北門警固
目を覚ますと、地味な色の天井が目に映る。
「・・・・・・」
三年生に進級してから、十数日が過ぎた。
駐屯地はどこの門も似たようなものだと思っていたが、国が違うからか、多少は特色があった。
上体を起こすと、部屋の中に目を向ける。
西門と違って北門の宿舎には二段ベッドは無く、一部屋に一人用のベッドが二つ置いてあるだけ。他には少し大きめの窓と、その近くに小さな机に椅子が二脚置かれている。
今回は初めから同室者が居た。
名前はレイぺス。性別は男のはずだが、外見が少女の様に可愛らしく、アルパルカル以上に少女っぽい。その為、男性宿舎で出会わなければ女性だと勘違いしていたと思う。
背も低く、ボクの胸元まであるかどうかというぐらい。短く纏められた髪の色はかなり薄い桃色。同年齢らしいが、背が低いからかどうしても年下に見えてしまう。
いや、背が低い以前に表情はまだあどけなく、声音が玉を転がすような高く澄んだ美しい声と、どう見聞きしても幼い少女のそれだった。
そんな幼い少女のような見た目のレイペスではあるが、内包している魔力量はかなり多く、ペリド姫達に匹敵するほどの実力者であった。
それでいてレイペスは実は他校生で、この駐屯地に赴任してきて現在三ヵ月を過ぎたところらしい。
そのレイペスはもう一つのベッドでまだ寝ている。時間的には早いので、起こす必要もないだろう。
ボクはレイペスを起こさない様にしながらベッドから下りると、顔を洗う為に外に出る。
そういえば、三年生からは鎧の装着は任意でいいとか。実戦をそれなりに経験しているはずだから己の判断に任せるという事なのかもしれない。
それにしても、日中はすっかり温かくなりはしたが、早朝はまだ少し寒さを感じるな。
北門の宿舎は全体的に新しく、廊下は白と黒二色の四角形の石が交互に敷き詰められている。壁際には採光の為に大きめの窓が等間隔に並んでいて、日中はとても明るい。
ボクは洗面所に寄った後に食堂へと移動する。
ここの食堂は広い空間に数名用の円卓が多数並び、それを囲むように椅子が置かれている。
西門よりおしゃれな感じの北門なのだが、残念ながらパンがあまりおいしくはなかった。というか、ただ固いだけのパンなら西門で遠征時に持って行った缶入りの乾パンの方がおいしかった。
まぁ、王国の主食は米飯や麺類らしいのでしょうがないのかもしれないが。多分。
なので、ここでは米飯を食べる事にしている。もっちりとしていて甘みがある白くて艶々した米は、これはこれで満足なのでたいした問題ではなかったが。
とりあえず米だけを少量食す。噛めば噛むほど味が出るので、他には何も要らない。
そんな食事を終えると、食堂を後にする。その頃になってレイペスが食堂に姿を現したが、入れ違いになったので特に会話は交わさなかった。
宿舎の外に出ると、格子状に整然と並べられた石畳の上を歩く。
進級して北門に来たと言っても、やる事はそんなに変わりはしない。警固任務は西門で体験したものとほとんど同じだ。少なくとも今の所。
問題は北門警固ではなく、敵性存在の規定数討伐の方だ。これは主に魔物が相手になるので別名魔物討伐と呼ばれるものなのだが、北門では魔物以外も結構見るので、魔物討伐ではいまいちしっくりこない。まぁそれはそれとして、最近その魔物などの敵性生物が北門やその付近にほとんど姿を見せないらしい。人間にとってはいい事なのだが、ジーニアス魔法学園の生徒にとっては進級できない困った事態になる。
その原因については心当たりがある。というか一つしか思い当たらない。それは北の森に居る変異種の存在だ。
問題の変異種は動きが異様に遅いのだが、現在は北の森を東側に移動している。お陰で最近西側には魔物などが姿を見せはじめているらしい。
