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第二十六話

「死ねぇっ! ハインリッヒ・ツヴェルター!」

 深淵の闇が飛んでくる。それも一方からではない。上下左右、全方位からだ。
 その形状は、剣、槍、弓、弾、と枚挙に暇がない。だが、そのどれもが僕を貫くことはない。

「《聖者の理、聖骸の願い、我を守り給え》」

 静謐に唱えると、僕の周囲に青い球体が形成される。
 防護呪文の極大、それも特別な詠唱つきだ。《神に愛されるもの》という固有アビリティを持つ僕だからこそ展開できる魔法でもある。
 命を容易く蝕む深淵の闇は、傷一つ付けられることなく消滅していく。
 僕はその中で、ただ一点を睨んでいた。

『はははははは! さすが現世最強と謳われる勇者だけある! その強さ、まさに本物!』

 稲光走らせる黒雲を背景に、空で悪魔の羽根を展開する一本角の、ヒトのカタチをした異形。
 ――魔族だ。
 この世界の仇敵にして、元凶の原罪。
 僕たち転生者がこの世界に送り込まれる要因となった存在だ。

「だったら、とっとと沈んでくれると嬉しいな」

 僕はフラットに言ってから、剣を構える。特に豪奢な唾飾りなどされていない、実剣だ。
 そこに力を籠め、稲妻を纏わせる。

「《神の鉄槌、裁きの象徴、穿つ刹那の閃光》」

 一撃で町一つ焼き払える程の威力の籠めた稲妻が迸り、魔族へ向けて打ち放つ。
 光の速度で奔るそれを、魔族が回避できる術はない。

『あぎゃあああああああああああああっ!?』

 閃光に穿たれ、焼かれ、弾かれ、魔族は苦痛の悲鳴を上げる。
 これだけの一撃で断末魔にならないのだから、その生命力には感服するあまりだ。
 だからって許すわけでも見逃すわけでもないのだけれど。
 僕はそのまま空中を《蹴って》加速する。それを何回か繰り返せば、もう超音速の世界だ。
 極大の稲妻に貫かれ、身体中から煙をあげて空中を漂う魔族に、僕は剣を向ける。だが、その一撃は魔族の腕に受け止められた。
 身体を魔力で硬化させたか。
 だが、この剣もナマクラではなく、現世における最上位の存在だ。魔族の硬化などに屈しない。

『っぎぃっ!?』

 ビシ、と、魔族の全身に亀裂が入る。
 すかさず僕は魔族に蹴りを叩き込んで蹴り飛ばし、体内に魔力を集中させた。

「《聖者の怒り、激昂の涙は蒸発し、ただ罪だけが清められる》」

 放ったのは、キラキラと光の残滓を残す炎だ。
 まるで不死鳥を象るように炎は放たれ、音速にいる僕よりも早い速度で魔族を襲う。

『ぐがああああああああああああああああっ!』

 またも上がる、この世の不快音の全てをかき集めて一斉に鳴らしたかのような悲鳴。
 だが、これも断末魔にはならない。
 さすがにしぶとい。

「いい加減諦めたらどうだい? 君では僕に勝たない。さっさと滅びる方が、苦痛も少なく済むと思うのだけれど」
『ぐ、ぎ、かかかかかっ! 人間風情が、この魔族に説教とは!』

 魔族は燃え盛る全身から闇を醸成し、強引に炎をかき消す。とんでもない荒業だ。

『だが、まだ滅びるワケにはいかないなぁ! この俺の使命はただ一つ。貴様の足止めだっ!』
「!」

 魔族の全身から闇が放たれ、それはシャワーとなって僕に降りかかる。
 瞬時に防護呪文を唱え、その雨をやり過ごす。一撃でも喰らえば、僕でもただでは済まない威力だ。
 だが、それどころではない。
 この魔族は上位魔族だ。そんなヤツが、僕の足止めを使命だと言う。つまり、コイツに命令できる更なる上の連中が動いている、ということだ。そうなれば、奴らの狙いは別のところにある。

 これは、もしかして、神託の影響かな?

