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幽霊とお姫様2

 ふよふよと人形の周りを飛ぶ光る球体について問い掛けようと、僕はティファレトさんの方を向くが、ティファレトさんは人形やその光る球体ではなく、室内の様子をしげしげと眺めていた。
 その様子に、もしかしてこの光る球体が見えていないのかと思い、僕は今一度人形の方へと顔を向ける。
 人形は変わらず壁に寄りかかった状態のままで、光りを発している球体は人形の頭部の周囲を回っていた。
 もしティファレトさんにあの球体が見えていないのだとしたら、おそらくあれは魔力体だという事なのかもしれないが、何となくあれは生きているような気がした。

「ティファレトさん、あの光ってる球体が見えますか?」
「光る球体、ですか・・・?」

 僕は光る球体を指し示しながらティファレトさんに問い掛けるも、ティファレトさんは僕の示した方向を見ながら、何のことかと首を傾げた。

「やっぱり見えませんか・・・ふむ」

 僕はティファレトさんのその様子を視てから球体を眺めながらその正体を考えこむと、突然その球体が人形へと入っていった。
 そして、球体が人形の中に消えて暫くすると、座っていた人形がたどたどしい動作で立ち上がった。

「・・・・・・」

 立ち上がった人形は寝起きのように呆然とした雰囲気を醸し出していたが、意識が身体に馴染むかのように、次第に意識がしっかりとしていく。

「・・・・・ヤット、ミツ、ケタ」

 こちらを確認した人形は、掠れたような聞き取りにくい声を出して、一歩一歩確かめるような足取りで近づいて来る。

「あれが幽霊ですか?」
「分からないですが、多分違う気がしますね」

 人形が突然立ち上がり、少しずつこちらに近づいて来る光景は怖くはあったが、隣に立つティファレトさんがあまりにも普通にしているために恐怖が表面に出ることはなかった。
 それに、人形からは害意のようなモノが感じられなかったのも理由かもしれない。

「ヤット、ヤット・・・」

 そうしている内に人形は僕達の元までたどり着き、そのまま手を伸ばして僕の腕を掴んだ。
 その瞬間、人形が淡い光に包まれる。
 しかしそれも一瞬の事で、直ぐに光は消えてなくなる。

「今のは何だったのでしょうか?」
「さぁ? 何が起きたのか・・・」

 僕とティファレトさんが凝視する中、人形はゆっくりと顔を持ち上げ僕を見上げてくる。
 僕を見つめる闇そのもののように真っ黒で無機質な輝きの双眸に小さく身震いするも、次第にその眼に生命の光が灯りだす。

「ア、あ。ヤット、やっとみつけマシタよ、われらがおうよ」

 少しずつ明瞭になっていく声に興味を抱きながらも、その言葉の内容に首を傾げる。

「我らが王?」

 全く以って身に覚えのない言葉に、困ったような視線を人形に向ける。

「はい。あなたこそ、我らが王です」

 しっかりとした口調になった人形の少女は、最初と違い生気の宿った力強い瞳で僕を見上げてくる。
 その人形の少女の僕を見上げる強い瞳にたじろぎ、ティファレトさんに助けを求める目を向ける。

「えっと、初めまして、ワタクシはティファレトと申しますが、貴女は一体何者なのでしょうか? 幽霊さんなのでしょうか?」

 僕の助けを求める瞳に、ティファレトさんは困ったような表情を浮かべながらも、腰を屈めて僕の胸元辺りまでしか身長の無い人形の少女に目線を合わせて、そう問い掛けた。
 そのティファレトさんの問いに、人形の少女は顔をティファレトさんに向ける。

「ティファレトさんですか。まずはじめに、私にあなた方のような名はありません。そして、私は幽霊ではありません。あなた方の呼び名では何と言いましたか・・・・・・ああ、確か妖精、と呼んでいましたか、それです。それと、私からも質問というか確認なのですが、貴女は人間ではありませんね?」

 こてりと可愛らしく小首を傾げる少女に、ティファレトさんは「御明察の通り、ワタクシは人間ではなくアンドロイドです」 と、誇らしげに答えた。

「そう。人間の世界にも面白いモノがあるのですね。さすがは我らが王が惹かれた世界と思えばいいのか・・・」

 少女は疲れたような顔で呟く。表情は変わらないが、言葉の端にそんな雰囲気が乗っていた。

「その『我らが王』 とは一体何なんですか?」
「ふむ、それは―――」
「ッ」

 僕の疑問に答えようとこちらに向いた少女の瞳に、僕は息を呑む。
 少女の瞳は、ティファレトさんと話をするまで艶の無い黒一色の瞳だったのだが、それが今や美しい銀色の瞳をしていた。瞳孔の部分は暗闇でも光っているかの如く鮮やかだった。