とはいえ、この事態に困っている学生は現在の所そう多くは無い。何故なら魔物などが平原から姿を消す前、変異種が北の森に姿を見せたばかりの頃に、森から魔物や蟲などの北の森に生息している生き物が押し出されるようにして大量に南下してきたことがあったらしい。
当時その場に居合わせた生徒はそれでほとんどが規定数の討伐を終えたのだとか。レイペスもその時討伐に駆り出された一人だとかで、その騒動の話をしてくれた。
ボクはまだ討伐には出ていないものの、どうなるのだろうか。それも一人で狩る事になるから、ただでさえそれで目立つので、目立ち過ぎない様に気をつけないとな。
とりあえず今日からは防壁上を西へと見回りだ。
そういえば、ペリド姫達はまだ事後処理に追われているみたいだ。多国間を股に掛ける程の大きな組織を潰すとそれだけ処理しなければならない案件が多いという事なのだろう。それも首領を生け捕りにしたのだ、訊きたい事は多かろう。まだ裏に居る人物のあぶり出しも終わっていないのだから。
大変だなと思うも、それが警固任務に加算されているのだからまだ救いがある。
ああそうそう、奴隷売買組織の首領であるフラッグ・ドラボーが捕まった民家に隠されていた小箱がつい先日発見されていたんだった。どうやらアンジュさんがその小箱の鍵を見つけていたようで、昨日中身を確認していたとか。・・・プラタの報告によればだが、まぁプラタの言ならば確実にそうなのだろう。
その際に小箱の中身について尋ねたのだが、中身は世界の眼で確認した通りに割符と小さな紙だったらしい。
中に入っていた紙に書かれていた内容は現在解読中みたいだが、まさかと思いつつも試しにプラタに内容について尋ねてみたら知っていたらしく、答えてくれた。
内容は取引相手とその相手に渡す商品についてだとか。しかもその書かれている取引相手は裏に居る一人で、プラタ曰く帝国の枢機卿側近の一人らしい。
それについても色々思うところはあったが、それ以上にプラタのその把握している範囲の広さに、相変わらず引くほど驚くしかなかった。本当に敵じゃなくてよかった。
そんな事を考えている内に北門前に到着する。門はどこも大きいモノらしい。
北門前の広くなっている場所には様々な部隊が行き交い、集合している。ボクはその内の一つ、事前に聞いていた位置に集まっていた部隊と合流する。
ボクが合流した時には、部隊長である背が高く目つきの鋭い女性と、もう一つの部隊の部隊長である筋骨隆々の壮年の男性だけであった。
「ほぅ、早かったな。感心感心」
女性の部隊長が合流したボクに、少し濁った低い声でそう声を掛けてくる。
「おはようございます」
それに頭を下げながら二人に挨拶をする。どうやら他の部隊員はまだ到着してないらしい。時間的には余裕がありすぎるからな、ボクものんびり待っていようぐらいに思っていたところだし。
そういう訳で、二人の部隊長と軽く会話を交わしながら他の部隊員を待つ。
「そういえば、オーガストはここに来たばかりだったな」
「はい、そうです」
「どうだ、慣れたか?」
「まだまだ戸惑う事ばかりです」
「はっは! そうかそうか」
女性の部隊長は、愉快そうに笑う。何が面白かったのだろうか?
「だが、それだと魔物討伐が大変だな!」
男性の部隊長が見た目通りの力強い口調でそう話す。何が大変かは一つしかない。
「そうですね。ですが、また魔物などが姿を見せ始めているんですよね?」
「そうだな、西側から上がってくる報告にはそうあるな!」
「では、まだ焦るほどではありませんよ」
まだここに来て一月も経っていない。北門警固の任務期間も半年なので、それに間に合えば何の問題も無い。因みにこの期間に討伐が間に合わなくとも、討伐が終わるまで駐屯地に滞在していても大丈夫だ。任意で警固任務の継続も可能だし。
「くっくっく」
そこで突然女性部隊長が小さく喉を鳴らす。
「どうかされましたか?」
そんな女性部隊長に訝しげな目を向ける。本当に何かあったのだろうか?
