取り締まり2
アンジュとマリルの部隊と合流したペリドットは、急ぎ南側へと向かう。それから昼も既に過ぎた辺りで南側の作戦地点に到着した。
「順調に進んでいるようですが、まだフラッグ・ドラボーが見つかりませんわね」
「側近と思しき存在でしたらシェル様が数名確保したらしいのですが、肝心のフラッグ・ドラボーの居場所は不明です」
先任の部隊と合流する為に地下空間を移動する途中、ペリドットの言葉にスクレがそう現状を報告する。
「新しい隠れ家でも造ったのかしら?」
「分かりません。ですが、まだ隠れ家は残っていますから」
「・・・そうですわね」
ペリドットは頷く。ここまでやって逃がす訳には行かない。
そう考えながら進み、戦闘中の部隊と合流したペリドット達は、魔物の掃討に入った。
◆
「ねぇ」
「何でしょうか?」
ペリドット達が作戦を遂行している地点から遠く離れた場所で、二人の少女が言葉を交わす。
「教えなくてもいいの?」
似た容姿の二人の少女ではあるが、快活そうな雰囲気の少女が、表情の乏しい少女へと問い掛ける。
「・・・そうですね。ご主人様以外の人間の事など心底どうでもいいのですが、中途半端に終わらせてはご主人様の名に傷が付くかもしれませんね」
「オーガスト様にご報告しなくてもいいの?」
「勿論しますとも。ご主人様の御意向こそが優先されるべき事なのですから」
表情の乏しい少女はそう口にすると、暫く閉口する。
「それにしても、頻繁に移動してるけれど、頼りにしているあの爺さんからは既に見放されているって事に気がついているのかね?」
呆れた様に話す少女に、閉口していた少女が口を開く。
「――伝えてくれだそうです」
「そっか。じゃあ、また私が行ってくるよー」
「ええ、御願いします」
「あいよー」
◆
援軍として駆け付けたペリドット達は、先任の部隊と連携して危なげなく魔物を掃討し終えると、地上に出て休憩を取っていた。
「ここにも居ませんでしたわね」
「ええ。他の地点でもまだ見つかっていないとか」
休ませている部隊から少し離れた場所で焦燥を浮かべたペリドットに、スクレも似たような表情を僅かに浮かべる。襲撃した拠点が次々と制圧されるも、肝心のフラッグ・ドラボーの確保の報どころか、発見の報すら未だに無かったのだ。
「逃げられたのかしら?」
ここまでくればその可能性が高い事に、ペリドット達四人はどうしたものかと思案を巡らす。
「あのおっさんなら、ここからもう少し東側に行ったところに新しく築いた拠点に居るよ」
その思考の隙間に少女の可憐な声が割り込む。ペリドット達は最近聞いた覚えがあるその声に、視線を下げて声がした方に顔を向けた。
「アナタは・・・」
顔を向けた先に居たあまりにも小柄な少女に、ペリドットが小さく声を漏らした。
「ほら、さっさと行かないとまた逃げられちゃうよ?」
少女はその言葉と共に丸められた地図を取り出し、それをペリドット達に差し出す。
ペリドット達はそれに困惑しながらも、スクレがその地図を受け取り確認する。その地図には点が二つ打たれており、片方は円で囲われていた。
「両方新しい隠れ家で、円の方が目的の人物の現在地だよ」
少女はそう説明すると、思い出したかのように付け加える。
「それと、君達だけではそのおっさんには勝てないから気を付けてね」
「え」
その付け加えられた少女の言葉に、ペリドットは思わず小さな声を漏らした。
「まぁ北側で拠点を潰しまくっているあの人間ならば何とかなるだろうけどねー」
「それは・・・」
ペリドットは反射的に口を開くも、結局何も言えずに口を閉ざす。
「では、貴女が加勢してくださらないかしら?」
アンジュの言葉に、少女は呆れたような表情を浮かべる。
「私達は協力しても加勢はしないよ。別にオーガスト様には情報提供以外に何にも言われていないし」
