頭痛と進級
「はぁ」
西門と北門の警固担当の境界近くの詰め所で、僕は疲れから小さく息をついた。
現在僕が居るのは、詰め所内にある男子便所の中。それも個室の中だ。どうしてこんな所に居るのかというと、別に用を足す為ではない。先程までペリド姫達の所まで転移していたので、それを見られない為だ。
それにしても、初めての長距離転移はもの凄く緊張した。それでも成功したので、いい結果が得られた。帰りも無事に着いて本当によかった。
緊張しすぎてまだみんなの所には戻りたくはないな、脱力感が凄い。夜食は早々に済ませておいたので、心配はされないだろうし。
ペリド姫達の方は大丈夫だろう。首魁のフラッグ・ドラボーは魔力を抜いて無力化しておいたし、生きてた者達の傷は体力ごと戻しておいた。死体の方は放っておいたが、死者の蘇生が禁忌では無ければ戻したんだけれどな。それはまぁいいか。
しかし、フラッグ・ドラボーは弱かったな。あっさり終わるので他の人間と大して変わりが無い。得意だという欺騙魔法もしょぼかったし。まぁ、フェンに魔物を食べさせてあげられたのは良かったかな。僕から以外の魔力もたまには供給したほうがいいだろう。魔力にも個体差の様なモノがあるから。
「・・・またか」
そこで急にズキリと痛みだした頭を押さえる。相変わらず痛み自体は一瞬なのだが、それが最近ではほぼ毎日の様に襲ってくる。それも一日一回とは限らないのも困りものだった。せめていつ痛むのかぐらいは分からないものだろうか。
「何が原因なんだ」
転移の時に起きなくて良かったと思いつつ、僕は頭を押さえながら個室を出る。
頭痛の原因は分からないが、この頭痛が頻発するようになってから判った事が一つだけあった。それは、頭痛が起きれば起きる程に記憶にかかっている靄の様なモノが少しずつ晴れていくという事。とはいえ、まだ記憶は戻らないのだが。
「どうやって調べればいいのか」
詰め所の広間へと向かいながら、この頭痛の原因をどうにか調べられないかと思案する。しかし、その方法がよく分からないのだ。そこに答えは確かに在るのに、在るのが理解出来ない様に何も思い浮かばない。まるで調べるのを無意識に禁じられている様な、そんな空回り感がある。
「・・・・・・」
広間に到着すると、部隊員の多くは早々に仮眠室に移動していた。そこには元々この詰め所に詰めている熟達者と部隊長しかいなかった。
我ながら浮いているなと思いながらも、広間の隅に置かれている椅子に腰かけて、広間全体をぼんやりと眺める。
この詰め所には見回りの任務で何度か来たが、相変わらずここの重い空気は慣れない。かといって仮眠室も嫌だしな。みんな寝ている中で一人だけ起きてるとか不審者でしかない気がする。
全員ではないが、ここに詰めている人員の顔を多少は見慣れたのが救いではあるも、正直外で過ごしたかった。いや、まだ便所の個室の方が快適かもしれない。臭いとか音なんかはどうにでも出来るからな。
そこで眼を他の場所に飛ばしてみる。範囲を絞っていれば大分楽なものだ。とりあえず、少し前にペリド姫達に手を貸した辺りを視てみる事にした。
そこには依然として人が多かったものの、ペリド姫達の姿は確認出来ない。フラッグ・ドラボーも居ないようなので、護送でもしているのかもしれない。
せっかくなので、フラッグ・ドラボーが潜んでいた地下を調べてみる事にする。
「・・・・・・」
しかし、地下に特に何かあるという事は無い。ただ一ヵ所だけ、先程視ていた場所とは別の出入り口の先にある民家の中に、解除されていない欺騙魔法を見つけた。
どうしようかと思いながらも、欺騙魔法越しに中を確認する。そこには色あせた小箱が隠されていた。
中には半端に切られている木の板が入っている。その木の板には何やら記号のような文字が書かれているが、それだけだ。
