第三十五話
牧歌的な道。
ファルムート領は基本的にのどかな領地だ。ごく一部を除いて。
それが、ちょうど今、僕が通っている道からそれた森の奥にある、田舎村という場所だ。
ここは少し前に魔族の襲撃にあい、汚染されてしまったそうだ。あのハインリッヒ様が駆け付けなければならない事態だったらしく、辛うじて村一つ沈むだけで済んだけど、下手したら国が一つ滅びてもおかしくない大災害の元だったとか。
まぁそれを解決したハインリッヒ様は凄いよなぁ。
ともあれ、その田舎村は今じゃあ進入禁止。危険な魔物も潜んでるって噂になって、誰も近寄らなくなってしまった。命知らずな冒険者は挑んでいっているようだけど。
ああ、そうそう。僕はウルムガルト。
行商人としてデビューした新人だ。一人で行商するっていうのは、一人前の商人として認められるってことで、僕としては気合が入っている。
荷駄は砂糖に塩、酒、小麦。それと少しばかりの特産品と、どこへいっても需要があるものだ。これで失敗したら本気でシャレにならないし、商人としての才能は皆無としか言いようがない。ついでに、相場がほぼ固定している中で、それ以上に儲けを叩き出せれば商人としての才能があるってことだ。
そんなわけで、僕は相棒のロバ助と一緒に道をひた進む。
ぽかぽかして陽気な中、草原は鮮やかな若緑に映えていて、空気さえ綺麗に思える。
小鳥の囀りなんかも聞こえたりして、思わず鼻歌でも、と気分になる。
「……あれ?」
僕が変なものを見つけたのは、そんな時だった。
良く目を凝らすと、道端で何かが、というか、誰かが倒れている。行き倒れか? それとも死体か?
死体だとしたらフレッシュだ。もしかしたら商品になれるものを持っているかもしれない。
汚いと言うかもしれないが、これも商人として生き残る術だ。商品もただ朽ち果てるより幾分かはマシと思ってくれるだろう。
僕は早速その行き倒れの人間の場所へ駆けつけた。
おや。まだ子供じゃないか。
倒れているのは少年と、それよりも若い少女。
恰好からして冒険者見習いといったところだろうか。おそらく魔物にでも襲われて力尽きたのかもしれない。
僕は一度、供養のために手を合わせてから、そっとうつぶせに倒れる少年の物色から始めようとして。
ぐぎゅるるるるるるるぅぅぅぅ。
と、なんとも間抜けな音を耳にした。
…………………………はい?
「ぅぅ……腹……減った」
混乱する僕の傍にて。弱々しい声で、少年はそう言ったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ばぐっ。はぐはぐはぐっ。もっぐもっぐもっぐ。ごくん。
がつがつがつがつ。ばくばくばくばくばっくん。ごくん。
ピクニック日和の草原で、少年と少女はパンを貪り喰っていた。よくこれだけ食べて喉を詰まらせないなぁと思う。あ、今詰まらせた。
仕方なく紅茶を渡すと、少年は会釈してから受け取り、一気に飲んで流し込む。
「ぷっはー。ああ、生き返った」
とても満足そうに、オレンジにも見える茶髪の少年は息を吐いた。
「ありがとう、商人のお兄さん」
「そりゃどうも。僕としては払うもの払ってもらったから良いんだけどね」
笑顔で言う少年に、僕は愛想笑いで返した。今、僕の両手には抱えるくらいの大きさの、ガーネットの原石がある。ここから研磨していくので、どれくらいの価値になるかは分からないけど、彼らに分け与えた食料以上の価値にはなるだろう。
こんなものをどうして子供が持っているのか、全く想像がつかないけど。
一応、《鑑定》スキルで呪いの類がかかっていないかを確認する。これ、結構な純度だぞ。良い値になる。僕は荷駄に詰めた。
僕はこれから王都へ向かう。そこで宝石商に売ればいい。
とりあえず子供たちは無事っぽいけど、なんか心配だなぁ。
「ところで、君たちはどうしてあんなトコで倒れてたの?」
親切心で、僕は事情を訊くことにした。
すると、少年は困ったように苦笑し、少女はどこか咎めるように少年を睨みつける。
「いやあ、あはは。ちょっと魔法で失敗しちゃって、それで」
「魔法? 君、魔法使いなの?」
それにしては随分と軽装だ。
僕の知る魔法使いといえば、ローブに身を包んで、
だが、少年はロングスカーフで顔の半分を隠している以外は、軽戦士のそれだ。むしろそれよりも軽いくらいだ。武器は剣だし。
一方の銀髪が美しいセミロングの少女も軽装だ。ブレストアーマーは装備してるけど、それだけだし、何より武器が大剣という歪さ。こんなの振り回せるのか?
