第六話
「あー……し、しんど」
俺はばふっ、と音を立ててベッドに上半身だけ倒れこんだ。よく陽射しを浴びてふっくらした布団は温かくて心地好い。あっという間に眠気が襲ってくる。晩御飯を食べて風呂に入った後なら尚更だ。
まぁ、そうでなくてもこの異世界の布団は気持ち良いんだけど。
現世のベッドよりよほど上等だ。
まぁ、あの現世っていっても、高いベッドじゃなくて病院のベッドだったんだけどな。
少しだけ現世のことを思い出しながらウトウトとしていると、もう動けなくなる。
あ、ヤバい。
そう思いながらも眠気には逆らえなくて、俺はそのまま目を閉じる。
――ああ、まったくもう――
気が付くと、そこは家の中だった。
とはいえ、今と様子が違う。ゴチャゴチャしているし、食事をするはずのテーブルの上にまでフラスコや試験管など、実験道具が並んでいる。
あ、思い出した。これ、俺が赤ん坊の頃、というか、拾われたばっかの頃だ。
フィルニーアは田舎村でも森の奥に住んでて、日々なんかの研究に勤しんでた。だから、研究以外のことは全部魔法で済ませてたんだよな。
まぁ、箒とかメシの準備とかは今でもそうだけど。
とにかくあの時は、初めて魔法って感じの魔法を見せつけられて感動したもんだ。しかもフィルニーアは人差し指を動かすだけで魔法使うし。
俺をあやすのも魔法だったな。
当時の俺は自我はしっかりあったけど身体が赤ん坊だから何も出来なくて、ただ泣くしか出来ない。お腹がすいたら我慢できないし、トイレしても我慢できない。
というか、それを報せるのは、泣く以外になかったんだよな。
で、そのたびにフィルニーアは魔法を操って対処してた。何やら得体のしれないものがぼこぼこ言ってる壺の隣で、ミルクを火にくべ、見事に人肌レベルに温めた上で俺に飲ませてくれたり、オムツをさっさと交換してくれたり。
たまに寂しいなーって思う時があって、それを訴えた時だけ、フィルニーアは仏頂面のまま構ってくれた。
まぁ、魔法でたかいたかいしたり、魔法でびゅんびゅん屋敷の中を飛ばしたり、魔法で(以下略)
正直言って、俺は愛情なんて注がれてないんじゃないかって思ってた。なんで拾ってくれたんだろうって何度も疑問になってたなぁ。
そんな感じで月日が経って、俺が二歳になった頃、フィルニーアは俺に特訓をつけるようになった。
「さぁて、今からアンタを少しはマシになるようにしてやらないとね?」
「……まし?」
「そうさね。この世界は《レアリティ》と《レベル》で支配されてるってのは言ったね?」
俺はこくん、と頷く。
「そしてあんたは転生者のくせにR(レア)っていう残念レアリティさね」
「ざんねんなのか」
「そう、残念なのさね」
思わず反芻すると、フィルニーアはどこか沈痛な表情を浮かべて言った。
「この世界で生きていくってだけなら大丈夫だろうけど、転生者ってのは世界のための戦いに身を投じることになるさね。もちろんそれを嫌がって反目するヤツもいるけど、極々僅かだし、そっちの道を辿ったとしても戦いに巻き込まれるもんさね」
運命みたいなもんだね、と、フィルニーアは言った。
そして、そのためか転生者というのはSR(エスレア)かSSR(エスエスレア)で転生してくるらしい。しかも恵まれたステータスや能力を持っているんだとか。
ん、あれ、ちょっと待てよ?
俺にはそんな傾向、これっぽっちもなさそうなんですけど。
っていうかそもそも俺、赤ん坊の状態で森の中に捨てられたんだけどな!
つまり誰も俺に期待もしてないってことだ。
「グラナダ。あんたもそうならないとは限らない。だからこのワシが今から鍛えてやるさね」
「まほーをおしえてくれるの?」
「そうさね。幸いにもあんたのステータスは魔法使いよりだからね。これからしっかりと鍛えれば大丈夫さね。ワシはこう見えても英雄って呼ばれた最強の魔法使いさね?」
そう言ってフィルニーアは掌に炎を宿し、それを指先で弾いた。すると、炎はフィルニーアの背後へ飛び去り、森の中で炸裂した。
どさ、と倒れこんだのは、ゴブリンだ。どうやらこちらの様子を窺っていたらしい。
って、背後のゴブリンを探知した上で魔法でぶっ飛ばしたのか。軽くチートじゃありません?