木の板の切れ目が少し複雑なので、割符とかいうモノだろうか? 木の板以外にも小さな紙切れも入っている。書かれている内容は、省略された単語が崩された文字で並んでいるだけなので、詳しくは分からない。他には何も入っていないものの、この小箱から残り香のように微かなエルフの魔力を感じる。
ここで一つの疑問が浮かんだ。転移魔法はある地点から別の地点へと移動する魔法ではあるが、これを遠くの物に使用した場合、遠隔地の物を手元に持ってこれるのか、というモノだ。
さて、これを試してみたいものの、まず場所が悪い。次に、小箱を対象にするのは不味いだろう。きっとこのまま探索が行われ、いつかは発見されるのだから。
「・・・・・・」
僕は片手を衣嚢に突っ込むと、眼の先に在る歪な形をした小石をしっかり捉える。そして、その小石に転移魔法を試みる。転移先は衣嚢に入れた僕の手のひら。
上手くいくかなと思いながら試してみると、思いの外簡単に小石の情報を取得できたので、それをそのまま手のひらの上に構築する。
衣嚢から手を取り出して確認すると、そこには先程情報を修得したばかりの歪な小石が乗っていた。しかし、眼の先にも依然としてその小石は存在している。
この結果に僕はどういう事かと考え、一つの答えに行きつく。どうやら遠隔地でもその存在の情報の取得は可能なのだが、情報体に変換する事は出来ないらしい。
転移は出来ずとも複製は可能であるという事が知れてよかったと思いながら、その小石を衣嚢に仕舞って情報体に変換しておく。
とりあえず半分は上手くいったようなものなので、例の小箱の情報だけ取得しておく。何日かしても見つかってないようだったら取りに行ってみようかな。ちゃんと視えていた通りなのかの答え合わせをしてみたい。
それにしても、この世界の眼は便利過ぎる。そして、転移との相性が良過ぎる。使い方を間違えない様に常に注意しておかないとな。少なくとも、誰かの目がある中での消えたり出てきたりは止めておこう。
◆
遠隔地の物体の情報が、安全圏から取得できる事が判明した翌日の夕暮れ頃。
折り返しの見回りも滞りなく終わり、無事に西門に帰ってきたまでは良かったのだが、それから宿舎に戻った辺りで突然頭痛に襲われる。それもいつもの一瞬で治まる頭痛ではなく、長く続く頭痛。
今にも頭が割れてしまいそうな痛みが鼓動と共に主張してくるのを耐えながら、僕は何とか部屋へと戻ってくる。
「おかえりなさいませ」
部屋に戻ってきた僕に、ベッドの縁に腰掛けていたティファレトさんが挨拶をしてくれる。
「ただいまです」
薄っすら冷や汗を額に滲ませながらも、努めて笑顔でそれに返事をした。
「・・・お加減が優れないのですか?」
出来るだけ普段通りに振る舞ったつもりではあったが、どうやらティファレトさんには通用しなかったようで、ティファレトさんは心配そうな面持ちでベッドの縁から腰を持ち上げる。
「少し頭が痛いだけです。休めばすぐに良くなりますから」
それを心配ないと手で制しながら、僕は笑みを浮かべたまま梯子を使って二段ベッドの上に移動する。笑みを崩したら痛みが増しそうな気がしてきた。
「そうですか? ・・・では、何かありましたらお声掛けください」
心配してくれるティファレトさんに礼を述べながら、ベッドの上で横になる。
ズキズキとした痛みと共に、血液の流動を感じる。それは今にも血液が噴き出しそうなほどにはっきりとした感覚であった。
「――――」
痛みに耐えようと目を強く瞑ると、知らぬ間に歯を食い縛っていた。それでもティファレトさんに更に心配をかけてしまうので、それを表に出すわけにはいかない。
出来るだけ動かないようにしながら、口も固く結ぶ。
それにしても、急にどうしたのか。
宿舎に帰る前だったのでよかったが、これが任務中だったら少々面倒な事になっていた。
とりあえず任務は終わったので、今日はもう何も無いからこのまま休んでいればいいだろう。この頭痛もそんなに長くは続かないと思いたい。
そう考えながら、ただひたすらに横になりながら痛みに耐える。自分の鼓動が嫌というほどに判る中、出来るだけ呼吸は深く吸い、長く吐くようにする。
