第七十話
チーム戦から翌日。
俺とメイが学園に登校しようと家を出て、最初の角を曲がろうとした時だった。
「よぉ」
待ち構えていたらしいエッジが、もたれかかっていた壁からのっそりと離れながら声をかけてきた。
色々とダメージを受けたエッジは、あのあと治療を受けるために早退した。まぁ大きい怪我は道具で治してたし、今は怪我ひとつないはずだ。
実際、いつものピアスだらけに加えて、素行不良丸出しな格好だしな。なんか微妙に震えてる気がするけど。
「なんだよ」
俺は一応足を止めて訊いてやる。もし納得がいかない、再戦を希望するとか言われても絶対に拒否する所存だ。
まぁ、そんな感じじゃあ無さそうだけど。
とはいえメイは警戒心最大だ。嫌な目に遭わされたのだから当然と言える。
「その、なんだ……盾になれとかいって、悪かったな」
おっと、素直に謝ってきた。
とはいえ、斜に構えてるしぶっきらぼうだし、頭は少ししか下げなかったけど。
「あんな戦い方でくるとは思わなかった。ってか、それでもタイマンで負けたんだけどな。あんま覚えてねぇし、なんか怖い目にあったんだと思うしよ。なんかぶるっちまう」
まぁちょっと拷問っぽいのはしたな。言わないけど。
「でも、それ以前に、覚えてる中でも俺はお前に動きを読まれてた。あんなの達人じゃねぇと出来ねぇぞ」
「俺は山育ちだし、実戦だって経験してるからな。そういう差だよ。レベルだって俺の方が高いだろうしな」
とはいえ《シラカミノミタマ》を外すと、俺はレベル六〇程度にまで下がってしまう。ここまで下がると、
だが、アマンダもそうだが、エッジはどう考えてもレベル二〇に届くか届かないかぐらいだ。
故に《シラカミノミタマ》がなくとも倒せる。
それに、習得した魔法の数や完成度は俺の方が上だし。
まぁ、上質な実戦経験を積んでまともにぶつかってこられると苦戦は免れないかも知れないぐらいか。
ちなみに俺のレベルが異常に高いだけで、エッジたちが低いわけじゃあない。メイだってレベル二十七だしな。
「まぁ、というわけだ。正面切ってタイマンして俺は負けた。それと」
エッジはメイに視線を移す。
そしてゆっくりと膝をついて、頭を下げた。世に言う土下座だ。
「嫌な思いをさせて悪かった。すまん。付き人の分まで俺が謝る。許してくれ」
おっと、俺はここで頭を踏みつけるべきか? いや、さすがにそれは外道過ぎるだろ。いや、っていうか俺には簡単な謝罪で済ませておいてメイには土下座かい。
まぁいいけど。いや良くないのか? まぁメイに任せるか。
促すように目線を向けると、メイは一歩前に出る。
「顔を上げてください」
「分かったぶげっ」
顔を上げた瞬間、メイは強烈な平手打ちを見舞った。
お、綺麗なもみじ出来とる。あれは痛いぞ。
「なんか一発じゃあスッキリしないんで、もう一発」
能面のような表情で、メイは返す一撃でまた平手を見舞う。
ぱぁんっ、と、景気良い音が響き──
って何回いくんだ。
「あ、ちょ、いっ、ぶっ、ぶべっ、あぶっ、あぶっ、うぶっ」
往復ビンタをされるがままに受けて、エッジは情けない声をあげ続ける。
結局見事に両頬が腫れ上がるまでメイの折檻は続いた。なんとも優しいような容赦がないような。とはいえ俺は咎めるつもりなど毛頭ない。むしろ両腕へし折ってもいいぐらいだ。
それでもビンタで済ませようとするあたり、メイである。
「ご主人様がたっぷりお仕置きしてくれたので、今回はこれで許します。でも、次はありません」
「ひゃい」
「それと、ご主人様にも土下座を。あんなちょろっと頭を下げたくらい、謝罪とは言いません」
「ひゃい」
凄みのあるメイの言葉に従い、エッジはぷるぷる震えながら俺に土下座した。それも地面を何度も頭で擦って。
「これに懲りたら、二度とやらないことです。いいですね?」
メイは毅然として言い放ってから、俺の方へ戻ってきてから裾をぎゅっと掴む。
よしよし、頑張ったんだな。後で頭を撫でてやらないと。
などと思っていると、エッジはおもむろに立ち上がった。
「わかりました。肝に命じます。……おい、おめぇら!」
エッジが呼び掛けると、ずっと周囲で待機していた取り巻きたちが怯えながら出てくる。
なんだなんだ、ぞろぞろと。
まさか掌返しで攻撃してくるか? いや、さすがにそれはないか。
──が、エッジはいきなり背筋を伸ばして姿勢を正しくすると、がばっ、と頭を下げた。
「これから兄貴として、よろしくお願いいたします!」
「「「お願いいたします!!!」」」
────────はぁぁぁ?
