4.目の前にぶら下げられた餌
それから数日後――
ベルグの報せを受け、カートとローズ、そしてレオノーラの三人は、ベルグ達の宿泊する宿【OOPS!】にやって来ていた。
レオノーラは『訓練場の“
夫となる者に必要とされる――緊急事態にも関わらず、その顔はどこか嬉しそうであった。
その横で、依頼の内容・報酬
「――そいつは確かに、“死者の日記”と言ったんだな?」
片眉をあげ、ベルグに改めて確認する。
その目は期待に満ち、獲物を見つけたワニのようにギラついていた。
「“死者”ではなく、“死人”だったが……“死者の日記”と見て、まず間違いないだろう」
「悪趣味なエルフも多いが、お前たちの正体を知っていて、あえてそう言ったんなら……アレに間違いねェな――」
「な、何なのだその、おどろおどろしい物騒な名前の物は……」
恐ろし気な単語を聞いたレオノーラは、目を泳がせながら口を開く。
幽霊などの類が苦手であるため、出来れば関わりたくないのだ。
ヘアサロンに行くと決めた時も、彼女だけがここに来ない理由もそこにあった。
このルクリークには、“怪談話”も多く存在する――そんな姉の姿に、ローズは静かに息を吐いた。
「文字通り日記よ。ある寺院で、死んだ人達が書いてた日記を編纂して一冊の本にした人がいたの。それで、その死んだ人達の日記の中に、ある隠し金庫の場所が記されていたらしくて――。
これがもう、とんでもないお宝って噂……あ、あはは、よだれが出て来ちゃう」
ローズは金銀財宝のように輝く瞳を宙に向け、物思いに耽っている。
だらしなく口を開いている彼女の言葉に、シェイラは混乱しっぱなしであった。
「だ、だけど、それがどうして、私たちの正体を知っている事に……?」
エルフの美容師が所持している“死者の日記”と、ここに居る者――シェイラやベルグと繋がるような要素が、全く思い浮かばないのである。
「お前、自分の立場分かってねェだろ……?
スロネットは、借金まみれのお前を知っていて、財宝の在り処が記された日記を餌にしてんだよ。断れねェようにな――」
シェイラはハッ――と驚き、目を見開いたまま言葉を失ってしまった。
彼女が冒険者を目指した理由は、“ワルツ”と呼ばれる悪党の組織にハメられ、親が負った莫大な借金である。
借金の
訓練場に入られてしまうと、彼女が卒業するまで手が出せない――。
これは、悪党の暗黙の了解でもあり、当然シェイラは知る由もなかった。
にの関わらず、彼女はそれを狙ったかのように訓練場に通い始めたのだ。“ワルツ”からすれば、これは想定外の行動だったであろう。
そこに持って来て、訓練場をたらい回しにされる――そのような事になるなど、悪党たちには想像も出来ず、未だに手をこまねいている状態なのである。
「じゃ、じゃあもしかして……」
彼女にとって、これは好機でもあった――。
シェイラは借金を返すために、冒険者となって一攫千金の夢を抱いている。
彼女一人では、ただの夢で終わるだろう。何の庇護も無い冒険者であれば、途中で“ワルツに”捕まり、娼婦として一生を終えるのがオチだ。
しかし、今のシェイラは違う。夢で終わらせないための“仲間”と“指導者”……そして、大事な“弟”がいる――。
言葉を失っているシェイラに、教官・レオノーラは僅かに口角を上げた。
「私が見る限り、シェイラは力を付けて来ている。
危険でない場所であれば、そろそろ“探索訓練”を開始しても良いだろう。
迷宮に入ってモンスターを倒すだけが、“冒険者”ではないからな」
「うむ。どれだけあるか分からんが、それに生涯をかける者までいるほどだ。
相当期待できるシロモノには間違いないだろう」
「“死者の財宝”は俺も探してみたかったんだ。ヘヘッ、ツキが回ってきたぜ」
「そうそう“訓練”なら……あ゛、そうなったら、手数料って中抜きが……」
一人は不順な動機であるが、それ以外は全員シェイラの夢と借金返済のため、依頼を受けようとしていたのだ。
