北門警固2
天井に向けていた視線を下ろすと、席を立って窓際に移動する。
光を反射させている窓とはいえ、かなり間近で見れば辛うじて外が見える。
とはいえ、何も無い外の風景が見えるだけなのだが・・・?
「???」
窓に顔を近づけ外を眺めていると、地平線の辺りで微かな光が動いたのが見えた。
最初は反射した室内の光でも見たのだろうかと思ったのだが、ジッと観察するように見ていると、再度微かな光が右に左にとふらふら動く。
まるで人形に憑依する前のプラタのようなその光に、ボクは眼を飛ばして確認してみる。
そこには何かが居た。いや、居たと言うよりもはみ出ていた。空間から何かの先に付いている光がはみ出るように。
それはボクが魔力視を用いてるからこそ、そういう風に視えるだけで、もしも近くで肉眼で見た場合、光が空中に浮いてるようにしか見えなかった事だろう。
あれは何だろうかと注視する。なおもふらふらと誘うように動く光。しかし、いくら見ても光が空間からはみ出てる事しか分からない。なので、プラタとシトリーに訊いてみる事にした。
『プラタ、シトリー聞こえてる?』
『聞こえております。ご主人様』
『ジュライ様どったのー?』
『あそこに光がはみ出てると思うんだけれど、分かる?』
ボクの確認の問いに、二人は僅かに沈黙を挿む。
『・・・はい、確認出来ます』
『・・・ああ、あるねー』
どこか鋭さというか深刻さの滲む声を出す二人。
『あれが何か分かる?』
『あれは・・・そうですね、我らでは分からないのです』
『分からない?』
『正確には分かっている事がほとんど無い、という事です』
『ん~ほとんど、って事は分かっている事はあるの?』
『一つだけですが』
『それは?』
『あれはこの世界の歪みから生まれたモノです』
『歪み?』
『詳しくは分かりません。何分私の生まれる前の出来事ですので』
『私も知らないよー。私が生まれた時にはアレは既に居たからね・・・』
『そうなんだ。という事は他に分かる人は居ないのか・・・不気味だな』
不明なモノというものは恐ろしい。それが敵か味方かさえ分からないのだから、せめて攻撃してこないかどうかぐらいは判ればな。
『まぁいいや。それじゃあ今は観察だけにしておくか』
『それが宜しいかと』
『うん。ありがと』
そこで会話を閉じる。しかし、あれは本当に何なんだろう。そもそも世界の歪みとは何なのか。それを考える前に、世界自体がよく分からないからな。
とりあえず光の観察を継続する。
世界の眼を用いても光が何かは分からない。細かく観察しても、やはり光でしかない。
どうしたものかと思案するも、そこで光が消えてしまった。
結局何も分かりはしなかったが、何も無かったから良しとしておこう。もう関わりたくないな。本当に。
◆
その空間には何も無かった。全てが暗い闇の中。上も下も、右も左も分からないそこでは、自分が立っているのか座っているのか、眠っているのか起きているのかさえ狂っていく。
それに加えて音も匂いも何もなく、自分に触れても触れた感触がしない。そんな常人ならば発狂しそうな空間で、オーガストはただジッと動かずに考え事を続けていた。
自称神の男を消滅させてからというもの、オーガストは自分の記憶の確認に時間を費やしていた。それが終わると、様々な事をとりとめもなく考え続けていた。
そんなオーガストはふと外の世界、ジュライの意識の先にある世界に意識を向ける。
「・・・・・・」
その世界に在るとあるモノに眼を向けるも、直ぐに興味を失い意識を戻す。
「・・・・・・まだその時ではないな」
そう呟くと、オーガストは静かに自分の世界に籠る。
世界の根幹に唯一至れた存在であるその少年は、今はただただ静かに内に籠るのだった。
◆
結局、睡眠を取ることなく日が昇り、ボクは座っている席から明るくなってきた外へと目を向ける。広間にはまだ誰も居ない。
程なくして、二人の部隊長が起きてくる。
「おう、おはよう。早かったな」
