第二十八話
確か、反乱で行方知らずになったはずだ。そんなヤツが、どうしてここにいる?
「ほっほっほぉーう。どうした、メイヤー。我を見ればどうするんだった? 土下座して地べたをはいずったあと、私の足を舐めるんじゃなかったのか?」
アガルバスはゆっくりと近寄りながら、信じられない発言を平然とした。
こいつ、農奴時代のメイにそんなことさせてたのかよ。
一歩近寄るたび、メイが委縮していく。
それを緩和させるため、俺はさっとメイを庇うように立った。
「何を言ってるのか知らねぇけど、メイはもうアンタの農奴じゃねぇよ」
堂々と言ってやると、アガルバスの足が止まった。
「ほっほっほぉーう。何を言うかと思えば。貴様、誰にモノを言っているのか分かっているのかナ?」
「知らんな。分かりたくもねぇ。けど、メイは農奴じゃない。アンタの道具でもない。一人の人間で、俺の付き人だ。アンタにもう手を出す権利はどこにもねぇんだよ」
「小僧が。何を訴えたところで意味がないことぐらい分からないのかナ」
ぞ、と、アガルバスの全身から黒くて、ねばついた何かが沸き上がる。
なんだあれ。とんでもなくイヤな感じがする。
背中に汗が滲むのを感じつつも、俺は怯むことはしない。メイが不安がるからだ。
弱弱しい力で、メイは俺にしがみついている。この子を守れるのは、今、俺だけだ。
「それ以上近寄るな」
俺は自分の間合いギリギリ外でそう警告した。魔力を限界まで高めておく。もし一歩でも入れば、本気で攻撃するつもりだ。
俺の気合いを感じ取ったのか、アガルバスは警戒するように足を止めた。
「近寄ったらぶちのめす」
「怖い怖い。小僧の分際で吠えよって」
こいつ、俺の魔力を感じ取ってるのか。ただの一般人がそんなこと出来るはずがない。それ以上に、俺の本能がさっきからがなりたてて来る。
警鐘と、敵愾心。
嘯くアガルバスからは、さらに濃い闇色のオーラが滲み出てきていた。
「もう一度名乗ろう。我が名はアガルバス。魔の国の紳士だよ」
それがきっかけだった。
無造作にアガルバスが加速する。太った体型とは思えない異常な俊敏性。一瞬でも気を抜けばもう見失うだろう。
だからこそ、俺は即座に魔法を解放する。
「《フレアアロー》っ!」
相手が踏み込んだ刹那を狙う一撃。
不意討ちの勢いのそれは、容赦なくアガルバスを穿ち、跡形もなく溶かす──はずだった。
過たず《フレアアロー》はアガルバスに向かった。だが、アガルバスはそれを片手で《受け止めた》のである。
なんだそれ、魔法を手掴みだと?
驚愕する俺を見て悦びながら、アガルバスは《フレアアロー》をあっさりと握り潰した。
対象を骨の一つも残さずに消滅させる魔法を、である。
「うっそだろ……」
「現実逃避とは、紳士的ではないねぇ、小僧」
アガルバスは醜悪極まりない笑顔で言い放つと、自身の指を炎に変化させた。
こいつ、火の魔族か!
魔族にも属性があり、それは自身の魂の拠となる。つまり、アガルバスにとって火は自分自身そのものだ。どれだけ強大な魔法で攻撃しても通用しない。
この厄介な特性が、魔族の凶悪たる所以の一助になっている。
他にも尋常じゃない魔力を宿していて、俺たちとは別種の魔法を使役してきたりとか、人智を超えた身体能力を持ってるとかいろいろとあるが。
知識ではフィルニーアから叩き込まれてたけど、これほどまでとはな……。
「いいのか? 色々と思索しているようだが──……」
アガルバスの姿が、《消え》る。
「我を見失うぞ?」
声は真後ろから。
甘い! ギリギリ見える速度だったし、俺が何も対策もなしに考えると思ってくれるな!