今でも自分のために色々してくれているのに……と、こみ上げてきた感謝の念に、シェイラの目から思わず涙が零れ落ち始めた。両手で抑えてもなお溢れ続ける涙は、指をふやかし、手首を伝う。
レオノーラに優しく胸に抱かれ、シェイラはその暖かさに肩を震わせ咽び泣き始めた。
「このまま普通にやっていても、卒業したらスポイラーの借金取りが付きまとうだろうからよ。
せっかく訓練場に通って、レオノーラ……教官の厳しい訓練を受けたんだ。
斜陽から昇日へ――どうせなら綺麗な身体で、新たな一歩踏み出してやろじゃねェか。
……って、俺は単に利があるから、お前たち協力してやるだけだからな、勘違いすんなよ?」
「うむ、カートの言う通りだ。
卒業すれば、我々《ワーウルフ》の集落やレオノーラの家、カートの組織にぶん投げて保護してもらおうかと思っていたが――せっかく冒険者になるのだ。
狭い地域で暮らすよりも、“自由人”となって、世界を渡り歩く方が楽しいに決まっている。この世界は広いからな」
「うん……うん……」
「水を差すようだけど、現実的な話をすれば……まずはそのスロネットの依頼よ。
それをクリアしなきゃ、“死者の日記”には辿り着けないんだから」
現実主義者なローズは、姉よりたびたび『夢がない』と言われてしまう。
だが、今回のローズの瞼は赤みを帯びていて、その後ろに隠した右人差し指が濡れていた。
ベルグもそれを夢物語にせぬためにも、依頼の品を探そうと考えるのだが、
「その“ハサミ”についてなのだが……カートは、何か知らないか?」
「“ハサミ”っても、時を止めた塔の殺人鬼が持つようなのじゃなくて、美容師が使うような普通のそれだろ?
両手がハサミの人造人間のならまだ――って、レオノーラは何で、ベッドに顔を突っ込んでるんだ?」
「ああ、この人その手の話ダメだから……ハサミ男の話で、一週間ぐらい夜中のトイレに起こされたし」
「う、うぅぅ……あ、ベルグ殿匂いだ……」
「あぅぅ……」
シェイラはレオノーラに突き飛ばされ目を回しており、レオノーラはベルグの臭いが残るベッドの匂いを嗅ぐ……。
そんな所に、この宿【OOPS!】の従業員がやって来たのだから、どれから突っ込んでいいやらと難しい表情で、部屋の中のベルグ達を見ていた。
「宿泊料金に関してなのですが、乱交パーティーをするなら特別料金頂きたく――」
「いや、しない。うるさくしてすまないが、部屋の方は空いてないだろうか?」
「馬小屋ならタダ」
「むう……やはりそうなるか」
「すみませんね。なにぶん、馬小屋の方がこの宿より大きくて。
ええ、皆そこばっかり泊まるものですから。特にプリーストが。
だから、“ルームサービス”込みでやらないと持たないんですよ、ええ」
「うーむ……仕方ない。女たちはここに寝て、男は馬小屋で休む事にしよう」
だが、この宿のベッドでは寝られても二人が限界である。
そのため、一人はどうしても馬小屋で眠るしかなく、一人ないし二人が交代で馬小屋で寝泊まりする事となった。
「じゃあ、今晩は……レオノーラさんとローズさんで」
「分かった。すまないが、今晩は甘えさせていただく」
「明日の朝、起こしに来るので、“ハサミ”の捜索は明日から始める事にしよう」
「では、馬小屋の手配……と言っても、勝手に寝てください。
ですが……みなさんそこまでして、スロネット氏にカットしてもらいたいんですか?」
「いや、これにはワケがあってな……」
ベルグは、この宿屋にも関係する事だと思い、スロネットが髪を切らなくなった理由を話した。
それを聞いたエルフの従業員は、増え続ける予約客について納得がいったようである。
「――そう言う事でしたら、私も協力させて頂きましょう。
部屋は空きが出来次第、二日、三日すれば部屋が二つ空くので、優先的に部屋を回します。
それまでは申し訳ありませんが……馬小屋でお願いします」
「なんと……でも大丈夫なのか?」
「ええ、予約客は女ばかり……それだと“ルームサービス”は入りませんので。
たまーにありますが。ええ、たまーに……うふふ。