「おはよう。今から飯持ってくるからな」
「おはようございます」
挨拶もそこそこに、二人の部隊長は朝食を摂りに移動する。
それでまた一人になるが、直ぐに他の部隊員達が起きてきた。
適当に朝の挨拶を済ませると、部隊長達が全員分の朝食を手に戻ってくる。
その朝食を各自好きに取り、思い思いの席に腰掛け食べ始めた。
ボクは干し肉と乾燥野菜と水を朝食にし、さっさと食べ終えてぼんやりと周囲に目を向けた。
どことなく眠たそうにしている者もいるものの、ほとんどの人がしっかりと起きている。
それにしても、全員綺麗な食べ方なのに食べる速度が速いな。もうすぐ朝食も終わりそうだ。
程なくして朝食を済ませると、後片付けを行う。それが終わると、全員が詰め所の外に出て整列する。
「全員居るな。今日は西門との境近くで折り返して、またこの辺りの詰め所に戻ってくる予定だ。今日もしっかり見回りに励むように」
男性部隊長の言葉に全員が返事をする。
それに頷くと、男性部隊長の隊を先頭に、一行は整然と西側へと移動を開始した。
◆
詰め所を出発して西側に向けて歩みを進める。
西側に近づいていくと、寂しかった大結界の外の景色にも彩りが添えられていく。
といっても、木が思い出したように生えているのと、下生え分が増えたぐらいだが。
それとともに魔物や蟲の姿が若干増えた気がする。北の森に居るという動く植物は居ないみたいだが。
ボクは警戒しながらも景色の変化を楽しむ。西の境に近づくにつれ、目に映る物も増えていく。
そうして昼になり、西門との境近くの詰め所に到着する。
その詰め所は他よりも一回り大きく、頑丈そうに見える。男性部隊長を先頭に、ボク達はその詰め所の中に入っていった。
詰め所の中には若い男性兵士が二人、若い女性の兵士が二人、老齢の兵士が一人、壮年の魔法使いが二人、若年の魔法使いが一人の計八人の先客が居た。
西門の時と同じで、境に近い詰め所には熟達者が配されているようだ。
部隊長達が先客に挨拶をしつつ、ボク達に適当に席に着いているように指示を出す。
ボク達が席に着いた後、部隊長達は昼食を取りに向かった。
その間、ボクは先客の様子に目を配る。
先客の兵士達は誰もが引き締まった筋肉をしていて、身体中に大小様々な傷跡がある。そこには老若男女は関係ない。
魔法使いの三人は兵士に比べれば細いものの、それでも筋肉質だ。目つきは鋭く、相手の本質を見極めようとしている様にもみえる。内包魔力量は高く、ジーニアス魔法学園の一般的な低学年の生徒では束になっても太刀打ちできないだろう。
そんな先客達はボク達の事を全く気にしていないようで、思い思いに時を過ごしている。
程なくして部隊長達が昼食を持って戻ってきた。それをみんなに配ると、昼食を食べ始める。
ボクは昼食を直ぐに終わらせると、折角西門との境界付近まで来たので、境界周辺の様子を探ってみることにした。
境界周辺には、西側と森側から魔物や蟲などが流れてきているようで、それなりに数が確認出来る。ただし、大結界に近づいてくる様子は無い。それは魔力の濃度が関係しているのだろうか? 変異種の話をプラタとした時からそんな疑問が浮かんでいた。
思えば、大結界近くまでは何故か基本的に弱い魔物しか姿を見せないのはそれが影響しているのかもしれない。
そう考えると、大結界は一応の役には立っているという事になる。
とはいえ、内部が魔力濃度が薄くなる大結界は内側の存在を魔力的に弱体させるという欠点があるので、長期的にみればあまりお勧めできないのだが。それに、プラタやシトリーのような突き抜けた強さの存在はそれを意に介さないので、大結界は意味がない。
おそらくではあるが、前に西の森に居る精霊のナイアードが言っていた呪いの道具というのは、この大結界を発生させているという魔法道具の事なのだろう。
しかし、その魔法道具は何処に在るのだろうか? 探ってみるにしても、ボクじゃ少し時間が掛かるな。プラタに訊けば分かるかな?
