第四十六話
――朝を迎える。
とはいえ、かなり遅い朝だ。とっくに朝日は昇っていて、小鳥の囀りも終わりのお時間だ。
それでもまだ身体がダルいと言うことは、相当に疲れてたんだなーと今更俺は自覚した。
あの後も大変だったのだ。
さすが姫様と言いたくなるような手腕でウルムガルトを慰めたセリナは、ひたすらに褒めてくれと訴えてくるし、褒めたら褒めたでべったりくっついてくるし。
本来ならそれを咎めるはずのシーナはもふもふ担当のポチに心を奪われてそれどころじゃなかった。
極めつけはメイだ。目を覚ましてから見事に幼児退行してくれた。
というか、あの技を使った反動だ。
俺が教えた技だけに良く知っている。どうしてかメイは幼児退行するのだ。
結局俺はメイをあやしつけることになり、援軍が到着するまでカオスな状況を経験したわけだ。
結局収拾がついて城へ戻れたのは深夜で、すぐにベッドへ入った始末である。とはいえ、メイの幼児退行は収まらなかったので、添い寝したのだが。
「……起きるか」
やたらすべすべするシーツから身体を起こし、俺は広いベッドから出ようとする。
だが、すぐに袖が掴まれた。メイである。
「ご、ごしゅじん、さま……?」
振り返ると、メイはしっかりと目を閉じて寝息を立てている。今のは寝言だったか。
とはいえ、しっかりと袖が掴まれていて、ベッドから出られない。
メイはこの一年、筋力をひたすら鍛えてきた。そのせいか、とても八歳とは思えない(もうすぐ九歳)筋力がある。現世じゃあ有り得ない事象だが、この世界では起こり得るようだ。
もちろんステータス値は俺の方が高いので、無理やりに離すことは簡単だ。
でも、それをするのは忍びない。
仕方なく、俺はベッドから出るのは諦めて窓を見た。
薄いカーテンの向こうからは朝日というには強い日差しが差し込んできていて、良い天気のようだ。暑くもなく寒くもない、ちょうど良い感じの気温だな。
俺はゆっくりとメイの頭を撫でる。
コンコン、とノックされたのは、ちょうどその時だ。
「はい」
「私です。セリナです。入ってもよろしいですかねぇ」
出られないので返事をすると、セリナだった。
「どうぞー」
「お邪魔しますねぇ。って、あら、起きたばかりでしたか?」
静かに入ってきたセリナは、俺の様子を見て微笑んだ。
いや、っていうかね、うん。
「あーまぁ確かに起きたばかりなんだけど、えっと、セリナ?」
「はいなんでしょう」
「ちょっと訊くんだけど、なんでその恰好?」
俺が疑問をぶつけたのは、セリナの格好だ。
一言で言えば、すっげぇ生地の薄いワンピース。焦る。かなり焦る。いやだって素肌丸見えじゃねぇか。それどころじゃなく、下着だって……。
思わず凝視していると、セリナは少しだけ恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「そんなの決まってますよねぇ。夜這いならぬ朝這いです」
「………………………………はい?」
「私はもう十三歳。グラナダ様は十二歳。致すことは出来るはずです」
「おいまて、落ち着け、ちょっと本気で落ち着け!?」
「どうしてですか?」
きょとん、と、セリナは首を傾げつつもしっかりと近寄ってくる。
「いやメイが寝てるし、隣で」
「音を殺せば良いのは? 大丈夫です。私は初めてですが、頑張って声を殺しますからねぇ」
「いやいやそういう問題じゃないし。だからちょっと待て、落ち着いて?」
「まだ何かあるのですか?」
訊いてくるセリナは、本気で分かっていない様子だった。
「当たり前だろ。落ち着け。セリナ。君は王族の姫だろう?」
「そうですねぇ。つまり私と契りを交わせば、時期スフィリトリア領の跡取りになりますねぇ」
「それが問題だっつうの! 俺はただの一般人だぞ!」
フツー、そういうのは貴族同士でやるものであって、俺が介入すべき領域じゃあない。
そもそも俺は貴族同士の生臭いやり取りは絶対に苦手で忌避したい。そのど真ん中である王族と契りを交わすなんてもってのほかだ。
「どこが一般人なものですかねぇ。スフィリトリアを救った英雄の一人にして、昨晩だって、王都を救いになられたではありませんか」
「どっちも非公式だろ」
「では、公式にします」
「いやそれがダメだから非公式にしたんですけど!?」
俺は即座にツッコミを入れた。
現状、俺は単なる一般人だ。つまり冒険者ではない。そのため、昨晩の出来事も俺は参加したことになっていないのだ。もちろん、メイも。シーナは近衛騎士だから別だし、セリナも王族だからな。
公式では、どうなるのか知らされていないが、きっと上手に誤魔化すんだろう。
って、今は関係ない。
セリナだセリナ。