「どうかしましたか? 我らが王よ」

 僕が緊張したのを感じ取り、少女は何事かと小首を傾げる。

「い、いえ、何でもないです。はい」
「そうですか。では先程の続きですが、その話をするには、我ら・・・妖精について話さねばならないでしょう」
「妖精について?」
「ええ、出来るだけ簡潔にお話し出来るように努力は致しますが、少々長くなるかもしれません。それでもよろしいですか?」
「それは、勿論大丈夫ですが」

 そう言いながら、チラリと視線をティファレトさんに向ける。

「ワタクシも構いません。ですが、長くなるのでしたら場所を変えた方がいいかもしれません」

 ティファレトさんは窓の外へと目を向けると、そのまま部屋の入口へと視線を転ずる。
 気づけば空は白みだしていた。

「そうですね、とりあえず部屋に戻りましょうか」
「いえ。どこか人目が無いところの方がよろしいでしょう」
「そうですか・・・では、とりあえず外に出ますか?」
「我らが王のご随意に」





 そのまま寮の外に出た僕達は、人目のつかないところを探して気づけば一年生寮棟の外れに来ていた。

「この辺りなら大丈夫だろう。それで、妖精についての話とは?」

 辺りを窺った後に、振り向き様に人形の少女にそう問い掛ける。
 問い掛けつつも改めて見た少女の姿は、美しくも恐ろしかった。
 周囲の光を吸い込むような深い黒色の髪に、丈の長い真っ黒の服。濃い紺色の靴は薄明りだと黒と大差なく、そんな中にあって、服の縁を彩る黄色が場違いなほどに目立っていた。
 そんな漆黒を纏う少女の僅かに露出する肌が透けそうなほどに白いのは、少女が作り物であることを殊更に強調しているようにも思えた。
 そして、こちらを見る銀色の瞳は、闇夜に輝く白銀の月よりも神秘的で、その美しさは寒気さえ覚えるほどであった。
 その少女が愛らしい唇を動かして語る物語は、とても直ぐには信じられるものではなかった。

「我ら妖精は長いこと二人の王によってまとまっていました。その王の二人は姉妹で、便宜上片方を王に、片方を補佐としていましたが、それは対外的な呼び名であり、実際は二人の間に上下関係はなく、二人は対等な立場でした。二人の関係は良好で、長いこと我らをまとめながら時を過ごしていましたが、ある時補佐を務めていた王が言いました。『世界を回ってみたい』 と。それを受けたもう一人の王は、その願いを快く受け入れました。ですが、それからどれだけ時が経とうと、世界を見に出た王は戻ることはありませんでした。何時まで経っても戻らない王を案じて、残った王は全力を以て世界の魔力を調べました。結果、外に出た王が人間の世界に行った事までは掴めましたが、その先の消息は何故だか忽然と途絶えていました。その後は王の捜索の為に我らが人間界に入りましたが、中々見つかりません。そしてやっと―――」

 そこで少女は、その深雪の如き美しき眼で僕を見る。しかし、その瞳には僕ではない何かを映している様であった。

「そこに見つけました。理由は分かりませんが、確かにそこに我らが王が御座(おわ)しますのを感じます」
「そう、言われましても・・・」

 僕が困惑の色を出すと、少女はふっと優しげに笑ったような気がした。

「先程も言いましたが、そこに御座すのが何故なのかは分かりませんが、一応の予想は出来ます」
「その予想を聞かせてもらっても?」
「ええ、勿論。と言いましても、とても単純なのですが、貴方が魅力的だからです」
「魅力的? 僕が?」
「ええ」

 今までただの一度として言われた事のない言葉に、僕はどう反応すればいいのかと当惑する。
 素直に誉め言葉として受け取ればいいのだろうか? それとも謙遜するべきなのだろうか? もしくは否定すべき? 拒絶? 歓喜? 様々な感情や言葉がぐるぐると頭の中を巡り、そして処理能力の限界に達した僕は、結局訳も分からず真顔になってしまった。
 そんな僕に、親が子に語り掛けるような慈愛に満ちた声で少女は捕捉する。
 少女の表情は変わらないし、声音も常に平坦なままなのだが、そんな気がした。

