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1-1 記憶 Eram

 2016年、鹿王(かおう)暦25年の1月1日。
 南南東の中空へと舞い上がった太陽は、快晴の冷え込んだ空の中で白銀色に輝いている。

 標高わずか225mの山の上に立つ大聖堂へと、人々が歩を進めていく。真っ白なサクラ並木の間を通るその表参道は、サッポロ都中央区の都心部を覆うドームから降らされた、人工雪がうっすらと積もって真っ白だ。
 
 去年は、気が進まず結局、マルヤマ大聖堂のカムイノミに訪れることがなかったのだが、今年はキリトの誘いもあって、見に行くだけだ、と行くことにした。
 表参道を進む景色を見ると、幼い時に父親に連れられて参詣したときを思い出す。


 わたしの名前は谷宮(たにみや)セポ。
 
 今年で17歳。高校生、ではなく大学二年次生。


 わたしの実家はアサヒカワの小さな神社で、正月には結構参拝客が訪れるから、旅好きの父親はよく駄々をこねながらも仕事をしていた。
 だがいつの年だったか、父は神事を伯父に任せるとわたしをサッポロのマルヤマ大聖堂へと連れていってくれたのだった。

 父はとにかく旅が好きで、いろんな場所に行くたびに、その地に(のこ)った日本人や、アイヌの痕跡についてわたしに語って聞かせる。
 それが旅より大好きなんじゃないかと思うぐらい、わたしをよく旅に連れていった。

 その正月は、何をわたしに語って聞かせたのだろう。思い出せないまま、わたしは聖堂の中に入りその祈祷を見ながら、礼拝の順番が来るのを待つ。
 

 この聖堂には、鹿の守神でありアイヌの唯一の主神であるユクコロカムイが祀られている。当然この祈祷も、ユクコロカムイに豊穣と平和を願うものだ。
 
 「あなたの約束されたこの大地に、豊かなる私たちの営みと、炎の槍に脅かされることなき栄えを守ることを、本年も祈願致します」......というような文言が、第1祈祷の最初と最後に祭司長によって語られるのが決まりである。

 それを聞くと、わたしは何度も聞かされたある歴史を思い出すのだ。


 1945年、光文(こうぶん)20年。
 父は、それが始まったのは9月2日だったそうだと言った。
 教科書で調べると、その日は東京湾の海上、戦艦ミズーリの甲板で日本帝国が降伏文書に調印をした日。
 
 同じ頃、B29爆撃機およそ60機余が沖縄、サイパン、グアムを出発し、総ての軍事力を失った日本の国土へ向けて出発していた。
 度重なる日々、度重なる時々に、各地で炎の槍が降り注ぎ、わずか9日間で本州、四国、九州の全土は焦土となり、アメリカの施政下に入ることとなった。
 当時は亡き、ロスファルト大統領の遺言「イエローイグジット作戦」。これにより「日本民族」はその数を大きく減らしたのであった。


 一方、北海道にアメリカの炎は届かなかった。
 だがヤルタ協定の元、すでにソ連は樺太(からふと)と、占守(しゅむしゅ)島以南・国後(くなしり)歯舞(はぼまい)諸島以北の千島列島を手にし、9月4日には北海道に進出した。

 北海道は占守のような戦場とはならなかったものの、生き残った日本人はソ連による支配を好まず、北海道臨時政府は東南アジアや南アメリカへの移民計画を立案し北海道を脱出。
 だが彼らを乗せた四隻の船舶は、太平洋上で襲撃を受け海の藻屑と消えた。

 ソ連崩壊までの長らくの間北海道では社会主義政策が続き、残った日本人やアイヌ部族たちは圧政に苦しみ、度々叛乱(はんらん)を起こす。
 この頃ヒダカのコロイフキと名乗る男が王統国家を建設し、叛乱者達を指導しながら統制していた。ロシア共和国連邦への移行時にエリティーネフ大総統は、北海道を手放すと同時にこの王制国を承認。

 国王コロイフキ、最高議長河東(かとう)タダシによる立憲君主制王国、
「北加伊道ほっかいどう王国」が出来上がった。

 それが二十五年前の1991年、1月1日。以来12月30日から1月2日までは建国記念の祝祭が行われるのだ。



 そして今わたしは、このアイヌの王国の首都にいて、サッポロ都に残る日本人のモニュメント、北海道帝国大学に通っている。

 今もなお、この国はアメリカとロシアが世界のほぼ半分を支配するこの世界の中で、金融と工業によって成り立っている。10年に一度、何処かの国が二強国のどちらかに吸収され、そしてどこかで復讐と怨嗟の内戦が起こる。
 そんな中でこうして人々は、仮初めの平和に内心怯えて、神様(ユクコロカムイ)を信仰するのだ。

 その平和は、こうして簡単に崩れ去るものだと知っていながら。


 突然祭祀官が奇声を発して倒れ、あたりに立っていた巫女や神官たちも次々と倒れていく。
 今思えば、これが崩壊の始まりだったのだろうか。
 その様子を見た群衆が逃げ出すという大騒ぎとなり、マルヤマ近辺はひとたびの大混乱に陥った。
 その中でわたしは呆然と立ちすくす。なぜかとても冷静になって、天窓から見える真っ青な空を見上げていたのだ。

『セポ、大丈夫だ。慌てずトノトをいただいて帰ろう。』

 いつの間にかわたしの左肩に、キリトと名付けたウサギが乗って話しかけ、宥なだめていた。
 何が起きたのか、と聞いても、長い耳のある頭を横に振るだけ。
 イナウの並び立つ祭壇に登って、幾人かいる震えて立っている巫女にお願いしてお神酒(トノト)を注いでもらい、そのお神酒を手ですくうと、首の後ろへ戻ったわたしの憑神(トゥレンペ)にその手盃を持っていくという “おすそ分けする礼” をして、最後にわたしも一口飲み、礼をして祭壇を降りる。

「何が起こっているの」

『僕にもよくわからない。祭司たちは失神しただけのようだから、悪い霊が入ってきたのかもしれないね』

「鳥居の真ん中をくぐってった誰かさんのような?」

『まさか。あれ、あの子は......』

 わたし以外誰もいないと思っていた聖堂の中で、天窓の方を見上げて一人の青年が立っていた。
「オキ...クルミ......?」

 そう呟いて、呆然とした顔でわたしを見る。
 目の前でその長身が、まるで積み木が崩れるように倒れた。

 もう二度と見ることはなくなった、その目をわたしは忘れることができない。
 
 その青年の名前は村泉(むらいずみ)ミラル。それ以前に彼と出会っていた時点から、わたしの宿命は動き出していたのかもしれない。

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