『プラタ』
『如何致しましたか? ご主人様』
呼びかければいつも通りに直ぐに返事が得られる。
『人間界を取り囲む大結界だけれどさ、ジーニアス魔法学園の図書館に在った資料には魔法道具を使用しているとあったけれど、どこにその道具が在るか分かる?』
『地下空間に拡がる都市に安置されております』
『地下空間・・・って、この地での人間の最初の都市?』
『恐らくは』
『ふぅん、まだ機能しているんだ』
『今でも人間が住んでいるようです』
『へぇ。どこから行けるか分かる?』
『人間界の中央辺りに、地下へと降りる乗り物が在るようです』
『中央ってことは、マンナーカ連合国か・・・あそこはちょっと厄介だな』
マンナーカ連合国。
それは人間界に在る五つの大国の一つにして、唯一防壁と接していない国。それは人間界の中央に在り、五大国で最初に出来た国でもある。正確には連合国になる前の王国が、だが。
元々は東のハンバーグ公国と南のナン大公国と合わせて一つの王国だったのだが、二国が独立した事で中央に領土を持つだけの連合国となった。
マンナーカ連合国は十三の小国の集まりで、連合国となってからは王や皇帝のような統治者は存在しない。それぞれの国の代表者による合議制で国家運営を行っており、国を挙げての事業に取り掛かる際には、何をするにもこの代表達の議会を通さなければならない。
少々窮屈ではあるが、国としては安定している。
他国同様に国内に魔法学校も存在しているが、実戦経験が防壁に接している四国よりも乏しい為に少し遅れを取っている。
学習目的で防壁の警固に派遣をしていても、やはり近場の魔法使いに比べると見劣りしてしまうようだ。
そんな理由もあり、最強位を務める人物も、他国に比べてあまりに影が薄い。強さも他国に比べて劣ると言われている。
最近はハンバーグ公国の最強位に最年少のクル・デーレ・フィーリャ・ドゥーカ・エローエ様が就いた事で序列が一つ上がり序列四位扱いだが、それも直ぐに越されて、いや、既に越されているとも言われている。最強位に就く少し前からクル・デーレ・フィーリャ・ドゥーカ・エローエ様の成長速度が異様に上がっているらしい。
それとは別に、マンナーカ連合国の中央付近に十三の小国のどこにも属さないマンナーカ連合国の首都があるのだが、そこへの人の出入りが何故だか厳しく制限されているのだ。
プラタの言う人間界の中央とはおそらくこのマンナーカ連合国の首都だと思うのだが、正面からではその地下へ降りる乗り物とやらに辿り着くのは困難そうだ。
『まぁ機会があれば、かな』
『ご主人様が御望みでしたら、今すぐにでも現物を御持ち致しますが?』
つまりは、おそらく厳重に安置されているであろうその魔法道具を地下から今すぐ持ってくるということか。プラタにならそれが驚く程容易に出来るんだろうな。とは思うのだが。
『いや、要らないよ。今大結界が消えても困るからね』
魔族もだが、変異種の事もあるしな。他にもエルフだっている。
『左様ですか、畏まりました。しかし、件の魔法道具が結界内で自働で起動している限りは、結界が消える事も動く事もないかと』
『そうなのか。人間の支配地域が拡がった場合どうするんだろう?』
『これ以上の結界の拡張は不可能かと』
『そっか』
『ただし』
『ん?』
『ご主人様が個人で御使いになられる場合はその限りでは御座いません』
『個人で?』
『元々、この魔法道具は自衛の為の一助として生み出された魔法道具ですから』
『そうなんだ』
『ですから、本来は個人の魔力のみで起動する物で御座います』
『・・・それはつまり、それを今は空間の魔力を使用して無理矢理起動させていると?』
『はい。現在の魔法道具には明確な所有者が居ないのでしょう。強いて言うのであれば人間界でしょうか』
『ふむ』
『ですからご主人様が所有者となり、空間から吸収する魔力以上の魔力を供給した場合、今以上に広域の結界も展開が可能となります。勿論、御自身の周囲だけに展開する事も可能ですが』
