第十六話
「だ、脱走だとっ……!」
危うく大声を出しそうになって、シーナはセリナに口を閉ざされる。それから小声になった。
俺は黙って頷く。
「バカな、何をいってるんだ。そんなこと出来るはずがないだろう」
シーナが険しい表情で非難してくる。
無謀だと言いたいのだろう。その気持ちは良く分かる。何故なら、自分たちは武器はもちろん、防具一つつけていないのだ。加えて、今はいないが周辺には見張りがいるはずで、彼らに駆け付けられたら勝ち目はない。
そんなことは分かり切ってる。
これがゲームか何かなら、近くに装備品でもあるのだろうけど、現実はそんなことあるはずがない。
だから、正面切って脱走なんて絶対にしてやらない。
そもそも脱走なんてものは隠れてやるものだ。
「俺には魔法がある。手錠はされてるけど、魔法まで封じられていないし」
「不可能だ。この壁は分厚いし、硬い。大方鉱石か何かだ。それをぶち破るものとなれば、上級以上の魔法じゃないと不可能だ。仮に出来たとしても、とんでもない爆音がする。結局連中に見つかるぞ」
さっき俺が考えてたことをまんまシーナは口にする。
「恐れながら、私もそう思いますわ」
セリナも同意を示す。
「まぁ、正攻法からいったらそうだと思う」
「何だ。考えがあるのか」
俺は黙って頷いて、目線だけでロウソクのたつ燭台を見た。釣られてシーナたちもそこを見る。燭台用にだろう、そこだけ壁が少し抉れている。
俺も最初はそう思っていた。
けど、違う。
「たぶんだけど、本来、あそこは松明を灯す場所なんだと思う」
「ええ、そうですね。ロウソクに対して燭台が大きすぎますもの」
「じゃあ、それにしてはあの抉れ、足りないと思わない?」
俺の指摘に、誰もが燭台を注視する。
「言われてみれば、確かにそうだが……」
「目測だけど、たぶん、この壁は熱に弱いんだと思う」
俺の指摘に、シーナがハッとした。
すると、メイが即座に動いた。地面を這うようにして、べろりと舌で床を舐めたのだ。
これには俺も驚いた。
「お、おい、何をしてるんだ、汚いだろ」
慌てて注意する。もし手錠が無ければ抱きかかえているところだ。
だが、メイはそれを無視して何回か舐める。そのたびに渋い顔をしていて、だが、それに負けないように味わっているようにも思えた。
「うん、やっぱり」
何かに確信を持ったのか、メイは頷いてから体を起こして俺を見て来た。
その勢いにたじろぐと、メイは自信ありそうに鼻息を荒く吐き出す。
「ご主人さま、この石、ピアノコークスです」
「ピアノコークス?」
おうむ返しに返すと、メイは頷いた。
「炎を当てると溶ける鉱石で、燃料になる。しかし、その鉱石は赤いはずだったが?」
不審になりながらシーナが言うと、メイはまた頷いてから、自分が舐めた部分を指さした。
すると、その床がほんのりとではあるが、赤くなっていた。
検分したシーナが唸る。
「この赤みは、確かに……」
「ピアノコークスは、唾液に反応して赤くなる……ます。だから、ピアノコークスを動物に舐めさせて仕上げをしていくの。でも、それだとムラが出来たりして、あまり質が良くないの。だから……」
俺はぞっとした。
「上質なものは、人間に舐めさせてるってか?」
メイは頷いた。
そしてそれを知っているということは、メイもやらされていたってことだ。農奴って、農業に従事するんじゃなかったのかよ。
どうやらメイの地主は相当色々とやらせていたらしい。
「なんてことを……ピアノコークスは微弱だが毒がある。ずっと舐め続けてたら中毒を起こすぞ」
「マジか」
って鉱石なんだから当たり前か。人間にとって有害のはずだ。
「どんな中毒を起こすか、本人の体質なども相まってまちまちらしいが……身体に良いものではない」
「そういえば、地方で臨時の無料診察所を設けたところ、コークス中毒と思われる患者が一定数いる、と報告を受けたことがありますわね……」
「嘆かわしいですね。それが原因だったとは……」
二人の会話はどう禁止するか、に発展し、俺は流し聞きしながら考え込む。
もしかして、メイのレベルが上がらないのはそんな中毒になってるからか?
