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ペリド姫の日記

 その日は朝から気持ちがいいまでに晴れていて、ここ数日のどんよりとした天気が噓の様であった。
 窓から差し込む光に促されるままに(わたくし)は目を覚ますと、同室の使用人、ここでは同級生の三人は既に目を覚まして朝の支度を終えていた。
 その光景は私にとっては見慣れたものではあったけれど、毎朝その光景を見るたびに、もっと早起きせねばと決意を新たにする。しかし中々思うようにはいかないもので、少しずつ起きる時間を早くしていくことしか出来なかった。

「おはようございます。ペリドット様」
「おはよう、マリル。良い朝ね」
「はい。心が洗われるような清々しい朝です」

 私の起床に気づいた使用人の一人であるマリルが、私に向けて綺麗な所作で頭を下げる。
 マリルに挨拶を返しながら、私はベットから降りる。この部屋には私が来る前から家具や寝具が既に用意されていた。一応必要ないと抗議はしたのだが、効果はなかった。やはりこういうものは徐々にでなければ変えらるものではないらしい。
 私は顔を洗ったり髪を梳いたり薄く化粧を施したりと、朝の身だしなみを整える。皇族の一人として、だらしない姿を世間の耳目に晒す訳にはいかないので、こればかりは未だに使用人の手を一部借りなければならない。遠征に出るまでには一人で完璧にこなせるようにしなければならないだろう。
 それが終わると、寝間着から制服に着替える。手伝おうとする使用人を制し、一人で着替えを行えるようにするだけでも苦労した。
 着替えが終わると部屋を出て使用人達と食堂へと移動する。これだって変える事の出来た数少ない事柄のひとつで、最初は部屋に料理人を呼んで料理を用意しようとしていたのだから。
 朝からそれほど経っていないというのに、随所にある色々な(しがらみ)を思い出した私は、周囲の使用人達に気づかれない様にそっと息を吐いた。


 食堂に到着すると、待っていた他の使用人や同級生達に囲まれながら食事を取りに行く。
 注目を浴びることも会話をすることも別段苦ではないが、たまには静かに食事をしたい時もあった。
 しかしこれも皇族の一員としての責務として、そんなことは(おくび)にも出さずに微笑みを浮かべて対応する。
 そうして周囲の人達と会話をしていると、不意に三日前の彼との語らいを思い出して、自然な笑みが面に浮かぶ。
 彼は終始緊張しているようではあったが、受け答えは明瞭で、話はどれも興味深かった。
 そして今日は二つ目のダンジョンを彼とともに攻略する日、それはとても楽しみであった。
 私は歓談しながらの食事を終えると、食膳を返却して食堂を後にする。後ろには幾人もの人達が付いてきていて、正直廊下を占領してしまっていることが心苦しかったので、何度もその事を口に出してはいるが、未だにその成果は一時的にしかでていない。
 教室に到着すると、クラスメイトに挨拶をする。流石にもう慣れたのか、最初の頃よりは大分落ち着いてきてくれた。
 そのまま席に移動して歓談していると先生が入って来られて、これから行うダンジョンのお話を簡単になさる。
 先生がお話を終えると、それぞれが自分の進捗状況に合わせたダンジョンの場所へと移動する。
 私は二つ目のダンジョンに、共に最初のダンジョンを乗り越えた使用人達と一緒に向かう。
 ダンジョンの場所に到着すると、既に他のクラス方々が到着していた。その中に彼の姿を認めた私は小さな悪戯心が芽生え、彼にそっと近づいて背後から声を掛けた。
 彼は驚いたように振り返り挨拶をするも、相変らず緊張しているようであった。
 彼と一緒に居た四人の方とも挨拶を交わす。内お二方は以前に言葉を交わした方だった。
 そのまま彼らと歓談していると、不意に横から声が掛けられる。誰かと思いそちらを向くと、そこにはあまり見たくない顔があった。
 私が顔を向けた先に居たのはリチャード・ロウという、金で地位を買ったと噂されているナン大公国の成り上がり貴族であるロウ家の五男であった。ただ、噂の真偽について私は詳しくは聞かされていないが、前にお兄様より「ロウ家はろくでもない家だから極力近づかない様に」 とだけ言い含められていた。
 そのロウ家の人間がこちらに笑い掛けながら近づいてくる。しかしその笑顔は非常に胡散臭いものであった。それに反応して思わず警戒して動こうとする使用人達を目で制して、私は目の前で立ち止まって大げさに頭を下げて名を名乗るロウ家の者に、いつも通りの微笑みを顔に浮かべて応対する。
 こちらに向かって空々しい美辞麗句を並べ立て、うんざりするほどにごてごてと装飾した言葉で語った内容は、パーティーを組みませんか? という一言で済む話であった。
 時間を無駄にしたと内心でげんなりしながらも、私は丁寧にその申し出をお断りする。
 しかしそれに食い下がるロウ家の者に、私は何度もお断りする。それにもめげずにしつこく言い寄ってきたところで、流石に見かねた使用人のマリルが間に入るが、それをロウ家の者は「邪魔だ」 と言って突き飛ばした。
 流石にそれは看過できないと口を開こうとしたところで、突き飛ばされた先に居た彼がマリルを受け止めながら、ロウ家の者に静かな声音で注意をする。
 それに、「平民が」 と見下しながら声を荒げるロウ家の者だったが、彼は相変わらず緊張した様子ながらも、普段通りの口調でここで事を荒げることの不利益を滔々とロウ家の者に語り聞かせる。そこでやっとロウ家の者は自分に避難がましい視線が集中していることに気がつき舌打ちをすると、周囲を威嚇しながら去っていった。
 そんな彼の意外な一面に私が感心していると、マリルが助けてもらった事への礼を述べる。その礼を彼は先程と違いぎこちない様子で受け取っていた。
 それから暫くして、最初のダンジョン同様に順番にダンジョンの中へと入っていく。今回のダンジョンは入り口から中に入ると、ダンジョン内にある特定の場所のどこかに飛ばされる仕組みになっているらしかった。
 そして遂に私達の順番が来ると、私達は揃ってダンジョン内に足を踏み入れた。





