第四十五話
「ってちょっと待て始めてからそんなこと言うんじゃねぇええええええっ!」
俺は当然のように抗議を上げるが、それで止められるはずもない。
既に魂の分離は終わっていて、後は見守ることしか出来ないのだ。
もしこれで失敗したら、全身全霊で殺しにかからないとな。
密かに魔力を研ぎ澄ませていると、ケモノの身体が急激に収縮を始めた。
同時に、その口から大量の瘴気が吐き出される。
うわ、なんか真っ黒でドロドロしてて、スライムみてぇ。
同時に、俺は本能の鳴らす警鐘のまま、研ぎ澄ませていた魔力をそいつに向ける。
すぐ近くにはポチがいるから、範囲攻撃は出来ない。だったら。
「《クリエイション・ブレード》」
地面から剣を作り出し、掴むと同時に俺はスキルを発動させる。
「――《真・神撃》」
駆け抜けたのは、光の軌跡。
刹那の間に瘴気を切り裂き、稲妻の破壊力の全てを伝えて消滅させる。
これで邪魔者はいなくなったな。
確認してから、俺はすっかり子犬サイズになったケモノを見た。
何かジタバタしてるのは、中でせめぎ合っているのだろう。少しずつだが、残滓のような瘴気が時々出てくる。これだけ少ないと、勝手に拡散して空気の中に消えるんだな。
じっと見守ると、やがてそれも終わった。
傍から見れば子犬が一人遊びに疲れて動きと止めたようにしか見えない。
だからって気が抜けないのが辛いとこだな。
気を引き締めていると、子犬はゆっくりと起き上がる。
「くぅーん」
「おお、鳴いた。いや、そうじゃなくて、ポチなら喋れよ」
俺は思わず警戒を緩めそうになってしまった。
すると、頭に何かが入ってくる。
『声を……届け……ことは……出来……が、……接…………話す………………は』
「出来ないってか」
強引にテレパシーを飛ばしてきたからか、かなり声が聴きとりづらい。
どうやら力を俺に残した状態で魂だけを飛ばしたかららしいな。あの子犬には力があまりないのだろう。
加えて、おそらく瘴気を追い出すのと身体を治すのとで力を使ったってのもあると思う。
仕方なく、俺はぐったりとしてる子犬を抱き上げた。
そして、驚く。
な、なんだ……!? このもふもふ感はっ!?
決して長毛種ではない。むしろ短毛だ。それなのにふわふわで柔らかい。しかも顔は、一年前にも見たポチそのもので、マメシバの顔そのものだ。
つぶらな瞳に、ちょこんとした丸みのある耳、鼻。太い四肢は短く、肉球もピンク色。
こ、これは違う意味で殺されるっ……!?
「い、一年前より可愛い……!?」
『一年……は……イメ……ジ…………た……から……な』
つまりイメージで具象化したのと、実際のとは違うってことか。
意訳しつつ、俺はポチを抱き上げて高い高いした。
その時、視界の端にウルムガルトが映る。あ、下ろすの忘れてた。
「よっと」
俺はウルムガルトを包む空気の膜を操り、ゆっくりと下ろす。急降下させると怖いからな。マジで怖いからな。何回フィルニーアにやられたことか。
ウルムガルトが着地したところで、俺は空気の膜を解放してやった。
すると、すとん、と座り込んだ。
あ、これまた腰抜かしてるな。
男なんだからそう腰を簡単に抜かすなよな。
俺は苦笑しながら手を伸ばしてやった。
「おい、大丈夫か?」
「へっ、ああ、うん」
ウルムガルトは、何故か顔を赤らめながら手を繋いできた。ってなんでだよ、キモいな。
思いながらも引き上げてやると、強すぎたのか、ウルムガルトは前のめりになって俺にもたれかかってきた。
「ひゃっ」
………………………………ひゃ?
とてつもない違和感に眉を寄せていると、ウルムガルトは慌てて俺から離れる。だが、悪手だ。
予想通り、ウルムガルトは尻餅をついた。
その拍子で、兜が落ちて、更に首に巻いていたらしいチョーカーが外れて落ちる。今回の戦いで大分緩んでたかもしれない。落ちたりとかしたし。
「あ、やばっ」
ウルムガルトはまるで女のような声でそう言って、慌ててチョーカーを拾う。
いや、っていうか、今の、まるっきり女だったよなぁ!?
