バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

彫刻と余興7

 東門から宿舎に戻ると、一度自室に戻ってからお風呂に入る。
 それが終わると、誰も居ない自室で就寝準備をして、彫刻を開始する為に、作りかけの置物と小刀二本の一式を構築させた。

「おっと、そうだった」

 作業に入る前に、ボクは忘れずに討伐任務に就く前に創造した腕輪に目を向ける。

「明日は休日だけれど、そろそろ睡眠は取っておきたいから・・・」

 結局、南への見回りから討伐まで一睡もしていないので、そろそろ少しは睡眠を取りたいところであった。

「まぁ、空が白む前にでも眠れればいいか」

 そう思い、一度現在の時刻を確認してから、魔法道具に組み込んだ雷撃が起動するまでの時間を設定する。

「ああ、そうか」

 彫刻の前に、魔力濃度を調節する魔法を創造するか。組み込む道具は・・・この腕輪でいけるかな?
 容量は結構余っているし、広範囲の結界でもないから大丈夫だろう。魔力も周囲のを使うので、あとは結界を張る位置と使う魔力の調節だけだな。
 腕輪の様子を視ながらそれを組み込むと、無事に完成する。
 それが済んだ後、小刀を手に作業を開始。したいのだが、少し間が空いたので、作りかけの置物を手にして、まずはどこまで作業を進めていたのかの確認を行う。

「うーん。そうか、ここを彫ったところまでか」

 置物の進行状況を確認した事で、薄かった記憶が蘇ってくる。

「よし! 作業を再開するか!」

 記憶が蘇ったところで、小刀を手に取り、作業を開始する。
 様子を見ながらなので、ゆっくりとした進行速度ながらも、着実に確実に彫り進めていく。
 それで何とか脚の部分が彫り終わったところで出来栄えを確認していくと、途中で少し失敗はしたが、意外と上手くいった。勿論、頭の中に完成図があるだけに、失敗部分が気にはなるが、それでも今のところは問題ないだろう。
 あとは細かい調整を済ませてから、次は胴体部分に移る。最終的な調整などの仕上げは、全体が完成してからするとしよう。
 そう思い、微調整しようかと小刀の刃を置物に当てようとしたところで。

「ッ!」

 腕輪から電流が走り、ビクッとして窓の外に目を向ける。そこには白む直前の空が広がっていた。

「刃を当てる前で良かったな・・・この辺りもどうにかしないとな」

 腕輪に目を向けながらそう考えるが、今はそれよりも、寝る事にしよう。
 ベッドの上で横になると、ボクは目を閉じて意識を沈ませる。久しぶりだったからか、直ぐに眠りに付けた。
 翌朝という程でもないが、少し眠って目を覚ます。
 朝の支度を済ませた後、食堂で朝食を摂って、駐屯地から離れた場所まで移動した。
 周囲に誰の目もないのを確認してから、まずは忘れる前に、寝る前に思った腕輪の改良を行うことにする。
 改良といっても、時間が来て電流が流れる直前に、まずはもっと微弱な電流をあらかじめ流すように設定するだけだ。これで多分大丈夫だろう・・・多分。没我の境地に入っていたら効果はなさそうであるが。
 とりあえずそれが済んだところで、時間をあらかじめ夕暮れ時に設定しておく。そうした後にもう一度周囲を確認してから、集中して作業を行う為に、クリスタロスさんのところへと転移する。

「いらっしゃいませ。ジュライさん」

 いつも通りにクリスタロスさんに出迎えられて、挨拶を交わす。そのまま場所を移して、お茶を片手に軽く雑談を交わした。
 その後に訓練所を借りて、空気の層を敷いて腰を下ろすと、彫刻道具一式を構築してから、独りで作業を開始する。
 まずは寝る前に中断した微調整から行い、それが済んだら胴体部分の作業に入る。
 先程、彫刻の題材にしているクリスタロスさんに会ったので、完成図はより明確なものとなった。なので、その像を忘れないうちに作業に取り掛かっていく。
 まだ大まかにしか枠を切っていない胴体部分の輪郭を削り、ぼんやりながらも胴体を掘り出していく。
 そんな中、腕の部分を先に明確にしていくために、外側から削る。完成図は少し腕を広げて迎えてくれる姿なので、削りすぎないように注意しなければ。
 そうして集中して削っていき、丸みを帯びたひし形の様な形にまで胴体部分を削ると、置物の向きを横に変えて、厚みの方も調節していく。