 一瞬視界が真っ白になり、視界が戻った時には森の中であった。
 直ぐ近くにパーティーを組んだ彼とマリル達使用人の四人全員の姿を認め、私は内心でホッと胸を撫で下ろす。そのまま視界を上へと転ずれば、そこにあるのは先程まで広がっていた清々しい青空ではなく、圧迫感のある岩肌の天井であった。それはここが外ではなくダンジョン内という事を示していた。

「森ですね。・・・見たことない木ですけど」

 近くにある一本の木を、自分の記憶を探るように目を細めながら見上げるマリル。

「これは良く出来ていますが、木は木でも石で出来た木ですね・・・一応」

 彼がマリルにそう告げながら目の前の木を軽く叩くと、どこか響くような木を叩く音ではなく、硬質な物を叩いた時のような鈍く小さな音がする。
 その言葉に私は近くの木を改めて観察するも、木肌といい枝葉といいそれが石で出来ているとは到底思えず恐る恐る触れてみると、ひんやりとした冷たさとガッシリとした硬さを感じて、これが木ではないことを手のひら越しに伝えてくる。

「石の森ですか・・・」

 辺りを見渡したマリルの驚きと感心の混ざった呟きに、私も同じように石で出来た木が林立する森に目をやる。

「これは流石に自然に出来た物ではないですよね。人工物という事なら、この辺りにこれを造った誰かもしくは何かが居るという事でしょうか?」
「これは確かに自然物ではありませんが、おそらく・・・岩を彫ったというような芸術品でもありませんね」
「では何なのですか?」
「ここは元々本物の森だったのでしょうね。その証拠に、この木は本物の木を石化させたもののようですから」
「石化ですの?」

 つい零れた私の疑問に、彼はマリルから私に顔を向けると、何故だか目を揺らしながら頷く。
 それに改めて石の木を見るも、見た目は色合いまで木そのもので、触れでもしない限りこれが石とは分からないような代物だった。確かにこれが本物をそのまま石化させた物だというならば納得も出来るが、そもそも石化とは見た目をそのままに石に出来るものなのだろうか?

