第二十七話
丸太小屋から村までは、およそ二キロ。今の俺なら数分で到着できる。
小屋で装備を整えた俺は、
「ご主人さま、はやーい!」
驚きに目を見開きながらメイは言う。少し興奮しているようだ。
村はどんどんと近づいてきていて、同時に猛烈な火事の様子が見えてくる。田舎村は人口にして五〇〇程度の小さな農村だ。故に、これだけの大火となると、村のほぼ全域が燃えていると思っていい。
これは、かなりマズい状況だぞ。
俺は焦りを覚えていた。
魔物の襲撃で火事になるのは、火矢などで抵抗したか、火を使う魔物の仕業か、もしくは火を使っていた時に襲われたか。
こんな深夜に火を使って何か作業するとは思えないし、火矢なんて武装、田舎村にはない。そもそもこの村には軍が存在しないのどかな村だ。
と、なると、火を使う魔物の仕業になる。
そこから考えると、村には既にかなりの被害が出ていると推測出来た。
冗談ではない。
あの村は現世じゃあ考えられないくらい良い村だ。素朴でのんびりとしていて、時間の流れさえゆっくりに感じる。だから隠遁生活を俺は望んだんだ。
そんな村が消えるなど、断じて否、だ!
そう思うと、自然と身体に力が入り、俺はさらに加速した。
「…………っ! ……っ!」
「……っ。……………………っ!」
火の手の熱が少しずつ感じるようになると、どこかで爆音を響かせていた。その風に乗って、言葉になっていない喧噪の声が届いてくる。間違いなくフィルニーアの魔法と声だろうが、一方的な様子ではない。
何か、言い合っている感じだ。
あのフィルニーアと言い合っている、となればただ事じゃあない。俺は即座に魔力を高めていく。
「メイ、戦闘準備だ。俺のサポート頼む。けど、絶対に無理だけはしてくれるなよ」
「はいっ!」
返事を聞いてから俺はメイを下ろし、ごうごうと燃えたくる村へと入った。
村の家という家は燃えていた。
既に崩れ落ちている家屋もあって、いかに凄まじい燃焼であるかが分かる。月明かりが届かないくらい火の明かりは赤く周囲を照らしているのに、人影はまるでなかった。
くそっ、誰か生存者は――、うっ!?
異変を感じたのは、一瞬だった。
――どくん、どくん。
心臓が嫌に高鳴って、身体中の毛穴が開くようなざわざわした感覚。そして、根底から沸き上がってくるかのような感情。胸が痛い程苦しくなるのに、焼き焦がれるような、居ても立っても居られないような感覚。
そうだ。これは、悲しみと怒りだ。
どうしてそれを感じるのか分からない。だが、それに戸惑う余裕もない。
「ご主人さま!」
メイの警告を聞くよりも前から気付いている。
さっきまで影一つ無かったはずなのに、どこかからか魔物が沸いてきているのだ。
それも一匹や二匹ではない。何十と、だ。
魔物の種類はゴブリン、ホーンラビット、コボルト、クラッシュ。この辺りに棲息してる連中ばかりだ。だが、いつもとは違う、異常な威圧感を覚える。
連中は俺たちを囲うように間合いを詰めてきていた。
「な、なんだか、すごいイヤな感じがする……」
じわりと下がりつつメイは剣を抜き構えるが、怯えが出ている。
どいつもこいつも目がイッてやがる。狂気薬なんかじゃない、本気でヤバい目だ。睨まれただけで命を奪われるんじゃないかと思うぐらいの敵意で満ちていた。
「メイ、俺から離れるな!」
そう指示を出した直後だ。
最前面に出ていたゴブリンたちが一斉に躍りかかってくる。武器なんてない。その爪と牙で襲いかかってきていた。
ムチャクチャなのに早い! なんだ、筋肉のリミッター外してんのか!?
凄まじい速度での接近に一瞬驚いたが、俺は既に魔力を高めている。
「《エアロ》っ!」
ある程度接近させたところで、風をゴブリンどもの足元で吹き荒れさせる。
ブラックドッグほど軽いワケじゃない連中を風で打ち上げようとしたら、かなり範囲を狭めないといけない。それだと突破を許す。
だから、足元をすくうだけにしたのだ。
案の定、ゴブリンどもは足を風にさらわれてバランスを崩して転げる。そして、後ろから迫ってきていた第二陣がそのゴブリンたちに引っかかってまたこける。
よし、ここで《ベフィモナス》を発動させて、ありったけ串刺しにしてやる!
思って魔力を高めた矢先だった。
「後ろっ!」
気配に気づいたメイが後ろを振り返り、火剣を振るった。
すぐ背後まで迫ってきていたのは、コボルトだ。こちらはナイフを持っている。
「くっ!?」
メイの迎撃は一匹目のコボルトの腕を切り落とした。だが、左から踊るようにコボルトが襲いかかり、メイはそれに反応を遅らせる。
まずい!
俺は即座に魔法を変更した。
「《エアロ》っ!」
凶悪な風圧がコボルトの上から襲い掛かり、一瞬でプレスして骨も微塵にするほど押し潰す。
ぐちゃ、と生々しい音と血が飛び散るが、構っていられない。
「るがぁっ!」
肘から先を切り落とされたコボルトが、痛みなど関係ないと叫ぶようにメイへ飛びかかる。
メイは必死に剣を横薙ぎに振るい、コボルトの脇腹を深く切り裂いた。だが、その刃が途中で止まる。
コボルトは大量の血を腹から流しながらも、残った腕でメイを襲う!
