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さらにかぶりまで振って、少女がジリジリと後ずさる。
「イヤよ。今までは兄妹ってことになっていたから我慢してたけど、これからは赤の他人だって知ってて一緒に住むわけでしょ、そんなのイヤ!」
ドラゴンが典正の手の中を抜け出し、少女の耳元で囁く。
「いや、あんま失礼なこと言わんと、な。この姫さん、こっちの世界でこの家を追んだされたらどないにもならんやろ?」
「どうにかなるわよ、もっとまともな人捕まえて、アンタが記憶操作の術をかけてくれればいいんじゃない!」
「そない言うけどな、これ以上好条件の家なんか滅多にあらへんやろ。何しろ両親とも家におらんとか、寄生してくれ言うとるようなもんや」
「う、そうだけど……」
「それに、ここまで三ヶ月間の衣食住を賄ってくれた恩人に罵りの言葉をかけて出ていくなんて非礼、姫さんみたいな高貴なモンがしちゃアカンやろ」
「う~」
少女は頭を抱え込んで唸りだしてしまった。
ところで典正の方は、この会話を聞いて何の理解も推論もないほどマヌケではない。少女の前に片膝をつき、恭しく畏る。
「お二方は異世界よりの来訪者とお見受けしましたが?」
それに答えたのはぎゅうっと眉間にしわ寄せて典正を睨みつける少女ではなく、パタパタとせわしなく羽ばたく小さなドラゴン。
「せやで」
「お話を聞く限り、お二方はこちらの世界での宿にお困りの様子。それにこちらにいらしたのは何かそれなりの理由がおありなのでしょう」
「まあ、せやな」
「こちらといたしましては両親不在の折、我が家にいくらでも逗留していただいてかまいません。こちらへいらした理由などもお聞かせいただければ、最大限ご協力もいたします」
「せやけど、それに代償を望むんやろ?」
「ええ、まあ」
「ぶっちゃけて言うと、その代償が姫さんの貞操とかでは困るんや。こっちの姫さんは一応嫁入り前やさかいにな」
「ああ、そんなものは要りませんよ」
典正は前髪を軽くかきあげ、額に指を立てて小粋なポーズを決めた。
「俺の望みはただ一つ、異世界への召喚……」
少女が髪をかきむしり、喚く。
「あー、でたでた、異世界召喚の夢っ! だからコイツ、イヤなのよ!」
そんな彼女をドラゴンがなだめる。
「まあまあ姫さん、アンタの貞操求められるよりよっぽどかええやん」
「貞操の方がまだマシ! この世界の一般的高校生男子らしくていいじゃない、それに、こんなひ弱な男に押し倒されるほど私、弱くないし!」
「まあ、せやけどな」
「こっちの世界に来て三ヶ月間……三ヶ月よ? 妹としてこの男のことを間近で観察して来たけど、この世界の高校生男子としておかしすぎるのよ。普通なら異世界とか、召喚とか、そんなのは別次元の物語の中だけにある冒険なのだって心得ているはずなの。そうでしょう?」
「いや、知らんがな」
典正はそんな彼女の前に膝でにじり寄り、さらに頭を下げてみせた。
「わかりました、紳士協定を結びましょう。俺はあなたには指一本触れません。それでどうです?」
「話の論点はそこじゃなくて……ちゃんと聞いてた?」
典正が首をかしげる。
「というか、あなた達を見る限り、異世界からこちらへ来るのにそんな渋るほどの大きな代償を必要とする行為とは思えないのですが?」
「せやなあ、まあ金をとられるわけやないし、命とかももちろんいらんしな、物理的な移動だけなら代償はいらんわな」
「ならば俺一人くらいをそちらの世界に喚ぶのは簡単でしょう。たったそれだけの代償で、こちらの世界での衣食住と貞操の安全を確保できるなんて、安いものでしょう?」
ドラゴンがチョイチョイと少女を手招きし、コソッと囁く。
「ここはこの話にのっといた方がええんちゃうか?」
「代償が問題なのよ、あんなひ弱そうな男がこっちの世界で生きていけるわけがないでしょう」
「そんなん知ったこっちゃないがな。アイツが来たい言うてるんやから、とりあえず召喚が済んだら後は知らん、それでええやん」
「そういう無責任なことしちゃダメでしょう」
「せやけど、こんなウマい話、なかなかないで?」
「あーもー、わかったわよ!」
少女がくるりと体を返し、典正とまっすぐに向き合った。
そのまま軽く握った拳を胸の前にあげて、ファイティングポーズをとる。
「じゃあ、こうしましょ。私があなたのところに逗留している間、一度でも私を倒せたならばその願いを叶えてあげるわ」
典正がふっと笑う。
「勘弁してくれよ、俺は紳士だ、か弱い女性に手をあげるなんて野蛮なことは……ぐへぇ!」
済まし切った典正の横っ面を、少女の拳がえぐるように打ち上げた。
その勢いに典正のかかとは浮き上がり、バランスを失った彼は大きく後ろに吹っ飛ぶ。
薄れ行く意識のなか、最後に見えたのは気の毒そうに首を振るドラゴンの姿だった。