俺は驚愕しながら褐色肌のウルムガルトを凝視した。
「な、なんだよ……」
何故かさっと胸元を隠しながら、ウルムガルトは不審な目を見てくる。
男だと思ってあまり良く見てこなかったが、小顔だし、目も大きいしまつ毛も多い。体つきも、服で隠しているようだが、手先とかからして華奢だ。
「お前、もしかして女?」
まさかのパターンで訊くと、ウルムガルトはびっくりしたように目を見開いた。
あーもう丸わかりだわ。
俺は確信を持ったというのに、ウルムガルトは誤魔化すように目を怒らせた。
「んなわけないだろっ!」
「いやだって声高いじゃん」
「これはまだ変声期が来てないだけ! 僕は男だ!」
「ほう、そう言うんだな?」
頑として譲らないウルムガルトに、俺は挑む様に見下ろした。
こういう時、どういえばいいのか、俺は知っている。
「な、なんだよ……」
「あくまでお前は男だっていうんだな?」
「そ、そうだ……よ?」
威圧を籠めて言うが、やはりウルムガルトは白状しない。仕方ねぇな。
「じゃあ、脱げ」
俺のその一言に、ウルムガルトが固まった。
「男なら脱げるよな?」
硬直するウルムガルトに近寄りながら言うと、ウルムガルトはその距離の分だけ逃げる。
だったら、と、俺は地面を蹴って一瞬で距離を詰めた。
「ひゃっ」
「どうした? 男だろ? それとも、女なのか?」
最後だと言うように詰め寄ると、ウルムガルトは顔を赤くさせながら背けた。
「そ、そうだよ……僕は、女だ」
観念したように、ウルムガルトはそう認めた。
俺はため息をついてから距離を取る。というか、ドキドキするから。うん。
だって、近寄ったら地味に良い匂いするんだぞ。これで緊張しない方がおかしいわ。
内心の動揺を抑えるように、ポチを胸前で抱きしめながら俺は口を開く。
「なんだって女って黙ってたんだよ」
「そ、そりゃあ、だって、商売するには、男って言った方がいいからだよ」
「まぁ、女の子なら舐められるってのは良く聞く話だけどさ」
予想出来過ぎた理由だったが、俺は呆れる。
確かに商売としての戦略上、男装する女性の商人がいるっていうのは、フィルニーアから聞いたことがある。それに関しては俺も納得するし、逆に女装する男の商人もいたりするわけで。
「だからって、俺にまで、しかもこんな状況で黙っててどうすんだよ」
こういってはなんだが、やはり男と女では対応が違ってくる。
さすがに男のつもりで実は女でした、ってのは致命的な場合があるのだ。その最たる例で言えばオーガだろう。女を見ればところ構わず犯そうとするのだ。しかも連中はフェロモンでそれを嗅ぎ取るので、見た目を隠しても一切無意味である。
そういう危険性が戦闘にはあるのだ。
俺はしっかりとそういう部分を指摘して説教してやった。
場合によらず命に関わることである。
「それは、そうだね、ゴメン」
すると、ウルムガルトは思いの他素直に謝った。
どうやら本気で反省しているようで、がっくりと項垂れている。あれだ、ここまで反省されるとちょっとこっちが気まずい。
「まぁ、分かったならいいけどな」
執り成すように言うと、ウルムガルトの目からぽろぽろと涙が落ちて来た。
は、ははは、ははははははい――――っ!?
がつーん、と心臓を俺は貫かれた感覚に襲われた。
「え、ちょ、え、ちょっと待って、え、ああの?」
「んぐっ、ひっくっ、うっうううっ」
「お願いプリーズ泣かないでプリーズ。とりあえず落ち着くんだプリーズ?」
俺は完全に動揺していた。全身から汗出てる。超出てる。もうヤバい。
いやいやだってそうなるでしょ?
いきなり泣かれてみなよ、本気で泣かれてみなよ、どうすりゃいいんだよっ!?
「ふぇぇぇぇぇぇん………」
あああああ、完全に泣かれたぁぁぁぁぁっ!!
「ああ、ね? ごめん、ごめん? なんか強く言いすぎちゃったな? ごめんな?」
「びええええええええええんっ!」
「なんでもっと泣くのぉぉぉぉ―――――――――っ!」
たまらず俺は頭を抱えた。
おかしい、おかしいぞ! 確かにメイも泣き虫だけど、こんな泣き方しないし!
どうすりゃいいの!? ほんっきでどうすりゃいいの!?
ただひたすらにあわあわとしていると、上空で気配が生まれた。
それは高速で接近してくるもので、ドラゴンのものだった。
ってことは、メイか、メイがくるのか!
俺は助けが来たと喝采し、顔を上げる。すると、ドラゴンにはメイ以外の気配が二つの他に飛竜に乗る気配が二つがあった。きた。これだけの戦力なら勝てる!
思いながら全員が来るのを待っていると、まずドラゴンがやってきた。
ひょこ、と顔を覗かせたのは、セリナとシーナだ。
「あら、あらあらあら?」
まず声を見せたのはセリナだった。
「良かった! 助けてくれ! セリナ!」
「あらあらあら?」
思わず助けを求めると、セリナは一瞬だけ困ったような表情を見せつつも、すぐに微笑んだ。
すると、シーナが雄々しくセリナをお姫様抱っこして跳躍、着地した。
おお、いつの間にそんな芸当が。
なんてほめてる場合じゃない!
俺は慌てて事情を説明する。
「いや、助けてくれ、ウルムガルトが商売ならいいけどこんな戦場でやられそうになってて女で叱ったら男と思ってたら!」
「よし言ってることが良く分からんぞ」
「私は分かりましたねぇ」
「分かったのか!?」
微笑むセリナへ、シーナが驚いて声を上げる。
「ええ。とりあえず、そこの男装している健康的なお肌の女の子を慰めれば良いのですねぇ?」
素晴らしい。さすが!
俺は何度も頷いた。
すると、セリナは心得たかのようにウルムガルトの元へ歩いていく。
そして優しく声をかけ、まるで魔法のように落ち着かせていく。
その手腕を眺めていると、ドラゴンが着地した。
メイの気配が背中から感じる。姿を見せてこない、というのは気絶しているのか。ってことは、アレをやったんだな。
そこまで読み切ったところで、シーナが声をかけてきた。
「無事だったようだな。とはいえ、すっかり破壊されてしまっているようだが」
焦げ臭い周囲を見渡しながら、シーナは難しい顔を浮かべていた。
改めて周囲を見渡すと、確かに凄まじい破壊の痕跡だ。その大半は《シラカミ》なんだけど。ともあれ、草は根こそぎ薙ぎ払われ、大量の魔物の死屍累々も広範囲へ散らばっている。これは掃除が大変だろう。
「まぁ、仕方ない。君が無事ならそれでいい」
「それはどうも」
「それで、だ」
シーナは難しい表情のまま、俺に抱きかかえられているポチを見た。
「そ、その、可愛いもふもふは、なんだ?」
俺は完全に脱力した。