「うーん。腕と胴体の太さってこんなものか?」

 腕の予定部分と胴体の予定部分を見比べて、自分の腕と胴の大きさを参考にしつつ、大きさが変に偏っていないかの確認を行う。

「このまま彫り進めても問題なさそうだな」

 見比べてみて大丈夫そうだったので、作業を続行していく。

「・・・・・・」

 黙々と、ただひたすらに作業を行っていき、時間の感覚どころか置物以外の事が頭から離れてしまいながら、作業に没頭していると。

「・・・・・・ッ!!」

 突然走った電流に身体をビクつかせて、思わず小刀を手放しそうになった。反動で少し削ってしまったが、元々削る予定の場所だったので、問題はなさそうだ。

「・・・もうそんな時間?」

 驚きつつ、ボクは現在の時刻を確認する。

「・・・事前の電流って流れたっけ?」

 先程流れた電流を思い出し、その前には何も無かったよなと、首を傾げる。

「失敗したのかな?」

 そう思い、組み込んでいる魔法を確認するも、ここに来る前に組み込んだ魔法は、問題なく組み込まれていた。

「五秒後に設定して」

 次に、しっかりと起動するのか確かめる為に、少し余裕を見て五秒後に電流が流れるようにする。

「五、四、三、二! 一、ッ!」

 予兆としてのかなり微弱な電流がちゃんと流れたのを確認する。しかし、流れる時間があまりにも短いかもしれない。

「少し設定を変えるか」

 そう感じたボクは早速設定を弄る。そうした後に、また五秒後に設定して試してみた。

「うーん・・・こんなものなのか?」

 一秒程電流が流れるようにしてみたが、流れる時間は問題なくとも、それでも威力が弱い分、気づき難そうであった。

「うーん」

 どうしたものかと考え、設定を少し弄る。

「これならどうだろうか?」

 もう一度時間を設定して、電流を流す。
 今回電流を流す時間は同じ一秒ながらも、連続して流すのではなく、一秒間に電流を流したり流さなかったりと切り換えて、調子をつける。刺激に強弱をつければ、気づきやすくなると思うのだが。

「お、おぉ? これなら・・・どうだろう?」

 先程よりはよくなったが、根本的に発動する雷撃の威力をかなり弱めているので、分からないかもしれない。しかし、こんなものだろう。音を出すと周囲にも聞こえてしまうからな・・・それとも、別の魔法を組み込むべきだろうか?
 パッと思い浮かぶのは、振動させるとか、熱を持たせる。または逆に冷却させたり、締め付けたりかな? どれも組み込むのは簡単ではあるが、どうなんだろう。軽く締め付けるのはいいかもしれないな。

「時間はまだ少しあるな。組み込んでみるか」

 現在の時刻を確認した後、直前に流す雷撃部分を無くし、代わりに短時間だけ腕を締め付ける様に設定する。
 それを組み込み終えると、再度時間を設定して試運転を行う。

「む! ちょっと痛いが、少し緩めればいい感じかもしれないな」

 その結果を元に魔法の調節を行い、もう一度試運転すると、丁度いい締め付けの強さになったので、この辺りで満足して、そろそろ切り上げる。
 腕輪の調整を終えて、掃除と片付けを済ませると、訓練所を出てクリスタロスさんに帰る事とお礼を告げてから転移して、駐屯地から離れた場所に戻る。
 周囲はすっかり日が暮れて真っ暗ではあったが、念のために誰も居ないのを確認してから、駐屯地に戻っていく。
 彫刻は脚部がいったん終わり、胴体部分に取りかかれたのだから、十分進行出来ただろう。まだまだ時間は必要ではあるが、少しずつ前進出来ていると思う。
 自室に戻るとギギは居なかったが、それはいつも通りなので問題はない。
 一度お風呂場で身体を流すと、自室に戻って就寝準備を済ませてから、彫刻の続きを行う為に彫刻道具一式を構築する。

