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第十七話

 ズズ、と、石のズレる音。
 しばらくすると、押し込んだ石はようやく倒れた。
 向こう側は土で、うまく衝撃音を殺してくれた。これもあの小さな窓によじ登って確認済みのことだ。

「いこう」

 俺は無声音で指示し、出来た穴を四つん這いで進んでいく。
 くぐり終えると、目の前には森が広がっている。近くには川があるのだろう、水の音がした。あー、なんか久しぶりにまともな空気を吸った気がする。
 思っていると、メイが出てきて、ついでセリナが出てくる。セリナだけはみすぼらしい服に着替えさせられておらず、ドレス姿だ。そのせいで汚れてしまった。

 まぁ、本人は気にしてる様子はないけど。

 最後は、全員からしばかれて目を覚ましたシーナだ。
 どこか申し訳なさそうな表情をしているが、俺は同情してやらない。

 全員が外に出てから、全員で石を元に戻す。とはいえめちゃくちゃ重かったので、俺が風の魔法で持ち上げて、それを押し込む形になったけど。

 これで、ぱっと見は忽然と姿を消したように見える。
 これも連中のザルなシステムを利用したものだ。たまに交渉のためなのだろう、シーナとセリナが連れていかれることがあったらしいが、その際は農奴ではなく兵士が迎えにきていた。その後、農奴が見回りにきて、わざわざメイにあの二人はどうしたんだ、と問いかけてきたのだ。

 つまり、見張り役である農奴には、いつ、誰が誰を連れ出すのか、といった基本的な業務連絡が行き届いていないのだ。

 脱走した痕跡がない状態で忽然と姿を消せば、農奴どもはどこかへ連れ出されたんだな、としか思わない。

 これで脱走したと発覚するまでの時間を稼げる。まぁその上で寝静まる夜中を選んだんだけど。
 脱走の肝は、逃げだす手段もそうだが、逃げた後もいかに見つからないか、だ。
 時間がかかればかかるほど、こちらは遠くへ逃げる。追いかける方は相乗的に捜索範囲が広がる図式だ。

 俺たちは物音を殺して一旦森へ入る。川を探すためだ。

「まったく、どこでそんな知恵をつけたんだ?」

 半ば呆れ、半ば恐怖と言った様子でシーナが訊ねてくる。
 とても前世からの知識だ、とは言えない。
 俺はずっと病院にいたから、無駄に本を読み漁っていた。その時に読んだ小説で脱獄について書かれていただけだ。後、多少のサバイバル知識も。

「フィルニーアから教えてもらったんだよ。俺の師匠だから」
「さすが偉大なる魔法使い様だな」

 咄嗟に嘘をついて、俺は先へ進む。フィルニーアって便利だなオイ。
 思った通りだ。川がある。
 幸運なことに、かなりの清流のようで、そのまま飲めそうだ。
 いったん休憩と称して水分補給をさせる。脱走において、体力の損耗はそのまま致命傷に繋がる。まだ安全圏とはとても言えないが、無理して途中で動けなくなる方がまずい。

「月はあっちにあって、川はこっちからこっちに流れてる、ってことは、水源はこっちにあるんだな」
「となると、北はこっち、南はそっち。よし、だったら城はあっちだな。山を越えないといけないから、しばらくは川沿いを上がっていこう」

 シーナの言葉に、俺たちは頷いた。
 川に寄ったのは、方角を確認するためだ。夜空には月が浮かんでいて、それと合わせることで方角が分かる。まぁ、これは現在地が大まかながらも分かっているから出来る手段だけど。

 川の近くは石が多くて歩きにくいので、森に入り込んで川沿いに進んでいく。

 少し空腹感があるな。
 くそ、あそこじゃあマトモな飯にありつけなかったしなぁ。一応、木々や草に時々実ってる果実をかじってはいるが、いかんせん少ない。

 せめてチョコがあればなー……。

 内心で愚痴りつつも移動していく。

 そんな風に川を一時間近く歩いただろうか。
 ペースを落とさずにやってきたので、結構な距離を歩いたはずだ。証拠に、川の近くの石が大きくなってきている。山が近いのだろうか。

「あー、やっぱりやってきた」

 声がしたのは、その時だった。
 ぞわり、と、全身が強張る。

 何かが飛んできたのは、直後のことだった。

 ごと、と重い音を立てて転がってきたのは――

「魔力爆薬だっ! 全員逃げろぉぉっ!」

 シーナの大声が耳をつんざき、俺はすぐ隣を歩いていたメイを抱きかかえて茂みへダイブする!
 受け身も何も考えてないせいで全身に痛みが走るが、構うことはない。

 直後、爆音が轟いた。

 近くで爆発したせいだろう、かなりの熱と風が衝撃となって襲ってくる。
 これ、やばっ!

「きゃあっ!」
「――《エアロ》っ!」

 耳の傍でメイが悲鳴を上げ、俺は咄嗟に風の魔法を撃つ。裏技(ミキシング)なんてしてる暇はない。ただの風である程度熱風を押し戻すだけだ。
 それでもないよりかはかなりマシで、俺たちはやり過ごすことが出来た。

 だが、じっとはしていられない。

 とてつもない嫌な何かが背中を舐めあげる。
 その気色悪さに突き動かされ、俺はメイを再び抱きしめてその茂みから飛び出す。

「《エアロ・ブレイレイン》!」

 魔法が発動したのはその刹那だった。
 無数の風の刃が、その茂みと近くの木々をズタズタに切り裂いていく。

 冗談だろ、あんなの食らったらソッコーでミンチ確定じゃねぇか!