「ですが、抑えきれない私のリビドーはどうなってしまうのですかねぇ。今日、この日のために私はずっと禊を我慢してきたというのに」
「ちょっとキャラ崩壊するぐらい積極的じゃねぇですかね」
「いいえぇ、そうでもないですねぇ」
じわりじわりと近寄りながらセリナは微笑んでくる。
いや、確かにこの積極性は一年前も片鱗見せてきてたけど。アンタの父ちゃんが見たら泣くぞ、間違いなく。
思いながらも、俺はどうにかこうにか逃げようと頭を巡らせる。
最悪、魔法で対処するしかないだろうが、もうその状況な気が凄くする。
とはいえ、攻撃魔法なんてもってのほかだ。
何とかして黙らせるには、睡眠系の魔法か何かか? それなら光魔法の領域だ。フィルニーアからは便利じゃないから。と斬って捨てられた魔法系統だが(なんとスキルレベルがカンストしても確率発動という残念な系統)
本気でその構築に入り始めた頃、どたどたと廊下を走るけたたましい音がやってきた。
「ぅわんっ! ぅわんっ!」
まず入ってきたのは、白いもふもふした子犬――ポチだ。
確か、シーナが目を輝かせながら添い寝したいと熱望してきたので許可したはずだ。
それなのに走って逃げてくるとは、どういうことか。
『タスケテ、アルジ!!』
とたん、強烈なテレパシーが俺に響いた。
同時にポチが俺目がけて跳びこんでくる。見事な放物線描いて俺の胸に入ったポチは、しっかりと俺にしがみついた。シーナが入ってきたのは、その時である。
「もふもふ! もふも……あ」
髪を振り乱し、ヨダレさえ垂らして入って来たシーナと目があって、俺はそっと目を逸らした。
「おいグラナダ殿」
「俺は見てない。何も見てない」
「いや、そうではない。私の痴態など今はどうでもいいのだ。君の懐へ入り込んでいる子犬をどうか私に抱かせてはくれないだろうか」
「そっちかよ!?」
「もふもふは神だ」
「アンタもキャラ崩壊してませんかねぇ!?」
真顔で言い放つシーナに俺は素早くツッコミを入れた。
よくある話ではある。普段から真面目で強く、雄々しい女性が乙女趣味とかいうのは。でもちょっとこれは行き過ぎな気がする。
しかし、俺のツッコミにも関わらず、シーナは両手をわなわなさせながらじわりと近寄ってくる。
うん、これはこれで怖い。ちょっと魔法でぶっ飛ばしたくなるくらい。
そんなシーナの襟首を掴んだのは、他でもないセリナだった。
「お姉さま?」
たった一言だったが、シーナの顔面が一気に青ざめた。
いや、うん、俺もちょっと今の怖かった。
セリナは微笑んではいるが、背中辺りから尋常ではない何かを放っている。そう、怒りだ。それもとてつもない怒りだ。誰もが震える威圧を放ちながら、セリナはシーナを引っ張る。
「セ、セリナ?」
「お姉さま。少しお話があります。付き合っていただけますよねぇ」
「おかしいぞセリナ。今の言葉に疑問符が無かったような気がするのだが」
「あるわけないじゃないですか。これはもはや命令に等しいのです」
「えっ」
「いいから」
ぐいぐいと引っ張るセリナの力に負けて、シーナは引っ張られていく。
「グラナダ様。続きはまた今度、ということでお願いしますねぇ」
「え、あ、いや、あの、セリナ?」
「お姉さまはこっちですからねぇ」
そう言い残して、セリナはシーナを連れて部屋から出て行った。
俺としては助かった形なので、シーナには合掌するしかない。後でポチを抱かせてやろう。
「ん……むにゃ……」
密かに手を合わせていると、ようやくメイが目を覚ました。
白銀の綺麗な髪を乱し、目をこしこしとこすりながらメイはゆっくりと起き上がる。
そして俺を見つけると、ゆっくりと微笑んだ。
「あ……ご主人様、おはようございます」
あ、良かった。幼児退行が終わってる。
俺は安堵しながら、メイの頭を撫でてやった。
「おはよう」
「んー、良い朝、というには少し遅い感じですね」
「ああ、そうだな。昨日が遅かったから」
「……っていうか、どうして私はご主人様と一緒のベッドに……?」
メイは思い出せないのか、頭を捻った。
城ではメイも個室を宛がわれているからだ。とはいえ、あれだけ幼児退行していたら一人で寝かせられるはずもないだろう。
「ま、久しぶりだし、たまにはいいかと思ってさ」
「そうなんですか? それなら良かったんですけど」
どうやら幼児退行していた時の記憶はないようだ。
ともあれ、すっかり目が覚めた。
俺とメイは身支度をさっさと整える。
「グラナダ様、メイ様」
入ってきたのは、老執事だった。
「陛下がお呼びです。謁見のご準備をお願いします」
「陛下が?」
「はい。重要なお話になるそうで。ハインリッヒ様もおいでになっています」
――ハインリッヒ。
その名前を耳にして、俺は目を瞠った。