「さて、始めるか」

 腕輪の設定を行った後、作りかけの置物と小刀を手に作業を再開させる。
 クリスタロスさんのところでは、胴体部分の輪郭を途中まで彫ったので、その続きに取り掛かる。出来れば、もう少し輪郭をはっきりとさせるところまで彫り進めたいところではあるが、焦りは禁物だろう。

「・・・・・・」

 黙々と集中して彫っていくが、脚の時よりも細かな凹凸がある為に、線も直線や緩やかな線が組み合わさり、線の長さも異なるので、彫りすぎないように細心の注意が必要になってくる。
 それでも、集中して様子を見ながら少しずつ削っていっているので、進行速度は遅くとも、今のところ失敗はしていない。脚での失敗で大分懲りたというのもあるが、作業が遅いのは、やはりまだ感覚が掴めていないのが大きい。
 とはいえ、クリスタロスさんはそこまで凹凸のある体形をしている訳ではないので、楽と言えば楽だ。
 服装も、余裕のあるゆったりとしたものを好むようなので、その辺りで体形を隠すことが出来るし、その服装も柄物や変わった形の物は好まないようなので、その分手間が減って助かっている。
 そういう意味では、問題は顔の部分だろう。
 クリスタロスさんの、素朴ながらも神聖さが感じられるあの美貌は再現出来ないにしろ、それでもどうにか近づけたいものだ。

「ん!」

 腕の部分の形が大分出来てきたところで、腕輪が締まり、時間が来るのを教えてくれる。それで手を止めたところで、電流が身体に走った。

「うん。これならばいいかも?」

 もっと作業に没頭していた場合は分からないが、少なくとも、今ぐらい集中して作業していた場合ならば、大丈夫なようだ。
 それが判ったところで、片づけをして寝ることにする。明日は、久し振りにジーニアス魔法学園に出向く予定になっているのだから。





「んー、おまけが付いているのは気が利いていると思いますが、欲を言えば、もう少し歯ごたえが欲しいものですね」

 人と闇が接合したような女性は、遥か上空から眼下の様子を眺めながら、呆れたように呟く。
 その視線の先では、魔族の軍が潰走し、散り散りに逃げている。ように見える。

「それにしても、随分とお行儀よく逃げること。でも、残念ながら今回の主役は貴方達ではないのですから、端役はさっさと逃げてくださいね」

 それを少しの間、つまらなさそうに眺めた後、逃げる魔族軍とは反対方向に移動する影に目を移す。

「ふふ。さぁ、迷宮(ここ)の者達は、どれだけ私を楽しませてくれるのでしょうか?」

 通常、迷宮内に入っていく存在を追うのは、迷宮の上空からでは非常に難しい。というのも、迷宮の上空には、視界を遮る魔力の濃霧が常に覆っているからだ。
 しかし、女性にはそんな事は関係ないようで、迷宮の上空からでも、問題なく下の様子が確認出来るようであった。

「ふふ。壁の破壊を許可していない以上、街に移動するまで少し時間が必要ですね。その間、貴方の相手でもしていましょうか?」

 そう言うと、女性は少しだけ顔を動かし、背後の相手に意識を向ける。

「御気づきでしたか」
「ふふ。ええ、勿論ですよ」

 声に反応した背後に立つ存在に、女性は機嫌よく笑う。

「何をなされているので?」
「余興ですよ」
「余興、ですか?」
「ええ。直に貴方の主人のところにも伺うから、安心しなさい」
「・・・・・・」
「ふふ。大丈夫ですよ。その時連れていくのは、あれよりも弱いですから」

 女性は迷宮内を移動する存在に目を向ける。

「あれぐらいでも、貴方の主人であれば対処は可能でしょうが、あの世界では強すぎるでしょうからね。それでは駄目なのですよ」
「何故でしょうか?」
「これは余興ですから」
「余興・・・一体何の余興なのでしょうか?」
「世界と遊ぶための余興。貴方も楽しんでもらえると思いますよ?」
「どう遊ばれるのですか?」
「それは、その時のお楽しみですよ」

 楽しげに語る女性に、背後の者が口を開こうとしたところで。

「おや、やっと到着したようですね」

 女性が軽く笑うような口調で、そう口にした。
 迷宮に侵入した存在は、道を知っているかのように一切の迷いなく進み、迷宮内に在る一つの街に到着すると、それは中には入らず、堂々と正面からゆっくりと近づいていく。それで自分の存在が認知された事を確認したそれは、攻撃を開始した。