「我々妖精にとっての魅力と、あなた方人間では判断基準が異なります。我々はあなた方のように容姿や地位や性格などに興味はありません。我々が惹かれるものはただ一つ。それは、魔力です」
「魔力?」
「はい。強く美しい魔力こそが我々を惹きつける。そして、貴方の魔力は非常に魅力的です。人はおろか魔力の扱いに長けた魔族にさえ、これほどまでに美しい魔力の持ち主はそうそう居はしないでしょう」
「ワタクシは魔力について詳しくないのですが、それはつまりどういうことなのでしょうか?」
「そうですね、人間の言葉で説明するならば・・・・・・とても強い、と表現すれば伝わりますか?」
「ええ、理解しました。ありがとうございます」

 少女にしっかりと頭を下げるティファレトさんを横目に、僕は少々理解が追いついていなかった。いや、それは正確ではないかもしれない。
 つまりは僕が強かったから、妖精の王の片割れが僕の中に入ってきたという事なのだろう。目の前の動く人形の時のように。しかし、僕は妖精の存在を感じたことも無ければ、操られている感じもした事がない。
 その僕の考えが分かったのか、少女は軽く笑いかけるような口調で僕に話し掛ける。

「貴方には意思がある。それに、我々は惚れた相手の側に居たいだけですから、助ける事はあっても害をなすような事は致しませんよ」
「え?」
「貴方はこの人形のように独りでは何もできない存在ではないということです」

 そう言うと、僕に向けて少女は片手を胸に当てて深く一礼すると、こう(のたま)った。

「我らが王が認め、共に歩む存在。それは即ち我らが王と同義なれば、これより先、我らが傍に侍る事をお許し願いますれば、至上の喜びと存じます」

 恭しく頭を下げる少女に、僕は只々困惑するしかなかった。

「えっと・・・お断りします」

 僕の当然の返答に、少女はしかし驚愕の表情をした気がした。
 ただでさえ誰かと居ることに抵抗を感じるというのに、目の前の少女は学園の生徒ではないし、容姿の方も美しかった。何より薄暗かったとはいえ、一部生徒の間では彼女は幽霊少女として有名である。それは注目される要素満載だということ。
 そんな少女を侍らすとか、飛び火が大火事になりかねない。爆弾は近くに置くものではない。

「な、何故でしょうか? 我らではご不満でしょうか!?」

 ずっと平坦だった声音が微かに揺れる。それほどの衝撃だったのだろう。

「い、いや、不満とかそんなのではなく―――」
「では!」
「自分の事は自分で出来るので、補佐は不要ということです」

 こういう相手には、分かりやすくしっかりきっぱりと拒絶した方がいい。それは、僕の浅い人生経験でも理解出来ていた。

「では、補佐ではなければよろしいと?」
「え? い、いやそういう意味じゃ―――」
「そうですね、では補佐ではなく、ただ側に置いて頂くきたく」
「はい?」
「何でもいたしますので、いかようにも我らがこの身をお使いください。我らが主人よ」
「しゅ、主人・・・」
「ご主人様の方がお好みですか?」
「い、いやだからそういうことではなく―――」
「ではこれより、ご主人様の侍女として御傍近くに控えさせて頂きます」
「え、ちょ」
「ああ、ご心配なさらなくとも、普段は人目につかない場所にて待機しておりますのでご安心を」
「そう言う事じゃなくてですね!」
「ふふっ」

  どんどん話が先に進むことにあたふたとしていると、不意に横合いから楽しげな笑い声が聞こえてくる。そちらに顔を向けると、ティファレトさんがつい漏れてしまったというかのように口元を押さえていた。

「申し訳ございません」

 神妙な顔で頭を下げるティファレトさんであったが、目元がまだ可笑しそうに笑っていた。

「あ、いや・・・はぁ。もういいです」

 先程からあまりにも慣れていないことの連続に処理能力が追い付かず、僕は考えることを放棄する。もう目立たない様にするならいいんじゃないかな・・・。

「それではこれからよろしくお願い致します」

 少女は深々と僕に頭を下げた。

「それで、名前はどうされるのですか?」
「名前?」
「ええ、彼女は名前を持っていないと仰ってましたから。名前が無いと何かと不便では?」
「それはそうですけど・・・?」