『そうなのか。また面倒な使い方をしているな。これが誤った使い方か』
『はい』
所持者を決めずに使用すれば大規模な結界が張られるが、内側の者は弱体してしまう。弱体してしまうと結界に頼らざるを得なくなると。この悪循環は確かに呪いと言えるのかもな。
起動させ続けている人物はそれがそんな物騒なモノだと知っていて使っているのかね? んーきっと理解はしているんだろうな。・・・そうだ、場所が分かった事だし、魔法道具の情報だけは取得しておこうかな。
『その魔法道具がエルフの癒し手とやらが持っていたモノなのか』
『左様で御座います』
『でも、なんで地下なんだ? エルフの癒し手が玩弄されたあげく殺されたのは帝国なのに』
『中央だからでは?』
『ああ、そういえば様々な国のお偉いさんを招いてエルフを提供したとか言っていたか。その時にでも渡したという事かな』
プラタの言うように、魔法道具が地下に置かれているのはおそらく中央だからだろう。それにしても下らないことをしてくれたものだ色々と。
ボクが過去の愚者達に心底呆れていると全員が昼食を終え、食休みに入る。
しかし、過去の出来事とはいえ、エルフにした仕打ちに少し苛立ちを覚えたのは、兄さんと記憶や感情が分かれたからなんだろうな。
『そういえばナイアードが癒し手達の剥製が何処かに在るって話していたけれど、どこに在るかプラタは分かる?』
『帝国の場合ですと、国宝などを保管してある金庫の更に奥に作られている隠し金庫の中に保管されております。他の国も国宝の一つとして納められたり、地下の隠し部屋に保管されたりと様々ではありますが、似たように厳重に保管されていますね』
『そ、そうなんだ』
なんだろう、まさかと思って冗談半分で訊いてみたら詳しい答えが返ってきたこの衝撃の大きさ。相変わらずプラタが恐いよ。
『しかし、そうまでして保管したいモノなのかね』
絵画や彫像なんかの美術品の良さがいまいち解らないボクには、理解出来ない感性だな。あんなの鑑賞したところで、その一瞬だけ綺麗とか凄いとか思うだけなんだが。
『私には解りません』
『そうだね、ボクにも解らないや』
美術的価値と言われても解らないもんな。歴史的価値ならまだ辛うじて理解できるんだけれども。
「さて、そろそろ昼休みも終わりでいいだろう」
立ち上がった女性部隊長がそう言うと、他の部隊員達も立ち上がって詰め所の外へ移動を始めたので、ボクも会話を終えて外に出た。
外に出ると、男性部隊長が点呼して整列させる。
それが終わると、来た道を戻り始める。相変らず帰りは防壁の内側の見回りだった。
北門の内側は、外側と違い木が多い。これは王国の主な産業の一つに林業があるからだ。
人の姿はあまり見掛けない。村や街が離れたところにあるから、こちらまでは来ないのだろう。
索敵してみても西門の時の様に魔物が居るという事は無い。帝国以外の魔物の巣はプラタが全て潰してくれたからな。
それにしても木が多いこと。その影響か、この辺りの土地は平坦ではなく起伏があり、丘のような小さな山が多い。
人が少なく、魔物は居ない。魔物以外の敵性生物も見掛けないし、平和そのものだ。念の為に探知する範囲を広げてみるも、脅威になりそうなものは何もなかった。
下を通る警備中の兵士達が目に映るも、どこか退屈そうにみえる。やはり平和なのだろう。いいことではあるが、気を抜きすぎのような感じもする。
そのまま何も無いままに見回りは続き、前日に泊まった詰め所の一つ前の詰め所に到着する。その頃には日が暮れかかっていたので、本日の見回りはここまでとなった。
全員で詰め所の中に入ると、適当に椅子に腰掛け夜食を待つ。
部隊長達が保存食を持ってきて全員にそれを配る。
配るというか、好きに取れといった感じで机の上に広げただけだったが。
皆が食料を取る隙間を縫って腕を伸ばし、ボクはほとんど手探りで水と食料缶を一つ適当に掴むと、それを手に席に着く。座って手にした缶を確認すると、乾パンだった。しかも普段のより少し大きい缶に入っている。