「いや、意味不明なんだけど」
思いっきり怪訝になりながら言う。隣のメイもあわくってポカーンとしている。
なんだこれ、いきなり服従宣言か?
ちょっとアクロバット過ぎだろ。思考回路どこからショートした。最初からか。
「何言ってるんですか、手も足も出ずに負けて、今更デカい面なんて出来るわけねえですよ」
「そりゃ分かるけど」
「だから舎弟になるしかないです」
「そこだ。アクロバットはそこだ」
すかさず俺はツッコミを入れた。
なんなんだ。負けたからすぐ舎弟になるとか意味分かんねぇ。どんな不良漫画なの? いつからここはそんな熱血っぽい感じがある不良漫画になったの? ハードラッ〇とダン〇っちまうの?
っていうか言葉遣い変わってませんか?
「あのなぁ。俺は舎弟とか作るつもりはないし、そういうの迷惑なんだけど」
俺は本気で嫌がる。
いや、だって絶対メンドクサイじゃん。
威圧を放つと、トラウマが刺激されたのか、エッジの顔面が蒼白になる。
「いや、でも……」
「そう邪険にしてあげないでくださいねぇ、グラナダ様」
尚も口ごもるエッジに助け船を寄越したのは、セリナだった。
優雅に路地から出て来たセリナは、爽やかな微笑みをこちらに向けてくる。いや、爽やかじゃない。なんか下卑てる。どこか下卑てる。
寒気を感じながらそっと目を逸らす。
セリナはゆっくりと前に出てくると、エッジが狼狽えて小さくなってしまう。
これアレか。セリナ、やったな?
セリナは稀有な《ビーストテイマー》のアビリティを持っていて、王都の襲撃騒ぎの際にはキマイラをテイムしている。加えて、他にも優秀な魔物を従えていて、正直いってエッジ程度では十分も持たないだろう。
俺に負けた後、さらにセリナによってボコされたと思うと、ほんの僅かだけ同情しないでもない。いや、やっぱりないな。自業自得だ。
「グラナダ様の下僕になるのは、彼なりに考えたケジメなのですねぇ」
「今下僕とか言いませんでしたか」
「似たようなものですねぇ」
「似たようなものなのかよ」
「似たようなものですねぇ」
笑顔で言い切られ、俺は沈黙するしかなかった。
「ああ、安心してくださいねぇグラナダ様。ちゃんと彼らにはグラナダ様が目立ちたくないというのを言い含めておりますので。周囲に人目があるところではこのように跪くことはさせません」
人目なかったらするのかよ。
内心でツッコミつつ、俺はため息を吐いた。
ここで突っぱねることは簡単だ。だが、きっとしつこくエッジは言い寄ってくるだろう。それにセリナもエッジに圧力をかけていくはず。そうなればどう跳ね返るか分かったもんじゃない。
エッジが勝手に精神的に潰されるのはどうでもいいが、それで俺に迷惑がかかるのは勘弁願いたいな。
「それに、いざという時は戦力になるでしょうしねぇ」
セリナがチクりと刺してくる。
つまりこれは、まだクラス内には争いの種が残ってるってことか。
俺はすぐにその種を思い出す。
アリアスとフィデリオだ。
どちらも干渉してくるタイプには思えないが、フィリオは転生者だし、アリアスはあのハインリッヒの妹だ。かなりクセがあると思っていいだろう。
もしそいつらとイザコザがあった時の戦力、ってことか。
「――分かった。そういうことなら、受け入れてやるよ」
「さすがグラナダ様ですねぇ」