確証はないが、可能性としては有り得る。そういえば、メイも何か言いたげだったし。この辺りは帰ってから調べるとしよう。
とにかく、今はこの壁がピアノコークスと分かっただけで十分だ。
「炎に弱いなら、俺の魔法で何とか出来る」
「そうだろうが、どうするつもりだ? 派手にやればやはり気付かれるぞ」
その懸念はもっともだ。だが俺には
熱に弱いと分かれば、やりようは幾らでもある。
「それに関しては俺に考えがある。何回か試行錯誤しないといけないだろうけど、出来ないことはない」
「本当か!?」
「要は静かに脱出出来ればいいんでしょ? だったら出来る」
俺は自信満々で頷いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日の晩。というか、夜中。
誰もが寝静まる頃、俺は物音を立てずに行動を開始していた。
何度も静かに深呼吸して意識を集中させる。これからすることは、今までのどの魔法よりも神経を使う。ほんの僅かなブレさえも許されない。
緊張感が全身を襲うが、俺は構わずに呼吸を整えながら意識を高めていく。
「……出来る」
俺はただ一言、自分に言い聞かせてから魔法を唱える。
「……《フレアアロー》」
解放したのは、炎の初期魔法。それを三つ同時に展開し、
狙いは威力の上昇だ。こうすれば、あのゴブリンを蒸発させた火矢になる。
けど、それをぶつけるだけじゃあダメだ。それをすれば、確かに壁の一部を融解させることは出来るだろうが、貫通出来るかどうか怪しいし、何より熱が凄まじい。
だから、俺は別の手段を取る。
俺が出来る可能な限り、薄い刃にしたのだ。
これの維持には凄まじい集中力が必要で、常時精神力がガリガリと音を立てて削られていく気がする。
長くは維持できないな。早くしよう。
俺はその刃でもって、壁を突き刺した。
熱に弱いピアノコークスだけあって、あっさりと刃の侵入を許す。音もない。
超高熱の刃をゆっくりと動かし、壁に切れ目を入れていく。薄くしたのは、この切れ目を目立たなくするためだ。
「……ふう」
集中力の限界を迎えて、俺は魔法を解除する。
体感時間で一分ぐらいか? そんだけ短い時間だけど、かなり消費するな。魔力の方は……無事だ。けど、壁に入れられた切り込みはあんまり進んでいない。
仕方ない。こればっかりは根気の問題だ。
俺は少し休憩してから、また炎の剣を生み出して壁を切り裂いていく。
丁寧に、丁寧に。
それを何回も何回も繰り返して、ようやく壁に切り込みを入れられた。
見た目はあまり分からないが、押すだけで壁は倒れてくれるだろう。俺は額に浮かんだ汗を拭う。
「……出来たぞ。もう起きて良い」
俺がそう無声音で語り掛けると、セリナとメイが目をぱっちりと開けた。
むくりと二人は起き上がると、さっと目くばせしてくる。俺が頷くと、二人も頷いた。
彼女たちには格子の近くで寝たふりをしてもらって、見張りをやらせていた。俺は魔法に集中していなければならないため、見張りに気付く可能性は高くないからだ。
まぁ、実際はこれだけの夜中なら見張りも熟睡しているようだから、一回も来なかったけど。
所詮、と言っては悪いが、この見張りも農奴が担っているからだろう。ほら、今もいびきが聴こえる。内心で呆れつつも俺は上手くいったことを安堵……ってあれ、そういえばシーナは?
思いながら目くばせすると、シーナはいびきを――一応女性なので控えめに――かきながら思いっきり爆睡していた。あ、ちょっとヨダレ出てるし。
「……しばいていい?」
この俺の提案に、誰も否定しなかった。