俺は振り返ることなく地面を踏み抜いた。
「《ベフィモナス》」
直後、俺の真後ろの地面が槍状に変化し、急成長しながらアガルバスを串刺しにしようとする。
生肉が引き裂かれる、嫌な音と手応えがやってくる。
よし、やった!
俺は確信を持ってから振り返る。
そこには、深々と足のかかとから腹を貫通し、顔面まで土の槍に貫かれているアガルバスがいた。さすがに動けないのか、うめき声をあげている。
このまま、一気に押し潰してやる!
俺は瞬時に魔力を高めて練り上げる。
「《エアロ》っ!」
アガルバスのすぐ真上に、風の塊を呼び起こす。
プレスしてやろうとした刹那、アガルバスはあろうことかぶちぶちと身体を引き裂きながら脱出し、大量の血をまびきながら退避した。ばっくりと開いた傷口からは生肉と大量の脂肪そして内臓が垂れ流れる。言うまでもなく致命傷だ。
だが、アガルバスはお構いなしとばかりに着地し、ニヤリと嗤った。
「おお、怖い怖い」
そんな強引に回避して余裕ぶってるテメェのが怖いっつうの。
内心でツッコミを入れつつ、俺は魔力を高める。
「危うく肉体を損失してしまうところだったじゃないか。大した魔力も力もないと思っていたが、中々どうして、危険な魔術を使ってくれる。魔力同士を回路で接続して強化するなど、どこで覚えたんだか」
綴じられない口で呆れるように言いながら、アガルバスは炎に変化させていた指を向けた。
「まぁいい。お返しをしないとね?」
刹那、ぞわりと背筋を悪寒が突き抜けた。
咄嗟に俺はメイを抱きかかえてその場からダイブする。上空から炎の雨が襲ってきたのは直後だ。
マズい、まだ攻撃範囲内だ!
俺は受け身を中断し、叩きつけられた勢いを利用してそのまま地面を転がる。メイが耳元で苦痛に呻くが、我慢してもらうしかない。あの炎の雨を喰らったら致命傷だ。
ブレる視界の中、炎の雨が地面を穿ち、マグマのように赤く染めて溶かしていく。
とんでもない熱量が放たれ、熱風のようにそれは襲ってきた。息をするだけで肺が火傷しそうになってしまう。
俺は地面を転がる勢いを利用して起き上がる。
「ほっほっほぉーう。よく躱したね?」
アガルバスがその地面を踏み抜き、一気に加速してくる。
俺は即座に魔法をカウンターで発動させた。
「《アイシクルエッジ》!」
出現した氷柱を、容赦なく《投擲スキル》で放つ。アガルバスは回避する暇なく直撃を受けた。
ずん、と、鈍い音を立てて、氷柱に首と腹と心臓を貫かれたアガルバスが氷に鎖される。
これは、やったか?
幾ら何でも生き延びていられるとは思えない。
だが、その期待は僅か数秒で裏切られた。
鎖したはずの氷に亀裂が入り、次には割れ砕け散っていく。アガルバスは無言のまま、自身の肉体を貫通する氷柱を抜いて捨てていく。その度に血が溢れ、肉と内臓がこぼれ落ちるが気にしない。
「さすがに死にそうだな」
フン、と鼻を鳴らし、アガルバスはいきなり肉体の再生に入る。
じゅくじゅくと生々しい音を立て、アガルバスは肉体を取り戻した。とはいえ、強引に肉をつけたしたかのようで、かなり醜悪だ。
「さて、どこまで回避できるかな?」
瞬間、アガルバスがまた炎の雨を降らせてくる。
だが今度は予見済みだ。俺は素早く反応し、メイを抱えて回避した。
地面がまた溶岩のようになり、熱を大量に放つ。
「さぁ、もう一撃」
アガルバスも回避されるのを読んでいたのか、瞬間、また上空に炎が生まれる。
またか!?