手を叩いて喜ぶセリナに、エッジを始めとした下僕衆はほっと胸を撫で下ろしていた。もし俺が断っていたらどうなったんだろうか。
とりあえずそんな思考は放棄して、俺たちは登校することにした。
さすがに取り巻きがゾロゾロついて来られたら困るので、少し離した。
「あ、おはよう」
教室に辿り着くと、ニコラスとセルゲイが挨拶をしてくれた。
ここ一週間くらいの付き合いだが、この二人はフツーに良いヤツである。レアリティを気にする様子もないし、俺が主導した訓練にもちゃんと付き合ってくれた。
この二人はもともと同郷らしく、農民から貴族に格上げされたらしい。その貴族も地方の領主で、特に厳しく育てられたワケではないそうだ。だからこそ穏やかな気質なのかもしれないな。
「おう、おはよう」
俺は返事をしてから机に座ると、前の席のやつが振り返って「おはよう」と言ってきた。
オイオイ、マジかよ。今まで挨拶どころか、振り返ることさえしなかったろ、お前。
「お、おはよう」
少し戸惑いながら返事をすると、相手は少し硬い笑顔を向けてくれた。
もしかして、この一件でちょっとは俺の株が上がったのか? 今までクラスを良いように圧迫していた不良がおとなしくなるきっかけを作ったから、とかか?
ちなみにその当の不良は大人しく席に座っている。
地味に視線をぶつけられているが、エッジはどこ吹く風である。ちなみに目線が合うとペコペコしだして、セリナの笑顔に脅迫されて小さくなった。
「おはよう、グラナダ」
密かに様子見していると、アマンダが声をかけてきた。コイツにはフツーに返事出来る。
「なんか、雰囲気少し変わったな」
「まぁな」
「お前が良い影響を与えてるんだと思うぞ」
いや、それはないだろう。
結局、あのチーム戦での主力はアマンダにしたからな。アマンダは少しだけ複雑そうな表情をしたが、俺が目立ちたくないと言ったら素直に従ってくれた。
ホントにこいつ変わった。
うっかりすると何でも理解してくれる親友ポジになりそうだ。
「まぁ、そうだといいな」
テキトーなことを返して、俺はカバンから本を取り出した。
「また本か? 本当によく読むんだな」
「ああ、ちょっと煮詰めたいんだ」
「そうか。それじゃ、またな」
アマンダは気さくに言うと自分の席へ戻っていく。
そして本に集中して、俺は気付いた。そういえば、なんか異物を見るような変な視線が激減していることに。
あれ、なんか過ごしやすい?
なんとなくそんなことを感じ始めて、学園生活はあっという間に一か月が経過した。
平和なものだと時間が過ぎるのは早いもので、その日も俺はメイとセリナや、アマンダとエッジと登校し、そこそこクラスメイトに挨拶をして、ちょっと雑談して、ホームルームが始まるのを待っていた。
担任が入ってきたのは、始業のベルが鳴る前だった。
いきなりの不意打ちに、クラスが騒然となる。
「おー、揃ってるな」
俺は一目で雰囲気が違うことを悟る。というか、武装してるし。
さすがにクラスも違和感を覚えてざわつくが、教師はそれを鎮めることなく口を開く。
「今日はいつも通り訓練をしたいトコだが――予定変更だ」
おっと、これはまた嫌な予感がしますよ?
「湖の主が魔物をけしかけてきた。これから魔物討伐実習に入る!」
あ、やっぱり。
予想通りの言葉に、俺は顔をひきつらせた。