「そこを何とかお願いできませんか?」
「無理だね。私達を動かしたいならオーガスト様に頼めばいいじゃない。とはいえ、オーガスト様は今北側に居るんだけれどもね」
マリルの懇願をどこか嘲笑うように拒絶した少女に、アンジュが疑問を口にする。
「今私達と仰いましたが、貴女以外にも貴女のような方がいらっしゃるので?」
「んーまぁね。本来は私じゃなくてそっちが持ってくるはずだった訳だし。まぁ感謝して欲しいものだよ」
「どういう事ですか?」
「簡単さ。私だからこうやって会話できてるって事。そもそも、君達と私が最初に会った時の君達のあの対応だけれど、あっちだと下手すれば問答無用で殺されていたかもしれないからね」
クスクスと笑う少女の言葉はどこまでが本当か分からず、訊いたアンジュは判断に困る。
「という訳だから、後は自分達でどうにかするんだね」
少女は軽く手を振ると、一瞬でその場から姿を消した。
「どう致しましょう?」
消えた少女からスクレ・アンジュ・マリルの三人に顔を向けたペリドットは、困ったように声を出した。
「今からシェル様に応援を要請したとしましても、日が暮れてしまいますわ」
「この際、シェル様に応援を要請しておいて、他の拠点と同じように部隊を纏めて数で挑むのが良いかと」
「そうですわね。それとは別に更にもう一ヵ所叩くべき拠点が増えた訳ですし」
ペリドットは頷くと、まずは新たな拠点の追加報告とシェル・シェールへの応援要請。それとフラッグ・ドラボー討伐に参加出来る付近の部隊を調べようと、マリルを連れて場所を移す。
「アンジュ?」
その後について行こうとしたスクレは、考える姿勢のまま動かないアンジュに、どうしたのかとその名を呼んだ。
それに顔を向けたアンジュは、真面目な声音でスクレに語り掛ける。
「今の小人との会話覚えてる?」
「それは勿論」
つい先ほどの出来事だ、忘れる訳が無かった。
「あの小人の少女は、自分以外にも自分のような存在が居ると言っていたわよね」
「ああ、恐ろしいものだ」
先程の小人の少女でも絶望的なまでの実力差を感じたというのに、それと同等の存在が居るなど、考えたくない事であった。
「そんな存在を従えているオーガストさん自身もとても強いわ」
「そうだな」
スクレは相づちを打ちながらも、それがどうしたのだろうかと内心で首を捻る。
「今の内に誰かの婿として迎え入れるべきではないかしら?」
「つまり取り込むと?」
「私達で完全に御せるとは思わないけれど、今の内に囲っておいた方がいいと思うの」
「それはそうだが、誰と結婚させるんだ?」
「私でもいいのだけれど、マリルが適任じゃないかしら?」
「本人の気持ちという意味ではそうかもしれないが、それを貴族共が許すか? 他国の平民相手だ、それも公国の。マリルの御実家も許可はすまい?」
「それでもオーガストさんの実力は圧倒的よ。流石に気位の高い貴族連中も、彼の有用性ぐらいは理解できると思うのだけれど・・・」
「それは実力を見せねば無理だろう? 彼に見世物になれとでも言うのか?」
「そこは言葉巧みにどうにか誘導して頼めば――」
「一応言っておくが、彼は馬鹿ではないぞ?」
「・・・冗談よ。まぁオーガストさんが私達の誰かを見初めてくれれば話が早いんですけれどもね」
そこでアンジュは、「はぁ」 と物憂いげに息を吐いた。
「・・・・・・」
どことなく倦怠感の漂うようなアンジュのその姿を見たスクレは、その色気のある姿を見せれば、少しはオーガストも心が動くのではないかと思うのであった。
◆
「・・・・・・」
ペリドットは居並ぶ大勢の魔法使い達の顔を見渡す。
奴隷売買組織の元締めであるフラッグ・ドラボーが潜む目の前の拠点にこれから突入する面々の顔をしっかり記憶するかのように。
