3.あぁ、勘違い……
橙の灯りが照らされ、どこか甘い香りが漂うバーの中――。
初めてのカクテルを口にしたシェイラは、その “大人の味”にむせ返りそうになっていた。
レモン風味のサッパリとした味なのだが、鼻から抜けてゆくアルコールの香りが、頭の中を満たし惚けさせにくる。
「これが、お持ち帰りされる状態――」
「百パーセント違う」
ベルグは眉を落とし、呆れたように溜息を吐いた。
飲み慣れていない、と見抜いたバーテンダーも、まさか“ほぼジュース”のそれで酔うとは思わなかっただろう。
グラスを傾け、つっと飲む姿勢を見せるも、閉ざした唇が受け入れるのは一滴二滴だけ。ほんのりと酒は回っているが、それ以上に自分に酔っているようだ。
しばらくし、ひとしきりイタさを爆発させたシェイラの前に、スッと一つのピンク色のカクテルが差し出された。ベルグに目をやったが、覚えがないようで小さく肩を竦めている。
まだ何も注文していない、とバーテンダーに告げようとした時――
「あちらのお客様からです」
バーテンダーが視線をやった先には、一人のエルフの男が座っていた。
尖った顎と耳、腰まで伸ばした銀色の髪が特徴的な、典型的なエルフの男である。
驚いたシェイラであったが、内心とてつもない歓喜に満ち溢れているようだ。
(ほ、本当にこう言うのあるんだっ!?
ど、どうしたらいいんだろ……可愛い飲み物だけど、これを飲んだらOKってこと……? でも、OKってどこまで……まさか、その後とかってのはないよね?
ど。どこかで選択肢が、出るよね……?)
エルフは女だけでなく、男も顔立ちが整った美男子が多い。
その男も例外でもなく、イケメンなどにはまるで興味がないシェイラであっても、酒のせいか、少しドキリとしてしまうほどである。
チラりと“弟”に目をやると、何か奥歯を噛みしめているようにも見え、“姉”の頭に悪い考えが浮かんだ。
(ちょっと困らせてみよう、かな……?)
以前もそうであったが、“弟”は自分を“女”だと見ていない節がある。
余裕そうに髪をかき上げると、微笑むその男に目をやりながら、甘いカクテルをそっと口にした。
一方で――ベルグは、必死で笑いを堪えていた。
今どき、こんなキザったらしい方法で声をかける者なぞ、時代錯誤なエルフぐらいしかいない。しかも、出されたカクテルはノンアルコール。いくら人間の暮らしに迎合しているとは言え、コブ付きで来た女を口説くほど無粋な種族ではないはずだ。
“そのような目的”ではない事が明白であるのに、勘違いして舞い上がり、気取りまくっているシェイラの姿は滑稽で、ベルグには堪らなくおかしかった。
「――お初にお目にかかります……白鳥の羽根を持つ美しき女性に導かれ、今宵は天上の地へとやって来てしまいました。名は明かせませんが、是非私の話を聞いて頂きたく――」
エルフの男は、歯の浮くようなセリフを述べながら、シェイラの横に腰をかけた。
笑いを堪えていたベルグも、その男の言葉に耳をピクりと動かし、即座に警戒の目に変える。
片やシェイラには何も分かっていない。クサい口説き文句であっても、その綴られた言葉に胸の鼓動が強くなり、男の声の半分が耳に入っていなかった。
「ご安心ください。私は、貴方の“月”を奪うつもりはございません――」
「は、はひっ!」
「いえ、貴女ではなく……」
「――単刀直入に言え。エルフの男は回りくどすぎる」
「おや、これは失礼をば……」
「……え? え?」
エルフの男は、シェイラがヴァルキリーである事を知っている。
それ故に、男はシェイラを“白鳥の羽根を持つ女”と称したのだった。
ベルグはすぐに気づいたのだが、当のシェイラはそれに気づいておらず、『キザだけど嬉しい口説き文句』程度にしか理解していない。
「貴方がたに、是非とも手に入れて貰いたい物がございます」
「断る。ギルドにでも依頼すれば良いだろう」
「いくら依頼者に責はないと言えど、私の罪が増え続ける事になりますので――。
まぁ、興味がなければ、ただスランプに陥った、エルフの戯言とお受け取りください」
「ふん」
「ちょ、ちょっと、どういう事っ?」
突如、周囲の空気がピンと張り詰める。突如、依頼の話となって、ようやく『これはナンパではなかった』と理解シェイラは、出されたカクテルをぐっと飲み干した。
