフを投擲してきた。
それを認識した時にはもう刃は目の前だった。
早すぎる! これは《投擲》スキルカンストしてるな!
それでも俺は身を捩って回避するが、ナイフがくい、と曲がって俺に追従してくる。
「ああああっ!」
咄嗟だ。俺は声に魔力を乗せて放ち、衝撃波としてナイフを撃ち落とした。かなり強引な手段だ。魔力の消費もケタ違いだし、反動の衝撃が全身にもやってくる。
代償は即座にやってきた。ぶしゅ、と、手の傷口から血が噴き出す。ヤバいな。
そのせいで集中が落ち、からん、と、操っていた刃が地面を転がる。
「ほう。随分と強引だ」
くぐもった、機械のような声。
おそらく男だろうが……──。…………?
思考が、鈍る。俺はそのまま姿勢をぐらつかせ、立っていられなくなった。
「やっと効いてきたか」
──しまった。
俺はここにきて、自分の愚かな行為を責めた。相手は暗殺者だ。それもダガーやナイフの刃を真っ黒に染め上げてくるぐらいのプロだ。
そんな奴が、武器に毒を塗っていないはずがない。
まずい、どんな毒が塗られていた?
本来、調べるには回復系の魔法が必要だ。だが俺は習得できない。即座に意識を切り替え、自分に対して《アクティブ・ソナー》を放つ。
返ってきた反応では、神経系統に異変が起こっていた。ということは、痺れ毒か。
厄介だな。
思いながらも、俺は体内を循環する魔力に干渉し、神経を刺激して痺れを強引に奪った。
「……む?」
俺が立ち上がると、暗殺者が警戒して身構える。
チャンスは今しかないな。なんとかして、空中に追い出したい。
もちろん簡単ではないだろうが、やるしかない。
「《ベフィモナス》」
手始めに俺は地面を踏みしめ、魔法陣を生む。直後、暗殺者の地面が変化し、槍となる。
だが、感知した暗殺者は一瞬で左へ退避している。
俺はそれに追従させて次々と地面を変化させ、追い詰めていく――が、暗殺者は軽く地面を蹴り、生み出した槍を足場にして不規則に跳びながら俺へ接近してくる!
「――《エアロ》っ!」
俺は咄嗟に風の壁を生み出し、接近を拒絶する。
相手もそれを察したのか、瞬時に急ブレーキをかけ、回り込む様に――違う! あれはアリアスを狙っている!
俺は意識を切り替える。
相手の狙いはあくまでもアリアスであって、俺ではない。コイツ、俺と戦いながら、ずっとアリアスの暗殺を狙ってたのか!
もちろんアリアスは土の牢屋で保護してある。そう簡単に突破は出来ないだろうが、この暗殺者からは得体の知れない何かがある。もしかしたら貫通させる方法を知っているかもしれない。そもそも俺の防御力を貫通してきたのだ。
「《エアロ》っ!」
俺はもう一発風の魔法を放つ。
放ったのは、建物を囲むようにして展開させた暴風だ。これで下にいるアリアスには手を出せない。
「……ほう」
それを感知したらしい暗殺者が、また声を出す。
って、コイツ、魔力の流れを正確に感知してるのか。相当な実力者だな。絶対に高レアリティだ。
暗殺者が、改めて俺と対峙する。
ようやく俺と戦う気になったか?
「私は目標以外を仕留めるつもりはないが……障害となれば排除する」
「俺はその障害になれたってことか?」
「……斬る」
直後、暗殺者の姿が消える。
一瞬で最高速に乗ったか!
俺は身構える。狙ってくるとしたら、傷を負った左手側から。
予想通り、濃厚な気配が左側に生まれ、俺は反応させる。《ヴォルフ・ヤクト》はまだ死んでいない。確かに集中力が削られて刃はもう一本しかないがな!
俺の背中に隠していた刃が閃き、暗殺者を狙う。
「む」
ただそう一言声を漏らし、暗殺者は後退しつつ、刃を打ち払う。
やはり、集中出来ないから速度が遅い。だが、今はそれでも十分だ。相手の不意をつけたのだから。
「《エアロ》っ!」
俺は即座に魔法を解放する。同時に暗殺者が警戒に防御姿勢を取ろうとする。
攻撃してくると思うよな? 経験が豊富なら尚更だ。
瞬間、暗殺者の足元をすくう風が起こり、そのまま一気に上空へ打ち上げた!
来た、千載一遇のチャンス!
さすがに暗殺者は姿勢を乱すことなく身構えているが、関係ない。
「《真・神威》っ!」
――ばぢばぢばぢばぢばぢばぢばぢばぢばぢっ!!
空中で稲妻が無数駆け抜け、世界を焼き払っていく。これを喰らえば、一瞬で炭化だ。当然、暗殺者もその凄まじい熱量に晒され、その全身を焦がしていく。
さすがにこれを喰らって生きているはずがない。
俺はせり上がってくる安堵を押さえつつ、それでも周囲を警戒する。
すると、目の前に暗殺者が――現れた。片腕を失った状態で。
って、は?
どういうことだ。なんで片腕失ってるだけで済んでるんだ?
「我が秘儀を使わせるとは……なるほど、確かに強力だ」
「おいおい……冗談だろ?」
さすがに俺は顔をひきつらせた。
いったい何をどうやったか分からないが、生き延びているのだ。有り得ないことである。
「そのセリフはこっちのものだな。まだ子供だと言うのに……いくつ技を隠し持っているのか……」
饒舌なのは時間稼ぎか。
片腕を失った状態でまだアリアスを狙っているのか、それとも俺の隙を狙っているのか。
どちらにせよ、気味の悪いことこの上ない。
「ハインリッヒ以外に障害はないと思っていたが……考え直そう。暗殺は失敗だ。これ以上は戦えん。悪いが、逃げさせてもらう」
そう宣言して、暗殺者の全身が煙に巻かれていく。
ほとんど同時に、俺は《真・神威》の反動から復活し、集中力を取り戻す。
「逃がすかよ! 《クリエイション・ブレード》!」
剣を生み出して、俺は暗殺者に向かう。
ここで逃がしてはならない。ここで、仕留めておく!
「《真・神撃》」
世界が加速し、俺は一瞬でその黒い靄を切り裂く。――が。
そこに手ごたえは一切なかった。
ただ、靄の中にスパークが駆け巡り、それを消すだけに終わる。
遅かったか。ちっ。
その残滓を見ながら、俺は明確に舌打ちした。
風の魔法を解放し、俺は息を吐く。じんじんと頭の奥が痺れているようで、思考が鈍い。
しばらくアリアスは解放しない方がいいな。引いたと言いながら攻撃を仕掛けてくるかもしれないし。
それに、魔族の方も気になる。
気配を探ると、激闘はまだ続いている様子だった。
早く援護に回ってやらないと。
だが、その前に止血だ。痺れ毒の効果なのか、血は収まる気配がない。ここは痛いけど――。
「《フレアアロー》」
俺は魔法を解放し、手を焼く。
「うぐっつぁぁぁ……っ!」
最低限、傷口周辺を焼くだけにとどめたが、それでも激痛が走った。いやホントにマジで、ガチで。
激痛のせいで涙目になりつつも、俺は立ち上がる。
火柱が上がったのは、その時だった。