「《ベフィモナス》っ!」
地面を槍に変化させ、そのコボルトを串刺しにしてメイを助ける。
だが、それで、前方のゴブリンたちが立ち直ってしまう。あれだけ団子になっていたのに。
まずい、あの大群を捌くのは魔法じゃあ無理だ。
俺の手持ちの魔法は、どこまで言っても初級魔法を裏技(ミキシング)でアレンジして無理やり幾つも重ねて強化しているに過ぎない。つまり、威力を求めれば範囲が狭まり、範囲を求めれば威力が下がる。
確かにレベルも上がって、その合計値も上昇しているから前よりマシだが、それでも、だ。
くそ、アレしかないか。
迷っている暇はなかった。俺は即座に意識を切り替える。
「薙ぎ払え、――《神威》っ!」
ごっそりと魔力が吸われ、腕に集中する。一瞬目眩がしたが、俺はなんとか踏ん張って腕を払った。
直後、とんでもない稲妻が周囲に撒き散らされる。
容赦なく切り刻まれた空気が悲鳴をあげ、ひび割れるような無数の軌跡が刹那にして魔物たちを屠っていく。一条の雷に貫かれれば、もうそれだけで炭化してしまう。
それだけの威力が、周囲に展開したのだ。
僅か数秒で、俺たちに迫ってきていた魔物の群れは消え去った。
でも、これで終わりじゃあない。
俺はすぐに後ろを振り返った。そこには、やはり魔物の群れ。いつの間にか迫ってきていたらしい。
だが、奴等の様子は少し違った。
《神威》の威力に驚いたのか、恐怖を抱いたのか、目の色が戻っているのだ。どうやら何者かの支配から解放されているようだ。もちろん、一時的にだろうけど。
これなら、もしかして。
俺は直感に従って、魔力をフェロモンに変化させる。もう一度支配される前に俺が支配したら、どうなる?
「「「っ!?」」」
俺の《屈服》に反応を示したのは、七匹のゴブリンだった。
ちっ。あれからも訓練してたけど、同時に放つのはこれが精いっぱいか。
悔やんでいる余裕はない。俺は即座にフェロモンを《主従》に切り替え、支配権を奪う。
「――やれ。お前たちの周囲は、俺たちの敵だっ!」
号令一下、ゴブリンたちが一斉に牙を剥く。すぐ隣にいる、同士に向けて。
魔物たちからすれば突然の裏切り行為だ。当然のように混乱が起こり、それは集団心理的に伝播して、あちこちで同士討ちが始まった。
これで時間を稼げる上に、数を減らせる。
ホント、《ビーストマスター》の能力はえげつない。さすがS級アビリティだ。
俺は少し安堵しつつも、ごっそりと減った魔力のせいで膝をつく。《神威》にしろ、フェロモンにしろ、結構魔力を食らう。
僅かだが時間が出来たことを察したのか、メイが俺の傍に寄り添う。
「ご主人さま、これ」
差し出してきたのは、薬草を煎じたらしい瓶詰の液体だった。
「魔力水? すまん、助かる」
俺は正体を見破ってからすぐに口をつける。瞬間、甘みと苦みと辛みが波のようにせめぎ合って襲ってくるが、魔力が一気に回復していく。
相変わらずくそマズい。けど、今はこれが生命線になるな。
ちらりとメイを窺うと、バックパックにはそれなりの数の水を入れてきているようだった。
活力を取り戻した俺は立ち上がり、同士討ちで混乱する魔物の群れに意識を向けつつも周囲を見やる。
「ほっほっほぉーう。バリケードとして用意していた魔物をこうまで屠るとは、やるじゃないか、少年」
しゃがれたような、どこか不快を覚える男の声がした。
警戒を最大にして身構えると、火柱のように燃え盛る火から、それは姿を見せた。
でっぷりと太った中年体型。顔つきはまさにウシガエル。だが、身に付ける服や靴は成金趣味的に豪華で、手にはワイングラスを持っていた。
この異世界で、造りの良いグラスを持っている、ということは、自動的に金持ちである。
だが、ただの金持ちがこんな火事場にいるはずがない。
俺は警戒心を一切緩めることなく相手を睨みつける。それ以上に反応を示したのは、メイだった。
「あ。……あ。ああっ!」
指を向け、メイは恐怖を貼りつかせて強張った。
尋常じゃない反応は、トラウマをフラッシュバックさせているようでもある。
って、まさか。
俺はメイから中年男へ視線を戻す。
中年男は、メイを認めると、不気味なまでに笑顔をその醜顔に刻みつけた。
「久しぶりだなぁ、メイヤー。我が農奴の一人」
ねばつくような声は、いたぶる感情で満ちていた。
「覚えてるだろう? 貴様の主、アガルバス様だぞ」
やっぱり。
俺は答えを知って得心した。
メイをさんざん苦しめたスフィリトリアの地主。反乱軍にも参加していた罪人。
――アガルバス。