第四十三話
空白の時間。
ただ一人、私だけは動いていました。
ためにためた力を解放し、私は矢となってキマイラに突撃し、その大剣でもって顔面を叩き潰してやります。舞った血飛沫は、それです。
「メイ!?」
「いきます!」
ぐちゃぐちゃになった顔面を容赦なく斬りあげ、私はキマイラを上へ飛ばします。
今、私の全身には炎が宿っています。まるで全身を燃やすように。
これがご主人様から教えてもらった必殺技です。
人間は普段から全身に魔力を循環させています。このおかげで私たちは体調を整えられています、その魔力の循環を感知し、強化したのが
今、私が行使しているのは、それに炎の魔法を加算して
私の適性は炎属性なので、こうすることでより身体能力が向上するのです。それだけでなく、魔力も格段に跳ね上がるのです。
もちろん負荷はそれだけ尋常ではないものになり、長時間の維持は出来ません。シーナさんの時限強化と似たようなものですね。
そして私には、この状態でのみ使える技があります。
私は大剣を翳し、その力を宿します。すると、黒い剣は一気に赤くなり、高密度の魔力を宿します。
「炎が効かないなら、風で」
私は静かに息を吸い、風を集めます。
自分の《レアリティ》は
ですが、スキルレベルを上げるのは簡単ではありません。
スキルレベルは四までは簡単に上がりますが、それ以上は一年で一上がれば良い方なのです。
事実、私は風のスキルレベルは五です。
しかし、この状態であれば、強制的にスキルレベル八の技も扱えるようになるのです。
「集え、風のもの。悪戯に優しく、撫でるように荒々しく、嘲笑うように切り刻む」
より力を集めやすいよう、私は呪文の詠唱を行います。
瞬間、呼応して風が渦を巻いて大剣に纏わりついてくれます。これを制御するのは非常に困難ですが、意識を集中すればなんとかなりました。
『グルルルルッ!』
空中で、キマイラが唸り声をあげてきます。
そこへ、私は跳躍して飛びかかります。音を置いて、キマイラに肉薄。否、追い抜かして上を取ります。
「《切り刻め》《運命の烈風》《極限に舞え》――――《絶風剣》!!」
解放したのは、無尽蔵の風の刃。それも一発一発が上級魔法の威力を誇ります。
これの本気を喰らえば、いくらキマイラでも散り散りになって消滅することでしょう。しかし、今回の目的はテイム。敢えて魔力をセーブして放ちます。
それでも威力は超絶です。
無数の刃は空間さえ歪め、音さえ排除してキマイラを切り刻んでいきます。
血飛沫さえ消炭にし、最後に風圧の炸裂音を轟かせ、キマイラは鮮血に染まりながら地面に叩きつけられました。凄まじい音が響き、地面にクレーターが出来ます。
『ッガッ……』
さすがに再生が追いつかないのか、キマイラが苦悶の声を上げます。
セリナさんはそこを逃しませんでした。
「《屈服》!」
全力でセリナさんが魔力をフェロモンに変化させます。
瞬間、再生を始めようとしていたキマイラが、びくん、と大きく身体を震わせて動きを止めます。
これは、成功した証拠ですね。
私は着地し、すぐに炎を拡散させていきます。
うっ……。かなり疲労、していますね。正直、辛いです。
たまらず剣を支えにし、私はその様子を見守ります。もしここで失敗すれば、今度こそ仕留めなければならないでしょう。あれ以上の出力なら完全に滅ぼす可能性が高い。
「――《主従》っ!」
その言葉は、まさに高らかな宣言のように聞こえました。
直後、キマイラの再生が再開されます。しかし、さっきまであった、睨まれただけで心臓が止まりそうな殺意は感じられません。
と、いうことは。
「成功、しましたねぇ」
さすがにほっとした様子で、セリナさんはそう言いました。
「本当か、セリナ!」
「はい、姉さん」
「よくやったーっ!!」
頷いた瞬間、シーナさんは全身がボロボロになっていたはずなのに、セリナさんに抱き付き、さらに高い高いしながら回転します。
おお、なんという力。
思いながらも私は微笑みます。ああ、本当に良かった。
私も大きく安堵します。
