6.罪を告げる
ベルグとシェイラが最後の“間”に到達した頃――
「ぐっ……くっ!」
もう何十体目か分からない悪魔族を倒したレオノーラは、その疲労から床に片膝を着いてしまっていた。
汗が吹き出し、つい先ほど出来たばかりの頬の傷口の血と混ざり、石床に滴り落ちた。
いくら百戦錬磨とは言え、こうも連戦が続くと体力が減る一方だ。
気を途切れさせてはならない――と、床に落とした目を、再び歪み始めた空間を睨みつける。
視界がぼやける。乳酸が溜まったその腕は、もはや意思と気力だけで持ち上がっているようなものであり、持って後二戦……いや、一戦と言った所だろう。
(段階を追って強くなる、か……)
カート達のそれは、ひたすら雑魚が無数に出てくるだけである。
だが、レオノーラの場合はそれとは逆となっており、這い出てくる悪魔が段々と高位のものになってゆくのだ。
今先ほど倒したのは、赤肌をした山羊の悪魔――出てきたモノを理解した瞬間、レオノーラの心が、折れそうになってしまうほどだった。
あれが出てきたと言う事は、恐れるべき存在が近いのである。
「シェイラに、避け方を習うべきか――?」
フッと口角をあげた。
嫌な臭いが鼻についた。先ほどの戦闘で頬に傷を負い、自慢の金糸のような髪が焦げ、一部がチリチリになってしまっている。
悪魔族で厄介なのは、その多種多様な攻撃の中に、“魔法”が織り込まれたりする事だ。
先ほども火球をギリギリで躱したものの、またヘアサロンに行かねばならなくなった。
(ふふっ、頑張った自分へのご褒美に良いかもしれんな。
いや、それよりもベルグ殿に……だがこんな髪では引かれてしまうであろうし、ここはやはり先に――)
と、近い未来を想像すると、その身体に気力がみなぎって来る。
身体はもう限界であるが、心が折れさえせねば……と思っていた時であった。
{もう待てぬ――}
石像から突然声が発せられた、
レオノーラは、目の前のそれに目をパチパチとさせている。
目の前の空間の歪みが、これまで以上に……見た事ないほど、とてつもなく大きなものとなっていたのだ。
まさかこれは――と、最悪のケースが頭に浮かぶ。
「あ……ぁ……」
それはもはや歪みではなく、“裂け目”であった。
メリメリと音を立て、そこから覗く黄土色の巨大な獅子の爪と頭、そしてギョロりとした瞳……。そこから吹き込む熱風は、レオノーラの心を折るなぞ、容易いものだった。
先ほどまでの“希望”なぞ、容易く踏み潰されてしまう。
(せめてあの時の、蒼白い《悪魔》を挟んでからだろう――)
唯一頭の中で思い浮かべられたのは、神への恨み言だった。
もはや悪魔ではなく、魔王や魔人に座するそれは“
遭遇したであろう者の死体が、まれに見つかる程度だ。どれも熱風をはるかに上回る、光の風に焼き殺されているので、その判断は容易い。
その姿を全て現した時には、レオノーラは両膝をついてしまっていた。
これまでの恐怖を、絶望を感じた事がない――震えるその瞳は、四枚の鳥の羽根を広げ、胸元に掲げた腕が“光と熱”の魔法を唱えようとしているのを、じっと見つめる事しか出来なかった。
誰に対しての謝罪の言葉も思い浮かばない――。
レオノーラは、あまりの恐怖で魂だけが、先に肉体を離れた気さえしていた。
なので、その集められた光がフッ――と消えるのを見ても、レオノーラは何も思わなかった。
(ん……?)
初めて
「――――」
突然、内から
それは、シェイラが行う、死者を塵に変える“
裂け目がどんどん伸び、そこから光がますます強まってゆく。その熱が最大にまで達した時――耳をつんざく断末魔と共に、その《悪霊》は“退散”させられてゆく。
『――“時”を待っていたのは、我々も同じなのですよ』
《悪霊》が消えた先には――長い
その表情は、どこか物憂げにも感じられる。
「……て、てて、テア殿ッ!?」
「第三者が介入したようなので、助太刀に参りましたよ」
エメラルドの様な美しい髪をそっとかき揚げ、そこからチラリと尖った耳が覗かせた。
「しかし……どうしてアレに、“退散”の魔法が効くんでしょうね?」
そのくせ、見た目が明らかな骸骨が“悪魔”である事に納得がいかない、と言う。
レオノーラには理解できていなかったが、思わぬ救援と、我が身・我が命がある事に震え、ペタン……と尻もちをついてしまっていた。
恐怖の開放感から、全身にじんわりと温かい血が巡るのが感じられる。ふいに尻に冷たい物を感じ、思わず股ぐらに手をやった。
「あ、汗か……」
「あら、お漏らししていても許される状況でしたのに?」
「ばっ、馬鹿な事を言わないでくださいっ!