「ふふ。健気でしょう? 私の為なら喜んで捨て駒になってくれるのですから」
「逆らえぬよう支配しているからでは?」
「そうですね。でも、貴方だって主の為なら命ぐらい張るでしょう? でなければ、こうして私の前になんて出てこない訳ですし」
「・・・・・・」
「貴方は、主に逆らえぬよう支配されているのかしら? それとも洗脳でもされているのかしら?」
「・・・・・・」
「それと何が違うのかしら? 私はあの子達に強要なんてしていませんよ? 無論、貴方が言う支配も可能ではありますが」
「そもそも、死者に意思など在るのですか?」
「在りますよ? 元々生者だったのですから、そんなの当たり前でしょう?」

 迷宮の方に目を向けたまま、女性は背後の者の問いに答える。

「やはり、見ているだけの貴方達は駄目ですね」
「どういう意味でしょうか?」
「そのままの意味ですよ。観測者などと嘯いても、やっている事は観覧に過ぎない。それも、狭い範囲しか見ていない」
「そんな事はありません」
「ありますよ。貴方達の視野はあまりに狭く、それでいて何も見ていない」
「・・・・・・」
「現に、こうして出てこなければ、私を捉えることも出来ないのでしょう?」
「それは・・・」
「わざわざ入り口を開けて待っているというのに、一向に訪ねてくる気配が無いのですから、ただただ呆れるばかりですよ」
「・・・その入り口は何処にあるのですか?」
「それぐらい自力で見つけてほしいものですね」

 白けたような女性の言葉に、背後に立つ者は口を噤む。

「しかし、まだ倒しきれませんか。少々過大に評価し過ぎていたようですね。・・・このまま続けるよりも、別の街の様子を見に行った方がいいでしょう」

 女性がそう呟くと、迷宮内に居る存在はすぐさま戦闘を止めて、移動を開始する。

「迷宮内はいいですね。街同士の連携は無く、逃げる敵への追撃もほとんど行われない。攻める分には楽な場所です。だからこそ、歯ごたえがないのですが」

 興味を失いつつある様子の女性に、背後から質問が投げかけられた。

「最近、各方面にちょっかいを出しているようですが、貴女は一体何がしたいのですか?」
「またその話ですか。貴方は繰り言が好きですね。内容については秘密ですよ。それに、現在行っているのは余興だと伝えたと思うのですが?」
「何についての余興であるかは、まだ伺っておりません」
「それはそうでしょう。先程、その時までの秘密だと答えたのですから」
「・・・そうですか。では、貴女は一体何者なのですか?」
「それも前に言ったと思いますが?」
「伺いたいのは死の支配者ではなく、その前の話です」
「その前?」
「常世の国に赴く前は、何処で何をしていたのですか?」
「ふふ。何処で何を、ね」
「何かおかしな事でも申しましたでしょうか?」
「ええ。とてもおかしな事を言いましたね」
「?」
「私はね、その前は何処にも居なかったし、何もしていなかったのですよ」
「意味が分かりませんが?」
「私は生まれてまだそんなに経っていません。ふふ。自我を取り戻して一年にも満たない、貴女の主よりも若いのですよ」
「何故それを・・・いえ、それよりも生まれた? しかし――」
「魔物には見えない?」
「はい」
「当然ですよ。だって、私は魔物ではないのですから」
「では?」
「そもそも、魔物とは何だと思います?」
「・・・魔力に意思を加えた存在、ですか?」
「ええ、そうですね。それも間違ってはいない。しかし、正確ではない。それを言ったら、足下に蠢く者達全てが魔物、という事になりかねませんよ? 貴方も含めて」
「・・・では、魔物とは、何なのですか?」
「魔物とは、魔物ですよ」
「・・・申し訳ありません。私では理解が及ばないようです」
「そのままの意味ですよ。魔物とは、生まれながらに魔物と認識されている存在です。それは、人間が生まれた時から人間であると認識されているように、ドラゴンがドラゴンと、妖精が妖精と認識されているのと同じなのです」
「・・・どういう意味でしょうか? 何故、そう認識されるのですか?」
「それが分からないから、貴方達は見ているだけの観測者なのですよ」
「・・・・・・」
「そんな貴方達でも、満足してもらえると思いますよ」
「?」
「いずれ開演する演劇をです。貴方達観覧者にはうってつけでしょう?」
「・・・我々は観測者です」
「そう。まあそういう事でもいいですけれど。それはそれとしまして、話を戻しますが、人間は人間なんですよ」
「?」
「貴方は、敬愛している主についてどこまでご存じですか?」
「・・・どういう意味でしょうか?」
「そのままの意味ですよ。この世界では、生まれながらに全ての種族がその種族と決まっている。他の種族を自分の種族とする制度上の話を除けば、それは生きている内には変わらない」
「・・・・・・」
「では、何故貴方の主人は人間でありながら、一部人間ではないのでしょうか?」
「・・・ご主人様が死んでいる、とでも仰りたいのですか?」
「いいえ。貴方の主人は生きていますよ」
「では、どういう意味でしょうか?」
「・・・それが分からないから、貴方達は大したことがないのですよ」