「いや、すまんな。気にしないでくれ」
小さく笑いながらも、手振りと共にそう言われる。気にはなったが、まあいいだろう。
その後も主に男性部隊長と雑談していたが、その間も時折小さく笑い続ける女性部隊長が気になった。しかし時間が経ち、他の部隊員が少しずつ合流した事で任務の時間となった。
防壁上にあがると、一行は一路西へと向かう。
北側の防壁上から見る平原は、その言葉通りに何も無い場所であった。
地面の大半は土色で、所々草が生えているのが確認出来る。木はほとんど目にしない。花に至っては上からでは一つも見当たらない。
まるで不毛の大地の様に思えるものの、これでもまだマシになった方らしい。
遥か昔、人間がこの平原に来たばかりの頃にはこれ以上に酷かったらしく、本当に不毛の大地だったらしい。それを時間をかけて土壌を改良していったらしいが、その辺りの詳しい話は分からない。学園の図書館にもその辺りの事が書かれている資料が無かったし。
そんな寂しい景観を眺めながら、ボク以外に女性部隊長・若い男性兵士・同年代で他校生の男子生徒・年上の男子生徒の四人が一緒の部隊と、男性部隊長・若い女性兵士・年上の女性生徒・同年代で他校生の女性生徒・年下で他校生の男子生徒の部隊の二部隊計十人で見回りを行う。
そういえば、見回りには関係ないが、西門の兵士と北門の兵士では軍服の色が異なっていた。西門の兵士は赤を基調とした軍服に身を包んでいたが、北門の兵士は青を基調とした軍服であった。こんな所でも違いがあるんだなと思ったが、考えてみれば各門を守護している兵士は、その門がある国に属している兵士なのだから、国によって軍服の色が異なっていても何らおかしくはないのか。軍服の基本的な形だけは同じだったが。
他にも北門に最も近い魔法学園の生徒とも会ったのだが、こちらも制服が青を基調としていたので、王国の色なのかもしれない。制服の青は軍服の濃い青と違って鮮やかな青だったが、まぁそこは許容範囲だろう。
でもそれならば、帝国領にあるジーニアス魔法学園の制服の色が赤を基調としたものではなく濃い緑色をしているのには何か意味が在るのかな? 覚えていたらバンガローズ教諭辺りにでも訊いてみようかな。
ああ、そういえば他校の制服で思い出したけれど、北門では他校生と会ったのに西門では会わなかったのはなんでなんだろう? 西門では宿舎から任務までジーニアス魔法学園の生徒だけでやってたものな。でも駐屯地でも目にしなかったけれど、たまたまかな?
まあそれはいいとして。
今回の北門から西門側への見回りの任務は二回目なのだが、本当に平原に敵性生物が少ない。ボクの眼でも未だに遠くに一体確認出来たぐらいだ。少し索敵範囲を拡げてみようかな。
「・・・・・・」
索敵範囲を拡げてみたが、新たに二体確認出来ただけだった。西門との境まで拡げるのは疲れるので今はやらないが、それにしても少ないな。ボクは半年以内に討伐規定数に到達できるのかな? んー、まぁその時は駐屯地に残ってのんびり狩ればいいや。別に最短での進級を目指している訳ではない。勿論早く卒業できるのであればそれが望ましいのだけれども。
しかし、敵性生物が居ない為に至って平和な見回りだ。まるでみんなで散歩しているようではあるが、これで景色がよかったら言う事無しなんだけれどな。
当然の事ではあるが、見回りの最中は全員が防壁の外を注視している。私語はもっての外だ。必然的に毎度この時間は思考の時間か、プラタ達との会話の時間になる。
今日は自分の記憶というモノを思い出す事にする。
兄さんの記憶とボクの記憶が混線していた為に今まで記憶がおかしかった。
記憶が戻った後に兄さんに聞かされた話だが、それに加えあのアスマと名乗った白の男性がボクの記憶に介入していたらしい。何でも封印中の兄さんの代わりに生きるボクに悪夢をみせて苦しめようとしていたとか。兄さんへの嫌がらせの為だけに。迷惑な話だ。
それを兄さんが封印の片手間に出来る限り妨害していたらしいが、結果として生み出された記憶が、存在しない幼馴染とそれに伴う恐怖であった。しかし、スノーは実在したらしい。兄さんがサクッと倒したらしいけれど、話を聞くに状況が全然違った。スノーが現れたのは町から離れたところにある森の中で、見知らぬ少女を襲っていたらしい。
