第二十五話
眼下に、見慣れた森が広がっている。
ここまで来ると、ホントに帰ってきた気がするなぁ。
俺は感慨深くなって、しみじみと懐かしい空気を味わう。
思えばいきなり魔物の群れに追われるシーナたちに巻き込まれて、それでヴァーガルにボコられて拉致されて。なんとか脱獄して、ヴァーガルにまた見つかって……と、かなーり濃い時間を過ごした気がする。いや、過ごした。
現世じゃあ絶対に味わえないことだ。
まぁここでも滅多に味わうようなものじゃない気がするけど。
「さて、帰ったらまずは掃除からだね」
「あー、そっか。一週間以上明けてたもんな」
あの丸太小屋はフィルニーアの魔法がかかっていて、何日かは道具たちがちゃんと手入れしてくれる。しかし、ここまで日数が経過すると魔法も切れているはずだ。
となると、フィルニーアが魔法をかけ直して、大掃除をするんだろう。しばらく家には入れなさそうだ。
「じゃあその間、俺は畑を見てくるわ。そろそろ石灰とかが土に馴染んでる頃だろうし」
「ああ、作付には良い時期かもね。種を準備してやるから、撒いてきな」
「わかった。メイも付いてくるよな?」
「うん! ご主人さまといっしょ!」
うわちくしょう可愛いなおい。
俺は思わずメイの頭を撫でてしまう。
「ほら、降りるよ」
フィルニーアは苦笑しながら言った。
丸太小屋はすぐ目の前だ。
森を少しだけ切り開いて作った小屋。村へ続く曲がりくねった細い道。ホントに何もかもが懐かしい。
だが、その光景にも一つだけ違うものがあった。
「何かいる?」
一番最初に気づいたのはフィルニーアだ。
家の玄関の前、そこに何かが転がっている。不審になりながらも近寄ると、それは茶色の毛むくじゃらの何かだった。
「……なにかね、これは」
覗きこむようにしながらフィルニーアは指先から魔法を飛ばし、茶色の毛むくじゃらを持ち上げる。
「ぅわんっ」
それが鳴いたのは、直後のことだ。
…………わん? っておい、まさか、今の鳴き声って…………。
「……犬?」
「みたいさね」
言うフィルニーアも、怪訝な表情だ。
フィルニーアに持ち上げられた動物は、かなり毛むくじゃらで、辛うじて手足らしきものと尻尾らしきものが見える。顔は、ぶっちゃけて分からん。けど、確かに「わんっ」て鳴いたしなぁ。
「魔物の可能性もあるさね。グラナダ。あんた能力使いな」
「え? あ、ああ、分かった」
一瞬、《ビーストマスター》の能力を使えと言ったことに気付かなかった。まだ慣れてないからだ。
俺は意識を集中させ、魔力をフェロモンに変換する。使うのは《屈服》だ。
びく、と、それが反応を示した。
この《ビーストマスター》というアビリティは、魔物のみならず、相性によっては動物にまで影響を与える。俺の場合、まだまだ未熟なのでそこまで影響力があるかどうかは分からないが。
とはいえ、無事に《屈服》は成功したようだ。
目線だけでフィルニーアに合図を送り、犬(?)を地面に下ろす。
犬(?)は何とか動こうとしているようだが、ぷるぷるするしか出来ない。あ、ちょっと可愛いかも。
思いつつ、俺は《屈服》から《主従》へと切り替える。
ここが《ビーストマスター》の一番難しいところだ。色んな条件と相性があって初めて成功するものだからだ。まぁ、ゴブリンとかコボルトみたいな中途半端な頭脳の持ち主とかだと、あっさり操れたりもするんだろうけれど。
俺は慎重に魔力を籠めて、犬(?)にフェロモンを送り付ける。すると、犬(?)が大人しくなる。この手ごたえは、何回か覚えがあるものだ。
「あ、成功した」
「ほう。みたいだね」
って見て分かるのかよ。
内心でツッコミを入れつつも、俺は安堵のため息をついた。一度でも《主従》させてしまえば、契約状態になる。《威嚇》を使って契約を解除するまでは、ずっと命令を聞く。これが《ビーストマスター》が強力とされる所以だ。