 僕は窺うように少女の方へと視線を向けると、少女はご随意にとでも言うように僕に頭を下げるだけで何も言わない。

「名前、名前かー」

 僕は観念して少女の名前を考えるも、名前を決めるといっても、そんなに簡単に付けられるものでも思い浮かぶものでもない。というか、やっぱりそんな重要な事を僕が決めていいのだろうか? 名前って結構重要な事だと思うんだけど・・・。

「うーん、名前を付けるとかそんな事を急に言われましても、直ぐには思い浮かばないのですが」

 助けを求める様にティファレトさんに視線を送るも、そんな僕にティファレトさんはただ悠然と微笑み返すだけであった。

「むむむ、なら・・・プラタ、でどう?」
「ご主人様から頂けるのであれば、それだけで光栄の至り」
「つまりお任せと・・・」
「何か(いわ)れがあるのですか?」
「いえ。謂れがある訳ではなく、単純に彼女の美しい銀色の瞳を眺めていたら浮かんできた言葉というだけでして」
「なるほど。確かに美しい瞳をされてますね」

 僕とティファレトさんがジッと瞳を見詰めても、プラタは小揺るぎもしなかった。


 人形の少女の名前をプラタに決めた後、僕とティファレトさんは寮の自室へと戻った。
 プラダは寮へと移動する前に僕へと丁寧に礼をしてから、どこかへと消えていった。最初の言葉通りに人目のつかない場所に移動したのだろう。

「結局、幽霊ではなかったですね」

 部屋を出る前に生徒を監視している魔法の球体に掛けていた幻惑の魔法を僕が解除していると、ティファレトさんはそう言って残念そうな顔をみせる。

「で、でも、妖精も珍しいですし、それに妖精は魔力の塊と言われてますから、ある意味幽霊と同じようなものかと」
「そう、ですね。良い方と知り合えました。有難うございます」

 僕の困った様な慰めの言葉にティファレトさんはひとつ頷き、優しい微笑みを浮かべた顔を僕に向けて頭を下げると、礼を告げる。

「い、いえ、妖精と巡り合えたのは偶然ですから」

 自分の手柄ではないところで礼を言われて焦ってそう返すと、ティファレトさんはふふっと小さく笑った。

「それはそうかもしれませんが、オーガストさんが一緒でしたから彼女に会うことが出来たのでしょうし、お話も出来たのです。それに、優しい慰めのお言葉も感謝しています」

 そう言って僕に向けられたティファレトさんの微笑みは今まで見た微笑みの中で一番透き通っていて、ともすれば嫣然(えんぜん)としているような気さえもしてきた僕は、何故だか少しだけ心臓の鼓動が早くなったような気がした。

「んんん、ん」

 その呻きに僕はハッとして辺りを窺う。まだ僕とティファレトさん以外の三人は夢の中だったことを忘れていた。幸い、少し身じろいだだけの様だった。

「少し時間が空きましたね」

 僕は声を落としながら窓の外に目を向ける。太陽が完全に姿を見せるまでにはまだあと少し時間が必要そうであった。

「皆さんがお目覚めになるまでお休みになられてはいかがですか? 連日連れまわしてしまった身で申し訳ないのですが、昨夜からほとんどお休みになられていないようですし」

 そう言われて、そういえばと思い出すが、色々あって変に目が覚めているのか少し考えてみても眠気は感じなかった。
 それをティファレトさんに伝えつつ、どうしようかと考えを巡らす。
 考えなければいけないことは山ほどあるが、しかしそれを直ぐに思い出せるかはまた別問題の様だった。
 それから少しの間ティファレトさんと他愛のない会話をして、それが途切れた頃になってようやく眠気が襲ってくる。しかし、その時になって「ふぁぁぁ」 と盛大な欠伸をしながらヴルフルが起きると、それにつられる様にセフィラとアルパルカルも目を覚ました。
 結局僕はそのまま寝ることも出来ずに、起きた三人に合わせていつもの通り食堂に向かうのだった。


 向かった先の食堂はガランとしていたが、それもここ数日ですっかり見慣れてしまった。
 僕は初めて食堂に来た時の事を思い出し、こちらの方が気楽でいいとホッとする。
 食堂に入ると、役割は既に決まっているので、僕達はさっさと入り口で二手に分かれて行動を開始する。
 席を確保して、それぞれが自分の食事を持ってきた後に食事を開始した。
 僕はいつも通り早々に食事を終えると、そういえばと思い出してヴルフルとアルパルカルに問い掛けた。