まったく、人騒がせな。そもそも、ボクの記憶は約八年前、兄さんがスノーを倒して少しした辺りから始まっている。
兄さんの話では、スノー戦の前に妙な人物から魔法や武術などの訓練を施された辺りからアスマという人物が活性化し始め、スノーを倒した後に抑えきることが出来なくなったらしい。
当時の兄さんはまだまだ未熟で、アスマを封印するので精一杯だったとか・・・しかしボクに言わせれば、あのアスマという人物を封印できる時点で狂った次元の強さだと思うんだけれどもね。
という訳で、ボク自身の記憶は学園生活を除けばほとんどが家の中で引き籠っていた記憶しかないという事だった。
それに少し衝撃を受けたものの、今は外を見れる喜びの方が勝っていた。もしかしたら、ボクは兄さんの様に引き籠っているのは性に合わないのかもしれない。
昼になり、日差しも強くなってきた。
部隊長の指示で、近くの詰め所で休憩を取る。詰め所の造り自体は西門と大差ない。
部隊員達は思い思いに好きな机を囲み、昼食を摂りはじめた。
ボクは窓際に近い席に腰掛け、外を眺める。以前と変わらず昼食は必要ない。どうやらこれは兄さんの魔法の恩恵のようだ。兄さんは完全に飲食不要どころか、睡眠も必要ないらしい。なんでも観察と考察を続けるために邪魔な寝食を排したんだとか。相変わらず発想もだが実行出来る才能もおかしい人だ。
北門では他人の食糧事情など気にしないのか、食事をしない事や量が少ない事について訊かれた事は今の所一度も無い。気楽でいいので、それについては気に入っている。
とりあえず皆が食事中でまだ時間があるので、外の様子を眺めながら魔物や蟲などの姿を探す。近いうちに討伐する事になるから、大まかな分布を確認しておきたい。
とはいえ、ほぼ居ないんだけれど・・・うーん、もう少し視界を拡げようかな。
北門から西側に絞って視界を調整する。これぐらいの範囲であれば世界の眼は必要ない。
「・・・・・・」
西側の境界付近に近づけば敵性生物の姿がちらほら確認出来るのだが、北門付近は本当に何も居ない。
視界を平原から北の森へと移すと、北門から真っすぐ北側の森を中心に、北の森の中を索敵する。
北の森の中には魔物や蟲、動物などの姿が確認出来る。しかし観察していると、全体的に西寄りに動いているように視えた。
ボクは世界の眼に視界を切り換えると、原因になっている変異体へと眼を向ける。
変異体は相変わらず魔力を垂れ流している為に完全に輪郭を捉えることが出来ない。それでも、かなりゆっくり東側へと移動しているのが窺える。
それにしても、何故東側なのだろうか? 北側は無理なのは分かるが、西も南も残ってるというのに。・・・こういう考えても分からない疑問は先生に訊けばいいだろう。
『プラタ』
『いかがなさいましたか? ご主人様』
呼びかければすぐに返答が得られる。
『北の森を東側に移動している変異種は何故東側に移動したのか分かる?』
『それでしたら、選択肢がそれだけしかなかったからです』
『? どういう事?』
考えられる選択肢は西・南・東の三択で、他にはその場に留まるぐらいしかないが、それで何故東を選んだのだろうか。
『北側には魔族が居りますので進めません。西側は森に侵入してきた道ですので、そちらに進めば戻る事になります。ですからその選択肢は無くなり、留まり続けていると魔族を呼んでしまう可能性があり、南側は魔力が薄すぎるので嫌ったようです。結果としまして、東側に移動するしかなかったという次第で御座います』
『なるほど』
『ですが、東側にも魔族が居ますので、そう遠くないうちに南下してくる可能性があります。その際、どの位置から南下するかは不明です』
『それはまた面倒そうな事態だね。このまま東側に移動してからだったら東門側に下りてしまうか』
『はい。可能性としましては、東側の魔族に気づき西側に戻るか、そのまま森を南下していくかだと』
『なるほど。意地でも人間界には近づきたくないと。それはいいけれど、確か東側の森は魔物の巣窟になってなかった? 中には強い魔物が居た記憶があるのだけれど』
西と南の森にはエルフが縄張りを持ち、北の森には特殊な動植物達が跋扈し、東の森は魔物が巣くっている。それが人間界を囲むように存在する森の現在の様子だ。
この中で一番難易度が低いのは北の森で、一番難易度が高いのが南の森だと言われているが、実は東の森も結構きついのだ。
