第四十二話
キマイラの攻撃は一瞬でした。
地面を炸裂させ、驚く暇もなく肉薄してきます。ですが、見えています。
私は大剣を横ばいにし、繰り出された前足の一撃を受け止めました。回避は不可能です。
衝撃が剣を貫通してきます!
「ぐっ……!?」
思わず顔が歪みます。直接殴られた訳でもないのに骨が軋み、全身の筋肉が悲鳴をあげました。
このまま耐えるのは無理です。潰されます。
即座に判断した私は、武器を捨ててバックステップしました。
重い音を立てて剣はキマイラの前足によって地面に沈み、さらにキマイラが追撃とやってきます。
「させんっ!」
そこへシーナさんが突撃してきます!
刀には既に冷気を纏わせていて、絶対の氷がキマイラを横から襲いかかります。
音もなく、刀はキマイラの腹を切り裂き、さらに凍結──……させませんでした。
血液の代わりに噴き上がったのは赤黒い煙で、氷が蒸発していきます。
同じ属性だから分かります。あれは、炎!
「なんとっ!」
驚きながらもシーナさんは跳躍しながらキマイラとすれ違い、空中で何回も回転して姿勢を整えます。ですが、キマイラは関係ないとばかりに唸り、一気に空中のシーナさんへ向かいました。
でもそんなもの、させませんよ。
私はすでに魔力を高めています。キマイラは私に背中を向けています。代わりに大蛇がこっちを睨んできていますが、関係ありません。
「《フレア・バースト》!」
開放したのは炎の上級魔法。火炎をレーザーのように放ち、焼きながら薙ぎ払う荒々しい魔法です。
炎の光は瞬く間にキマイラの大蛇を呑み込み、さらに本体を抉ります。
爆発音を響かせ、キマイラは地面に打ち据えられました。
「……──効いてない?」
私は本能的にそれを察し、急いで大剣を回収します。
予想していたことですが、しかしこれは……。
私の戸惑いと同様に、シーナさんも驚愕しています。
おかしい、情報に寄れば、キマイラは炎に弱いはず。故に私が最前線に立ってダメージソースとなり、シーナさんがフォローに回ると言う手筈でした。
「これは、変異種ですねぇ」
指摘してくれたのは、他でもないセリナさんです。相変わらず微笑んでいますが、緊張感でも溢れています。
「炎に耐性を持つキマイラ……ちょっと危ないかもですねぇ」
正論です。
私は炎だけでなく、風もそこそこ使いこなせます。しかし、それでどこまでダメージ与えられるか疑問ですね。シーナさんが斬った部分も既に再生が始まっていて、傷口は塞がっています。
これは非常に厄介です。
ダメージソースである私の効果が期待値を満たさない以上、苦戦は必至。どうするべきか……これは思案せねばなりません。
というか、通常であれば撤退を視野に入れなければなりませんね。もしここにプロの
「援護を待つか?」
現実的な提案はシーナさんです。
この援護とは、後からやってくる兵士さんたちと、緊急クエストを受注した熟練の冒険者たちのことでしょう。
しかしそれは、同時にこのキマイラを諦めることになります。
魔物の群れの王たるキマイラは、間違いなく討伐対象で、殺すべき相手です。瀕死の状態に追いやってテイムするなど持っての他です。ましてそれが王族であるセリナさんともなれば、方々で問題が起こってしまうのです。
主に王国への信頼的な意味で。
王様がわざわざクエストを発注せず、ご主人様に今回の依頼をしたのは、その辺りが原因でしょうね。
「状況が許さないなら、それもやむなし、ですけどねぇ」
セリナさんは譲る感じではありますが、諦めるのはやはり悔しそうです。
まぁ王族ですし、王都への影響を懸念していらっしゃるのでしょうね。その辺りの思慮深さはさすがです。
「でも、テイムすれば学園へ入学しても有利ですし、王の信頼も高くなるんですよねぇ。王族の威厳が出るというか」
なるほど。
私は理解しました。
王国の政治基盤は磐石に近いものがあり、安定しています。発展した場所では魔族の脅威など微塵も感じられないぐらい治安も良いですし。
ですが、だからこそ火種というものはやってくるもので、王様はそこも心配しているのでしょう。
だからこそ、《ビーストマスター》という稀有な能力を持つセリナさんに活躍してもらうことで、威厳を示そうとしている。
「なんとかなりませんかねぇ」
そういうと、キマイラがゆっくりと体を起こします。
即座に私とシーナさんが構え、キマイラは警戒して唸りつつも距離を図ってきます。
「なんとか……なるかもしれません」
そう口にしたのは私です。
こういう状況に陥った場合として、ご主人様から対策を授かっていました。さすがご主人様です。知恵も回ります。
ですが、同時に少し危険でもあります。
「炎に耐性がある以上、それ以外で攻撃することになりますが、手段がない訳でもありません。少し時間を稼いでもらえれば、かなりのダメージを与えられる自信はあります」
何せこれは、ご主人様直伝ですからね。
「……どれくらいの時間だ?」
「約、二分ですね」