「それじゃあ、早速、あんたの適性を見るさね」
「適性?」
「そうさね。魔法には色々な属性があって、得意な属性、苦手な属性がある。それを見るのさ、さて、この水晶に手を翳して、力を注いでみな」
力を注ぐって、どうやればいいんだ?
分からず首を傾げると、フィルニーアはため息をついた。
「そうだった……転生者には力を使うって感覚がないんだった。忘れてたね。年を取るもんじゃないねぇ」
しみじみそう言ってから、フィルニーアは俺に力の注ぎ方をレクチャーした。
要約すると、掌から力が出るように念じろってことだな。
俺は早速試してみる。すると、水晶が眩いばかりに輝きだした。
おお! なんだか凄いぞ! これってまさかレア属性か!?
と期待したのも一瞬だった。
フィルニーアが絶望的、というよりもこの世の終わりとも思えるような表情を見せたからだ。
「そ、そんな、光適性、だって……!?」
愕然とした声だった。
「それって、いいの、わるいの?」
「最悪さね」
フィルニーアは即答した。
光魔法っていうのは、補助特化の魔法だ。便利なことは便利だけど、コイツに適性を持つと他の属性が苦手になるという、デメリットが大きすぎる適性だ。
ちなみに光を灯す魔法の属性、という略で光魔法と呼ぶらしい。
それらをかいつまんで教えてもらい、俺は硬直していた。
それって、超絶不遇属性ってヤツじゃありませんかねぇ?
「まぁ、いいさね。それぞれの属性の初級魔法を覚えていくしかないね。後は投擲とか剣技とかのスキルもある程度教えるしかない、か……まぁ、良いさね」
フィルニーアはぶつぶつと言ってから、俺に指を向けた。
「まぁあんたをいっぱしの魔法使いにしてやるって言ったんだ。自分の身を自分で守れる程度には強くしてやるさね」
「お、お?」
「合言葉はひとつ。《絶対にへこたれんじゃないよ》さね」
「お、おー?」
どうやら俺のことを強くしてくれるらしいフィルニーアに釣られ、俺は腕を上げた。
それが大きな間違いの始まりだった。
毎日毎日毎日毎日毎日――――――――アホくらいしごかれた。
座学で色んな理論や魔術を叩き込まれ、実践で魔法をひたすら習得させられ、魔力が尽きるまで訓練させられたり、筋トレをさせられまくったり。
もう筋肉痛と魔法使いすぎの虚脱と知識の詰め込み過ぎの頭痺れでいっぱいいっぱいだ。
そんなこんなで、俺は今日もベッドに倒れこむ。
食事を強引に取らされ、魔法で風呂に入れられ、もうぐったり状態だ。
ああもう、明日も修行なのかな。
くそー。こんな思いをして、それでもそんなに強くなれないんだろ?
だったら世界の趨勢なんてレアリティのくっそ高い恵まれた連中に任せればいいじゃん。
絶対に俺は大人しく生きてやる。隠遁生活してやる!
俺はそう誓いながら、布団に入らず眠りこけて――……
――ああ、まったくもう――
そんな声が、かけられた気がした。
薄っすらと意識が覚醒して、俺は温もりに包まれてた。
皺がれた手が、俺の顔の近くにある。ざらついた手が、そっと俺の頬を撫でた。優しい。まるで、母さんみたいだ。
「まったく……ちゃんと布団の中で寝ろって言ってんのに、小さい頃から変わらないねぇ」
くしゃくしゃの声に、どこか呆れているようで、慈愛にも満ちているようで。
決して悪い感じじゃあない。
俺は微睡みながら、それでも薄く目を開けると、誰かが部屋を出ていくところだった。
あれ、は――……フィルニーア?
ああ、そっか。そうだった。きっと、毎日こうやって見に来てくれてるんだろう。
顔を合わせれば悪態ついてくるしからかってくるし、修行ともなれば鬼のように厳しいけど。
俺のことを赤ん坊のころから育ててくれた人だ。悪い人じゃあない。
恩人ってのは、こういう人のことを言うんだろう。
明日。明日から、もっと、もっとがんばろう。
そう思って、俺はまた意識を落とした。