『君達だけでは勝てないから気を付けてね』
ペリドットの脳裏に、この場所を伝えに来た小柄な少女のその言葉が浮かぶ。
(私達はシェル様程の質は無いけれど、集められるだけの数は揃えた・・・これで戦えるはず、なのですが)
何度も大丈夫だと自分に言い聞かせると、ペリドットは拠点のある一軒家に目を向ける。
「それでは突入を開始します!」
ペリドットの号令の下、フラッグ・ドラボーが潜む拠点への攻撃が開始された。
◆
『ご主人様、今よろしいでしょうか?』
防壁上で北側の警戒を行っていたオーガストの元に、プラタからの連絡が入る。
『どうした?』
『彼女達が奴隷売買組織の頭目が潜んでいる拠点への突入を開始致しました』
『そうか。どうなると思う?』
頭目が潜む拠点の情報提供についてプラタから問われてそこまで経っていない為に、オーガストは気になって問い掛けた。
『返り討ちに遭うかと』
『そうか・・・』
プラタの無情な分析結果に、オーガストは少し思案する。
『彼女達が殺された場合、何か影響はあると思う?』
『国にはあるでしょうか、ご主人様には特にはないかと』
『まぁそうだよね』
オーガストは他国の民であるうえに、ペリドット達とはただの同期でしかなかった。パーティーメンバーだった時期もあるが、それも半年ほどで解消された。
『・・・一応監視は継続しといて。こっちでもしておくから』
『畏まりました』
『それにしても、時間が無いとはいえ無謀な事をするもんだ』
『数は揃えたようですが』
『足りる量?』
『いえ、個々の質がそこまで高くはないので、まだ少ないぐらいです』
『ふむ。人間界では強い部類の相手だと大変だねー』
オーガストは他人事の様に呟くと、眼をプラタの報告にあったフラッグ・ドラボーの潜む拠点へと向ける。
『んー、これは確かに数は少ないけれど、まだ戦い方次第ではいけそうな範囲では?』
『仰る通りで御座いますが、場所があまりよろしくありません』
『敵の巣穴、か』
『はい。こういった事態に対する罠が幾つも張られております。更には魔物の存在もありますれば』
『影の中に潜んでいる魔物の存在には気づいていないみたいだね』
『はい。もしかしましたら、影に隠れる魔物という存在すら知らない可能性も』
『なるほど。僕もプラタに聞くまでは知らなかったからね』
その先もあるというのだから驚いた記憶がある。言語能力だけは知っていたが、まさか同族創造までもが可能だとは思いもよらなかった。今になって考えれば、魔法が使える時点で可能性があって当然なのだが。
『人間界の近くでは強い存在があまり確認されておりませんので、それも致し方ない事かと』
そんなオーガストに、プラタがそう言葉を掛ける。
『ありがとう。しかし、だとしたら更に面倒な事になりそうだな』
プラタの気遣いに感謝しつつ、オーガストは視線の先に意識を向ける。丁度魔物との戦闘が開始されたところであった。
『もう一方の逃げ道からも攻撃してるのか』
出入り口が二つ用意されていたその拠点へと、ペリドット達は挟撃するように攻めていた。おかげで頭目であるフラッグ・ドラボーは逃げられずにいたが、強硬手段に出られたら簡単に蹴散らされる事だろう。
『さてさて、まずは魔物からか』
他の拠点の様に最下級の魔物の集まりではなく下級の魔物が多いだけに、フラッグ・ドラボーの前に魔物に苦戦しているようであった。ただ、魔物の数自体は他の拠点よりも少ない。
『弱くても数が居れば厄介なものだねー』
『そうで御座いますね』
広範囲にわたって点在していたそんな魔物が大量に居る巣を一瞬で殲滅したプラタの同意の言葉に、オーガストは思わず頭をかいた。
◆
「くっ!」
少しずつ減っていく魔物の姿にじれったさを感じつつも、ペリドット達は魔物への攻撃を続ける。