「・・・・・・」
前日の味を思い出し、ボクは少し微妙な気持ちになったが、まぁいいだろう。美味しくはないが、食べれない程ではない。
ただでさえ一つでも量が多いに、大きいので少し食べて翌日に持ち越す事にした。やはり少し分けて貰うぐらいが丁度いいな。
胃袋に詰めるだけならば人並みに量が入るとは思うが、満腹感には抗えない。これは兄さんと記憶などが分離しても変わらなかった。ただ、それを残念だとは思わなかった。少量はちゃんと食べられるしな。味も判る訳だし問題ない。
そして乾パンを半ば水で流し込みながら食べると、直ぐに満腹になった。さて、少し休んだら大結界を生み出している魔法道具について調べてみるか。
◆
赤みがかった黒髪をした美しいその女性は、豪勢な部屋を後にして本だらけの私室に入る。
私室に入ると女性は椅子に腰かけ、机の上に置いてあった紙の束に目を通す。
「流石に招待客が多いわね」
その紙にはクロック王国を中心に、国を越えた
「あら、シェルさんもいらっしゃるのね。珍しい事もあるものですわ」
普段あまり交流は無いが、それでも全く交流がない訳ではない為に一応送った招待状に出席の旨が書かれた返事があったらしく、出席予定者の一覧にシェル・シェールの名前が書かれていた。その下にはペリドット・エンペル・ユランの名も。
「ペリドット・エンペル・ユラン・・・エンペル・ユラン? ああ、ユラン帝国の下から三番目の皇女で、確かシェルさんのお弟子さんでしたか」
女性はコクコクと頷きながら、紙に書かれている出席者一覧に目を通していく。
「ふぅ。ウィリアム様はもう目を通されているでしょうから、これは私が保管しておきましょうか。まだ追加があるでしょうし」
そう言うと、女性は机の引き出しにその書類の束を仕舞い、次の紙を手に取る。
「北門の報告書ね。なんで
数枚のその紙に書かれている内容は、北門での魔物などの敵性生物の発見報告と、新しく来た他国からの学園生の事が、名前と一緒に簡単な説明と併せて書かれているようであった。もしかしたらそのずらずらと書かれている名前が、出席者名簿の一覧と勘違いされたのかもしれない。
念の為に女性がそれに目を通し始めたところで私室の扉が叩かれた。
「どうぞ」
この時間に来訪予定の者は決まっていた為に、女性は直ぐに入室許可を出す。扉を叩く位置も来訪者が予定通りの相手である事を知らせてくれる。
扉が開かれると、小さな影が一つと大きな影が一つ姿を現す。それに女性は書類に落としていた目線を上にあげた。
「いらっしゃいパトリック。それにウィリアム様も」
小さいながらも利発そうな少年に慈愛の籠った笑みを向けた女性は、愛情の籠った笑みをもう一人の聡明そうな長身の男性に向けた。
「母様、忙しいところすいません」
「ちゃんと休まないと身体に障るよ、ジャニュ」
そう言いながら室内に入ってくる二人。
「あとこの書類に目を通すだけなので、もう少しお待ちください」
ジャニュはウィリアムにそう言うと、「もう少し待っていてね」 と、息子のパトリックにも告げて再度書類に目を落とした。
その間、こんな時の為に二つ用意してあった椅子に二人は腰掛ける。
「ッ!!」
それから少しして、書類ももうすぐ終わるという所でジャニュの目が止まる。
「母様?」
その異変に気付いたパトリックが心配そうに声を掛けるが、それが聞こえていないようで、ジャニュはパトリックに返事もせずに数秒止まり、突然凄絶な笑みをその顔に浮かべた。
「うふ、ぐふっ、ぐふふふふ、ふひ」
堪えきれない様に、奇妙な笑い声を口から漏らしだすジャニュ。
初めて見る母親のその顔に、パトリックは恐々とウィリアムに顔を向ける。
「父様、母様がおかしいです」
そのパトリックの頭を優しく撫でながら、ウィリアムは安心させるような笑みを浮かべる。
