しゃべる魚
ある日、魚がしゃべりだした。
魚が人間語を操るようになったからなのか、それとも人間が魚語を理解できるようになったからなのかは定かではない。
兎にも角にも、人々は魚の言語を理解したのだ。
ただそれだけ。
それだけのことではあるが、 人々の心理的な抵抗は決して小さくなかった。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い」
と泣き叫ぶ魚を切るのは精神的に辛いのである。料理人は魚を捌くことを避け始めた。
(ちなみに、これをきっかけに「魚には痛覚がない」という定説は見事にひっくり返された。)
また料理現場を見なくとも、魚と会話することが自然となると魚料理を食べることにどこか後ろめたさがある。
瞬く間に魚擁護団体なるものが出現し、「魚の捕食」に反対する動きが活発化した。
数年が経過すると、その考えも徐々に世間に根付き始める。
魚料理自体が残酷だという認識が一般的になったのだ。
さらに数年後。
ついに世界的に「魚を殺めることを犯罪」とする法律が可決された。
長きにわたる魚擁護派の勝利。
人類と魚たちの共存の道が示されたのである。
そんなある日、
今度は米がしゃべり始めた。