「そういえば聞いてなかったけど、一昨日のダンジョンはどうだったの?」

 向かい側の席で食事をしていた二人は、食事の手を止めてこちらを見る。

「ああ、それなら俺らはちゃんと攻略出来たよ」
「そうだね~、一緒の班の人に救われたね~」
「いや、自力でもあれぐらいなら・・・」

 ヴルフルはそこで言葉を止めると、まぁいいかと思い直して食事を再開する。

「次のダンジョンの授業は五人とも同じ日でしたよね~?」
「そう聞いてますよ」
「それは楽しみです~」
「・・・別に組んで挑んだりはしないけどね」

 嬉しそうなアルパルカルに、セフィラがぼそりとそう呟く。
 それにアルパルカルは「あら~残念です~」 と、顔の前で手を合わせながら少し寂しそうな表情で応えた。

「ふぅ、ごちそうさん」

 そんな話をしている内にヴルフルは食事を終えると、内ポケットから取り出したハンカチで口元を拭った。

「先に教室に行っとくよ」

 ヴルフルは食膳を手に立ち上がると、そう言い残して席を離れる。

「じゃあ僕もそろそろ行っとくよ」

 ヴルフルに続いて僕も席を立つと、食膳を返却口に持っていく。
 食堂までは一緒に来ているが、それは部屋を出る時間が近いついでに目的地も同じだからというのと、食堂の席確保の為という意味合いがあるだけで、それから先は各自好きに行動していた。席確保はもう必要ない気もするので、既に惰性に近い気もするけど、今のところ別段不便もない。
 食堂を後にして廊下に出ると、ぱらぱらと人の姿が確認できる。
 現在の時間や人の数が減ったというのもあるが、そもそもこの校舎には四年生以下しか居ないし、ほとんど常時居るとなると一年生ぐらいだ。二年生以上になるとどんどん学園外で過ごす時間が増えてくる。五年生以上となるとほぼ学園内では姿を見ない。少なくとも、僕は未だに三年生までしか見たことがない。兄達を除くと、それもジーニアス魔法学園に到着した日に見ただけだ。
 そんな人の少ない廊下をのんびり歩いていると、僕を呼ぶ声が聞こえ、そちらに顔を向ける。

「やあ、また会ったね!」

 僕が顔を向けると、ペルダがひょいと片手を上げて近づいてくる。その後方には今度は五人の女子生徒が居た。全員前回の三人とは顔ぶれが違っていたが、相変わらず可愛らしい女子ばかりであった。

「・・・・・・」

 僕は少しだけ微妙な気持ちになる。何というか、知り合いがどんどん不良になっていくような感じとでも言えばいいのだろうか?

「そういえば、オーガスト君のクラスもダンジョンの授業終わったんだったよね?」
「うん。四日前にあったよ」
「どうだった?」
「どうって、まぁ僕は攻略出来たけど」
「おぉ! そうなんだ! 私達のクラスは昨日あったけど、私も無事に抜けられたよ!」

 嬉しそうに拳を握ったペルダに、後ろの女子から「ペルダ君凄かったよねー」 という声が掛けられ、それが口火となって口々にペルダを誉めそやす。それに照れながらも謙遜するペルダ。

「・・・・・・」

 その僕そっちのけで繰り広げられる光景を眺めながら、僕は無性に帰りたくなった。
 そんな甘々な光景に嫌気がさしていると、神に願いが通じたのか、大きくしかし耳障りでない女性の声がペルダに突き刺さる。

「やーーーーっと、見つけたーーーーぞ☆」

 そんな声とともに、ペルダの横腹に物理的にも飛んできた何かが突き刺さり、そのままペルダは派手に吹っ飛んでいった。

「キャッ! ペルダくん!」

 綺麗に吹っ飛んでいったペルダに驚いた取り巻きの女子生徒達は悲鳴を上げると、慌てて駆け寄っていく。

「フフン!」

 それを眺めながら、ペルダを吹っ飛ばした当人である女性は腰に手を当てると得意げに胸を張った。

「ちょっとあなた! 危ないでしょう!」

 その女性に、ペルダの無事を確かめた女子生徒達が咎めるような視線を投げながら、抗議の声を上げた。
 その鋭い視線や抗議の声を受けても、その女性は涼しい顔で肩を竦めるだけ。