それからどれだけの時間が経っただろうか。夜も更けた頃になってやっと痛みが弱まり、僕は精神的な疲労から自然と眠りに落ちていく。
◆
白の様な銀の様な色一色の、目が痛くなりそうなその空間に僕は独り立っていた。
どこまでも同じ色のその空間は距離感が分からず、僕は困惑しながらも周囲に目をやる。
「・・・夢?」
何も無いその空間は当然の様に誰も居ない。魔法が使えるか試してみたが、何も起きなかった。だからこそそう結論づけたのだが、それが分かったところでどうすればいいのか。夢の中から目を覚ます術など知らないのだが。
僕がこれからどうすればいいのかと思案していると、誰かの気配を感じてそちらに振り向く。
そこには、何時ぞやの全身が白い人物が立っていた。依然として顔の上半分は分からないままだ。
「やぁ、また会ったね。でも、少し早く来てしまったようで、今回はまだオーガスト君は来ていないようだね」
「?」
僕はその言葉に、訝しげな目でその人物を見つめる。
「まぁいいや。それまで君と話でもしておこうか。オーガスト君が来たところでまだ話は出来ないだろうし」
「それはどういう事で――」
僕が白の人物に問おうとしたところで、白の人物が僕の背後に向けて親しげな声を上げる。
「ああ、やっと来たねオーガスト君。といっても、意外と早くてびっくりだよ」
その言葉に僕は振り返るも、そこには変わらず何も無ければ誰も居ない光景が広がるばかり。不審に思いつつも、僕は周囲を確認する。上も下も見てみるが、誰も居ない。
「はは。そんなに周りを確認しても、まだ君には彼は見えないよ」
「え? それはどういう事ですか?」
僕の問いに、白の人物は肩を竦めるような仕草を見せる。
「近いうちに思い出すさ。まぁそれは君にとって幸せなのかどうかは分からないがね。それにしても」
そこで白の人物の雰囲気が少し変わる。
「この程度で済んでいるとは、いやはやオーガスト君は手ごわいねー」
白の人物は、クスクスと笑っているかのように肩を小刻みに揺する。
「うーん、相変わらず口数が少ないねー。もう少しオーガスト君とはおしゃべりしたいんだがね」
僕を挟んで誰かと話す白の人物。まるで僕の姿が見えていないかのようなその光景は、異様であった。それとともに、白の人物の話し相手が見えない事にうすら寒さを覚える。しかし、何かが引っかかる。
「まぁいいや。近いうちにまた遊ぶ事になるだろうから」
諦めた様な白の人物のその言葉を耳にすると、突然僕の意識がぼやけてくる。
「ああ、時間だね。今の状態なら上出来な方かな。だけれども、それももうすぐだ! ああ、愉しみだ、とても愉しみだ。そうだろう? オーガスト君? とうとう答えが出るのだから!」
そう白の人物が愉悦の響きの籠った声を出したところで、僕の意識は途絶えてしまった。
◆
目を覚ますと、薄っすらと明るい天井が目に映る。
「・・・・・・」
妙にはっきりとしている夢の内容を思い出しながら、痛みの消えた頭を押さえる。
「何だったんだ・・・」
上体を起こして僕は頭を振った。
「おはようございます。オーガストさん」
そこに下からティファレトさんの声が掛かる。
「おはようございます、ティファレトさん」
それにベッドから顔を出して挨拶を返す。その僕の顔色を見て、ティファレトさんは安心したような笑みを浮かべた。
「もう大丈夫なようですね」
「はい。ご心配をおかけしました」
昨夜のことを思い出し、申し訳ないとティファレトさんに頭を下げてから僕は頭を引っ込めると、梯子を使って静かにベッドから下りる。
その後に朝の支度を終えると、僕は食堂へと移動した。
今日から南側への見回りだが、これが終われば進級だ。つまりは、何事もなければ二日後にはここに帰ってきて、三日後には列車に乗っている事になる。
そう考えると、約半年は早かったような・・・気はしないな。もう卒業でいいんじゃないかな?