アルコールが入っていない事にも気づき、酒だと思い込み『酔わないようにしないと』と思っていた自分が馬鹿馬鹿しく思え、《虹のきらめき》をもう一杯注文している。
「髪は女性の“美”そのもの。私はそれを引き出す事を追及し続けて参りました。
そのためには、最高の道具が必要……理想の“美”を表現するのに、最も必要なそれが見つからないのです」
「ならドワーフにでも作ってもらえ」
「ふっ、御冗談を。あんな“美”とは対極に位置する下賤な種族に、私の“美”を引き出す“ハサミ”は生み出せませんよ」
「その“ハサミ”とやらを探しているのか」
「おっと口が滑ってしまいましたね。その通り……私が探しているのは、いくら切っても切れ味の落ちない、錆びない“ハサミ”なのです。
――遥か昔、それを持ったある男が深い闇の中に姿を消してしまった……それを見つけ、持ち帰って欲しいと思いましてね。もちろん、相応の報酬はございますよ」
シェイラは『請ける必要ないわ!』と、出されたカクテルをぐいっとあおった。
哀れに思ったバーテンダーも、酔って忘れさせようと少しアルコール強めのカクテルを出している。そのおかげか、駆け抜けるアルコール臭がどこか心地よかった。
「その気になれば、いつでも私のお店にどうぞ。
エルフは長寿。死人の日記でも読みながら、“裁き人”を気長に待つとしましょう。
では、“いつか白鳥”となるレディの導きに――」
ここの支払いは私が――と、机の上に名刺を置き、銀色の髪を揺らしながら、エルフの男は店を後にした。
予約が増え続けるばかりのヘアサロン――その店の名が書かれた名刺に目を落とし、ベルグは『どうしたものか……』と思案している。
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シェイラは、三杯目の《虹のきらめき》を飲み干し、少しご機嫌な様子でトイレに向かっていた。
用を足し終え、冷静さを取り戻し始めると、思わぬ恥をかかされた事に、ふつふつと怒りが込み上げてくる。
(何なのよもう! あぁ、くさくさするっ!)
鏡に映った真っ赤な自分の顔は、面白くも情けなくもあった。
理想と現実が大きくかけ離れているのは自覚している。
背伸びせず、身の丈に合った自分でで良いのに、どうしてか“弟”の前では“姉”でいたい、背伸びしたいシェイラがそこにいるのだ。
はぁ……と、アルコール臭がする、熱のこもった息を吐いてしまう。
幼い頃に一緒に暮らし、十数年の歳月を経て二人は偶然にも再び巡り合った。
歩む道はそれぞれ違えど、二人は今、“断罪者”と“裁断者”――“裁きを下す者”として同じ道を歩んでいる。
(と言うか、スリーラインもスリーラインよっ!
昔は、あんなにお姉ちゃんっ子だったのに、何よ今はっ!)
“弟”のように可愛がっていたベルグは成長し、見違えるほど大人になっていた。
それがシェイラにとっては、余計に腹立たしくあり、心をかき乱す原因だったのだ。
ふんっ、と鼻を鳴らし、恥を洗い流さんと荒々しくジャバジャバと手を洗っていた時――。
そういえば……と、ポケットの中にある物を思い出し、濡れた手で恐る恐るそれを取り出した。
(こ、これが噂の避妊具なんだよね……?)
それが気になって仕方なかったシェイラは、部屋を出るときゴミ箱から一つくすねていたのだ。
よく小説などでは、先ほどのような口説きに耳を傾け、その後……と言う展開が多い。
舞い上がっていてもそんな気は起こらなかったが、ピンク色の包みに入ったそれに、顔がますます熱っぽくなるのが感じられる。鏡に映る自分の顔は見れない――本などで見ただけのそれが、今手元にあると思うと、思わず息をつめてしまっている。
しかし、あまりに目の前の事に集中しすぎていたせいで、後ろに人が来ている事にシェイラは気がついていなかった。
「――ここのバーって、そう言うサービスもやっているのかしら?」
「ひあぁぁぁぁっ!?」
――ここが店のトイレの中だと言う事を、すっかり忘れてしまっていた。
真後ろに深緑のローブを着た女が立っていた。まるで絹糸のような細く美しい金色の髪をし、そこからチラりと尖った耳が覗く。思わず投げ捨てたそれを拾った女は、シェイラの顔を見るなり、ふぅん……と鼻を鳴らした。
顔はシェイラと同じように赤く、酒臭い。かなり出来上がっているようだ。
「女子トイレなんかで“客待ち”なんてしても、来るのは同じ趣向か変態だけよ?