「これぐらい避けてくれないと困るんだけど」

 しれっとそう嘯いて微塵も悪びれない女性に、女子生徒達の怒りが増していく。
 そんな空気を断ち切るかのように、「いてて」 と脇腹と地面に擦った辺りを確認しながら、吹っ飛ばされて横になっていたペルダが上体を起こす。

「大丈夫? ペルダくん」

 上体を起こしたペルダに口々に心配の言葉を掛ける女子生徒達に、ペルダは「大丈夫だよ」 と爽やかに笑いかける。
 その笑顔を向けられた女子生徒達は、怒りも忘れて「はう」 と熱い吐息を出して僅かに頬を染めた。
 女子生徒達に笑顔を向けた後に、ペルダは自分を蹴り飛ばした女性の方に顔を向けると、その笑顔を凍り付かせる。心なしか頬が引くついている様な気がする。
 その思わず面に出た、会いたくない相手に会ったという感じのペルダの表情に、女性は「ほぅ」 と剣呑な響きを伴う言葉を小さく漏らす。
 それに慌てたのか、ペルダは急いで立ち上がると、「や、やぁ」 という若干掠れた声での挨拶とともに、親しげに片手を上げて近づいていく。しかし、その感じはどう見ても僕の時とは違い、明らかに緊張していた。

「全く、鈍ったんじゃないか? ペルダは!」
「そ、そうかな? ラムの蹴りが一層鋭くなったんじゃないかな?」

 知り合いだろう女性に怯えるペルダに、先程まで女性に飛び掛からんばかりだった女子生徒達は困惑しながらも二人の様子を見守る。
 そんな様子を呆れながら眺めていた僕は、ふと前にペルダが嫌そうに語っていた話があった事を思い出して、ついそのことが口をついて出る。

「もしかして、ペルダが前に言っていた幼馴染って・・・」

 その呟きが聞こえた女性はこちらを向くと、にこりと朗らかな笑みを見せる。

「それは多分アタシのことだね!」
「そ、そうなんだ・・・」
「そうそう。それで? 君は?」
「あ、ああ、僕はオーガストと言いまして、ペルダ君とは列車が同じだったんですよ」
「ほうほう」

 女性はどこか興味深そうに僕を上から下まで眺めると、僕の方にスッと手を差し出してくる。

「さっきも言ったが、アタシはペルダの幼馴染でラムだ。よろしく!」
「よ、よろしくお願いします」

 僕がラムさんの手を握ると、ガシリと強く掴まれ上下に揺らされる。

「それにしても、アンタは強そうだねー」

 にやりと不敵な笑みを浮かべると、ラムさんは僕の手を放してペルダの方に向き直る。

「それはそれとして、ペルダはそんな調子でホントに大丈夫なのかねー? この学園はそんな軟弱ではやっていけないよー」
「いや、それは――――」
「まぁいいや。今日は時間もないし、今度鍛え直すとすれば。じゃ、またなー☆」

 それだけ言うと、ラムさんは颯爽と去っていった。

「な、何だったの・・・」

 嵐のような闖入者の背中を眺めながら、ペルダ以外のその場の全員が呆気にとられつつ、誰かが呟いたその一言に、思わず同意してしまうのだった。


 ラムさんが去った後、ペルダ達と別れた僕はそのまま教室へと場所を移して授業に出る。
 魔法の基礎についての授業はだいぶ進んだとはいえ、やはり基礎というものをやるとどうしても応用の話に跳びがちになり、今少し全てを終えるには時間が掛かりそうであった。
 幸い眠気はラムさんの派手な登場のおかげで吹っ飛んでいたので、授業中に居眠りするような失態は犯さずに済んだ。
 そしてその日の夜は、久方ぶりに思えるほどぐっすりと眠ることが出来た。