「さて、とりあえずどうするさね?」
「とりあえず洗う」
このままじゃあ犬かどうかも分からん。
俺は早速大きいタライにぬるま湯を張り、石鹸を用意する。俺はそこに犬(?)を入れる。かなり怯える気配がビシビシと伝わってくるが、無視した。
お湯をたっぷり塗り付け、泡立てまくった石鹸をつけて洗ってやる。けど、その泡がすぐに消える。
ってこれは、相当汚れてるってことだな。根気がいりそうだ。
「ご主人さま、メイもやってみたい」
「おー、いいぞ。その代わり優しくな?」
「うん!」
もの欲しそうに覗き込んできていたメイは、嬉しそうに返事をした。
「それじゃあ、そっちは頼んだよ。ワシは家の掃除してくるさね。洗い終わったらちゃんと乾かしてやるんだよ? それと食べ物も用意してやりな。そうだね、ミルクがいいんじゃないかね」
フィルニーアはそう言って、さっさと建物の中へ入ってしまった。
なんだかんだで世話焼きである。まぁ、そうじゃなかったら俺のことを拾ったりしないだろうし、メイだって匿ってくれなかっただろう。何より、村の連中が慕うはずがない。
「ごしごしーごしごしー」
メイが歌いながら泡立てていく。意外にうまい。
これなら大丈夫そうだな。
俺はメイに洗うのを任せて、別のタライにぬるま湯を用意しにいく。たっぷり汚れを取ったら、洗い流してやらないといけないからだ。
そのタライにぬるま湯をはって、ついでにタオルを何枚か持って戻ると、すっかり泡だらけになっていた。何故かメイも。
こりゃ、後でシャワーだな。
「おー、キレイに洗ったな。じゃー流すぞ」
俺は苦笑しながらもお湯をかけて石鹸を流す。その水はかなり汚い。
何回かそれを繰り返すと、ようやく犬(?)は綺麗になった。
それからタオルで綺麗に水分を取って、仕上げに風の魔法で乾かしてやる。どうやら気持ち良いらしく、嬉しそうな感覚が飛んでくる。
「わー、まっしろ」
「そうだな。白かったんだな、この子犬」
すっかり綺麗になった子犬は、真っ白なマメシバのような見た目だった。ぶっちゃけ可愛い。
どうやら汚れで茶色になっていたらしい。それと、毛むくじゃらだったのは埃がたっぷりとついていたせいだ。綺麗になるとそこまで長毛種じゃない。
俺は子犬を抱き上げて顎を撫でてやる。現世にいた頃から犬は好きだった。入院するまでは実家で飼っていた犬と毎日遊んでいたのである。
「くーん、くーん」
「おー、よしよし」
懐く様子を見せる子犬をあやしながら、俺は笑顔になって頭を撫でてやった。
「ご主人さま、メイも抱っこしたい」
「おう、優しく――……」
そう言って手渡そうとした瞬間、子犬の表情が憤怒のものに変化した。それだけでなく、「グルルルル」と唸り声まで上げる始末だ。
これにはメイも驚いてさっと十歩ぐらい逃げる。
「メイ、嫌われてる……?」
目をうるうるさせながら言うメイ。
「うーん、嫌われてる、というか警戒してる感じかな? まぁ、慣れるまでの問題だから気にするな」
一応執り成したが、メイはまだ怯えている様子だった。
まぁ子犬でも噛んだら痛いしな。しっかり躾してやらないと。
俺はそう誓いながら、子犬をまた抱き上げる。すると、子犬は懐くように俺へ頭をすりつけてくる。
まぁ、《ビーストマスター》で主従させたから当たり前か。
「ん? このネックレスが気になるのか?」
子犬はネックレスをぺろぺろと舐めてくる。
まぁ、白くて綺麗だもんな。それにフィルニーアの魔法で魔法陣も刻まれてるような感じになってて神秘的だし。子犬が気になるのも仕方ないかもしれない。
あー、そういえば、名前つけてやらないとな。っていうか、そもそも飼えるのか?