「大丈夫だよ。パトリックは初めて見るだろうが、あれは私が惚れたジャニュの笑みさ。ただ、ジャニュがあんな嬉しそうな笑みを浮かべる相手は一人しか居ないからね、見る機会はそうそうないのさ」
そう言って、ウィリアムはジャニュの方に顔を向ける。
「少し嫉妬してしまうが、実力を考えればそれもしょうがないだろう。どうやら彼が、オーガスト君がこの国に来ているようだ」
◆
深夜、誰も居ない広間でボクは寒気を感じてぶるりと震えた。
「???」
悪寒の類いのようなその震えに、ボクは周囲を確かめるように見回す。
「き、気のせい?」
静かな広間にはボク一人だし、他には何も無い。魔力的な監視等も感じられない。夜も更けたので急に冷えたのだろう。・・・そうに違いない。
そういう事にして、ボクは視線を窓の外に向ける。電気を消す事は出来ないが、明かるさを調節する事は出来る。
しかし、明かりを弱くしても窓ガラスに映る自分の、兄さんの姿。
「・・・・・・」
その姿を見ていると、本当にこのままでいいのかと自分に問い掛けてしまう。
ボクは死者だ。死した者は大人しく眠るべきではないのか。いくら持ち主に許可されていようとも、兄さんに身体を返すべきだという声が内より届く。
しかし、それを否定する言葉もまた届く。中には自分勝手な言い分も含まれているが、それもまたボクなのだろう。
「はは」
そんな自分に気づき、卑屈げな乾いた笑いが漏れる。それでもやはりこのまま生きていたいのだから、惨めというか愚かというか、本当に醜いものだ。
それに耐えられなくなり、視線を窓から外す。
「!!」
そこでボクは驚きに息を呑む。広間の隅にわだかまる闇に向けた視線の先に、いつの間にかプラタが立っていたから。
いつの間に現れたのか分からないが、静かに暗闇の中に立つ小柄な少女というのは恐怖を覚えるには十分だった。服装が黒いのも余計に恐怖を煽り、服の縁を彩る黄色が不気味さを演出してくれる。何より、その妖しい美しさを誇る銀色の双眸が蠱惑的な魅力を放ち、見た者が目を逸らす事を忘れさせてしまう。
「ど、どうしたのプラタ? シトリーは一緒じゃないの?」
ボクは出来るだけ平常を保とうと努力する。バクバクと煩い早鐘を静める為にも。
「シトリーは所用で席を外しております。私はご主人様の御尊顔を拝見したく参上した次第で御座います」
「そ、そうなの? シトリーの所用って?」
「細かな用向きについては聞いておりません」
「そっか。まぁ折角だから隣に座る?」
ボクは隣の椅子を引いてプラタに問い掛ける。
「宜しいのですか?」
「うん。誰も居ないし、話し相手にでもなってよ」
念の為に周囲の監視を密にしつつ、プラタにそう声を掛ける。今の状態で独りで考えていると、余計な事しか頭に浮かばないからな。
「それでしたら喜んで」
プラタは近寄ると、ボクの方に身体の正面が来るように、横向きで引いた椅子に腰かけた。
「それじゃあ何から話そうかな」
話だけなら少し前にもしていたので、急には思い浮かばない。
「でしたら、私から一つ御伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ん? いいよ。何?」
珍しくプラタから口火を切ってくれる。
「ご主人様は、いつからの記憶を御持ちでしょうか?」
「大体八年ぐらい前からかな」
「左様でしたか」
「何かあった?」
「いえ、嬰児の頃の記憶を御持ちなのかどうか気になりまして」
「無いね。というか、一般的にも乳飲み子の頃の記憶何て無いんじゃない? ・・・兄さんなら本当は在りそうだけれども」
兄さんは何でもありの人だからな。
混濁した時の記憶の一端から、ただ一心に努力して今の境地に至ったのは知っているが、それでも最初から全てが出来ていたような錯覚を覚えずにはいられない程に超然的な底知れなさがある。
「左様で御座いますね。あの方は全てを超越されておられますから」
「・・・自慢の兄だよ」
凄すぎて素直に誇れないけれど。まぁ嫉妬は微塵も起きないが、何か自分の矮小さを思い知らされるようだから。