東の森の魔物は下級が多く、過去には上級の存在も確認されている。そんな東の森に近い東門の警固兵は魔法使いがかなり多い。それも熟達者ばかり。
そんな強い魔物に日夜晒されているハンバーグ公国だからこそ、魔法使いの養成も盛んだ。ナン大公国のような火力重視の魔法使いではなく、どちらかといえば防御重視の魔法使いだが。
しかしこの東門、ジーニアス魔法学園の学生にとっては鬼門であった。最下級の魔物も存在しているが、下級の相手が一気に増えるのだから。まぁ森の中を探索するのに比べれば戦う相手が少ないので簡単ではあるが。
『はい。現在東の森には中々に強力な魔物。人間の基準で上級に位置する魔物を数体確認しております。この魔物達が連携を取るのであれば、変異種も負ける可能性が高いのですが、それは非常に少ない可能性かと。しかし』
『しかし?』
『どうやら東側の魔族軍と東の森に住む一部の魔物が手を組んでいるようです』
『は?』
『強い魔物というのは知能が高い場合が多いので、そういう芸当が可能な魔物が存在しているという事です』
『ふむ』
『そして、その魔物は軍のような共同体を構築しているようです』
『それで同盟か』
『御明察の通りで御座います』
『それは興味深いね』
魔物というのは本当に面白い。シトリーのような最上位の存在も居るしな。
『その同盟が有効な限り、変異種が東の森に侵入しても直ぐに追い出される事でしょう』
『それはまた色々考えさせられるね』
現在ハンバーグ公国は森へ興味を示していないが、だからといって安全とは限らないだろう。だけれど今は変異種の動向を注視する方が優先かな。
そんな話をプラタとしている内に全員の食事が終わり、食休みに入る。この流れも西門と同じらしい。
全員ではないが、生徒も兵士のほとんどが所属も身分も関係なく会話をしている。
ボクは会話に参加しないで窓の外を眺めているが、静かな空間である為に、近くの机で行われている会話が勝手に耳に入ってくる。
「結局、あの急な襲来の原因は何だったんですか?」
年上の女子生徒が男性の部隊長に問い掛ける。どうやら少し前に変異種が原因で起こった敵性生物襲撃騒動の話らしい。
「現在調査中だ。森の中には安易に入れないからな」
「そうですね、森の中は敵だらけですし」
男性部隊長の言葉に、年下の男子生徒が深刻な表情を浮かべて応える。
「これはあくまでも俺個人の予想だが、西側からはまた魔物なんかが平原へと侵入しているのが確認されているから、北の森の中で勢力図が変わったのではないかと思うのだがな」
「勢力図、ですか?」
「ああ。新しい何かが外から森の中に入ってきたとか、森の中で成長したとかで大きな勢力が生まれて、森の中に他の存在が居ずらくなったのではないかと考えている。そして、現在その勢力は森の東側を縄張りにしているのではないかとな」
「それで西側から魔物達が流れてきていると?」
「あくまで俺の個人的な見解だがな」
「なるほど。しかし、北の森に生息していた魔物や動植物が逃げ出すほどの勢力とは一体・・・」
「それは分からん。その辺りは俺達兵士よりも、お前達学生の方が専門家だろう?」
「まぁそうなんですが・・・もっと上の学年じゃないと、森の中の様子は分かりませんね」
「私達じゃ森の中まで入れないからね」
学年が若いうちは森の中に入らせてはくれないというのはどこも同じらしい。
「調査隊は派遣している。じきに結果が出るさ」
「あまり面倒な事にならなければいいがな」
男性部隊長がそう言って締めようとしたところに、別の机を一人で囲んでいた女性部隊長がからかうような声を出した。
「その時は、我らが守護者たる女神様がどうにかしてくださるだろうよ」
「はっは! そうしないようにするのが我らの役目だがな」
それにそう返した男性部隊長の言葉を愉快そうに笑う女性部隊長。目が少しばかり鋭かった気がしたが。
「女神様とはどなたの事ですか?」
そんな女性部隊長を横目に、年上の女性生徒が男性部隊長に質問する。
「ん? 誰ってそりゃ、クロック王国最強の魔法使いであらせられる、ウィッチヒロ・ジャニュ・デューク・レイド・ワイズ様に決まっているではないか」
まさかの人物の名に、思わず声を出しそうになった。それにしても、今はそんな仰々しい名前になっているのか。さすがは最強位の貴族様。