「内部からじわりじわりと侵食するように、時間をかけて石化させたんだと思います」
「そんな手間隙(てまひま)の掛かることを一体どなたが?」
「それはあれでしょうね」

 彼が指差したその先には、何もなかった。

「???」
「何もありませんが?」

 私とマリル達使用人は、彼の指差した先に目を向けながら一様に首を傾げる。

「そこの木の根元に生えているキノコが元凶ですよ」
「キノコ・・・」

 確かに彼の示す場所に生える少し大きめの木の根元には小さなキノコが幾つか自生していたが、それが元凶だと言われてもピンとはこなかった。それはマリル達も同じようであった。

「地面の中から菌糸、根を広げてこの森全てを掌握したみたいですね。それは今では森の外にも勢力を広げているようですが、それ自体は地面の上に居る私達には関係無いみたいですが、問題は胞子を今にもまき散らそうとしていることでしょうか」

 これで説明になるだろうかという感じで話す彼だが、その話の内容は、静かに聞いているには少々刺激が強すぎた。それはマリル達も同じようだった。

「胞子をまき散らすとは大丈夫なのですか!? 急いで逃げた方がいいのでは!?」
「ああ、そうですね。とりあえずこの森の外まで走りましょうか」

 焦るマリルの提案に頷く彼は微塵も焦っている様子はなく、それどころかマリルに言われるまで逃げるという発想が無いようであった。その態度はまるで、もう問題が解決しているかのように私には見えた。


 私達はひたすらに駆けて何とか森を抜けると、そのまま森の方を振り返った。

「特に何かあるようには見えませんが・・・」
「まぁ胞子は目に見えませんからね。魔力の流れを視れば分かると思いますよ」

 彼の言葉に従い、魔力の流れを確認する為に魔力視と呼ばれる魔法の眼を森に向けると、森は何かよく分からない魔力の集まりにすっぽりと覆われ、森の姿は木一本すら確認できなかった。
 そのあまりの姿に私達が絶句していると、何故だか彼はジッと虚空を眺めていた。
 その行動が気になり問い掛けようとするも、その前にマリルの警戒を促す声が響く。

「魔物です! 皆さん戦闘態勢を!」

 その声にマリルの視線の先に顔を向けると、そこには一匹の巨大な蜘蛛がするすると天井から降りてきたところであった。
 地面に降り立ったその蜘蛛の足は一本が私より大きそうで、足を曲げている状態でもその体躯は見上げる程の高さだった。感じる強さは前回のダンジョンで遭遇した犬よりは強そうで、強さの目安等級は下級に届くかどうかだと予測する。
 使用人の三人が私を守るように前に出る。私は接近戦は得意ではないので後方からの攻撃に専念する。
 私達が陣形を組む中、少し離れたところで彼は巨大蜘蛛の魔物を眺めながら何かを考えているようであった。
 そして、何か閃いたように手を合わせると、懐から短剣を取り出した。
 その間にキシキシと音を立てて間合いを詰めてきた巨大蜘蛛の魔物に、私は初級魔法である火球を放つ。
 火球が当たった蜘蛛の魔物はどこから出しているのか、「キュウゥゥ」 という音を立てて動きを鈍らせる。虫型の魔物だけに、火が弱点なのかもしれない。しかしそれも一瞬の事で、直ぐに動きを再開させる。
 近づいて来たことにより、魔物の姿が細部まではっきりと見えてくる。それはどうしても生理的嫌悪感を抱いてしまう姿で、つい短い悲鳴が漏れそうになるのを口を横に強く結んで必死に抑える。こちらからは顔が見えないが、マリル達も似たようなものなのか、肩が僅かに震えていた。
 私は視界からその魔物の姿を隠すかのように、魔物を中心に炎の渦を発生させる。
 炎渦(えんか)と呼ばれる中級魔法で、応用魔法の一種であるその魔法に囚われた魔物は、相変らずどこから声を出しているのか「キィキィ」 と鳴きながら炎の外に出ようと足掻いているようであったが、周囲を囲む高温の炎を突破できないようであった。
 そのまま暫く経つと鳴き声のような音が止んだので、私は魔物を囲んでいた炎の渦を消しさる。そこには魔物の姿はなく、黒く円形に焦げた地面しか残っていなかった。
 巨大蜘蛛の魔物を倒すと、私達は周囲を見渡し、天井にも他の蜘蛛の魔物が張り付いていないことを確認して、ホッと胸を撫で下ろす。