「フラッグ・ドラボーの姿は確認出来ましたか!?」
魔物の数の割に広い空間を見渡しながら、ペリドットは問い掛ける。
「いえ、まだです!」
「もう一つの部隊の方は!」
「未だ発見の報告なし!」
その報告に、もしかしてここにも居ないのではないか? という思いが内に浮かぶも、ペリドットはそんなはずはないと目の前の事態に集中する。
迫りくる魔物は今まで相手にしてきた魔物よりも強い魔物ばかり。ペリドット側に大きな損害は出ていないものの、負傷者ぐらいは出ていた。しかしそれよりも、問題は疲労の方にあった。
(このままでは魔物を倒せたとしても・・・)
魔法使いにおいて、肉体的疲労よりも精神的な疲労の方が問題になる場合が多い。それは魔法を使用するには繊細な調整が必要だからではあるが、それを行うには精神的に元気でなければならない。手元が狂って魔力の配分を間違えると、最悪自滅する場合があった。
それとは別に、魔法を使用するには精神的にも肉体的にも一定量の疲労が伴う。これは使用者の技量によって差はあるが、その基準に満たないぐらいに余力を欠いてると、よくて一時的に魔法の発現が出来なくなる程度だが、最悪その場で死ぬ。それも悶死する場合が多いとか。とはいえ、一番多いのは気絶らしいが。
このままではフラッグ・ドラボーと戦えないとペリドットが焦燥感に苛まれ出したところで、その報告が入ってきた。
「敵首魁、フラッグ・ドラボーを発見いたしました!」
ペリドットは報告があった方角に視線を向ける。
視線の先では、緑色の目をした数体の魔物が誰かを護るように並んでいた。その魔物達に護られている人物に焦点を合わせると、そこには冴えない顔立ちの男性が立っていた。しかし、その目つきは飢えた獣の様に鋭く、気持ちの悪い寒気を覚える。
体型はあまりに細く、軽く小突いただけで折れてしまいそうなほど。くすんだ黄色の髪は短く揃えられており、こめかみの辺りに何か鋭いモノでつけられたような傷痕が確認出来る。
その男こそが、ペリドット達が追っていたフラッグ・ドラボーその人であった。
フラッグ・ドラボーは周囲の動向に目を光らせているも、まだ手を出してはいない。それに、減っていく魔物を見ても焦る様子は微塵も無かった。
じわりじわりと狭まる包囲網。それをフラッグ・ドラボーはつぶさに観察するように目を動かすだけで、身動ぎ一つしない。
しかしそれも、残る魔物が護衛の魔物だけになった所までだった。
「あのババアは居ないか。まぁそれならばそれでいい。さて、それじゃあお前ら、十分楽しめただろう?」
そう言うと、フラッグ・ドラボーはペリドットの部隊に護衛の魔物をけしかけ、自分は別の部隊へと攻撃を開始した。
フラッグ・ドラボーの護衛の魔物がペリドット達に襲い掛かる中、闇を切り裂く青白い閃光が瞬く。その一瞬の閃光の後、地下空間に肉の焼ける不快な臭いが充満した。
ペリドット達が魔物を排除してもう一つの部隊へと目を向けると、そこには炭化した物体が大量に転がっていた。呻き声の様なモノが幾つか聞こえてくるところから、生き残りが居るのだろう。もしかしたらペリドット達側から確認できないだけで、焼けずにすんだ者も居るのかもしれない。
「なんてこと・・・」
情け容赦なく目に見える全員が黒ずみになった事よりも、一瞬で反対側の部隊が壊滅した事にペリドットは驚愕に少しの恐怖が混じった呟きを零す。
「こっちは終わった。次はそっちか。・・・ああ、お姫様と他の見た目のいい奴らは男女問わず殺さずに極力傷つけないで捕まえてやるから安心しろ。商品は大事に扱わないとな」
フラッグ・ドラボーは特に表情を変えるでもなく、淡々とした口調でそう口にする。
「もう逃げられませんわよ?」