 僕は時折だが、夢で予知的な神託を受けることがある。その時はその通りに僕は動くようにしている。そうすれば、一番良い未来が待っているからだ。

「僕を足止めをするだけに、まさか君は作られたのかい?」
『答える義務はないなっ!』

 つまり図星ってことだね。
 僕は黙って流しつつ、そう断じた。もし嘘だったなら汚い言葉で強かに罵倒してくるからだ。

「じゃあ答えなくて良いけど、でもね、君の上司の狙いはたぶん成就しないよ?」
『なんだと? どういうことだ、人間風情が!』
「それこそ答える義務はないかな」

 しれっと返してやって、僕は剣を構える。
 どうあれ、魔族は危険な存在だ。ここで始末するに限る。
 僕は空中で加速し、魔族へ向かった。

 願わくは、彼に幸あらんことをと願いながら。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 その晩、俺は妙な胸騒ぎで眠ることが出来なかった。
 生まれつきだろう、寝つきが良くないのは常なのだが、ここまで眠れないのは珍しい。まるでとてつもなく良くないことが起きそうな気がする。

 俺はその予感に突き動かされるまま、ベッドから出た。

 スフィリトリアから帰還して三週間が経過した。
 俺にとっては平穏な生活が戻ってきてほっとしている反面、付き人になったメイやペットになった白い子犬、ポチの世話に追われている。

 まぁ楽しい限りなんだけど。

 でも、この胸騒ぎはなんだ?
 俺は胸の苦しさに喘ぎ、冷たい水を求めて外に出た。水瓶の水じゃあちょっと温い。井戸水の方がいい。

 井戸は丸太小屋から少し離れたところにある。

 そこまで歩いて、俺は気付く。
 どうしてか、いつもより明るい気がする。月はいつもと同じようなのに。

「…………あ」

 異変を感じようと周囲を見渡して、ようやく気付いた。
 赤い。森から村へと続く曲がりくねった細い道の向こう側が、赤い。ぞく、と、背筋が凍る。

 ──あれは、燃えている!?

 驚愕に目を見開いて動く。すると、気配が生まれた。明らかに好意的なものではない。
 咄嗟にその場から飛び退くと、荒々しく削っただけの木の槍が地面に突き刺さった。同時に、その気配が木陰から飛び出してくる。

「ッギィ!」

 ゴブリン!
 薄明かりの中、俺は正体を見破りながら魔力を高める。

「《フレアアロー》!」

 即座に裏技(ミキシング)でアレンジし、マグマのような火矢を放つ。一瞬の蒸発で、ゴブリンは姿を消した。

 けど、コイツだけじゃあない!

 探知魔法を使わなくても分かる。このささくれたつような敵意。
 身構えると同時に、ゴブリンどもが一斉に姿を見せる。どいつもこいつも目が濁って焦点が合っていない。
 もしかして、また狂気薬か、と疑ったが、どうにも違う。というか、全体的に纏っているオーラとも言うべき雰囲気が違う。

「試しにやってみるか」

 俺は独りごちてから、魔力を変換して《屈服》を発動させる。だが、電気が走ったような音を立てて弾かれた。

 ──これは、すでに誰かの手によって支配されてる!

 それも俺よりよっぽど上位の《ビーストマスター》の手によって、だ。
 俺は即座に魔力を高め、ゴブリンどもと距離を取る。数にして二十はいるはず。油断できる数の差ではない。
 ここは魔法で足を止めてから仕留めるのが最良か。そう判断した矢先だった。

「《エアロブルーム》」

 発動したのは、暴力的な風の塊だった。次々とゴブリンどもが骨が折れ、へしゃげる音をたてながら吹き飛ばされていく。
 こんな芸当出来るやつなんて一人しかいない。
 俺はすぐに見上げた。

「フィルニーア!」
「まったく、騒々しい気配を感じたと思ったらこれかい! グラナダ、まだくるよ!」

 箒に股がりながら、フィルニーアは険しい表情で吠える。
 示すように、木陰から何かが飛び出してくる。
 薄明かりに紛れるような黒い流線型、獰猛なうなり声と牙。

「ブラックドッグ!?」

 俺は咄嗟に背後へ跳びながら叫んだ。
 (ドッグ)と名はついているが、狼よりも危険な種族だ。魔獣と呼ぶに相応しい運動能力に、ただでさえ威力が高いのに命を蝕む闇の呪いを宿した爪と牙を持つ。性格は言わずもがな超攻撃的。

 こんな魔獣、どっからわいてきやがった! この森は棲息圏じゃないだろう!