朝から少し気が重くなりながら食堂に到着する。
食堂の入り口近くの机に置かれている新聞を確認すると、奴隷売買組織の首領であるフラッグ・ドラボーがペリド姫達の活躍により捕らえられた事が報道されていた。いや、よくよく記事を読んでみれば、昨日の新聞で既に報道済みのようだ。
早いものだと思いながらも、これで一応の区切りになるのだろうか? フラッグ・ドラボーの裏に誰も居なければこれで終わりなんだろうけれども、あれだけ手広くやっていたのだ、まだまだ根は深いんだろうな。
新聞を机に戻すと、僕は朝食を貰いに行く。その朝食を済ませて責任者の居る兵舎に顔を出してから見回りの部隊に合流すると、直ぐに防壁上を南下していく。
その道中で例の小箱の様子を確認するも、未だに見つかっていないようだ。どうやら地下を重点的に調べていて、まだ地上部にまでほとんど手が回っていないらしい。他の拠点の調査もあるから人手が足りていないのだろう。
穏やかな風を受けながらの見回りは何事も無く進む。
少し前の見回り組が魔物を見つけたらしいが、報告などは済んでいるらしく、僕達はその魔物を見つけた部隊を追い越して先に進む。見つけた魔物とやらを確認してみたが、四足歩行の最下級の魔物であった。
そのまま進み、詰め所で昼も済ませてから更に先へ進むと、前半は足止めを食う事なく無事に終えられる。
後半も似たようなもので、防壁の内側は変わらず平和なものであった。
日暮れ頃には西門に帰着すると、僕は一度管理者の所に行き、西門での警固任務が終わった旨を受けてから、宿舎に移動する。
明日は朝から列車に乗り、夕方に学園で一泊してから翌朝北門に向けて出発となる。学園から北門までは列車で約一日掛かるので、明日からの二日間は列車旅になる。
部屋に戻ると誰も居なかったので、早々に寝てしまおうと思い、さっさとベッドに潜る。
そして、翌朝。
僕はティファレトさんに朝の挨拶を交わすと、朝の支度を行う。
それが終わるとティファレトさんと別れの挨拶を行い、内側を空気で膨らませて荷物が入ってる事にしている空の大きめの鞄を手に部屋を出る。
食堂には寄らずに、宿舎を出て直接駅舎を目指す。
駅舎には相変わらず誰も居なかった。程なくしてやってきた列車に乗って学園を目指す。
車中では久しぶりにプラタとシトリーに会った。西門でも会話はしていたが、こうやって直接顔を合わせるのはペリド姫達に地図と情報を渡して以来か・・・そこまで間は空いていないな。
シトリーを膝の上に乗せ、隣にはプラタが座る。窓の外は久しぶりの光景だけれども、学園と西門間の光景は見慣れたからな。もう少し時が経てば景色も変わるんだろうけれど。
「二人共、この間はありがとうね」
折角顔を合わせたのだ、改めて二人に礼を言う。
「勿体なき御言葉です」
そう言って恐縮するプラタとは対照的に、シトリーは頭を差し出して、撫でて撫でてと主張してくる。
そのシトリーの頭を優しく撫でながら、のんびりとした時間を過ごす。こういう時間は久しぶりだ。
のんびりとした時間のまま、列車は夕方頃に学園に到着する。
学園に到着後、寮へと向かい、今日はのんびりする事に決める。まずは以前にシトリーと交わした約束を果たす為に、シトリーにフェンに擬態をしてもらった。