「このダンジョンはどこを目指せばいいんでしょうか?」

 使用人の一人であるスクレが次への道を探してキョロキョロと見渡しながら発言する。
 このダンジョンンは最初のダンジョンのように部屋と通路が連続する造りになっている訳ではないようで、広い空間がどこまでも続いており、先ほどの森もそれなりの広さであったのに、この広い空間を彩る一部でしかないようであった。
 そんな広い空間が前後左右に拡がっていて、更には森がある方角以外は先も確認出来ない程に続いている。
 飛ばされてここに来た以上、入り口から真っすぐ進めばいいという訳にもいかず、かと言って目印がある訳でもない。これではどちらに進めばいいのか分からないというのが自明の理の様にも思えたのだが。

「あちらに進めば最奥に辿り着けるようですよ」

 彼は特に思案するでもなく、空間の一方向を指差す。最初から道を知っているようなその反応に、私達は不思議そうに首を傾げる。

「あちらですか? 道をご存じなのですか?」
「いえ。ただこの先に、最初のダンジョンの最奥にあった隠し部屋に置かれていた転移装置の様な魔力の集まりがあるので、そうなのではないかと思っただけです」

 彼の言葉を受けて私達は魔力視で先を視るも、魔物らしき魔力は確認出来ても、最初のダンジョンにあった転移装置のような魔力は全く感じられなかった。
 私達の芳しくない反応でそれが理解できたのだろう、彼は困ったような微笑を浮かべる。
 それに申し訳なく思い、私は彼が示した方角へ進むことを提案する。
 他に指針となるものも見つからなかった為に、マリル達もその提案を受け入れて、私達は彼が示した方角へ歩みを進めることに決める。
 それから暫く歩みを進めると、進路から少し逸れた場所に朽ちた神殿らしき石で出来た建造物を発見する。

「ここには文明でもあったのでしょうか?」

 ここは学園が造った訓練施設である為にそのようなことがあるはずがないのだが、マリルがついそう漏らしてしまうのも理解できるほどに、その神殿からは歴史が感じられた。だから私もその神殿(あと)に興味を抱いてしまう。

「少しあの神殿址に寄って行きませんか?」

 私の提案に、一行の進路を一旦神殿の方へと寄せる。
 その神殿址は崩れてはいたが歩き回れないという程ではなく、私達は慎重な足取りで入り口の石階段を上る。
 階段を上りきった先は所々崩れてはいたが、造り自体はしっかりしているのか、大部分の石畳は少し欠けるか一部が砕けているだけで、足元に注意しさえすれば上を歩く分には不自由なさそうであった。
 私達はその石畳の上を歩いて奥に置かれた祭壇のようなモノに近づく。
 三段くらい高い位置に造られたその場所には石で出来た教卓のようなものがあり、登壇してみると、教卓の奥の壁には何かの文様のような絵が描かれていたが、ほとんど掠れていてよく分からなかった。
 そして、登壇して初めて目に付いたのですが、教卓の陰に隠れる様に教卓と壁の間には石棺(せっかん)が置かれていた。その石棺の蓋は開いて、中身は空っぽであった。何かを安置していた様子もなく、ただここに置かれているというだけのような印象を受けた。