 女性は呆れつつも嘲るような愉しげな声音を出すが、背後の者など歯牙にも掛けず、無防備な背を向けたまま、視線はずっと下界へと向いている。

「では、一体どういう意味なのでしょうか?」
「ふふ。貴方は訊くばかりですね。そんなに自分の無能さを主張しなくてもいいのですよ? 既に知っていますし」
「・・・・・・」
「貴方には十分すぎるほどに時間が在った。しかし、貴方はそれを無為に過ごしてきた。ま、別にそれを責めたりはしませんよ。自分の時間を貴方がどのように使おうと、それは貴方の自由なのですから。ただ、そのツケを一遍に他の者が得た知識で賄おうとしないで頂けますか? 私は別に貴方の配下や教師でも何でもないのですよ? 勿論、敵でもないのです。私を利用したいのであれば、せめて敵対ぐらいは出来るようになって頂きたいものですね」
「・・・貴女がこちらに牙を剥くというのであれば、私は貴女の敵となりましょう」
「ふふ。そういう意味ではないのですが・・・分かってて言っているのでしょうから、そう言う事にしておきましょう」
「・・・・・・」
「ま、一つだけ言えるのは、貴方の主人は人間ですよ。紛れもなく生きた人間」
「・・・そうですか」
「ええ。だから、私でも容易く殺せるのですが」
「・・・・・・」
「ふふ」

 背後から感じる殺意にも似た鋭利で冷たい感覚にも、女性は愉快そうに笑うだけで、視線を動かそうともしない。

「言ったでしょう? 貴方は私の敵ではないと。そんなそよ風の様な敵意では、気にも留めてもらえませんよ?」

 女性の言葉に、背後からの気配が収まっていく。

「おや? もう気が済んだので?」
「いえ。貴女がご主人様に手を出すというのであれば、全身全霊で御相手致しますが、貴女にはその気がないようなので」
「・・・そうですか。ですが、近いうちに別の者を遊びに行かせますよ」
「それは余興で御座いましょう?」
「ええ、そうですね」
「では、問題ないでしょう」
「そう。・・・一つ教えておきますが」
「何でしょうか?」
「私は貴方の主人が嫌いですよ」
「そうですか」
「ええ。だって、目障りですもの。分を弁えない愚か者なんて」

 僅かに背後の気配が揺らぐも、直ぐに収まる。

「ま、それなりに強いのは認めますがね」
「勝る者など居りません」
「ふふ。思ってもいないことをそうも平然とよく言えますね」
「・・・どういう意味でしょうか?」
「理解しているのでしょう? 今のあれでは貴方どころか、自称観測者の他の王達にすら勝てない」
「そんな事は」
「その先など夢のまた夢。どれだけ成長しようと、頂には辿り着けないでしょう」
「ご主人様こそ、至高の存在です」
「戯言もそこまでくれば、滑稽を通り越して憐れですね」
「・・・・・・」
「人間では限界がある。それでも、最終的には貴方よりは強くなれるでしょうが、精々がその程度。私の足元にも及ばない程度でしかない」
「・・・貴女は何者なのですか? 何処から来て、何を成すつもりですか?」
「本当に、先程から貴方は似たような事ばかり訊いてきますね」
「魔物以外を誕生させる術は無いはずです。それに、私の記憶に貴女と同じ種族は存在しない」
「はぁ」