 翌日の外は雨模様であった。
 僕達は雨が降り出す前にと、いつもより早めに部屋を出ると、速足気味に食堂に移動した。
 いつもと時間が僅かに違うだけで、いつもの場所が少しだけ違う空間に思えてくる事がある。
 ガランとした食堂内はいつも以上に人が居らず、厨房からはまだ調理の音が微かに聞こえてくる。
 朝の空気のような張りつめた静けさの残る食堂内はどこか厳かな雰囲気に満ちていて、僕はそこに踏み入れるのを一瞬躊躇うほどだった。
 それは僕以外もそうだったのか、いつも通り行動しているはずなのに、皆背筋がいつも以上にピンと伸びているように見えた。
 食事中も誰も口を開くことはなく、早々に食べ終わると珍しく五人揃って食堂を後にする。その頃になると、食堂にも人が増えてきていた。

「雨が降ってきましたね」

 ティファレトさんの静かな声に窓の外に目を向ければ、しとしとと雫が天より落ちてきていた。
 いつもより光量の落ちた廊下を歩きながら、僕はふとプラタの姿が頭に浮かぶ。大丈夫だとは思うが、雨に濡れていなければいいけど。

「それじゃここで」
「また夜に~」

 ヴルフルとアルパルカルが自分たちのクラスに行くためにそう言って途中で別れると、僕達三人は雨音を聞きながら無言のまま教室に移動した。
 教室に入って席に着いた後は、いつも通りのんびりグラッパ教諭を待ってから、授業を受ける。
 全ての授業が終わった頃には外は土砂降りになっていた。
 止む気配のない雨に諦めて、僕達三人は教室を出て廊下を歩いていると、背後から鈴を転がすような澄んだ声が掛けられた。

「やっと会えましたわ!」

 その嬉しさが滲む弾んだ声に聞き覚えがあった僕は、声の主に背を向けたままこれから訪れるであろう嫌な予感に思わずピクリと頬を引き攣らせた。
 しかし、周囲には僕達以外にも数名の生徒が居るため、まだ僕に声を掛けたとは限らないと自分に言い聞かせながら、僕は足を止めることなく廊下を歩く。

「お待ちになってくださいまし!」

 その見なくても笑顔を浮かべてるんだろうなという声とともに僕の肩に置かれた細くしなやかな手に死神の鎌を幻視した気がして、ああもう逃げられないんだなと、諦念の想いを抱く。
 抵抗を諦めた僕が振り返ると、案の定そこにはぺリド姫が満面の笑みで立っていた。

「な、なんでしょうか?」

 僕はそんな彼女に引き攣った笑顔で問い掛ける。
 ぺリド姫の周囲には、以前食堂で見た時のような大勢の御付きや取り巻きの姿はなかったが、周りの数名の生徒は驚いたようにこちらを見ていた。
 ぺリド姫は流石に注目される事には馴れっこのようで、そんな視線など最初から無いかのように受け流していた。

「以前食堂でお会いしましたよね? (わたくし)の事を覚えておいでですか?」
「え、ええ覚えています」
「それは良かったです! 一度あなたとゆっくりお話ししたかったのですわ」

 眩いばかりの笑顔を向けられ、僕は混乱のあまり視線を合わせられずに周囲にキョロキョロと視線が彷徨う。凄い失礼な態度だとは自覚しているが、こればかりはどうしようもない。
 そんな僕の行動を周囲を気にしているとでも取ったのか、ぺリド姫は「どこか人目のない場所に移りましょうか」 と提案すると、セフィラとティファレトさんの方を向いて「いかがでしょうか?」 と問い掛けた。

「ぼくは帰りますので、お気になさらずに」
「ワタクシも寮に帰りますので、お二人でごゆっくりと」
「そうですか? お二方ともお話ししたかったですが、残念です」

 相変らずなセフィラと変に気を遣ったティファレトさんの返答に、ぺリド姫はしょんぼりとしつつも、直ぐに笑顔で「それではまた」 と挨拶する。
 セフィラとティファレトさんはそれに応えると、本当に帰っていった。

「それでは行きましょうか、私良い場所を知っているんですの!」

 子どもが親に自慢するような微笑ましい表情でそう言うと、ぺリド姫は僕の手をそっと取る。
 その行動にますます混乱した僕は、そのままぺリド姫に手を引かれるがままに移動させられる。
 そうして辿り着いた場所は、どこかの空き教室だった。ここまでの道順何て一切覚えていないので、ここが学園のどこかも分からない。