「プラタはさ・・・もし兄さんと戦ったら、勝てる?」
「絶対に勝てないでしょう。と申しますか、勝負にもなりません」
「そこまで?」
「はい。シトリーとフェンの手を借りたとしましても、やはり勝負にもならないでしょう」
その三人でも何もできないのか。本当に、自慢の兄だよ。
「兄さんは何をみてるんだろうね」
「私如きでは到底理解が及びません」
「ボクもだよ、一体子どもの頃に何を見つけたんだろうね」
「見つけた、ですか?」
「うん。兄さんは幼い頃に何かを発見したらしい。そして、それを自分ごと封印している間に理解したらしいよ」
「・・・そうなのですか。それは初めて耳にしました」
プラタは興味深げな目を向ける。ボクも知りたいから、その気持ちはよく理解出来た。
「それが何かはボクも知らないんだけどね」
「左様ですか」
頷いたプラタは、残念そうに見えた。
それからも暫く会話を続けていると朝になり、部隊長達や部隊員達が起き始めてくる。それに気づいた時にはプラタは既にどこかに姿を消していた。
いつの間に消えたのだろうかと疑問に思いながらも、起きてきた人達と挨拶を交わす。
それから朝食を済ませると、片付けを済ませてボク達は北門へと出発した。
北門へは約半日ほどの距離なので、多少速度を落として無理なく進む。
そのまま平和な内側の様子を確認しながら見回りを続けると、夕方頃には北門が見えてくる。
北門周辺になると木の数が減り、開けた地が多くなる。
確認出来る人も兵士や学生ばかりだ。
そのまま何事もなかった為に日暮れ前には北門に到着し、北門前で部隊は解散となったので、任務を終えたボクは宿舎へと戻った。
◆
北門西側の見回りを終えた日の夜。先に帰っていたレイペスと軽く雑談を交わしたのだが、なんとレイペスはハンバーグ公国の出身だった。所属している学園もハンバーグ公国の学園らしく、ここには応援ついでに経験を積む為に来ているらしい。
そんな話を同室者とした夜も終わり、朝になる。
朝の準備を終えて食堂で朝食を食べ終えると、ボクは敵性生物討伐の為に北門前まで移動する。
北門前には既に八人の生徒と、五人の監督役を務める北門所属の魔法使いが集まっていた。監督役の魔法使いが五人という事は、ボクを入れて討伐に出るのは五組という事だろうか。
ボクが合流してから暫くして、更に八人組と五人組が合流した。
その後で説明を受けて北門の外へと出る事になる。やはり今回は全部で五組という話だった。
変異種が北の森に姿を現してからそれなりに経っているとはいえ、大騒動と呼ばれているらしい敵性生物の南下に伴う大討伐の影響で、討伐を行う生徒の数が一時的に減っているとか。それでも少し前よりは大分増えたみたいだ。当たり前か。
北門を通り、大結界の外に出る。パーティー一組につき一人の監督役の魔法使いが付く。この辺りは西門と同じだが、西門で監督役は経験しても生徒側は初めての経験だった。
ボクは自分に付いた監督役の魔法使いの男性に挨拶をした。
「本当に独りで大丈夫か?」
挨拶を交わすと、監督役の魔法使いの男性が心配そうに声を掛けてくる。それもそうだろうなと思いつつ、問題ない事を伝える。
「はい。問題ありません」
「・・・そうか。まぁ私が危ないと判断したら介入するが、理解しているか?」
「勿論です」
「ならばよろしい」
ボクの返答に、監督役の魔法使いの男性は納得したように頷いた。それを確認したところで、ボクは探索を始める。
探索を始めると言っても、もう索敵自体は行っていたので、見つけていた数少ない敵性反応の方へと足を向けた。
それにしても、本当に数が少ない。討伐に出た生徒は全て西側へと移動したので、ボクはあえて索敵を行った東側の反応の方へと向かっている。
東側に向かうこと数十分。そこで大きな芋虫と遭遇した。
黄緑色の体色にギザギザの口。その口の上に二つ在る大小様々な円を幾つも重ね合わせたような大きな円の部分が目だろうか?