 女性は迷宮内の動きに目を向けながら、疲れたように息を吐いた。

「貴方の狭い料簡で語られても困るのですが、私はこうしてここに居る。それが全てでは?」
「・・・貴女は何でしょう?」
「死の支配者。・・・それでいいではないですか。ま、目的の一つをお教えしておきますと、役立たずな自称観測者達の代わりですよ」
「・・・・・・」
「ついでに天敵でもあるんですよ」
「天敵、ですか?」
「無知な貴方でも、落とし子ぐらいは知っているのでしょう?」
「・・・勿論です」
「ああいったモノが悪さした場合に殺すのが、私の役目。役立たずな貴方達では敵わないので」
「・・・落とし子が何か御存じなのですか?」
「勿論。天敵ですもの。言い換えれば、私はこの世界の守護者といったところですか。ああ、詳細について語るつもりはありませんので」
「・・・それで、その守護者様は何をなさっているのでしょうか?」
「余興がてら、強さを調べている最中ですよ。ほら、守るにも情報は必要でしょう?」
「・・・本当ですか?」
「少しは本当ですよ」
「少しは? では、残りは何ですか?」
「ふむ。それで教えるとでも? 十分情報提供はしたと思いますが、まだ足りないとでも?」
「肝心な部分の答えを頂けていないのですが」
「肝心な所だから答えないのですよ」

 当たり前のことだろうという口調でそう返すと、女性は下界に向けていた顔を前へと向ける。

「それにしても、弱い」
「弱い、ですか? 防衛は成功したようですが?」
「それは当然ですよ。撃退できるのが前提なのですから。ただ、色々と想定していた中でも下の方の結果なのが残念なだけです」
「これからどうなされるおつもりですか?」
「最初の方で言いましたが、貴方の主人の元へと近々使者を送るつもりですよ」
「強さを測って何をするのですか?」
「ですから、演劇ですよ演劇。観覧者である貴方達にはうってつけでしょう?」
「・・・演目は何ですか?」
「そうですね、敢えて言うのであれば、美ですね」
「美ですか?」
「ええ。皆さんの協力で、この演目を美しく仕上げるのです。これは、その為の測定ですね」
「・・・それに何の意味があるのですか?」
「おや、これは観覧者にしては異なことを言いますね」
「観覧者ではありません」
「見ているだけなど観覧者ですよ。そして、演劇に楽しむ以外に何か意味があるとでも?」
「・・・・・・」
「まぁ、まだ開演までには時間が必要ですが、それまで楽しみにしていてください」
「楽しみになど」
「・・・さて、十分情報提供を行ったところで、私は帰らせてもらいますよ。ああそういえば、最後に教えておきますよ」
「何をでしょうか?」
「君の主人の居る地の南側で、興味深い事が行われているようですよ。止めなくていいのですか?」
「興味深い?」
「あれを放っておくと、落とし子が現れますよ?」
「!!」
「ま、落とし子を人間として迎え入れれば、人間が勢力圏を拡大させるのも容易になるかもしれませんね。私は落とし子の天敵でも、積極的に狩ろうとは思いませんからね」

 楽しげにそう言うと、女性は「それでは」 と言い残してその場からかき消えた。

「・・・やはり追跡出来ませんね。しかし・・・守護者に落とし子、ですか」





 ジーニアス魔法学園に向かう列車は、西門と北門で何度も乗ったが、東門からは進む方向が違うので、景色は新鮮だ。
 今までは、クロック王国とユラン帝国を通る道であったが、今回はハンバーグ公国からナン大公国を経て、ユラン帝国に到る道を進んでいる。ジーニアス魔法学園に向かう時もこの軌道だったが、あの時は緊張や同室者が居たりで、いまいち覚えていない。
 しかし、あの時よりも車両や乗客の数が少ないからか速度は速く、最初の時は三日掛かった道程だが、今回は二日とちょっとで着くという。
 そんな列車でも、内装は今までと大して変わらない。
 個室の中も、背もたれ付きの長椅子が向かい合わせに配置されているだけで、後は窓が一つと照明が一つあるだけの同じような造りだ。一応長椅子は眠れるだけの長さはある。
 そして、個室の中での様子もあまり変わらないが、今回はプラタの姿が無く、ボクの隣にシトリー、向かいにフェンとセルパンが座っている。
 シトリーにプラタはどうしたのか尋ねてみたが、「知らない」 という答えが返ってきただけであった。
 まぁ、プラタの事だから心配はいらないのだろうが、それでもいつも居る時に居ないと心配になってくるな。
 とはいえ、心配していてもしょうがないので、久しぶりの列車旅なのだから、長いこと聞いていなかったフェンとセルパンの話を聞く事にする。
 まずはフェンの話だが、最初は東の森の様子について教えてもらった。
 どうやら、現在東の森の中は安定してきているようだが、魔物の数が増えているらしい。というのも、変異種に倒された魔物に代わって新たに支配することになった魔物は、魔物創造が扱えるらしく、減った数を補う為に魔物創造を行使し続けているらしい。