「君らを無力化すればそれも叶うさ。それに、お姫様には奴隷としてではない商品価値があるだろう?」
「無駄ですわ!」
「それはこちらで判断するさ。それじゃ、さっさと終わらせるか。あのババアに来られては困るのでね」
そう言うと同時に、フラッグ・ドラボーの周囲に青白い閃光が迸る。
「殺すにしろ生け捕るにしろ、これが最適だ」
その閃光がペリドット達へ向けて走る。
ペリドット達は慌てず防御障壁を展開するも、その閃光はこの世に存在しないかのように展開しているはずの防御障壁をすり抜ける。
「何故!!」
ペリドット達がそう叫んだ時には、閃光が全員の下に辿り着いていた。
「ぐっ、あ!」
痺れて倒れるペリドット。周囲から焦げた臭いが漂い出す。
「な、ぜ・・・?」
ペリドットの近くからそんなスクレの声が聞こえてくる。
「何故? ああ、それはこちらの台詞だろう。君達の活躍が書かれている新聞記事に私について書かれていた事があったが、その中に欺騙魔法が得意だと書かれていた。なのに何故分からない? つまりはそう言う事だ」
そう言いながら、フラッグ・ドラボーはペリドット達の近くまで歩み寄ってきた。
「――――」
それにペリドットは声を上げようとするも、口が思うように動かない。
小人の少女の警告に気を取られてその可能性を失念していた自分の迂闊さに、ペリドットは悔しさと共にフラッグ・ドラボーを睨み付ける。
「おお、恐いものだ」
一瞬芝居がかった仕草をみせたフラッグ・ドラボーは、ペリドットに向けて手を伸ばす。
「さて、結構数が居るな。どうやって運ぼうか」
そう呟きながら伸ばすその手がペリドットに触れようとしたところで、フラッグ・ドラボーはピクリと手を動かして、伸ばしていた手の動きを止める。そのまま視線を横にずらして問い掛けた。
「誰だ? ッ!」
フラッグ・ドラボーは動きを止めたままに、ペリドットの目の前から消える。
「チッ! 何処に居る!?」
地下空間にフラッグ・ドラボーの焦った声が響く。
「何処って貴方の目の前に居るじゃないですか」
地下空間に小さく響いたその声を聞いた瞬間、ペリドット達四人は重圧から一気に解放された様な安堵感に包まれる。
「目の前だと?」
「ああ、すいません。遊んであげたいところなのですが、見回りの途中なので時間が無いんです」
そこで声が途切れ、数秒経つと、ペリドット達の目の前に一人の男が放り投げられる。
「ここに置いておきますね」
そう言ってペリドット達の目の前まで歩いてきて覗き込むように顔を向けたのは、オーガストであった。
オーガストはペリドット達の様子を確認して、まずは治療が先決だと思い至ったような表情をみせると、ペリドット達に向けて軽く手を振った。
そうして軽く手を振っただけで生き残った者全ての麻痺や怪我が治る。それは反対側の部隊も同じようで、立ち上がった者の影が幾人か確認出来た。それが終わり、オーガストは一瞬焦げた死体に目を向けるも、直ぐに視線を切った。
「それでは、私は戻りますね」
「ま、待ってください!」
それに驚愕しつつも、ペリドットは慌てて声を上げてオーガストを引き留める。
「何でしょうか?」
「えっと、色々訊きたい事があるのですが、今回情報提供から治療まで有難う御座いました!」
「い、いえ、大した事ではないですよ」
深々と頭を下げて礼を述べるペリドットに、オーガストは慌てたように手を振った。
「いえ、命まで助けていただきましたから」
「・・・と、とにかく! 私は見回りの任務がありますので、これで」
そう言って立ち去ろうとするオーガストに、ペリドットは問い掛ける。
「そういえば、どうやってここに来られたんですの? 確か北側に居ると伺っておりましたが」
小人の少女の話を思い出したペリドットの言葉に、オーガストは何でもない事であるかのようにそれを口にした。