「おお、本当にフェンそっくりだ!」
見た目だけではなく、身体を撫でた感じも同じだ。毛の柔らかさが忠実に再現されている。
「早く! 早く! オーガスト様!」
声だけはわざと変えていないらしく、擬態前のシトリーと同じで、高く可愛らしい声だった。それに少し違和感というか慣れない感じではあったが、促されるままにフェンに擬態したシトリーの身体に背を預けた。
「フェンに身を預けている様な安心感も同じだねー」
はぁと、息を抜く。気持ちよくて寝てしまいそうだ。
「えへへ♪ そうでしょう♪ このまま寝ちゃってもいいよー!」
上機嫌なシトリーの声を聞きながら、僕はうとうととしてくる。
「じゃあ、御言葉に甘えて少しだけ寝ようかな」
そうシトリーに伝えて、僕はゆっくりと意識を内に沈めていった。
◆
『後は任せた』
それは誰の言葉だっただろうか。
記憶に無い声と言葉のような気もするし、懐かしい声と言葉のような気もしてくる。
あやふやな記憶の中を探ってみるも、それが何かは分からない。
ならばしょうがないと僕が諦めると、意識が遠のいてく。
『まぁ保った方か』
意識が切り替わるその瞬間、そう声が割り込んだ気がした。
◆
目を覚ますと、日が暮れたばかりであった。
「御早う御座います」
その声に顔を向けると、脚の横にプラタが座っていた。
「おはよう」
目を覚ますと、頭のふかふかに目を向ける。
「寝てるのか」
シトリーはフェンの姿のまま眠っていた。僕は上体を起こすと、窓の外に目を向ける。
「ん~~」
そこで背後から可愛らしい声が聞こえてくる。
「起こしちゃったかな?」
「おはよー。オーガスト様」
「シトリーおはよう」
目を覚ましたシトリーに挨拶を交わすと、シトリーはいつもの少女の姿に戻った。
その姿は基本はプラタが憑りついている人形の少女なのだが、少し変ってきている気がする。いや、それを言えばプラタもか。外見や肌触りがどんどん人形から生者のそれに近づいてきている気がしていた。
不思議なものだと思いながらも伸びをすると、そこで鋭い頭痛に襲われる。頭を片手で押さえながら耐えるも、痛みは増していくばかり。それもこの前の様に割れるような痛みではなく、頭の中で鐘でも撞かれているような、中に響くようなもの。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
そんな僕を静かにただじっと見つめるプラタとシトリー。その目には一体何を映しているのだろうかと疑問に思うほどに、ただひたすらにじっとこちらを見詰めてくる。
そのまま痛みが増していき、そこで僕の意識は途切れた。
◆
何処かの草原に僕は立っていた。
空は雲一つない快晴。無風ながらも、暑くも寒くも無い。匂いも何もしない。足元には足首ほどの背丈の草が生えている。周囲には草の絨毯が広がるばかりで木の一本も無い。人の姿も確認出来ない。
「ここは・・・どこだ?」
僕は記憶を探るも、こんな何もないだだっ広い草原に覚えはない。それに、この草原の前の記憶を探ってみると、ジーニアス魔法学園にある学生寮の自室だったはずだ。そこにはプラタとシトリーが居たはず。その二人の目を盗んで僕を連れ去れるような存在はおそらく居ないだろうから、これはやはり夢なのだろうか?