「これは・・・家紋でしょうか? 記憶に無いものですが」

 使用人達が集まり、スクレが手に持つボロボロの旗のような布切れを眺めながら、揃って訝しげな表情をしている。
 その旗には鋭い爪と大きな翼を持った鳥のような生き物が描かれていた。変わったところはその鳥の顔が王冠を被った人の顔だという事だろうか。確かにこんな特徴的な紋章であるならば、一度でも見たことがあれば記憶に残っているはずなのだが、残念ながら私の記憶にもその紋章は存在しなかった。
 彼がその紋章について何か知らないかと私はそちらに顔を向けると、彼は最奥の部屋があると言っていた方角とスクレが持つ旗とに目を向けて、何故だかため息のような息を吐いた。
 その面倒くさそうな雰囲気を漂わせる彼へと質問するのは何となく躊躇われたので、私は他に手がかりはないかと周囲を見渡す。しかし、壊れた本棚や崩れた長椅子などしか目に入らなくて、(おもむき)こそあれ石棺や旗以外の目ぼしい物は何一つとして見当たらなかった。私達はそこで探索を諦めると、早々に神殿を後にする。
 そのまま元の進路に戻ると、元々目指していた彼が示した方角へと移動を再開する。
 ただ真っすぐ進んでいるだけだというのに、目印となるようなものが少なく、似たような造りばかりのだだっ広いだけの空間だと、方向感覚がおかしくなったような気がしてくる。
 そんな感覚に苛まれながらも、私達は前へと進む。すると、奥の方から何かが近づいてくるのを察知する。しかし先の通路には横道でもあるのか、暗視を用いても姿を確認することは出来なかった。

「・・・はぁ」

 私達がその不明の敵を警戒する中、隣で彼が小さく息を吐く。

「よりにもよってさっきのか・・・」

 極々小さな声で呟かれたそれが耳に入ったのは、私が彼と近い位置にいたからか、はたまたダンジョン内がとても静かだったからか。
 彼のその呟きに私は首を傾げて先を視るも、距離が縮んだ事で何とかそれが人だということまでは確認できたが、それが誰なのかまでは分からなかった。それを彼は既に正確に把握しているらしいという事に内心で驚く。
 私は探知系統の魔法は比較的得意な方で、前に師に優秀だと褒められたことがあった。しかしそれには『学生の中では』 という但し書きが付いてくる。故に、彼が行ったことの凄さは漠然としか分からないが、もしかしたら私の師に匹敵する才の持ち主かもしれなかった。
 しかしそれが事実ならば、同時に彼は人の切り札足りえる存在だという事にも繋がる。なにせ私の師は、人類最強と噂されている魔術師の一人なのだから。
 彼が強いだろう事は知っていたし、彼との話から予測できていたのだが、これほどまでとは流石に想定外であった。しかし、それは私にとってはうれしい誤算でしかないけれど。
 そんな風に私が内心で驚いていると、道の先に存在を感じていた人物が姿を現す。それはダンジョンの入り口で一悶着あった見たくもない顔、リチャード・ロウその人であった。
 ロウ家の者のパーティーは見た感じ他を使用人で揃えているようで、総勢十二人の大所帯であった。
 そのロウ家の者もこちらに気づいたようで、あの胡散臭い笑みを顔に張り付けてこちらに近寄ってくる。あんな事があった後なのでそれに嫌悪感を抱くも、それを表層に浮上させない様に、いつもの微笑で巧みに押し隠す。正直、この邂逅には嫌な予感しかしない。
 ロウ家の者と光量の少ないダンジョン内でも肉眼で互いを認識できる距離まで近づくと、ロウ家の者はその胡散臭げな角度に持ちあがっている口を開き、軽薄な口調にわざとらしい大仰な所作を伴って言葉を紡ぐ。

「これはこれはペリドット・エンペル・ユラン姫殿下。このような場所で再会できるとは、このリチャード・ロウ、歓喜に打ち震える思いです」

 そのあまりに芝居がかった一連の動作に、私は内心がどんどん冷えていくのを感じる。それでも微笑みを絶やさずに、それに応える。

「同じダンジョンを攻略している身、そういうこともありましょう。どうやら順調に進んでいらっしゃるようですわね」
「ええ、ええ、このリチャード・ロウの実力をもってすればこんなダンジョンぐらい簡単にこなしてみせますとも! そこでどうでしょうか姫殿下、ここで再開出来たのも何かの縁です。せっかくですので、ここから一緒に攻略を致しませんか?」