「転移してきました。このように。では」
そう言い残すと、オーガストはペリドット達の目の前から一瞬で姿を消した。
ペリドット達はオーガストが一瞬で目の前から消えた事に驚きながらも、直ぐに足元に倒れているフラッグ・ドラボーの方へと目を向ける。
「・・・どうやらまだ生きているようですわね。まずは地上へ運びましょう」
小さく呻き声を上げるフラッグ・ドラボーを見下ろしながら、ペリドットは傷が癒えた部隊員達にフラッグ・ドラボーを地上へ運ぶように指示を出す。その後に仲間の遺体を地上に運ぶ為の指示を出した。
「それにしても、転移とは・・・相変わらず彼には驚かされてばかりだな」
フラッグ・ドラボーが運ばれるのを確認しながら、スクレがもはや呆れたように口にする。
「ええ。底が見えませんわね」
それにアンジュが同意の声を出す。それを聞いたスクレは、アンジュが考えていた事を思い出し、密かに窺うような目を向けた。
「今度助けて頂いたお礼を言わないといけませんわね」
「はい。傷も癒して頂きましたから」
「それですわ! あれはどうやったのかしら?」
マリルの発言に、ペリドットは声を上げる。
「あんな一瞬であれだけの範囲を完全に回復してしまうなんて、どうやったのかしら?」
ペリドットがどれだけ考えても、あれだけの回復魔法の知識は存在しなかった。
「分かりません。ですが、我らの知っている治癒魔法とは違ったようにみえました」
「以前から凄くはありましたが、前に使っていた治癒魔法は知っている治癒魔法でしたわよね」
「はい」
四人は困惑したような思案顔を浮かべるも、もはや考えるだけ無駄なような気がしてきていた。
そうして四人が頭を悩ませている内にフラッグ・ドラボーの搬出が終わり、仲間を地上へ運ぶ作業が行われる。
「結構な数の犠牲者を出してしまいましたわ」
周囲に転がる部隊員達の遺体に、ペリドットは苦しそうな声を出した。
それになんて言葉を掛ければいいものかと、三人は閉口する。
「・・・さ、私達も皆を地上へ運びましょう」
しかし、直ぐに気を取り直すと、ペリドットは近くの遺体の傍に屈む。それにスクレ達三人も続く。
炭化している部分が崩れない様に気を付けながら、風の魔法で包み込んで遺体を持ち上げる。
その遺体を慎重に地上へと運ぶと、並べられている一角にそれぞれが運んできた遺体をゆっくりと下ろした。そこに。
「おや、遅れてしまったようだね」
僅かに幼さが残る声がペリドット達の耳に届く。その声に、四人はそちらへと顔を向けた。
「わざわざ御足労頂き有難う御座います。シェル様」
背の低い青っぽい藍色の髪の女性に、ペリドット達は敬意を込めた礼を行う。それは周囲に居た兵士や魔法使いも同様だった。
その一身に敬意を受ける少女の様な見た目の女性こそ、ユラン帝国の最強位にして、人類の頂点に立つと謳われているシェル・シェールであった。そしてペリドット達四人の師でもある。
「いや、遅れたようですまなかったね」
並べられている遺体を目にしてシェル・シェールは、申し訳なさそうに頭をかいた。
「それで、フラッグ・ドラボーの奴には逃げられたのかい?」
シェル・シェールのその問いに、ペリドットは首を横に振る。
「いえ、生け捕りにして別の場所で監視しております」
「おや、殺すどころか生け捕れたのか。やるじゃないか」
シェル・シェールの驚き交じりの賞賛の言葉に、四人はばつが悪そうな顔を浮かべる。
「ん? 何があった?」
それに気がついたシェル・シェールは、眉を寄せるようにして怪訝な表情を浮かべる。
「実は――」
言い辛そうにしながらも、ペリドットはシェル・シェールに事の次第を説明した。
「なるほど、なるほどね・・・」
「シェル様?」