「うん、大体そんな感じで間違いないよ」
突然背後からかけられた声に驚き振り返ると、そこには先程まで居なかったはずの一人の男性が立っていた。
白銀に近い白髪に透き通るような真っ白な肌、目に痛いほど純白の服で身を包んだ全身真っ白な背の高いその男性は、あまりにも整ったその顔に親しみの籠った笑みを浮かべていた。
「貴方は確か・・・」
僕はその男性に覚えがあった。それは幾度となく夢で出会ったあの白の人物。顔の全体像は初めて見たが、間違いないだろう。
「覚えてくれていて嬉しいよ」
白の男性は全身で喜びを表現するかのように手を広げる。
「ここは夢の中・・・なのですか?」
先程口に出していなかったはずの考えを読まれた事に警戒しながらも、そう尋ねる。
「うん。そんな感じだよ」
それに白の男性は軽い感じで頷いた。
「貴方は誰ですか?」
「僕かい? 僕はね、アスマって言うんだ。でも、この名前が本当に正しいのかどうか疑問なんだけれどもね」
「どういう事ですか?」
「僕は記憶の断片・・・いや、想いの塊のようなモノだからね」
「想い?」
「うん。どうしても叶えたい想いがあってね。それを叶えるためにこうして僕が生まれたんだ」
「その想いとは?」
「それはね、とある女性を蘇らせる事さ」
そう言って笑った白の男性の顔は、目にした者をゾッとさせるような狂気を孕んでいる様に思えた。
「人、それを執念と呼ぶ。いや、いっそ妄執とでも呼ぶべきか? 違うな、邪念の類いか」
そんな白の男性に、横から冷たい声が掛けられる。
「おお、待っていたよ!」
その声がした方に目を向けると、何処から現れたのか、そこにはどこまでも冷たい目つきをした黒髪の少年が歩いて近づいてきていた。その少年は僕に容姿が似ている気がする。・・・いや、違う・・・ああそうか、やっと思い出した。彼がボクに似ているんじゃない。ボクが彼に似ているんだ。
「さっさと終わらせよう。アンタは邪魔だ」
黒髪の少年はどこまでも冷めた表情のまま白の男性に言葉を返す。
「つれないなー、まぁいいか。それじゃあ早く身体を寄越してくれ給え、オーガスト君?」
凄絶な笑みと共に、一瞬で様々な種類の魔法を大量に展開させる白の男性。その魔法は一つ一つがとんでもなく強力で、それが人間界に向けられた場合、展開されている魔法のどれか一つだけで、国が一つ余裕で消し飛ぶ事だろう。
「遺物が」
それに黒髪の少年がそう一言呟くと、全ての魔法が消失し、白の男性がもがき苦しみだす。
「な、何を、した!!!」
そう吼える白の男性。
黒髪の少年からは魔法の兆候が一切感じられなかった。魔法を使ったのかさえ疑わしいほどに何も判らなかった。
「アンタは古いんだよ。世界の基礎を創ったのは賞賛に値するが、それから先は退屈すぎる。だからこうして子どもに直ぐに追い越される」
黒髪の少年は一切表情を変える事無く白の男性に近づくと、ゆっくりと手を合わせて小さくパンと鳴らす。
その瞬間、男性は硬直し、消滅した。
「さて、これで邪魔者は消えた」
黒髪の少年が白の男性が居た辺りからボクの方へと顔を向ける。
「という訳で。久しぶりだね、ジュライ」
「久しぶり。兄さん」
白の男性が消滅した事で、ボクはやっと全てを思い出すことが出来た。
それはボクの名前がオーガストではなくジュライである事。オーガストはボクの兄である事。そして、ボクは既に死んでいる事。
「どうだった、外の空気は?」
兄さんが問い掛ける。ボクに語り掛ける兄さんは、微かに表情に優しさが宿っている様な気がする。これを見れるのはボク以外には妹達ぐらいだろうか? 何故だかそんな気がした。
「楽しかったよ!」
「そっか。ならよかったよ」
兄さんから安堵したような雰囲気を僅かに感じる。兄さんには感情がほとんど存在しないが、全く無い訳ではない。それに、感情を理解していない訳でもない。
昔から兄さんは観察と考察を繰り返していた。そのせいで周囲からは気味悪がられていたけれど、兄さんは誰も解き明かしていない何かに至っている。ただ、残念ながらボクにはそれが何かまでは分からない。
「じゃあ、引き続き外は頼むよ」
「え!?」
てっきりもうボクの出番は終わりだとばかり思っていたが、どうやらそうではないらしい。
「僕はここで籠って色々と考え事をしているのが気に入ってしまったからさ」
「でも・・・」
この身体は兄さんの物だ。ボクはただ未練がましく縋り付いてるに過ぎないのだが。
「僕は外に興味がない。それに記憶が戻ったのなら、これからは僕に引きずられる事なく、ジュライはジュライとして生きられるよ」
「どういう事?」
「・・・僕は笑えない。ジュライは笑える。ただそれだけさ。必要なら僕も表に出るから、気楽にやりなよ」
そう言った兄さんが一瞬寂しそうに見えたのは、兄さんにも笑って欲しいというボクの願望がみせた幻影なのだろうか。
「でも・・・」
それから先は言葉が続かない。ボク自身もまだ外をみたいと願ってしまっているから。
「・・・じゃあ一度僕が外に出よう。ちゃんと交代できるか確認した方がいいだろう?」
「そ、そうだね?」
「ああ、心配しなくても、ジュライが見てきた記憶は一応僕にもあるから」
「そ、そうなの!?」
つい大声を出してしまう。全部見られていたのだろうか?