「で、その魔法使いと――」
「私は戦士です」
「……戦士さんは、この辺りに住んでるの? もしそうなら家に送るけど」
しれっと言う少女の言葉を使って、訊く。
「まぁ確かにこの辺だけど、家に帰る予定はないんだ。しばらくは」
「それって家出?」
探るように言うと、少年は「まさか」と苦笑してから否定する。
「学園に入学するんだ。
その単語を聞いて、僕は目をみはった。
この子たちは、そこを狙っているのか。
かの高名なハインリッヒ様もこの学園出身だ。他にも、多くの有名人を輩出している。
「そうか、じゃあ王都へいくんだね」
「うん。まぁ、道に迷ってるんだけどね……」
苦笑する少年に、僕は呆れた。
ホントに大丈夫なのか、この子たちは。
心底心配になりつつ、僕はガーネットの原石を思い出す。ああもう、仕方ないな。情けは人のためならず。って言うしね。
「君から貰ったガーネットの原石だけど、食事代にしては少し過ぎた代価だと思うんだ」
僕は愛想笑い浮かべる。笑顔は商人の最大の武器だ。
「君たちは学園へ入学しようとしてるなら、少しくらい腕に覚えがあるんだろう? だったら、王都までの護衛を頼めないかな。こう見えて僕は新人商人なんだ」
「マジで! メイ!」
「ええ! やりましたね、ご主人様!」
僕の申し出はやはり有り難いらしい。二人は目に見えて喜びながらハイタッチした。
まぁ、学園の入学を狙うのであれば、そこそこ実力はあると思っていいだろう。レアリティも高いはずだ。そもそもこの辺りの治安は非常に良くて、護衛を頼む必要もないのだけど。
「じゃあ王都までということで。オッケーかな?」
「もちろん!」
自信満々に胸を叩く少年を、僕は笑顔で見守った。
それから食事を早々に済ませ、僕たちは次の村へ向かうことにした。野宿はさすがに危険だ。
少し急ぎ足で向かうことにしたのだけれど──。
「へいへいへいへーい。ちょっとそこの小僧ども。いいから黙って有り金差し出せや」
見事に野盗様に絡まれました。
しかも相手は二〇人近い集団。更に頭領らしく、顔に幾つもの傷跡を残す男は、ワイバーンにまたがっている。
これは詰んだ。
ワイバーンは亜種とは言え、ドラゴンだ。まともに戦って勝てる相手じゃない。それにあのワイバーン、鱗が赤い。ワイバーンでも特に凶暴で、炎のブレスを吐く戦闘特化種だ。
どこでどうやって手に入れたか知らないけど……。
ともあれ、逆らったらまず命はないと思って良い。
僕はちらりと左を見て、少年たち──グラナダとメイの様子を確認する。さぞや恐怖に怯えてるだろうと思ったけど。
なんか全然フツー、っていうか、え、むしろシラけてる?
メイは凄くつまらなさそうに半目で見てるし、グラナダに至ってはあくびしてる始末だ。え? 命惜しくないの?
ああ、ほら見てよ、明らかに野盗の頭領が顔をひきつらせて不機嫌になってるじゃないか。
「ちょ、ちょっとグラナダくん、メイちゃん」
思わず僕は無声音で注意した。
けど、二人に反応はない。
「おいクソガキ。ガキだからって容赦はしねぇぞ、俺は」
「はぁ」
「なんだその生返事はァァ! アニキが喋ってくれてんだ、しゃんと返事しやがれぇ! ワイバーンに食い殺されてぇのか!」
グラナダの返事に、とりまきが大声を出して咎める。
けど、当のグラナダに改める様子はない。むしろまたあくびをする具合だ。
「食い殺す? 誰を?」
グラナダはつまらなさそうに言う。
「分かってんのかテメェ。こいつはレッドワイバーンだ。ワイバーンの中でも最強の種だぞ!」
「うん。それは知ってる」
グラナダは頷きながら、おもむろにワイバーンへ近寄っていく。そして、あっけらかんと言いきる。
「けど、スッゲェ弱いな、そのワイバーン」
と。もはやケンカ売ってる以外のなにものでもない。
「んだとコラァァァッ! この俺のワイバーンにケチつけてんのかクソガキィィィィ!」
「事実だろ? ちゃんとした餌あげて、然るべき訓練施してないからこんなひょろっちいのになるんだよ」
ああ、野盗の頭領の血管がぶちぶち切れるのが聞こえてくるようだよ。
正直めっちゃ恐い。あの野盗の頭領自身もレアリティが高いのだろう、強者の感じがする。
「というわけで──……」
グラナダは、なんでもないと言うように、ワイバーンの自慢としている、鼻の上の角に触れた。
ってそれはワイバーンへの最大の侮辱! 死ぬぞ!