説明を聞いたシェル・シェールの様子がおかしい事に気がついたペリドットは、おそるおそる声を掛けた。のだが。
「つまり、もっと早く来ていればその噂の少年に出会えたという事か!!」
両手で頭を隠して茜色の天を仰ぐシェル・シェールに、弟子の四人は発作が起きた事を悟る。
普段のシェル・シェールは、微笑みを絶やさない穏やかな人格者なのだが、魔法の探究になるとその性格はがらりと変わる。特に自分より優れた相手については、弟子である四人が引くぐらいの変わりようを見せる。
しかし、それはシェル・シェールが最強位に就いている為にかなり珍しい事ではあったのだが、ペリドット達がついオーガストの事を喋ってしまってからは、ちょくちょくこのように壊れたところを見せていた。
それでも今まで目にしていたのは身内だけだったのだが、現在は周囲にペリドット達が連れてきていた部隊の人員がまだ数名残っていた。その全員が驚きながらシェル・シェールの様子を窺う。
「なんたる失態! 確かその少年は今西門の警固に就いているんだったよな!?」
「え、ええ」
「では、もうこちらから会いに行くしかないな!!」
「ちょっとお待ちください、シェル様!」
「何だ? 我が弟子よ。私は今忙しいのだ!!」
背を向けて西門へと向かおうとするシェル・シェールの手を掴み、ペリドットは慌ててそれを引き止めた。
シェル・シェールはそれに、普段は絶対に浮かべないような迷惑そうな顔を向けて立ち止まる。帝国の姫君相手にそんな表情をして許される人物などそうは居ないが、残念ながらシェル・シェールはそれが許される一人であった。
「突然訪ねられても、相手の都合というものがありますから」
「むぅ。私なら多少の無茶は利くが、指導を願うかもしれない相手に権力を振りかざすのは下策か・・・」
「そ、そうです。何事も手順というモノがあります。心証が良い方が後々の為にもなりますし」
「むぅ・・・むむむ・・・むぅ」
頭を片手でガシガシと掻きながらも、何とか納得してくれたシェル・シェールに、ペリドットはホッと胸を撫で下ろして掴んでいた手を離す。
「まぁいい、ならフラッグ・ドラボーの方へ案内しろ。アイツを確かめるぐらいはいいだろう」
「ええ。どうぞこちらです」
そう言うと、ペリドット達はシェル・シェールをフラッグ・ドラボーが捕らえられている場所へと案内を始めた。
◆
ペリドットの案内で移動したシェル・シェールは、縛られて地面に転がされている眼前のフラッグ・ドラボーを見下ろす。
「ふむ、魔力が抜かれてるな。それも死なないギリギリの所を上手に見極めている」
気を失ってはいないようだが、魔力を抜かれて思うように動けないフラッグ・ドラボーを観察したシェル・シェールは、その見事な境界の見極めと繊細な調整力に驚嘆の面持ちをみせる。
「さて、フラッグよ。久しいな」
横になっているフラッグ・ドラボーの視界に入るように屈んだシェル・シェールは、微笑を浮かべて挨拶をする。それにフラッグ・ドラボーはシェル・シェールを憎々しげに睨み付けると、億劫そうに口を開いた。
「久しぶりだな、ババア」
皮肉げに口元を歪めるフラッグ・ドラボーに、シェル・シェールは愉快そうな笑みを浮かべた。
「私に面と向かってそんな呼び方をする者もまた久しいな。それにしても、強くなったなフラッグ」
「アンタは相変わらずの化け物だな。ババアよ」
「はは、化け物か」
フラッグ・ドラボーの物言いに、シェル・シェールは小さく笑う。
「君はそんな目の前の化け物以上の存在に倒されたらしいな」
「・・・あの餓鬼はなんだ? 俺が何もできないなんてあり得ない。それに・・・」
「それに?」
フラッグ・ドラボーはこの先を口にしてもいいものかと逡巡するように目を周囲へと動かす。
