第九十二話
凄まじい熱量に肌が焼かれそうになった。
暗がりだったはずの周囲が赤く照らされ、更に気温が上がった気がする。これは、ヤバいな。
火柱のせいで、戦闘している場所が良く見えないが、気配はしっかりとメイとポチを捉えている。まだ戦えているか。
俺は素早く屋上の地面を蹴って落下した。
着地すると、目の前には、アリアスを保護する土の牢屋を盾にして蹲るウルムガルトがいた。
「大丈夫か、ウルムガルト!」
「グラナダ君!」
相当不安だったのだろう、ウルムガルトは涙を浮かべながら俺に飛びついてきた。
しっかりと受け止め、俺は落ち着かせるために頭を撫でてやる。
ようやく火柱が収まり、視界が戻ってくる。
「はああああああっ!」
「ガルルルルルルッ!」
左右に展開していたメイとポチが、一斉に躍りかかる。すでにメイは奥の手を使っていて、身体能力強化魔法(フィジカリング)に炎属性を宿している。ポチも白い体躯に黒焦げが目立っている。
そんな二人に挟まれたアマゾネスのような女の魔族は、もっと異形だった。
髪の毛のみならず、下半身さえ炎に変化させ、まるで大蛇のようだ。
さらに両手には燃え盛る炎を持って双剣に構え、口には相変わらず燃え盛るタバコ。
その表情は本当に喜々としていて、狂気さえ感じられた。
「《切り刻め》《運命の烈風》《極限に舞え》――――《絶風剣》!!」
メイが叫び、その大剣から無数の風刃が放たれる。手加減も何もない、本気の攻撃だ。
直撃を受ければ魔族であろうと大ダメージは避けられない。何せメイも
そこは感じたのか、女魔族は無数の風の刃へ向けて剣を向け、膨大な火炎を放つ。
力と力が衝突し、凄まじい轟音と衝撃を呼んだ。
なんて力! けど、甘い。
メイの必殺技はその炎を突き抜け、かなり削られながらも魔族の全身を切り刻む!
『アアアアアアアアッ! いい、いいねェェェェっ!』
噴水のように血飛沫が舞う。だが、その全身はすぐ炎に包まれ、次には再生していた。
これは、超速再生、というよりも見た目を素早く塗り替えてる感じだな。ダメージそのものが回復しているワケではなさそうだ。
事実、纏う炎が僅かだが小さくなった。
『いたい、イタイ、痛いっ! これこそ快楽の極みだねェッ!』
って、コイツ、逝ってやがるな。
叫びながら女魔族がメイへ炎を向ける。そこを狙って、ポチが稲妻を迸らせた。
けたたましい音を鳴らせ、全身を稲妻が叩く。女魔族は大きくのけぞらせ、苦痛の呻きを上げる。断末魔にも聞こえそうだが、その実悦んでいるだけのようだ。
これは、かなりしぶといな。
防御力は低いだろうが、恐ろしい体力を持っているのだろう。それに、ほとんど炎みたいなものだから、周囲の火事から力を吸収している可能性もある。
「ウルムガルト、もう少しここに隠れててくれ。もしヤバくなったら助けを求めろ。最悪、アリアスを解放して護衛につけるから」
とはいえ、まだ暗殺者の脅威が残っている可能性がある以上、それは本当に最終手段だ。
ウルムガルトが火事の脅威に晒されていない建物に隠れるのを見て、俺は牢屋をさらに堅牢なものにしてから魔族に狙いをつける。
限界まで
俺は痛みを堪え、じわりと汗を流しながらも魔法を解放した。
「《アイシクルエッジ》!」
《投擲》スキルを利用して投げつけたのは、一柱の氷。それも細い。
ぱきぃぃんっ!
だが、それが女魔族に触れた瞬間、一気に氷を爆散させ、凄まじい勢いで氷に鎖した。
炎が消え、代わりにダイヤモンドダストのような氷の欠片が周囲に舞って気温を急激に下げる。
「ご主人様!」
『主!』
戦いに集中して俺に気付かなかった二人が名を呼んでくる。安堵がしっかりと混ざっていた。
俺は一度だけ頷く。
氷に鎖したのは、単なる時間稼ぎと、俺の存在を報せるためだ。
「《クリエション・ブレード》」
俺は地面に魔法陣を展開し、剣を精製する。かなり粗いのは仕方がない。
俺が放とうとしているのは《真・神撃》だ。これは武器を破壊する代わりに強靭な威力を発揮するのだが、その武器の性能が悪いと出力が落ちる。今の状態だと、いつもの俺の半分、いや、それ以下くらいしか威力が出せないだろう。
それでも、大ダメージ以上は与えられるはずだ。
俺は剣を構えて集中を高める。
痺れ毒がまた効いてきたようで、身体が上手く動いてくれない。思考が鈍い。――くそっ。
「《真・神撃》っ!」
それでも俺は術を放つ。キン、と、光の軌跡を残し、氷に鎖された女魔族を切り裂いた。
ずず、と、ゆっくりと氷の彫像はズレ、同時に内側から炎が燃え盛って氷を一気に解かす。
『ひゃあああああっはああああああああっ!!!』
上がったのは絶命の悲鳴ではなく、歓喜の悲鳴。
分断された上半身と下半身が焦がされていくにも関わらず、女魔族は吠えながら炎を全身から吐き出し、周囲を燃やしながら再生していく。
くそ、やっぱり仕留め切れなかったか!
