7.新たな絆
前・“裁断者”はもういない。足下に転がっているのは、もう何も告げぬ、“役目”を終えた石の塊とだけである。
全ての“役目”から解放された石像は、ガラガラと音を立て、真っ白な石畳の上に崩れ落ちた。
足元に転がって来た頭部を手にした時、シェイラはふいに目を滲ませてしまった。
“彼女”は何と哀れなのだろう――全てを犠牲にし、白壁に囲まれた玄室で一人、犠牲を払い続けた末に待っていたのは、“罰”であった。
「これで……終わったんだよね?」
「
“断罪者”であり“夫”でもあるベルグも、全てを終えた事への安堵感から、ふぅ……一つ息を吐いた。
「先に……?」
シェイラは、ベルグの視線の先にある、大きな両開きの扉に目をやった。
この“間”が重苦しい原因は、その先あるものが原因、と言っても過言ではない。
ぼんやりとした彼女の頭の中に、その輪郭が浮かび上がり始めている。
「も、もしかしてここ……」
「何が目的かは知らんが……もうこれ以上、
ベルグのその言葉に応えるように、
{――今回は、本当に危なかったのだよ}
と、どこからか――二人が聞いた事のある声が、周囲に響き渡った。
{まずは、礼を言わせてもらおう}
{しかし、まさかあんな物を送り込むとは思いもしなかった……}
{もう少し待て、と言うに……}
ブツブツと、独り言のようなのを呟き始めた“声”に、シェイラは『やはり、孤独だと独り言が多くなるのか』と思ってしまっていた。
エルフもしたたかよ――と、安堵に近い呟きをしたかと思えば、それは次第に愚痴のような恨み言に変わって行く。
{上からはネチネチと責め立てられ、下は仕事が遅い……}
{板挟みにされる中間管理職の気持ちを、少しは考えてもらいたいものだ}
「……そもそもは、お前が“元凶”ではないのか?」
ベルグが恨みがましく尋ねると、“声の主”は押し黙ってしまった。
シェイラにはよく分かっていないが、過去に“声の主”が何かをやらかした事は確かなようだ。
それこそ、この“騒動”の原因となる、“道具”を紛失したぐらいのやらかしを――と、邪推している。そう考えれば、道具が人間の手に渡った経緯にも納得がゆく。
{……まぁ、何度も言うが、この一件は本当に感謝する}
{いくら私が
{“鍵”も全て揃ったようであるし、お前たちも仲間の下へと送ってやろう}
{いつか、そう遠くない未来――再びここに集うであろう、“仲間”の下へな}
“声”がそう告げ、空間が歪みかけたその時である。
「少し、アンタに聞きたい事がある――すまんが、シェイラだけ先に送ってくれんか?」
何かを思い詰めたような表情のベルグは、“声”にそう告げた。
シェイラは驚いた表情を浮かべ、手を向けようとした体勢のまま、そこから姿を消した――。
◆ ◆ ◆
シン……とした、静寂が辺りを包んでいる。
そんな静寂を打ち破るかのように、訝しげな声が辺りに響いた。
{……何だ?}
「――シェイラが負っている“罪”について、だ。
あれは“裁断者”ゆえに、彼女がつけ狙われる事になったのだろう。
言わば、アンタの失態が招いた結果にはならないのか?」
{ふむ……}
「アンタに何の目的があって、このような仰々しい“間”を造ったのかは知らん。
だが、その目的によって……シェイラは苦境から這い出すために、生きるために、“役目”のために己の手を汚したのだ。
人の命を奪った罪は確かに重いが、これまでの働きを含めた酌量を……守りきれなかった俺にも、その罪を担う事はできないのか?