 俺は顔を青くさせながらも、受け身を取って一回転して起き上がる。
 今のは風の中級魔法だ。俺が覚えたくても覚えられない魔法の一種である。

「危ないっ!」

 その魔法が、また別の場所で炸裂する。そのほんの僅か前に、シーナがセリナを突き飛ばしながら飛び出した。
 また空気が幾重にも切り裂く音がして、周囲に破片が飛び散っていく。
 セリナを突き飛ばしたからだろう、シーナはその範囲から逃げ切れず、背中に傷を負いながら転げた。

「シーナさんっ!」

 初めて聞くセリナの焦燥の声。
 慌てて起き上がってシーナに駆け寄る。腹這いに倒れたシーナの背中には、幾つもの傷が生まれ、血がじわりと滲んでくる。

「ぐっ……大丈夫、だ……《ヒール》」

 思いっきりやせ我慢の声を出しつつ、自分に回復魔法をかける。
 大出血ではない。シーナの回復魔法でも傷は塞がるだろう。

「――身体能力強化魔法(フィジカリング)っ!」

 俺はそれを横目にしつつ、戦闘態勢を取った。 

「あらー、仕留められなかったか。ざーんねんだわー、ガチでないわー。フツーさ、一人くらいやられるトコだろ?」

 その嘲る調子の声。現代の調子の話ことば。耳障りなざらつく低い声。
 俺はそれだけで正体を暴いている。

 ヴァーガルだ。

 俺は歯噛みしつつ敵意を剥きだしにする。

 どうやってここが分かったんだ? まさか、何かしらの魔法か?

 考えていると、奥の茂みから大剣を掲げたヴァーガルが姿を見せる。相対するのは二回目だが、そのやせっぽちの身体には不釣り合いの大剣だ。きっと身体能力強化魔法(フィジカリング)で強引に何とかしているんだろう。
 ヴァーガルは余裕の態度でこちらに近寄ってくる。
 飄々としているが、威圧だけはしっかりとあって、俺は逃げ出したくなった。

 けど、無理だ。

 近くには手負いのシーナ。戦力外のセリナと、メイ。
 俺はというと、病み上がりの身体だ。ヴァーガルにつけられた傷口は塞がってはいるが、まだ痛みは残っている。とても完治してるとはいいがたい状態だ。

「おっとー、転生者クンもいるじゃないの。良く生きてたね? さっすがー」

 大剣を地面に突き刺し、パチパチと手を叩きながらヴァーガルはバカにしてくる。
 こいつ、すっげぇムカつく!
 皮肉は大したことないが、その煽り属性一二〇%な顔がムカつく!!

「それでー? 脱走なんか企てちゃってまぁ。ちょっと止めてくれない? せっかくの俺の手柄が無かったことにされちゃうじゃんか。お前とかはどーでもいいけどさぁ、そこの姫様と騎士は俺たちにとっても重要なカードなんだけど」

 その言葉で、俺は確信した。
 きっとセリナかシーナ、たぶん二人ともに探査魔法が掛けられていたんだ。詳しくは知らないけど、フィルニーアがそんな魔法があるとか言ってた。
 俺としたことが忘れてた。くそ。
 確か、この魔法は何故か光魔法ではなく、風の上級魔法に分類されるとか言ってたな。俺には使えるはずがないから記憶の奥の方に追いやってたわ。

「……知らんな。俺たちだって都合があるんだよ」
「おいおい。何言ってんだか、っと、ちょっと待ってよ、そこの子供。あ、お前じゃねぇぞ、その可愛い小さい女の子の方だ」

 ヴァーガルは目を凝らしてから、《ライト》を展開した。煌々と照らされる周囲の中、がさがさと懐をまさぐって折り畳まれた紙を取り出す。妙に茶色っぽいのは、古い羊皮紙だからか。

「おーやっぱりだ」

 ヴァーガルは確認してから、メイに向かってゲスい顔を向けた。

「お前、メイヤーだろ。アガルバスさんとこの、農奴だろ?」

 その瞬間、メイが引きつけを起こしたように喉を鳴らし、顔を真っ青にさせた。

 ――どういうことだ?

 一瞬の疑問が頭をよぎる。
 戸惑っていると、ヴァーガルは俺にその紙を見せつけて来た。

「今回の決起を機にさ、こんな手配書が回ってるんだ。脱走した農奴を探してください、ってな。もし見つけたら、報奨金と――ソイツを一晩だけ好きにしていいんだってよォ!」

 ――は?

「ヒヒヒヒ、さすがに殺したらダメらしいけど、たぁっぷり楽しんでいいみたいだし。多少傷ついても回復魔法かければ良いらしいしな? 知ってるか? とんでもねぇ好色家の魔法使いが開発した、処女膜を再生させる魔法ってやつ! それをかければ良いって言ってたぜぇ?」

 舌なめずりさえするヴァーガル。
 俺は、その姿を人間として見れなかった。何か人の言葉を解する、ナニモノかだ。

 ヴァーガルの哄笑が響く中、メイがぎゅっと俺の手を掴んだ。

 その、小さな手で。震えながら。今にも泣きそうな顔で、涙を潤ませた目で、俺を見てくる。


 ――タスケテ、と。


 は、はは、ははは。
 ここで応えてやらなきゃ、男が廃るだろ。それに、メイは俺の付き人だ。農奴じゃない。まして、あんなクズの性奴隷でもない。

「こりゃあ上等だ! 一度でいいから、ガキを犯してみてぇと思ってたんだよなァ!」

 尚もほざくヴァーガルに、俺は殺意を向けた。

 コイツは許してはダメだ。絶対に。

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