悔しさに顔を歪めながら、俺は地面に膝をつく。
「ご主人様っ!?」
慌ててメイが駆け寄ってくる。全身から炎を散らせ、自分自身も辛いはずなのに、倒れそうな俺を支えてくれた。ポチも近くに寄ってきていた。
申し訳なかったが、立っているのも辛いので少しもたれかからせてもらった。
「腕に怪我が……! なんてひどい火傷っ……! 大丈夫ですか?」
『ふむ。毒を盛られたようだな。だから苦戦していたのか』
俺はただ頷くしか出来ない。
完全に集中が切れてしまったせいだ。ヤバい、この痺れ毒、かなり強力なものだ。
もう、魔力で強引に神経を刺激しているのも限界に近いな。
『面白い、おもしろい、オモシロイッ! こんなの初めて喰らったねぇ! あまりに凄すぎて思わず昇天しちゃいそうになっちまったよ!』
それでも前を向くと、かなり炎を弱らせた女魔族が吼えていた。
しっかりと上半身と下半身がくっついているが、おそらく炎を媒体にして強引にくっつけているだけだろう。もう最初の頃とはまるで勢いが違う。
「くっ……」
『さすがに、厳しいな』
だが、そんな魔族を相手でも威圧を感じる程、こっちも弱体化している。
ポチもいい加減限界だろうし、メイなんてとっくに迎えている。俺も動けそうにない。アリアスを解放すれば何とかなるだろうか?
これだけ俺たちが弱っている状況にも関わらず、アリアスを攻撃する様子が見えない。だったら、本気で撤退したと思っていいのかもしれないな。
痺れる頭の中で、俺は判断して魔法を解除する。
ぼこぼこと音を立てて崩れていく土の牢屋の中から、待っていたと言わんばかりにアリアスが飛び出してくる。その表情は見えないが、憤怒に満ちていることは気配で察した。
「ちょっと! いきなり何をしてくれてんの……って、何あれ!」
「……魔族だ。悪ぃ、ちょっちヤバい」
俺は忙しない息の中で告げる。
『アハハハハハハアア! 新手、あらて、アラテ、ってやつかい! いいねぇ、いいねぇ!』
女魔族が髪の毛をごうごうと燃やしながら歓喜する。
大蛇と化した下半身からも炎が少しだけ勢いを取り戻している感じだ。
ビリビリと振動にも似た威圧が放たれ、後ろにいたアリアスも息を詰まらせる。
「これは……文句なんて言ってられない状況ね?」
「すまん、頼む」
「仕方ないわね。任せなさい」
アリアスは俺を庇うように立って、その剣を抜く。魔力が練り上げられ、アリアスの全身を風が纏う。
さすがに
感心していると、アリアスが地面を蹴った。
――速い!
ほんの瞬く間に間合いを詰め、アリアスはその細身の剣に風を纏わせながら突きを放つ。
渦巻くそれは、女魔族の大蛇の部分に風穴を開けるように抉った。
息を吸うように、あれだけの風を使うとか、さすがハインリッヒの妹だな。
『ッギイィッ!?』
女魔族は激痛に呻き、歓喜にその表情を歪める。
「まだまだ行くわよ!」
アリアスは踊るように何度も剣を振り、風の刃を生み出して次々と切り刻んでいく。
『あはは、あはは、アハハハハハ!』
笑い声を上げながら、女魔族は反撃に出る。その手にもった双剣を重ね、一気に身体を操作してアリアスへ肉薄した。それも、風の刃を受けているにも関わらず。
痛みもダメージも関係ないって表情だな。
だが、アリアスは冷静だった。
振るわれる双剣を、次々といなして弾いていく。時折炎が放たれるが、それさえ回避し、時には風の魔法を放って弾き飛ばした。まるで、分かっているかのような動きだ。
アリアスは相手の動きに合わせ、今度は次々とカウンターを叩き込んでいく。
たまらず相手がのけ反ったタイミングでアリアスは一歩踏み込む。
「《エアロ・ブルーム》っ!」
放ったのは風の上級魔法だ。竜巻の破壊力が容赦なく女魔族を襲う。
完璧なタイミングだ。
だが、破壊に晒されたにも関わらず、女魔族はまだ生存していた。
『強い、つよい、ツヨイ! いいね、イイネ、良いねぇッ!?』
今にも炎が消えそうにも拘わらず、女魔族は歓喜の声を上げる。
アリアスが不審に眉根を寄せた、その瞬間だった。
気配が、一斉に生まれる。
『おいで、あんたたち!』
女魔族の号令と共に出てきたのは、あの黒いゴリラのような体躯の低級魔族たちだった。