「ここなら邪魔は入りませんわ!」

 この空き教室はぺリド姫にとって落ち着ける場所なのだろうか? 先程と違い穏やかな表情で僕に笑いかけたような気がした。
 しかし今はそれよりも、ここに来るまでにあった出来事が頭に浮かび、頭痛がしてくるような気がしてくる。
 それはここまでの道中、ぺリド姫が僕の手を取り移動する様を幾人もの生徒に目撃されたという事だった。あれは完全に詰んだような気がする。
 そんな僕の心中など知る由もないぺリド姫は、早速とばかりに話を開始する。

「まず、お名前を伺ってもよろしいでしょうか? 私はペリドット・エンペル・ユランと申します。長いですので気安くぺリドとお呼びくださいませ」

 そう言うと、ぺリド姫は優雅な一礼をみせる。それに僕は増々緊張してくるも、挨拶を返さないとという意識だけで口を開く。

「ぼ、僕・・・いや、私はオーガストと申します!」

 ちゃんと言えたかどうかよく分からなかったが、ぺリド姫が「ふふふ」 と微笑んだところを見るに、もしかしたら音程が狂っていたのかもしれない。
 その後の会話は緊張しすぎてあんまり覚えていないが、日が暮れる間際にぺリド姫の従者の方が迎えに来るまで二人の時間は続いた。
 記憶にあるのは、ぺリド姫がこの学園に来た理由と互いの幼い頃の話、そしてどうしてそうなったのか定かではないが、次のダンジョンでパーティーを組むという話だけであった。
 そして帰り際の事だったからか、ぺリド姫が楽しそうに「ではまた」 と言い残して去っていったのが何故だかとても印象的であった。





 ぺリド姫と話をした翌日。予想はしていたが、正直勘弁願いたかった。
 教室に入った僕の目の前には人の壁が出来ていた。原因はやはり昨日のぺリド姫との一件であった。先程からぺリド姫との関係や何をしていたかなどの質問がひっきりなしに飛んできているのでまず間違いないだろう。中にはぺリド姫には直接訊けないだろう品の無い質問も混ざっていた。
 話が広がるのが早いのは、相手が帝国のお姫様だからだろうか。
 食堂には人がほとんどいなかったし、セフィラ達も何も聞いてこなかったので心のどこかで油断していたのかもしれない。
 沢山の人の視線に晒されて吐きそうになるのと同時に苛立ちを覚えながらも、この人垣をどうやって越えようかと思案する。早く抜けないと色々とやばそうだ。
 そんな事を頭に思い浮かべていると、隣にいたセフィラの手元からバチィという何かが爆ぜるような音と青白い光が起こり、場に一瞬の静寂が訪れる。
 それとともに僕の代わりに視線を集めたセフィラが、ボソッと呟いた。

「離れないと危ないよ?」

 その呟きは妙に明朗に耳に届き、みんなが一歩下がる。そこに細いながらも確かな煙がセフィラの手元から立ち昇り、流石にみんな距離を取った。パニックにならずにそれだけで済んだのは流石というべきなのかどうか。
 セフィラは手元から煙を立ち昇らせたまま、割れる人垣を通りながら悠々と自分の席にまで移動する。僕達もその後に続く。
 席に着くと、セフィラは余煙の如くゆらゆらと天井へと昇る手元の煙をフッと吹き消した。

「それ大丈夫なの?」

 そのまま手元の機械を弄りだしたセフィラに、僕はそっと問い掛ける。

「問題ない。これも機能の一つ」

 セフィラは手元に視線を固定したまま素っ気ない声で小さくそれだけ言うと閉口する。
 そんなセフィラの様子を暫く窺っていた野次馬達は、大丈夫そうだと判断したのか僕の席を取り囲むと、質問攻めを再開する。
 すると、再度セフィラは手元の機器から煙を出す。ついでに今度はバチバチという破裂音と青白い閃光も並行して起こし続ける。

「五月蠅いよ、ぼくの邪魔をしないでくれないかな・・・?」

 多分に苛立ちを含んだセフィラの静かな呟きに、その場に緊張が走る。
 静かになった教室に、手元の機器から煙と光と音を消したセフィラがその機器を弄る音が薄く響く。
 その後はグラッパ教諭が来るまで教室内は静かなものであった。それほどまでにセフィラの怒気には迫力があったのだ。これはセフィラに借りが出来てしまった。
 黙り込むクラスメイトも見ものではあったが、入ってきて直ぐに教室内の静けさに不審な表情を浮かべたグラッパ教諭も少し面白かった。
 そして今日という日が過ぎていく。明後日には次のダンジョンの授業の日だ。

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