脆弱なシェイラに、“血の罪”を背負わせ続けるのは、あまりにも重すぎる……」
最後は弱々しい声になったベルグの弁護に、“声の主”はしばらくの沈黙のあと、
{――お前の言いたい事は分かった}
{……だが、あれにも言ったが、お前たちは何か勘違いをしておらんか?}
{シェイラ・トラルの罪は、お前たちが考えているような“血の罪”ではない}
{あの小娘にも、勘違いするなと伝えていたはずであるが――}
{ああそれと……私は別に失態を犯したわけではないからな?}
と、告げた。
では何の……と、聞き返そうとしたベルグであったが、ふいに周囲の空間が歪み始め、その答えをついに得ることは叶わなかった。
最後に聞いたのは、『送ってあるはずなのだが……』と、独り言のような呟きであった。
・
・
・
強制的に送り返されたベルグは、どこか不満気であった。
だがそれも、脇目を振らず抱きついて来たレオノーラを見ると、すぐにどこかに消え去ってしまう。
ベルグは、胸の中で小さく震える“妻”を強く抱きしめ、その頭を優しく撫でた。
シェイラはそれに、少しムッとした表情を見せたものの――
(けど……あんなレオノーラさん初めて見たし)
と、すぐにその顔を和らげていた。
テアから聞いた話に、カートやローズは、口をあんぐりと開けて驚愕の表情を浮かべていたが……シェイラには、名前と姿形を説明されても、あまりに漠然としすぎていて、それがどれほどの悪魔なのか想像もつかない。
だが、人目を
そんなレオノーラを労わるように、優しく抱擁を続けていたベルグは――その顎をそっと持ち上げ、半ば強引に口を塞いだ。
その場に居た誰もが、驚きで目を剥いた。世界のどこかには、死人の罪を喰う者が居る、と聞く。
ならば『“恐怖”を喰らう獣が居てもいいのではないか』と、ベルグは考えたのである。
「メダルが、揃ったか――」
皆の驚いた目に見守られる中、そっと唇を離したベルグは、“メダル”がハメ込まれた石像を見やりながらそう呟いた。
魂・人・金の三種が並ぶそれに、ベルグは『三人が再び集ったか』と感じている。
「は、はい……。カートとローズ、私とテア殿、そして、シェイラが持って来た“メダル”が全て、はめ込れています」
「なるほど……」
突然の口づけに驚いたレオノーラは、涙を流す理由がどこかに消え去ってしまったようだ。
頬を赤く染め、瞳に艶めかしさを浮かばせながら、じっとベルグを見上げている。
片やシェイラは『やりすぎよっ!』と、悪魔族並みの恐ろしい目つきで、独自の世界に浸る二人を睨みつける――。
それに気づいてか、ベルグはそんなシェイラに目を向け、じっとその顔を見つめ返す。
「えっ、ど、どうしたの? 私の顔に何か――」
「シェイラ、お前は一体何をしでかしたのだ……?」
「……ふぇ?」
思わぬ言葉に、シェイラは間の抜けた声をあげてしまう。
「“声の主”が言うに、シェイラの罪は、人を殺めたそれでは無いらしいのだが……」
「え、えぇぇ――!?」
誰しもが驚きの目をベルグに向けた。
ベルグ本人もあまり良く分かっておらずにいるので、見られても困る、と言った表情を浮かべている。
シェイラも、てっきりそれだと思っていたため、胸に手を当てて振り返ってみても、他に思い当たる節が全く無かった。
《サキュバス》なら何か……と思ったが、指輪はメダル再発行時に使ってしまったため、手元には無い。
その中で、テアだけはすぐに元の飄々とした表情に戻し、気だるげに口を開いた。
「いつぞやの“お店”で男を
その内、何かあるんじゃないですか? 何の罪か、告げられねば分かりませんから」
「おおっ確かに。……あの時は、任務を忘れていたかのように、イキイキとしていた」
「違ッ――あ、ああ、あれはッ!?」
まだ言うか! とシェイラは思ったが、その可能性は捨てきれずにいた。
ベルグはかつて『大なり小なり、人は何かしらの“罪”を犯している』と、言っていたが、まさにその通りだと痛感してしまう。
本人が気づいていないだけで、何気ない一言が誰かを傷付けているかもしれないし、相手が言わないだけで……と、考え始めるとキリがないのだ。
「では、無事に円満解決したようなので、とっとと帰りましょう。
母に報告し、バカンス――おほん……今後の“調査”の予定を立てねばなりませんし」
「……アンタ、もしかして遊びに行きたいからって理由で、アタシ達を急かしたんじゃないでしょうね……?」
「……さぁ? 何のことやらサッパリですね。
なにぶん、エルフは長生きしすぎて、時間の感覚がおかしいですから――」
ふふっ……と、不敵な笑みを浮かべながら、テアは“転移”の魔法を詠唱し始める。
空間が歪む直前、シェイラはふと後ろを振り返り、石像に眠る三つの“先輩”に目をやると
(長らくおつかれさまでした)
と、心の中で謝辞を述べた――。
・
・
・
コッパーの町に帰って来た時は、辺りに夜の帳が降りた頃であった。
“均衡”が取り戻されたからだろうか、まだ残暑のムワりとした熱気が辺りに満ちているものの、吹き抜けてゆく風には、どこか夏の終わりを告げるような、涼しさが感じられる。
町に戻ると、女将への挨拶もそこそこに、各々が事後処理に追われていた。
――とは言っても、それまでの緊張感と疲労感が一気に溢れ出し、部屋のベッドに転がり込むのが殆どであったが。