「赤髪の英雄様! ああ、我ら王国の民の憧れですね!」
「色の濃い赤髪に見えるが、あれは正確には黒髪らしいな」
うっとりと呟いた若い女性兵士の言葉を、男性部隊長が訂正する。
「王国最強と言えば、確か公国から嫁がれた方でしたっけ?」
「そうだ。もしもそのまま公国の民であったならば、今頃はあの方が公国最強になっていただろうさ」
「しかも、元平民らしいんですよ! 貴族様に見初められて・・・女性なら一度は憧れますよね!!」
女性生徒に若い女性兵士が鼻息荒く、身を乗り出して力説する。
「しかも最強の魔法使いですよ! 先代様から託され、王国の為に奔走してくださっている!! ああ!!」
陶酔するような声を出す若い女性兵士。これが王国民の一般的な反応なのか、それともこの若い女性兵士が特殊なのかは知らないが、ボクの、というか兄さんの記憶にあるジャニュ姉さんの姿は引く程の変態なんだけれども・・・治ったのかな? いや、元より外面だけはよかったのか。
「そ、そうですね」
女性生徒は、若い女性兵士の剣幕にちょっと引いている。
それにしても、ジャニュ姉さんは頑張っているんだな。あの困った性癖ももしかしたら治って・・・軽くなってるかもしれない。
まぁ会う機会なんて嫁いでから一度もなかったが、王国に滞在している間は噂ぐらいは聞くことになるのかもしれないな。
「ほら、女神様の話もいいが、そろそろ休憩を終えて見回りを再開するよ」
女性部隊長はそう声を掛けながら席を立つ。
その声に他の部隊員が続き、男性部隊長も一度時間を確認してから席を立って詰め所の外へと出る。
「全員居るか?」
男性部隊長が点呼を取って確認すると、整列してボク達は見回りを再開する。
北門の管轄は少し長い為に、西門の様に片道が一日で足りるという事はなく、片道は大体一日半程掛けて踏破する。移動速度は、西門よりは気持ちゆっくりめだろうか。
防壁上から見える景色は相変わらず寂しいものではあるが、見晴らしがいいとも言える。
これで敵性生物でも居ればいいのだが、残念ながら現実はそう簡単に変わりはしない。
確かこの見回りが終わったら、次は大結界の外で敵性生物討伐だったっけ? こうも敵性生物の姿が見えないと、討伐は暇になるのではないかと若干心配になってくる。
ああでもその前に、どうやって単独で目立たない様に戦うかを考えないとな。剣で戦うにも、こうも見晴らしがいいとまずは魔法で攻撃するのが定石だしな。
定石から外れると目立ちかねない。それに、攻撃射程まで待つなり近づくなりしている間に横取りされる可能性だってあるからな。
うーん、中々難しいな。これは敵の力量を見極めて、ギリギリの魔力量で魔法を一発分組み上げてから、それで一撃で倒すのが理想だろうか? そこまで魔力量の籠っていない一発なら目立たないだろうし・・・うん、これでいこうかな。
◆
敵性生物がろくに居ない為に、今日の見回りは特に何事もなく夕暮れ前には終わる。
詰め所では独り席に着いて、用意された保存食を口にする。
乾パンもあったので試しに食してみたが、西門のものとは違うようで、ただ固いだけで小麦のふくよかさがまるで無かった。
西門の乾パンは食べる分には気にならないぐらいには美味しかったんだけれどな。とはいえ、やはりハンバーグ公国のパンには敵わないか。公国は良質な小麦が特産の一つでパンが主食だからな。
他には干し肉や乾燥野菜、干飯まであった。
それらを少量ずつつまんだが、乾パン以外は美味しかった・・・と、思う。
まだみんなが食べているものの、ボクは満足して窓に目を向ける。
日の暮れた暗い世界を切り取った窓が反射するのは、弱い電灯の明かり。それでも、窓が鏡の様になって自分の姿を映しだす。
それは兄さんの姿。中身が違おうと、外見はオーガスト兄さんのモノだ。
ボクは生きていた時の事を覚えていない。それは記憶が消されたとかではなく、そもそもボクは何かを記憶する前に死んだのだ。
これも兄さんから聞いた話になるが、というか兄さんも出生の話は母さんに聞いた話らしいが、ボクと兄さんは双子だったとか。しかし、ボクは死産だったらしい。
ただそれだけの事なのだが、どうやらその際意識とでも言えばいいのか、そういうモノが兄さんの方へと移ったらしい。
時が経ち、それを己が内側で見つけた兄さんは、力を付けてきた白の男性を封じる間の代役としてボクに実体を与えたという話だった。