「一部だけだがね。そちらにも僕の記憶の一部が流れ込んでただろう?」
「・・・ああ、そういえば」
新たな魔法の開発の際に度々感じたあの影は兄さんの記憶だったのか。
「そういう訳だ。それじゃあちょっと目を覚ますとするか」
「う、うん。いってらっしゃい」
「ああ、直ぐに交代するけれどもね」
そこで世界が揺らいだかと思うと、目の前に居た兄さんの姿が消えてしまった。
◆
オーガストは目を覚ますと、顔を上げる。窓の外には丸い月が冷たく輝いている。
「・・・・・・」
オーガストは自分の手を動かして動作を確かめると、背後に目を向ける。そこには片膝を着き、頭を垂れるプラタとシトリーの姿があった。
「御初に御意を得ます。プラタと申します。御主人様」
「シトリーで御座います。主公様に拝謁が叶い、恐悦至極で御座います」
「・・・・・・」
三人の間に痛いまでの静寂が横たわる。プラタとシトリーはただただ恐縮して。オーガストは周囲を確認しているが為に。
「そこまで畏まらなくていい。僕はただの凡人だ、そんな価値は無い」
「そんな事は!!」
対面するように向きを変えたオーガストに、プラタは勢いよく顔を上げる。
「自称神の一部を屠っただけだ。君達二人にも出来ただろうさ」
「いえ、それは有り得ません」
「そうか? あんな古い魔法を発現させるのに時間をかけるような遺物だぞ?」
ただジッと冷たい瞳を向けているオーガストに、プラタもシトリーも畏怖の念を抱き閉口して頭を下げる。後光の様にオーガストに射す月の青白い鋭利な光があまりにも神秘的であった。
「まぁいいか。僕はあまり表に出るつもりはないし」
そこでふっとオーガストの雰囲気が変わり、止まっていた時が動き出したかのように虫の声が聞こえ、風の音が鳴る。
プラタとシトリーは肩の力が抜けると、僅かに気が緩んだ息を吐きだした。
「二人共大丈夫?」
そんなプラタとシトリーに、オーガストに変わって表に出たジュライが声を掛ける。
「はい。御気遣い痛み入ります」
それにプラタが感謝を伝える。
「まぁ兄さんの前だと畏まるよね」
「主公様はオーガスト様の兄君に当たるのかー」
「そ。まぁボクの名前はジュライだったんだけれど。オーガストは兄さんの名前」
「ジュライ様? そうなのかー」
ジュライの話に、シトリーは驚きを顔に浮かべた。
「この身体の持ち主は兄さんなんだけれど、どうやら内に籠っていたいらしい」
呆れた様なジュライだが、また外を見れる事を楽しみにするような嬉しさが見え隠れしていた。
「という訳で、二人共これからもよろしく」
『フェンもよろしくね』
ジュライはそう改めてプラタ・シトリー・フェンの三人に挨拶をする。
「私の方こそ、これからもよろしく御願い致します。ご主人様」
「うん。ジュライ様、これからもよろしくねー」
『何時までも創造主の御傍に』
そのジュライの言葉に、三人も改めて挨拶を返したのだった。