 そう自慢げに言うと、ロウ家の者は欲望にまみれた笑みとともに手を差し出す。
 それに私は鳥肌が立ちそうになりながらも、微笑みを絶やさない様に必死に努力しながら、その申し出を丁寧に断る。しかし、やはり簡単には引いてはくれず、じりじりと距離を詰めて言い寄ってくる。その態度に後退りそうになるのを堪えつつ言葉で説得するも、全く効果が無い様であった。

「その辺で引いては頂けませんか?」

 その言葉と共にマリル達が私を庇って間に入ると、ロウ家の者に対して丁寧だけど頑とした態度で応じる。

「何だ! いくら姫殿下の使用人とはいえ失礼であろう?」

 そのマリル達の横やりに、ロウ家の者は顔を歪め不機嫌さを露骨に表情に出す。

「姫様は先程から幾度もお断りされていらっしゃいますが?」
「ここは安全の為にも合流するべきであろ? お前達とて姫殿下がお怪我をされるのを望むまい?」
「それはそうですが、姫様を御守りするのは我らが役目です!」
「ふん! お前達よりも俺様の方が確実だ! 分を弁えてそこをどけ! 俺様は姫殿下とお話しをしているのだ!」

 引く気配のないマリル達に、ロウ家の者は徐々に苛立ちを露わにしていく。このままでは強硬手段に出るだろうことは、入り口での態度から容易に想像がついた。
 そこへ、スッと彼が歩み寄る。その彼はいつものどこか頼りなげな雰囲気ではなく、ぞくりとするような鋭い雰囲気を纏っていた。

「そろそろ引いてはいかがですか? 少々見苦しいですよ」
「あ゛あ゛!?」

 その彼をロウ家の者はじろりと睨め付けると、ドスの利いた低い声を出す。そしてその存在を認識したロウ家の者の瞳に冷たいものが宿る。

「貴様は入り口の・・・平民風情がまた俺様に口答えか!? ここにはあの時みたいな聴衆は居ないぞ!! 覚悟は出来ているのか!? ダンジョン内では何が起こってもおかしくないぞ!!」

 その殺意に満ちた声を聴いた彼は、何故か一度ロウ家の者の頭上付近に目をやると、やれやれという風に息を吐いた。
 その態度が癇に障ったロウ家の者は、あろうことか腰に佩いていた剣を抜くと、それに雷撃を纏わせる。
 その行動にマリル達がざわつき戦闘態勢に入る中、敵意を向けられている当人である彼は大して気にした様子も見せない。

「平民風情が! 貴族である俺様を虚仮にした代償をその命で払わせてやる!」

 その苛立ちと殺意に満ちた叫びと共に、ロウ家の者は彼に向って手にした剣を振り抜く。

「な!?」

 しかし、ロウ家の者が振るった剣は彼に触れることなく、直ぐに障壁に阻まれる。先程から彼は身動ぎすらしていなかった。

「糞が!!」

 それだけの実力差を見せつけられたロウ家の者は悪態をつくと、背後の従者達に命令を下す。

「お前らもこいつを殺すのを手伝え!!」

 穏やかでない流れに場は緊張するも、彼は変わらずただ立っているだけだった。それどころか、いっそ欠伸でもしそうなほどに弛緩していて、最初の雰囲気が嘘のように感じてくる。
 しかしその態度はロウ家の者の怒りに燃料を投下したようで、更に殺意に塗れた目を彼に向けていた。私達は彼の実力の片鱗を感じとり、余計な手出しをせずに、邪魔にならない様にと一歩下がる。
 ロウ家の者の命に従い、従者達のある者は手に武器を持ち、ある者は魔法を唱える。
 ロウ家の者にばかり注目していたために気づかなかったが、その従者の誰もが目に光が無く、どんな扱われ方をしているのかが分かり沸々と内より怒りがこみ上げてくる。

「はぁ」

 ロウ家の者との戦端が開かれる寸前、その場違いなため息が私達の耳に届く。そして、次の瞬間にはロウ家の者とその従者達が地に倒れ伏していた。
 いつの間にか地に伏したロウ家の者は、先程までの殺意を忘れ、訳が分からないという間の抜けた表情を浮かべる。
 そんなロウ家の者に、わざと足音を立てながら彼が近づいていく。