僕が咎めるよりも早く、ギラリと目を光らせたワイバーンが凶悪に口を開く。
だが。
まるで石化でもしたかのように、ワイバーンの動きが止まった。
な、何が起こってるんだ……?
「《屈服》」
ただそう言うだけで、ワイバーンが口を閉じる。
それどころか、伏せまでして従う始末だ。ってまったく意味が分からないんだけど。でも、もっと困ってるのは野盗の頭領の方だろう。
「は、ハァァ!? おい、クラス、何やってんだ!?」
手綱を引きながら野盗の頭領は怒るも、ワイバーンは一切の反応を示さない。
「ふーん。小さい頃から育ててたっぽいのに、全然絆が感じられないな。大事に育てないからそうなるんだぞ。というわけで、コイツは解放してやることにするよ。――《威嚇》」
瞬間、ワイバーンが明らかに恐怖したのを、僕でも分かった。
ワイバーンは凄まじい勢いで手綱を引きちぎり、野盗の頭領を振り落としてから空へ飛び逃げる。
野盗の頭領は辛うじて受け身を取り、慌てて立ち上がってワイバーンを呼ぶが、届かない。あっという間にワイバーンは広い空へ消えていった。
「ど、どういうことだよ……」
戸惑う野盗の頭領に、グラナダは笑顔を向けた。
「まぁ単純に言うと、俺、《ビーストマスター》なんだよね。だからアイツはそれに従っただけ」
「んなっ……!?」
「その上で、俺、今は護衛なんだよね」
自分で指さしながら、グラナダは笑った。
「ってなワケで、ぶっ飛ばされてくれ」
「な、なな、なめんなゴラァァァアァアアアアッ! おい野郎ども、構うな、全員ぶっ飛ばせ!」
血管が全部ぶちギレたかのように、野盗の頭領が叫び、一斉にとりまきどもが動き出す!
「ひゃあああああっ!?」
思わず僕は悲鳴を上げた。あ、しまった。ひゃああ、とか言っちゃった。マズい、かな?
すると、メイがすぐ傍にやってきて耳打ちした。「大丈夫ですよ」と。
あ、たぶん大丈夫。よし。
「メイ、そっちは頼んだぞ」
「はい! ご主人様!」
言うなり、メイが大剣を抜いて構え、そして跳んだ。
本当に一瞬でこっちに走ってくる野盗どもに接近し、横薙ぎの一閃でまず五人くらいを纏めて斬り飛ばす。しかも笑顔で。メイは更に特攻し、四人を同時にぶっ飛ばす。え、やだ。ナニコレ。
全員が驚愕する中、唯一グラナダだけは平然としていた。
「ということだから。《エアロ》」
ぽつりと言った直後。
ずっがああああああんっ!!!
と、とてつもない爆発音を轟かせて、野盗どもは全部ぶっ飛んでいった。もはや悲鳴も聞こえない。
たったの魔法の一撃で。
「………………………………はい?」
僕はもう、ただただ唖然とするしか出来なかった。
なんだ、なんなんだ、どういうことだ、なんなんこの二人。
強すぎるにも程があるでしょ。
茫然としていると、グラナダが安堵するようにため息をついて、こちらを振り返った。
「なぁ、ちょっと聞くんだけど、そのロバの馬車で王都まで行くとして、どれくらい時間かかる?」
「え? あー、まぁ大体、二週間と三日くらいかな? フツーの移動用の馬車なら二週間くらいだろうけど」
僕のロバはそもそも荷物持ちとしての相棒であって、移動用の早い足じゃあない。それでもまぁ僕が歩くより速いから移動でもお世話になってるけど。
後、移動用の馬車も常に走ってるわけじゃあない。あくまで負担が掛からないように、早歩きくらいの速度で動くのが基本だ。走って移動するのは早馬である。
「長いな」
「けど、他に移動手段ないし」
「いや、あるよ。今から呼ぶから。荷物もソイツに持たせればいいでしょ」
そう言って、グラナダは指笛を鳴らした。
ぴゅーいっ、と甲高い音が鳴って、まつことしばし。
やってきたのは、ワイバーンなんかメじゃないくらい大きいドラゴンだった。
「コイツに乗れば、もっと早く行けるだろ。道案内はお願いな?」
そう言われ、僕はただ顔を引きつらせるしかできなかった。
ああ、神様。僕はとんでもないヒトを護衛にしたのかもしれません。