訊ねてきたシーナさんに、私は正直に答えます。
「長いな。私一人では抑えきれるかどうか……」
シーナさんは難しい表情で言います。
刀はすでに通常の状態に戻っていました。かなり消耗が激しいからでしょう。
シーナさんの強化術は、およそ一分程度が維持の限界と見ます。節約すれば二分持つかもしれませんが、それで対抗できるのかどうかを怪しんでいると思います。
周囲では魔法使いさんたちが飛竜を操りながら魔法を撃ち、魔物を近づけないようにしてくれていますし、地上では大蛇がたった一匹で魔物を圧倒しています。
「それでは仕方ありませんねぇ」
その中で、セリナさんは微笑みながら懐をまさぐり、二本の筒を取り出します。
それぞれ片手ずつ持ち、蓋を人差し指で外します。
にゅるり、と光が漏れ出て、それは一瞬で姿を象りました。
一つは、髪の長い女性の形をした水。
一つは、青白い体毛を持つ、キツネ。
図鑑で見た記憶が蘇ります。
確か、水の精霊、ウンディーネと、風の魔物、ウィンドフォックス。どちらも上級に迫る力を持つ魔物だったはずです。セリナさんがテイムしたのでしょう。
「最初に言いますねぇ。この子たちは前衛向きではありません。サポートに特化してるんです」
だから今まで出さなかったのでしょう。
それと、操作に力を行使することもあるのでしょう。おそらく、セリナさんはキマイラをテイムするために力を温存したいはず。残せる力と使える力を計算して、最大限の戦力を出したに違いありません。
ご主人様のように、無尽蔵に近い魔力があれば別なんでしょうけど。
しかし、そんな力がない以上、私達は出来る力で出来ることをするしかないのです。
「サポートがあれば……何とかなるかもしれんな」
「分かりました。ですが、初めに言っておきます。今から使う技は手加減といった繊細なコントロールはかなり難しいです。まだ使いこなせるレベルにないので。なので……」
私は剣を構えつつ言います。
「仕留めてしまうかもしれません。その時は許してください」
ハッキリと言い切ると、シーナさんは驚愕し、セリナさんも少しだけ目を見開きました。
おっと、唸っていたキマイラが戦闘姿勢を取ります。これはもう時間が取れませんね。
「それは仕方ありませんねぇ。まぁ、それはそれで王国が安泰に繋がるでしょうしねぇ」
「うむ。よし、やるぞ!」
セリナさんの許可が下りたところで、シーナさんが飛び出しました。呼応するように、ウンディーネとウィンディフォックスが左右に散開します。
同時に私はバックステップで下がり、意識の集中を始めました。
『ルガアァアアアアッ!!』
そして猛撃が始まりました。
シーナさんが刀に冷気を宿し、接近してきたキマイラを迎撃します。
横払いの一撃を、キマイラが跳躍して回避した刹那、ウンディーネが指先から水をレーザーのように放ち、キマイラの顔面を穿ちます。
生々しい音を立て、キマイラの顔面の半分が大きく陥没します。
しかし、すぐに再生が始まり、効果はありません。
そこへ、ウィンディフォックスが目にも止まらない動きで加速して跳躍、その身に風の刃を纏って突撃し、キマイラの横をすり抜けます。それだけで暴風が荒れ狂い、キマイラはあっという間に全身をズタズタに切り裂かれました。
でも、傷は浅い。
血飛沫が上がりますが、それもほんの僅かなこと。すぐに傷口が塞がります。
『ガァァァッ!』
それを良いことに、キマイラは強引な反撃へ出ます。自分の血を浴びながらキマイラはウィンディ・フォックスの尾を噛もうと牙を剥きます。
体躯で圧倒的でありながら、速度も負けていません。むしろ、速い。
「させるかぁっ!」
そこへシーナさんが駆け付け、刀で深々とキマイラを袈裟斬りで切り裂きます。さらに返す刀で前脚を完全に切断しました。
『ガァァァァアアッ!!』
そこへキマイラが足を再生させつつも牙をシーナさんへ向けますが、ウンディーネの放った水の弾丸を真横から喰らってバランスを崩し、地面に叩きつけられます。
傍から見れば優勢の戦い。ですが、実際はギリギリのギリギリ。いつこちらが負けてもおかしくありません。まさに綱渡りです。
それでも、シーナさんたちは果敢に攻め立て、キマイラを翻弄していきます。
ですが、それも長くは続きません。
『ッガァアアアアアアアアアッ――――――――!!!』
それは、ほんの僅かな隙でした。
連携が足りなかったのか、それとも疲れだったのか。ともかく、ほんの一秒程度の時間を手に入れたキマイラは、全身傷跡だらけになりながらも、咆哮を上げます。
それは強烈な衝撃波となり、周囲を叩きつけます!
「っがっ!?」
直撃を受けたシーナさんとウンディーネ、ウィンディフォックスが同時に吹き飛ばされ、地面に投げ出されました。
そこへ、キマイラが飛びかかります。まず、シーナさんから。
「姉さんっ!」
さすがにセリナさんが血相を変えて叫び、飛び出します。
しかし、このタイミングは間に合いません。
――ぶしゅっ。
と、血飛沫が舞いました。