「・・・俺の手札を切り札も含めて一瞬で全て無力化しやがった。あれの前ではババアも俺らと同じで取るに足らないゴミ同然さ」
悔しそうにつぶやいたフラッグ・ドラボーは、視線を自分の足元に向ける。
「それはとても愉しみだ!!」
その声にフラッグ・ドラボーが視線を上げると、にんまりと狂人の笑みを浮かべたシェル・シェールの表情が迎える。その狂った笑みを目にしたフラッグ・ドラボーは、鼻で笑う。
「フン、その悪癖は変わらんか。だが気を付けろ、アイツの飼っている何かまでが友好的とは限らんからな」
「飼っている?」
フラッグ・ドラボーの警告に、シェル・シェールはペリドット達の方に目を向ける。それにペリドット達分からないと首を横に振った。あの場に小人の少女は居なかったはずだ。気づかなかっただけの可能性もあるが。
「知らんさ。気づけばそこに居た。それも一瞬だけ。ただそれだけだ・・・あれが何だったのかは知りたくないな、きっとろくでもないものさ」
つまらなさそうに吐き捨てたフラッグ・ドラボーに、シェル・シェールは興味深げな目を向ける。
「知らん仲じゃあないから一応忠告しておくが、止めておけ。あれは関わっていい存在じゃない・・・まぁババアに忠告したところで無意味だろうがな」
「ああ、そうだとも!!」
フラッグ・ドラボーの呆れた様な言葉に、シェル・シェールはその平坦な胸をこれでもかと張って断言する。
「むしろこちらから積極的に関わっていくつもりだ!!」
「・・・だと思ったよ」
フラッグ・ドラボーの確信していた呟きに、ペリドット達はシェル・シェールがやはり昔からこういう性格なのだという妙な納得を抱いた。
「それで、何故奴隷売買何て面倒な事業に手を出したんだ?」
「・・・俺が始めた時には合法だったさ」
「だが、今は違法だ。お前なら変えは利いただろう? 当時から金もあっただろうし」
「・・・・・・そう簡単な話じゃないさ」
「と、言うと?」
「・・・・・・」
問い掛けるシェル・シェールの言葉に、フラッグ・ドラボーは口を固く閉ざす。
「義理立てかい? ご苦労なことで」
「・・・・・・」
そんなフラッグ・ドラボーの様子を観察しながら、シェル・シェールは言葉を続ける。
「フラッグ、君は結構顔が利く。表立ったものではないが、権力だってそれなりに持っているはずだ。・・・その相手はそんな君でも恐れるような相手かい?」
「・・・・・・」
「・・・そうかい」
何を訊いてもだんまりのフラッグ・ドラボーに、シェル・シェールはペリドット達の方に振り返る。
「どうやら国の結構な中枢にも感染しているみたいだね。フラッグ程の人物が恐れる相手など数えるぐらいしか居ないだろうが、どれも面倒な相手だよ」
肩を竦めるシェル・シェールに、ペリドット達は難しい顔をする。
「一応言っておくが、私は基本的に政治に興味はないからな」
シェル・シェールという人物は、魔法の探究以外の世事にはあまり興味を持たない人物であった。そもそも最強の名も魔法の探求をしていたら勝手についてきただけに過ぎない。
「それでも君達は私の大切な弟子だ、必要なら今回のように多少は手を貸そう」
「シェル様――」
そんなシェル・シェールの言葉に、ペリドット達は感謝の言葉を述べようとしたのだが。
「まぁもっとも、例の少年に今すぐ会わせてくれるというのであれば、協力は惜しまないがな!!」
「・・・・・・」
その言葉に、ペリドット達は開いた口をそっと閉ざす。
「くふふ。ああ、早く会って話がしたいな!! 出来たら手合わせや魔法の教授も願えないだろうか!!!」
夢見る少女の様な表情を浮かべながらも、「くふふ、くふふ」 と奇妙な笑い声を漏らすシェル・シェール。
そんな危険な師の姿を眺めながら、オーガストの為にも出来るだけ会わせない方がいいのではないかと思うペリドット達であった。