周囲にはまだ魔物が多くいますが、キマイラが倒れたことで戸惑いを見せています。それを感じ取った魔法使いさんも、大蛇も攻撃を止めていました。
一時的な、空白のような睨み合い。
セリナさんはすかさず動きます。シーナさんから解放してもらってから指を立てました。
「とにかく、魔物さんたちは帰ってもらいますね」
そう言って、セリナさんは再生の終えたキマイラに指示を送り、次々と魔物を下がらせていきます。
「よしよしよし、良くやったぞ、セリナーっ!!」
「きゃっ。もう、姉さんったら」
それを見届けたシーナさんが、再びセリナさんを抱き上げました。
正直、私もそこへ参加したいのですが、もう体が言う事を聞いてくれません。
ああ、このまま倒れたらご主人様に情けないとか言われてしまうでしょうか。
そればかりが不安になって、私はぐったりとしながらも足へ力を籠めます。
私は農奴でした。否、奴隷でした。
ろくにご飯も貰えず、ただひたすらに働かされ、時には寝る場所もなくて畑で寝て、コークスが金になると言われればひたすらに舐めて。
そんな、地獄の日々。
それから助けてくれたのはご主人様です。
だから、私は、ご主人様には嫌われたくありませんし、ご主人様のために命を使います。
ご主人様がカッコ悪いと思われたくないのです。
だから、私は、もっともっと強く――……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――シーナ――
ばたん、と地面に伏す音がした。
嫌な予感がして見やると、そこには倒れたメイがいた。
「メイッ!!」
「あらあら、これはいけませんねぇ」
私は慌てて駆け寄る。すると、近寄れないくらいの熱がメイから放たれていた。
恐らく、全身に纏った炎のせいだろう。
これは、マズくないか?
魔力の炎だからこそ外傷はなさそうだが、あれは体内を循環し、体調を整えるはずの魔力を強引に活性化させているものだった。相当にガタがきていても不思議はない。
そう考えると、私はすぐに行動へ移していた。
「回復魔法を……」
「姉さま、たぶんそれは無駄ですねぇ」
そんな私を止めたのは、セリナだった。
「むしろ、逆効果じゃないかと思います。今、不用意に他人の魔力で刺激したら悪化するかも……」
「そんな、それならどうすれば?」
メイは間違いなく今回の闘いの主力だった。
彼女がいなければ全滅も十分あり得ただろう。そんな功労者を失うのは余りに痛い。否、それだけでなく、彼女はグラナダの付き人なのだ。
こんなところで死なせて良い人物ではない。
その思いはセリナも同じだったようで、難しい顔を浮かべて何かを思案していた。
セリナは《ビーストマスター》としての能力を高めるため、魔法学を重点的に学習してきている。何か手立てはないかと探している様子だ。
「魔力の流れを正常化……いえ、それだけじゃあ足りませんねぇ……これは魔力の循環を……だから」
「だから?」
「彼女の全身に、魔力の吹き溜まりが出来ています。それが異常な熱源となっている上に、魔力の循環を阻害しているんですねぇ。それを除去出来れば、なんとかなるかもしれません」
その結論に、私は顔を青ざめさせた。
そんなことここにいる誰が出来ると言うのか。
「つまり、彼女の魔力の循環を感知し、いちいちおかしい部分を取り除いていくということか? しかも、魔力で阻害しないように」
とんでもない高等テクニックである。それこそフィルニーア様級でなければどうにもなるまい。
王国に戻って専門の治癒術師たちに診せれば可能かもしれないが、どうやって運ぶのか。
今は一刻を争うはずだ。
じりじりと焦れる中、気配は上空から生まれた。
「あれは……?」
夜空でも分かるような黒い巨体。爬虫類のような翼。そして、魂を震わせるような嘶き。
間違いない、ドラゴンだ!!
『グォォォオオオオオンッッ!』
私に見つかったことを怒ったのか、ドラゴンは高らかに嘶きを上げた。
その衝撃だけで私は呻き、膝をついてしまう。
まずい。これは、ひたすらにまずい!
焦燥の中、私は迫りつつあるドラゴンを見上げた。