しかし大きいな。まだ結構距離があるというのに、人間より大きいのがはっきり判るんだから。
とりあえず近づかれては面倒だし、なによりそこまで速くないので、ボクは魔力を凝縮させた小さめの炎の槍を一本出して、それを巨大芋虫目掛けて射出する。
巨大芋虫目掛けて勢いよく飛翔した炎の槍は、縦に長い巨大芋虫の頭から尻尾までを抵抗を感じさせずに貫通していった。
それで炎上した巨大芋虫は、直ぐに炭と化して平原の一部となった。炎の槍は貫通した直後に分解しておいた。
「ほぅ。流石に独りで戦うだけあって、威力も精度も高いな」
それを観戦していた監督役の男性魔法使いの評価は上々みたいだ。そこまで驚いていないところから、やりすぎていない範囲ということか。
ボクはその言葉を聞きながら、次の敵性反応の場所へと向かう。
流石に東側で討伐しているのが一人だと、敵が少なくても何とかなる。まぁ距離が離れているのは困るのだが。監督役が居なければ直ぐに移動できるんだけれどな。
そのまま一時間弱移動して、次の敵に遭遇する。次の敵は獣型の魔物だった。
魔物はボクを見つけると一直線に駆けてくる。そこそこの速度ではあるが、何も無い平原では一直線に駆けてくる相手などいい的でしかない。
今度は魔力を凝縮した水の槍を一本発現させて、真っすぐ駆けてくるその魔物目掛けて射出する。
かなりの速度で飛翔した水の槍は魔物を貫通する。これも貫通した瞬間に分解させておく。
水の槍が貫通した魔物は直ぐに消滅した。
サクサクと敵性生物を狩りながらも、次の獲物を探す。それを幾度か繰り返したが、やはり一番移動に時間が掛かってしまっている。
そろそろ夕方という所で北門に戻る事にするが、移動だけで時間がないので、残念ながら途中で寄り道して敵を狩るような暇は無かった。
北門近くの大結界の外で全員が集まると、大結界の内側に入り、北門前で解散となる。
結局、ボクは今日一日で敵性生物を計五体倒せただけで終わった。本当、平原に敵が居ないな。
宿舎に戻ると、お風呂に入って寝る準備を行う。向かいのベッドではレイペスも寝る準備をしている。しかし、レイペスは日中何をしているのだろうか? ジーニアス魔法学園の生徒の様に警固任務に従事する期間のようなものはないらしいけれど、それでも応援らしいから見回りでも行っているのだろうか? その辺りは謎だ。
とはいえ他人様の事なんてどうでもいいか。とりあえず寝る準備が整ったので寝る事にしよう。そこまで疲れるほどではなかったけれど。
ボクは横になると、レイペスに就寝の挨拶をして眠りについた。
◆
「グゥゥゥ」
真っ暗な森の中。それは半ば正気を失いかけたようなうめき声を漏らす。
それがゆっくりとした重い歩みで進む森の中には、吐き気がしそうな程に濃密な魔力が漂う。そのあまりの濃度に魔力が可視化され、まるで霧のように漂っている。
「ウゥゥゥアァァァァ」
苦しそうな声を上げながらも、それは非常にゆっくりとした歩みで森を進む。しかし、それは何故自分が森の中を移動しているのかという当初の目的の記憶がかすみはじめていた。
「ウアァァァッ」
そして、少し離れた場所に何かの反応を見つけたそれは、誘われるようにそちらへと進むのだった。