俺は足に力を籠めて回避しようとする。だが、様子が違う。
「今度も雨と思ったか? 大間違いだぞ、小僧」
生まれた炎が球体になり、まるで意思を持つかのように俺へ迫ってくる。
俺は咄嗟に右へ回避する。だが、炎の球もカーブしてきた。
マジか、これ、ホーミングしてきやがる!
俺は着地と同時に左へ切り返すが、やはり追尾してくる。それだけではない。その炎の球が、いきなり三つに割れ、散開してから襲ってくる。
「ほっほっほぉーう。さぁ、どんな踊りを見せてくれるかな? せめて農奴よりは上手に踊ってくれよ」
踊る? 冗談じゃねぇ。
そんなものに付き合ってやれるほど俺はお人よしではない。
回避が出来ないなら、迎撃するまでだ!
俺は魔力を高め、炎の球を睨みつける。中途半端な距離で迎撃すれば回避される恐れもある。だったら
その刹那だった。
アガルバスがパチン、と指を鳴らし、炎の球の一つを爆発させる。
轟、と空気が震え戦慄き、爆風が容赦なく俺の全身を叩いた。近くでメイの悲鳴も聞こえる。
な、なんつう威力だよ!?
驚いてはいられない。俺は風に圧迫されながらも、迫ってくる炎の球をなんとか回避した。
「簡単に迎撃できるとは思わないことだネ」
くそ、下手に迎撃したら、爆発に巻き込まれるってか。
四つん這いで着地し、俺は犬のように地面を蹴ってその場から離れる。
「さぁ、踊るがいい!」
「断る!」
俺は反駁してから頭を巡らせる。
引き付けてからの迎撃はダメ、逃げるのもダメ、遠距離から迎撃しても回避される。
だったら!
俺は体内で魔力を高める。
迫ってくる炎の球体を睨みながら、俺は魔法を発動させた。
「《エアロ》っ!」
放ったのは、《自分に向けての風》だ。
ぶぉ、と唸る風に身を任せ、俺は急激にバックする。
「無駄だね!」
アガルバスは吠えて炎の球を加速させる。やはり操っていたか。
俺は冷静に判断して、次の魔法を解き放つ。
「《アイシクルエッジ》!」
俺はその二重合わせの
「ほっほっほぉーう。そうか、こちらに加速させておいての不意打ちか。これなら確かに回避させることは難しい。けど、これならどうかな?」
嘲笑いながら、アガルバスは炎の球を巨大化させた。
「大きくなっただけではないぞ? もちろん威力も上昇しているからナ」
あーあーどうせそんなことだろうと思った!
俺は毒づきながらも、高めていた魔力を解放する。
「《ベフィモナス》!」
ぼこ、と地面が爆発したように盛り上がり、壁となる。素早く俺とメイはそこに隠れる。
轟音が響いた。
凄まじい音と衝撃。即席の壁もガリガリと削られていくが、最後まで身を守ってくれた。
余韻が残る中、俺は異変に気付く。
「「っぎいいいっ!」」
真後ろであがったのは、狂気のままに叫ぶ咆哮。魔物たちだ。
さっきまでいなかったはずなのに!
ゴブリンとコボルトの群れに睨まれながら、俺は顔を引きつらせる。
「ほっほっほぉーう。魔物の召喚は魔族の特権だよ? まぁ、魔法陣を使えば君たちでも可能なようだがネ、本家本元は我らさ」
演劇のセリフのように言いながら、いつの間にか宙に浮いていたアガルバスは魔物の群れの中に着地する。
「さて、どうする?」
それは、紛れもなく挑戦状であり、俺はそれに乗ってやることにした。
――《神威》だ。
コイツで魔物ごと、ぶっ飛ばす!
俺はそう誓って、魔力を腕に集中させた。