で、ですが、どうしてここに……?」
通路は塞がれ、ここに来られないはずだ――とレオノーラが言うと
「第一関門を突破した初々しいカップルが、報せに来たのですよ。
誰かが一度踏み入れた場所ならば、“転移”の魔法でビューンです、ビューン。
……ですが、モンスター配備場なんて、面白い事をしていらしたのなら、私もついて行けば良かったです。はい」
カートとローズは、テアの代わりに入口で待機している――と、テアは続けた。
レオノーラは二人が無事な事と、上手く行った“妹”に安堵の息を吐いた。
すると、静かに佇んでいた石像が
{おつかれさま――}
{“メダル”の作成が終わりました――}
{魂がまだありません。魂を用意してください}
と、機械的に語り終えると、再び物言わぬ石像に戻った。
「た、魂とは何だ……?」
「……我々は“役目”が果たせればそれでよかったですが、何となーく、ここのカラクリが分かってまいりました。
まぁ、現・“裁断者”と“断罪者”が何とかしてくれるでしょう」
「シェイラとベルグ殿か――で、我々はそれが終わるまで、ここで待機か?」
「ええ……おトイレなら部屋の隅でどうぞ。
こんな場所では誰も咎めないですし、音や臭いぐらいあった方が迷宮の雰囲気が――」
「するかぁッ!」
レオノーラは前々から、テアの感覚がおかしいかもと思っていたが、今回の事でそれがハッキリと分かったようだ。
長生きすればこうなるのだろうか……と思うと、やはり他種族からすると『短い』と思われる人間の時間が、ちょうど良いのかもしれない、と考えている。
生きている事に安堵感に浸るレオノーラは、そんな短い時間を共に過ごす、想い人を案じていた。
◆ ◆ ◆
その頃、ベルグ達はとある“間”へと招かれていた。
見た目は変わらないが、どこか重苦しい雰囲気が感じられ、奥には大きな扉がある。
その中央には、これまでのような石造りの胸像とは打って変わり、白鳥のような羽を持つ、女の像が鎮座していた。
{お待ちしておりました――}
シェイラはその声、その雰囲気に覚えがある。
全ての“元凶”と言うのが正しいのか、“発端”と言うのが正しいのか……。
目の前いる彼女が、全ての始まりである事に違いはなかった。
「エルマ・フィールさん……」
彼女はこの場に、何十年、何百年待っていたのか。
“均衡”を保つために、こんな殺風景な場所で一人待ち続けていたのかと思うと、シェイラは恐ろしくも感じていた。
「色々聞きたい事があるのだが、お前たちの話は、どこまでが“真実”なのだ?」
「え……?」
その言葉に、シェイラはベルグに驚きの目を向けた。
{やはり……お気づきでしたか}
「アンタが特別凄いのなら分かるが、シェイラのショボ……力の具合を見た感じでは、“たまたま”力を得た程度の人間が、世界の崩壊を食い止められるような、大それた英雄になれるとは思えん」
「……どさくさに紛れて、私けなしてない?」
「――それは気のせいだ」
納得のいかない顔をしているシェイラを尻目に、石像のエルマは『“崩壊”する事は真実だ』と、述べるに留めた。
それにベルグは腕を組んで、ふん……と鼻を鳴らした。何かを秘めたような口ぶりからして、
天秤・メダル・タブレットの、それぞれの繋がりが途絶えた事は想定できなかった事であり、とある場所との連絡路まで途絶えてしまう――。
これは早急に対処せねばならない事で、それらの原因となった者を“罰”を下するのを兼ね、尤もらしい理屈を付けていただけに過ぎない。
{最後の試練を与えます――“正しき行い”を示してください}
ベルグもシェイラも、それが何のことかすぐに理解できた。
そして、エルマ・フィール自身が何を求めているのかも。
「その“審判”は誰がするのか?
まぁ、いつものように、
――シェイラ、準備は出来ているか?」
「え、う、うん……“タブレット”は、これでいいのかな」
シェイラは、左手に“タブレット”、右手に“天秤”を持ち、“羽根模様のメダル”を天秤の左の皿に乗せた。
{これを――お使いください}
コロン……と転がったのは、どこか見た事のある“二十三番”の名札であった。
ベルグは『ウォ?』っと首をかしげたが、“新入生”の入学手続きの手伝いをしていたシェイラには、すぐにそれが何かと理解していた。
“入学式”の手伝いをしていた時、その番号だけが無かったのだ――。
これは彼女にとっての“思い出”であり、唯一の支えだったのかもしれない……と。
「……」
同時に、彼女への憐みもあった。この名札を得た時のような、夢や希望に満ちていた頃にはもう戻れない。
シェイラが手にしている“三種の道具”……こんな物を見つけたばかりに、エルマは“役目”に縛られ、友まで失う事になってしまった。
いつの日か、かつての仲間三人で笑い合える日が来ると信じ、彼女はずっと“名札”にしがみついていたのだろうか、と。
「――前・“裁断者”、エルマ・フィール。
貴女は、訓練場の規則を破っただけでなく、ここから“道具”を持ち出し、その絆を……“友”の絆までも断ち切ってしまった。
それを修復しないまま、後世にその責任を押し付けた“罪”は大きく、重い――。
私、シェイラ・トラル――現・“裁断者”の名において、貴女に“罰”を裁量致します」
“タブレット”を見て、“天秤”をかかげた。
何も乗せられていない方の皿に、
「……」
“均衡”を保っていた。……しかし、ゆっくりと名札の方に天秤は傾いてゆく。
そしてそれは、一番下まで降りた。
「貴女の罪は非常に重く、酌量の余地は……ありません。
私、“裁断者”・罪を告げるヴァルキリーが……貴女に“死罪”を申し渡しますッ!」
罪を“宣告”して“裁き”を下す。いくら回数を重ねても、これには慣れなかった。
心根が優しく、気の弱いシェイラには、この罪を言い渡す責任はあまりにも重い。
機械的に審判を下せればどれほど楽か、と……目の前の先代は、
「スリーライン――」
「うむ」
両手が塞がっているので、“守護者”を“断罪者”にしたのは正解だろう。
赤い眼に変わった、“処刑人”は鈍い輝きを放つ銀色の斧を片手に、“罪人”へと歩み寄る――。
{……}
エルマ・フィールは何も語らない。
かつて愛した者も同じ“断罪者”であった――。
「オォォォォッ――!!」
その手にかかるのであれば、本望と言った所だろうか。
振り上げられ、ブン……と音が鳴った瞬間、石像の目からキラリと輝くものが零れ落ちた。