 愚痴ってても仕方ない。俺はすぐに魔力を高めた。

「《エアロ》!」

 放ったのはただの強風だ。だが、しっかり裏技(ミキシング)でアレンジし、上昇気流のように渦を巻きながらブラックドッグの腹から突き上げてやる。

 まともにぶつけても突破されそうだし。

 狙い通り、飛びかかってきていた三匹のブラックドッグを高く打ち上げる。すかさず次の魔法だ。

「《アイシクルエッジ》!」

 両手から生み出したのは、全部で六本の氷柱だ。《投擲》スキルを使ってブラックドッグへ投げ付ける。
 一匹に二本ずつ投げたが、一匹には見事に心臓と首を貫通し、致命傷を与えた上で凍結させたが、残りの二匹は空中で姿勢を取り戻し、ひらりと回避した。

 ちっ、姿勢を取り戻す前に投げたのに。

 二匹は空中で散開し、俺を左右から挟む形で着地する。中々に賢い判断だが、甘い!
 俺はすでに魔力を練り上げている。

「《ベフィモナス》っ!」

 俺は地面を強く踏みしめ、魔法を発動させた。
 直後、ブラックドッグの足元の地面が隆起し、剣山のように変化して腹を貫こうと狙う。

「ぎゃいんっ!」

 悲鳴は左からしか上がらなかった。
 俺は舌打ちを内心で済ませ、右へ振り向きながら魔力を高める。地面の槍衾を回避したブラックドッグは飛び上がっていて、そのままこっちへ向かってきていた。

「あぶない、ご主人さま!」

 俺とブラックドッグの間に割り入ったのは、メイだ。って!?
 俺が慌てた直後、メイは両手に持っていた剣に炎を宿し、袈裟に構える。

「火剣っ!」

 裂帛の気合いと共にメイは剣を振り下ろし、ブラックドッグを切り裂く。その軌跡は、上手に頭を真っ二つに割った。同時に炎が全身を包んで焼いていく。
 断末魔もなく、ブラックドッグは燃えながら地面を転がった。

「んなっ……」

 火剣って、武器に属性付与させるスキルだったはずだ。いつの間にそんなもんを習得したんだ?
 まぁ、確かにメイはSSR(エスエスレア)だし、何日か前に火属性だったことが判明してたけど。密かに特訓してたのかよ。犯人はフィルニーアだな。まったく。
 俺は安堵も含めてため息をついて、油断した。

 背後から、敵意が生まれる。間近だ。同時に上がる獣の吠声。

「やばっ!?」

 俺は慌てて振り返るが、近すぎる! これは回避できない!
 ブラックドッグは俺の喉笛目がけてその牙を剥く。

 刹那だった。

「ワォンっ!」

 ポチが、白い稲妻を纏って弾丸となり、ブラックドックを横手から強襲、その横腹に風穴を開けて絶命させる。
 すんでのところで、ブラックドッグが地面に落ち、ポチは見事な着地を決めて地面を滑る。

「よくやった、ポチ!」

 俺が褒めると、ポチは当然だと言うように尻尾を振る。
 見た目こそ白いマメシバだが、その実、こいつは魔獣だ。それも雷を纏う《雷獣》である。
 今はこうして体に纏って突撃するしか能がないが(それでもかなり強力だけど)大きくなれば、魔獣でも相当な戦上手になる。俺、良く主従させられたと本気で思ってる。

「ご主人さま」

 メイは嬉しそうな顔でこっちを見てくる。誉めてほしいのだろう、目をキラキラさせていた。

「よしよし。メイも良くやったな」
「えへへっ。ご主人さまの役に立ちたくてがんばったの!」

 頭を撫でてやると、メイは嬉しそうに笑う。
 うーん、この健気さ。可愛いな。
 すると嫉妬したのか、ポチが駆け寄ってくる。俺はポチを抱き上げて撫でてやった。

「ちんたら仲良しごっこしてんじゃないよ。村で火の手が上がってるさね。魔物の襲撃を受けてると思っていい。ワシは先に向かうから、あんたも装備整えてからおいで!」

 ほんわかした空気を咎め、フィルニーアは言うだけ言うとさっさと箒を駆って村へと向かっていった。
 そうだ。今はそれどころじゃない。なんとかしないと。

 俺は顔を引き締めて、丸太小屋へ向かった。

しおり