カートとローズも、今回の大立ち回りは流石に
シェイラもその中の一人だったが、カートやレオノーラのように、激しい戦闘はしていない。
それどころか、現場で“罪を告げた”だけである。肉体的な疲労感がないせいか、頭が覚醒したまま、眠れないでいるようだ。
今は、ベッドの上にゴロン――と四肢を投げ出し、見慣れた、板張りの天井をぼうっと見つめているだけだった。
「はぁ……」
正直、シェイラは退屈だった。
本当は眠りたいと思っているし、目を瞑っていれば眠れるだろう。
だが、内から発せられる熱が、火照った身体がそれを拒んでいる。
それは、外気や部屋に籠る暑気のせいではない――。
シェイラは、ぎゅっと毛布を抱きしめ、ゴロンと転がった。
(流石に……来ないよね……)
シーツの衣擦れの音が響く。
終わって早々、あんなのを見せられたのだ――。
優先順位などは無いが、ご褒美の大きさで言えば、レオノーラの方が上だろう。
そのため、部屋をノックする音が幻聴に聞こえていた。
『うーむ……シェイラも寝てるか……』
その声にシェイラは飛び起き、バタバタと音を立てながら部屋の鍵を開いた。
「――ど、どうしたのっ!?」
シェイラの心が跳ね上がり、声のオクターブも心なしが弾んでしまう。
出来るだけ平静を保っているが、髪や顔など身体のどこかをひっきりなしに触っている。
「実は、レオノーラが寝てしまって――」
「……じゃ、おやすみぃー」
「まぁ、待て待て。冗談だ、冗談――待って、本当に待って……!」
冗談でも本当の事であっても、シェイラからすれば
閉じようとした扉の間に鼻先を突っ込み、犬のようにカリカリと扉を掻いて、“弟”――“夫”は、半ば強引に押し入ってきた。
しかし、部屋への侵入を許しても、ベッドに腰をかけた彼女はツンと唇を尖らせ、そっぽを向いてしまう。
ベルグがにじり寄っても同じ方向に、同じ距離を移動する。
「むぅ……冗談だと言うのに」
「人の気持ちも考えないスリーラインなんて、もう知らない――っ!」
ベルグはつい先ほどまで、レオノーラの部屋を訪ねていたのは事実だった。
だが、強い恐怖を味わってしまったので、その様子とケアをしに行っただけである。
同じ“女”だから分かるのか、本能的にその臭いを感じ取り、“嫉妬”の感情が沸き起こしていたのだった。
「シェイラ……」
「も、もうっ……んっ……」
惚れた弱み――という言葉を、シェイラは覚えた。
“嫉妬”の感情と、己自身の“女”が入り混じり、シェイラ自身も“獣”と変貌させる。
これまで身体が求めていたのだ。鼻息を荒くし、
(やっぱり、“頼れるお姉ちゃん”はほど遠いみたい……)
秋の気配が近いとは言え、残暑はまだ続きそうである。
その夜も熱帯夜のような、蒸し暑い夜だった。シェイラの部屋の中は蒸し風呂のように暑く、二匹の獣は汗だくになっている。
それが雌雄の獣の匂いを増幅させ、情を掻き立ててゆく。
つい数時間前のことが、夢のような気さえしていた。
シェイラには、もう夢でも何でもいいと思っている――。
愛する者に抱かれ、身体中を満たされるこの瞬間が“現実”であればそれで良かった。
言葉も浮かばず、『愛している』とささやかれれば、オウム返しで『愛してる』と返すだけ――。
それだけでもシェイラは“幸せ”である。
“役目”も何もかも終え、そこに居るのは〔シェイラ・トラル〕と言う自分、“女”なのだ。
・
・
・
自然と営みを終えた二人は、ぐったりと身を重ね合わせていた。
「疲れた……」
「うん……」
甘えん坊のように身体を擦りつけてくるが、今日だけはたっぷり甘えさせてあげようと、その頭を優しく撫でる。
互いの汗を含んだ毛はベタベタとして、強い獣臭を発しているが不快ではなかった。
むしろ、ずっと嗅ぎ続けたいほどの匂いであり、ついその頭に鼻を埋めてしまう。
それにゴロゴロと、猫のように喉を鳴らす“夫”は、やはり“弟”でもある――この時、この瞬間がシェイラにとっての“幸せ”であり、この先もずっとこうしていたいと思っていた。
「あ、そうだ……ちょっと考えてたことあるんだけど」
「んー?」
「その……将来的な事なんだけどね、何というか」
「……あの痛々しいのをパワーアップした、とかなら本気のデコピンするぞ」
「ち、違うからっ!? と言うか、あれってそんなにダメなの……?」
「もう、『出来る女!』って、自分で書いちゃう時点で色々ダメ――」
「わーっ!? わーっ!? 口にしたら駄目ぇッ!?」
黒歴史がどんどん増えてゆくシェイラであるが、『これなら問題ない、はず……』と、自分の考えた“選択”を、ベルグに伝えてゆく。
まだ漠然としているものの、それはしっかりとしたシェイラの“夢”であり、“未来”へと繋がってゆくモノであった。
それを聞いたベルグは、どこか感心したように大きく頷いて見せた。
「うーむ……俺の一任では決められんが、その“志”は立派だと思うぞ」
「そ、その単語止めて……」
「はっはっは! だが、それだとレオノーラにも相談せねばならんな」
「うん……そうだよね。明日、早速訪ねてみる」
「シェイラが選んだ“選択”だ。
どのような結果になれど、俺はそれに従い、ずっと傍にいる――」
「スリーライン……」
シェイラはズルい……と思ったが、湧き上がるその気持ちは隠しきれず、そっと唇を合わせた。