「おやおや、綺麗になったね。飼うんならちゃんと責任もつんだよ? まぁ。あんたがアビリティで主従させてる限りはそうなるんだろうけどね」
「人が疑問を浮かんだところでちょうど良く言ってくるなよ……」
「何か言ったかい?」
「いいえ! 許可をいただいてありがとうございます!」
ジト目で睨んでくるフィルニーアに、俺はやけくそ気味にお礼を言った。いや、本気で感謝してるんですけどね。
とりあえず名前だ名前。
そうだな。どうみても子犬だし、白くて可愛いし。
「……ポチ?」
ぽろっと出て来た名前は、昔飼っていた犬の名前だった。
「おや、あんたにしては良いネーミングだね」
「さすがご主人さま!」
珍しく手放しで褒めてくるフィルニーアに、メイも気に入ってぴょんぴょん跳ねている。
唯一、名付けられたポチだけが茫然としてる様子だったが。
まぁともあれ、これで家族が一匹増えたってわけだ。
「さぁグラナダ。綺麗にしたんなら作付けに行っておいで」
「分かった」
俺は頷くと、フィルニーアが魔法で寄越してきたバケツをキャッチする。中は種だ。
「メイはこっちにおいで。薪がなくなってるから、拾いにいかないとね。それに治療もしないと」
「はーい」
コークス中毒の治療は、今のメイにとって最優先事項だ。早くレベルが上がるようにしてやらないと。
それに、ここから畑までは十キロもある。まだ
「よし、じゃあ行くか」
俺は子犬を抱いて、
グン、と予想以上の加速がかかる。
そうだ、ステータス補正が掛かってるんだった。なんかすげぇ早くなってるぞオイ。
もはや線にしかなっていない景色を見ながら、俺はどこか他人事のように感動した。
結局、前よりも半分以下の時間で俺は畑にまでたどり着いた。
草原に囲まれた畑は、俺が耕して少し時間が経っている。石灰が十分に馴染んでいるのか確認してから作付けに入る――のだが。
その畑には、何故かゴブリンがいた。しかも十匹近い。
「どういうことだ……?」
しかもそのどれもが、目が充血していて、まるで狂っているかの様子だ。
まさか、狂気薬を服用させられたゴブリンたちがここまでやってきたってのか?
だとしたら、即座に排除せねばなるまい。
俺は早速体内で魔力を循環させて意識を集中させてから、ふと思い立った。
「そういえば、このスキルを使ってみるか」
シラカミノミタマのおかげで手に入れたスキルのことだ。
さっと頭に浮かんだのは《神威》というスキルだ。どうやら今はそれしか使えなさそうだ。
俺は早速意識を集中させ、それを使おうとする。スキルを認識した時点で、必要な魔法陣と魔力は判明している。
「――《神威》っ!」
俺が横薙ぎに腕を振るうと、術は放たれた。
――ばぢばぢばぢばぢばぢばぢっ!
けたたましい耳障りな音。それは空気の悲鳴のようにも思えた。
放たれる、眩いばかりの刹那の光と、空間をひび割れさせるような軌跡。
その筋に穿たれたゴブリンは、悲鳴すら上げられず炭化した。それだけでなく、無数にも見える筋は地面を穿ち、爆発させる。
ってこれ、まさか……《雷属性》か!?
いや、間違いない。今目の前に広がったものは、稲妻だ。
ごっそり魔力を持っていかれたが、それだけに似合う破壊力である。十近い数のゴブリンを一瞬で屠るばかりか、周囲を根こそぎ破壊した。上級魔術なんて目じゃない威力だ。
こりゃ、とんでもねぇな。
俺は生唾を飲み込んだところで、気が付いた。畑がボロボロになっていることに。
結局、作付けどころではなく、半日かけて畑を耕し直す羽目になってしまった。