「それで、平原の魔物の数が一向に減らないの?」

 それにしては数が多すぎる気がする。流石にあれは、一人で創造出来る範疇を超えていると思うのだが。

「それも一因では御座いますが、他の勢力でも似たような状況でして」
「なるほどね」

 全ての勢力で魔物の数を増やしているというのであれば、あの数も納得出来るというものではあるが、つまりはそれだけ魔物創造を行使できる存在が多いという事になる。しかし、それが行えるのは、かなり上位の魔物ではなかったか?

「そんなにあの森は強い魔物が多いの?」
「現在は多いようです」
「現在は?」
「どうやら、魔族が援軍として連れてきた数体の魔物が同族創造を行使できるようでして、その魔物が新たに強い魔物を創造して、といった感じのようです。今でもそれが続いているので、あの森の攻略難度は現在でも上がっております」
「ほぅ。それは凄いな」

 セルパンについてはまだよく分からないが、フェンの例があるように、創造主よりも強い魔物というのは生まれる事がある。これは魔力量だけではなく技術も必要になってくるので、その辺りが関係しているのだろう。
 創造した魔物が必ずしも創造主の言う事を聞くわけではないので、戦列に援軍を加えてもいいのだろうが、そのまま居着くのかな? 魔物と魔族の関係がいまいち把握出来ていないから、その辺りは解らないな。

「支配している魔物は変わらないの?」
「はい。その辺りの変化は無いようです」
「支配地域は?」
「落ち着いてからの変化は、ほぼありません」
「なるほど。協力はしているんだね」
「そのようです。小競り合い程度は多少あるようですが、大きな争いは起こっておりません」

 魔物同士仲がいいようだ。東の森自体広いが、別に物理的に区切られている訳でもないので、他の森へと攻めようとしたりはしないのだろうか? 数が増えているらしいから、いつか攻める日が訪れるのかもしれないな。
 そうなった場合、南以外は支配できそうだが、数が多い分、もしかしたら南の森のエルフも敗けてしまうかもしれない。
 気になったので、尋ねてみる。

「数が増えているようだけれど、魔物は他の森へと攻め入ったりはしないの?」
「見た限りではありますが、兆候らしきものはあります。しかし、まだ興味がある程度で、本格的に攻め入ろうとはしていないようです」
「そうなんだ。エルフは内向的だけれど、北の森は・・・纏まってないから無理か。という事は、魔物だけが外に興味を持っていることになるのか」

 では、平原はどうなんだろう? 魔力濃度の関係で人間界の方は微妙だとしても、森から少し先の平原ぐらいまでなら興味ありそうだな。

「平原の方はどうなの? 結構魔物が出てきているようだけれども」
「平原も興味を持っているようですね。観察をしていて感じただけではありますが、何となく国を造ろうとしているのではないか、という印象を受けました」
「国?」

 魔物の国は南の方に在ると聞いているが、それとはまた別に興そうという事か。

「はい。現在分割統治している東の森の形をそのまま拡げたような感じを目指しているようです」
「なるほど。という事は、ここも狙っているのかな?」
「まだ本格的にではないようですが、そのようです」

 だからあんなに大結界に攻撃を仕掛けていたのかな? フェンも肯定しているし、これは面倒な事になっているな。今のままであればなんとか凌げるだろうが、数が増えるか魔物の気勢や強さが上がればきついだろう。
 特に強い魔物が出てきてしまったら、それだけで厳しい戦いになりそうだな。

しおり