ああ、このチケットもあげますので、皆さまどうぞ。
私の宿に泊まっていると言うと、二杯ぐらいはサービスしてくれますので」
そのチケットは、先日行ったバー【ヴァルハラ】のそれであった。
あまりにも場違いな女が、大恥をかいた……シェイラはそれを思い出し、顔を赤くしてしまう。
そしてそれは、ベルグにとっても辛い夜であった――。
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・
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その晩、女将はレオノーラとローズがいる部屋のノックしていた。
シーツを変えるのを忘れていたらしく、新しい、香木の香りがついたそれを片手に持っている。
「ああ、そう言えば昼前からバタバタしてたもんね。
でも……お姉ちゃん、いるの?」
ベッドの中に潜り込み、ごろごろしている姉にローズは一応声をかけた。
「あ、ああ、も、もう遅いしいらないんじゃないか、うん」
「ええ、まぁそれで良いと言うなら構わないのですが……。前のお客様が使ってたものですよ?」
「それがあの人にとっていいのです。親の匂い嗅いで、落ち着く子犬みたいなものですし」
「なるほど、変態――」
「ち、違うっ!? わ、私はちょっとこのベッドが心地よくてだなっ……!」
不思議に思うエルフの従業員……ここ【OOPS!】の女将だったエルフに、ローズは事情を説明すると、女将はより怪訝な顔をして首をかしげた。
婚約者ならどうして、シェイラと一つ同じベッドで眠っているのか。そして、どうしてこの部屋で一緒に眠らないのか、と妙な関係性が不思議でしょうがなかったのだ。
「まぁ、最初に比べればだいぶ改善されたけど、基本的に|初心(うぶ)だから」
「なるほど。ですが、婚前前の浮気と言うのは良く聞くものの、浮気相手と一緒にいて、今晩も馬小屋で一緒に過ごすのを許す……懐が深いのか、ただの阿呆なのか……」
「あ、阿呆は余計だっ! そ、それにベルグ殿とシェイラは、そんな間柄ではないっ!」
「ええ、ですが女性の方が馬乗りになってるの見ましたし……酔ってもいられたので、勢いでちゅどーんはあり得る話では」
「な、なんだと……!? い、いやそんなはずはないっ!」
「それにその日、枕元のゴムが一つ足りませんでしたし。
確か……ゴミ箱に三個、四個あったはずなのに」
「あ、アンタ……何でそんな事まで把握してんのよ!?」
「汚されるの嫌ですし」
「ならそんなモン置くなっ!」
一応、そう言った事もできる宿なので……と女将は言う。
立ち上がって強く否定したレオノーラであったが、女将の言葉に愕然とし、ぽすっと力なくベッドの上に腰を落とした。
飼い主の匂いを嗅ぐ犬のように、鼻を埋めていたが、そこには確かにシェイラの臭いも混じっている。
ベルグとシェイラは“姉と弟”のような関係――それに安心していたレオノーラに、冷たい物が走った。
(実際は血の繋がっていない“男と女”でもある……)
酒が入った二人が同じベッドで夜を明かせば、あり得ない話でもない。
「ま、まさか、いや私は別にそれくらいは……む、むぅ……」
「でも、それ本当なの? 何かの間違いじゃ」
「真っ暗でしたし、使用済みゴムもなく、明確には分かりませんが。
まぁ呻き声もしましたし。だんせ……オスの」
「へぇ……」
「じゃあ、私はこれで――」
「待ちなさい」
「何か?」
「アンタ、何か隠してる事あるでしょ?」
ギロり、と睨みつけるような目のローズに対し、女将は無言でクッキーの袋を取り出した。
ローズは銅貨を渡すが、その指は離さない。そして、女将もクッキーの袋を話さない。
互いに指と腕をプルプルと震えさせながら、不気味に微笑み合っている。
「ま、言えることは、女は話を誇張する事がある。と言う事です。
ええ、私は三角関係のもつれとか大好きですよ。長生きしてると退屈ですから」
女将の手には銅貨がが握られており、ローズは口角をあげて『なるほどね』と呟いた。