その後は白の男性に捏造された記憶で八年間生きてきた。その白の男性も少し前に兄さんが排したのだが、それからも兄さんはボクにこの身体を貸してくれている。
記憶が戻ってからは、もしも生きていたならば・・・などと考える事が無い訳ではないが、いまは今で幸せだ。だって、こうして好きに生きれるのだから。
ああそういえば、ボクの保有魔力は全てボク自身の保有魔力らしい。しかし、何故だか記憶が戻ってから内包魔力が急激に増えていた。
それが気にはなったが、それとは別に、その話をした時に意識からそこまで再現したのだと事も無げに言ってのけた兄さんは、本当に規格外すぎると思ったものだ。何となくではあるが、兄さんはやろうと思えばボクを成長した状態で生き返らせることも可能なんだと思う。ただ、やろうとしないだけで。
多分、兄さんにとってボクは白の男性を封印中の代理でしかないのだ。それ以上でもそれ以下でもない。白の男性を排した後もこうして身体を貸してくれているのは、本当に外の世界に興味が無いだけなのだろう。
兄さんが見ている景色というのは、一体どういう景色なんだろうか? あの何も映していないようで全てを見透かしている様な不思議な光を宿す瞳が映している光景とは一体どのようなものなのか、それは非常に興味深かった。しかしそれを知るのは叶わない事だ。
視線を窓に映る自分から部隊のみんなに戻す。
まだ食事をしている者も居るが、既に食事を終えている者がほとんどで、雑談に興じている。
雑談の内容は様々ではあるが、例の若い女性兵士は相変わらずジャニュ姉さんの話をしていた。
「あ! そういえば忘れていませんよね?」
「ん? 何をだ?」
「もうすぐパトリック様が八歳になられる事ですよ!」
「ああ、お披露目会をするらしいな」
一人盛り上がっている若い女性兵士に、女性部隊長は相槌を打つ。
「そうなんですよ! 御身体が弱いらしくてお披露目が八歳にまで延びたらしいのですが、大丈夫なんですかね? それにしても、ああ私も参加できればなー」
「それは無理だろう」
「警備兵としてなら!」
「お前は北門担当だろう。お偉いさんの警護は専門の兵士がやるさ」
「う~それはそうなんですけれど・・・そこを何とかなりませんかね?」
「ならん。諦めろ」
「う~~~~」
素気無い女性部隊長の返答に、若い女性兵士は恨めしそうに唸り声を上げる。
「そんな目で見つめられても、私にはどうにも出来んよ」
お手上げとでもいうかの様に、わざとらしく手を上げる女性部隊長。
そんな女性部隊長を暫く見詰めていた若い女性兵士は、諦めたように息を吐いた。
「・・・もう寝ます」
「そうしろ、明日も早いんだからな」
若い女性兵士は立ち上がると、とぼとぼと肩を落として奥へと消えていった。
「他の奴も早く寝ろよ。まぁ明日寝坊しないのであれば起きていてもいいがな」
奥に消えた若い女性兵士の背中を見送った女性部隊長は、周囲の起きている部隊員にそう告げる。それを受けた部隊員の何人かは奥の仮眠室に向かっていった。
「お前は寝なくていいのか?」
構わず座っていたら、女性部隊長がボクに声を掛けてくる。
「はい。眠くないので」
「・・・ふ~ん?」
「ああ、当然明日の見回りには寝坊もしませんし、支障もないので大丈夫です」
「そ、なら好きにしろ。十分に務めを果たすならば後はお前の自由だ。法の範囲でならな。取り締まるのが面倒だし」
そう言うと、女性部隊長は興味を失ったかのように別の方向へと目を向けた。
それを確認した後、ボクは椅子に深く腰掛けると、背もたれに背を預けて天井に視線を向ける。
少し青っぽい暗い色の天井を眺めながら、ボクは先程若い女性兵士が話していた内容を思い出していた。
『パトリック様が八歳になられる』
そのパトリックとは、確かジャニュ姉さんの第一子だったはずだ。名前だけは聞いていたが、もう八歳か。という事は、ジャニュ姉さんがクロック王国の貴族に嫁いでから九年になるのかな? そして最強位に就いてから五年だ。
最強位の就任年数では、ハンバーグ公国の最強位であるクル・デーレ・フィーリャ・ドゥーカ・エローエ様と同じだ。正確にはジャニュ姉さんの方が十二日ぐらい早いらしいが。
それにしてもお披露目会か、上流階級というものは面倒な事をするものだな。本当、庶民で良かったよ。