「平民如きが俺様を見下す気か!!!」

 ロウ家の者の前で立ち止まった彼に、顔を上げたロウ家の者が牙を剥く。しかし、立ち上がるどころか腕を動かすことすらままならないようで、威嚇する表情には微かに焦りが見える。
 そんなロウ家の者に彼はにんまりと音がしそうなぐらい白々しい笑みを向けながら、試すような口調で口を開いた。

「おやおや、そんなところでお休みになられてどうかされたんですか?」
「貴様!! 覚えておけよ!!」
「おお、怖い怖い。ああ、そういえば、先ほど貴方が仰っていましたね」
「ああ!?」
「確か・・・」

 彼はそこで言葉を切ると、笑みを消してロウ家の者の近くに顔を寄せて、囁くような声音で言葉を紡いだ。

「『ダンジョン内では何が起こるか分からないぞ』 でしたっけ?」
「何を言って・・・ッ!!」

 彼のその言葉の真意を探ろうとロウ家の者が彼の表情を窺い見て、その細められた目から覗く刃の如き鋭利な輝きに、すぐさま自分の言と同じ意味だと解したロウ家の者は、息を呑み目を見開くと怯えた表情を彼に向ける。

「ま、まさか貴様俺様を!! ・・・・お、おいお前ら! 寝てないで俺を守れ!」

 ロウ家の者は震える声を出すと、慌てて後方で同じように地に伏している従者に声を荒げてそう命令する。

「まぁ、無理だと思いますよ。それにしても、この程度でやられるあなた方は弱いですねー。よくもまぁその程度の強さと覚悟で自慢げに護衛などと(さえず)ったものです」

 彼は呆れたような口調でそう呟くと、ロウ家の者から離れて戻ってくる。
 その姿を見て、私はやっと理解する。何故これほどまでに彼に惹かれている自分が居るのかを。
 それは彼から感じる力。その隔絶された力は、私が幼き頃から憧れていたモノそのもので、それはかつて傍で感じていた圧倒的な実力者である師でさえも霞んで見える程であった。
 彼は一体どれほどまでの高みに居るのか、それに俄然興味が湧いてくる。勿論それとは関係なく、彼と一緒に居る時間は楽しいものではあるのだけれども・・・それについては未だによく分からない。

「気を取り直して先に進みましょうか」
「あの方々はどうされるので?」
「直ぐに元気になるでしょうから、放っておけばよいのでは? その間に魔物に襲われたら運が無かったという事でしょう」

 マリルの確認の問いに事も無げに答えた彼へ、私は従者の方々だけでも立たせてもらえないかと思い口を開く。

「あ、あの!」
「は、はい?」
「その、従者の方々なのですが・・・」

 私のそれだけの言で思い至ったのか、彼は「ああ」 と漏らす。

「あの方々は心が折られてますね。まぁその辺は干渉すればどうにかできますが・・・それは今度の事を考えると、本人の為にも口出しするべきではないでしょう。引き取れるなら別ですが。一応戦えるようになるまでの間、あの方々だけは防御魔法で保護しておきますが」

 やるせないといった感じの表情を一瞬見せた彼は、最後にそう付け加える。
 それに感謝の言葉を返しつつも、私は彼がさらりと言ったことにまた驚かされる。精神干渉系の魔法は先天的な要素も絡む為に難易度の最も高い魔法と言われており、使い手も他の系統魔法の中でも極端に少なかった。
 それこそ、私の師でさえ精神干渉系の魔法だけはほとんど使えないと仰っていたほどだ。それほどに珍しい系統魔法なだけに、その使い手に会ったのは私は初めてであった。
 それにしても、精神系統の魔法はあまりに強力すぎるので、大半の使い手は各国で秘密裏に保護ないし監視されているのだが、彼は大丈夫なのだろうか?
 私が彼を見ながらそんな心配をしている内に、ロウ家の者の従者への防御魔法での保護が終わったようで、私達はロウ家の者達を置いて先へと進むのだった。

しおり