見た感じまだっぽいけど……初めて、はそう言う相手がいいわけ?」
「いいいっ、いえ違いますっ!? それはその、拾って……」
「拾って、ねぇ……」
ゴミ箱から拾いあげた、のでシェイラは嘘は言っていない。
全てを見抜いている、と言った顔をしているエルフの女は、ベルグと同じようにそれを光にかざしては、再び、ふぅん……と鼻を鳴らす。
どうして同じ仕草をするのか分からなかったが、燭台の光を反射したエルフの瞳は何かに悩み、思案しているようにも窺えた。
「あ、あの……何かあったのですか?」
「ん? どうして?」
「い、いえ、何か悩み事があるように見えたもので……す、すみません」
「ああ、謝る必要はないわよ。
まぁそうねぇ……貴女と同伴の《ワーウルフ》は恋人?」
「ち、ちちち、違いますっ!? む、昔ながらの“弟”みたいな人です」
「でしょうね――。
けど、もしそのワーウルフが『お前が欲しい』って言って来たらどうする?」
「え、え、えっと……えええ……えぇっと……」
「そんな状態よ」
ふう……と、エルフの女は頬に手をやり、鬱々しく息を吐いた。
シェイラは確かに『“女”として見て欲しい』とは思うのだが、それは“弟”が“姉”と認識していない様子が窺えるためであり、実際にそう見られたら……まで深く考えていない。
今、その場で考え浮かびあがかった答えが――
「その……自分の心のまま、従うと思います……」
「自分の心のまま?」
「はい……上手くは言えませんが、私はこれまで受け身で、誰かに決めてもらうような、誰かに守られながら生きて来ました。
そんな時、突然自分の意思で“決断”をするような立場になって……初めてその“決断”の重さに気づいたんです。
誰かに決めて貰う事は出来ない“選択”だから……ありのままの自分の答えを信じよう、って決めたんです」
「ありのままに、か……やっぱりそうよね」
女は再び思案すると、うんっと一つ頷き妖艶な笑みを浮かべた。
何かを決めたような、何かふっきれたようなスッキリとした顔をしている。
「ありがとね。これで決心がついたわ」
「い、いえ……でも、私の意見なんかで……」
「大丈夫よ、もう既に答えた出ていたようなものだったし」
女の悩み事は既に答えが決まっているのだから、エルフの女は言う。
ただ話を聞いてもらい、背中を押してもらいたいだけなのだ――と。
シェイラは『確かに……』と頷いた横で、エルフの女はもう一度、手にした避妊具を光にかざし、口角を僅かにあげた。
「これ、頂いてもいいかしら?」
「え、えぇっ!?」
「あら、使う予定がおあり? “弟”さんとキめるつもりかしら」
「ああ、あ、ありませんからっ!」
「あっても、これは使わない方がいいかもね。まさに“OOPS!”になるわよ?
既成事実を作ろうと考えているなら別だけど――。
代わりにこれあげるわ、最終手段で使おうと作ったけど……必要無くなったし」
「これは……?」
エルフの女が取り出したのは、一本の小さな短刀――ペーパーナイフのような銀色のそれには、奇妙な茨の紋様が刻まれている。刃は無いが、先端が鋭く尖る。シェイラの柔肌では、少し突くだけで血の玉が浮き出てきてしまいそうだ。
「“契りの短刀”って言うの。ま、契約用のそれね」
「“契りの短刀”、ですか……」
「先っぽに自分の血をつけて、結ばれたい相手も同じように血を付けるの。
そうすれば、
逆の使い方も可能……うふふ、仮に相手が妻子持ちでも、悪魔でも、何でもね」
その刃で、男と強制的に結ばれようとしたのか、もしくは誰かを別れさせようとしたのか……。
何にせよ、そんな物騒な物はいらない、とシェイラは返そうとしたが、エルフの女は背を向けて拒否の姿勢を示している。
「――今の貴女は、自分の心に素直になれているのかしら?」
ふふっ……と薄い微笑みをシェイラに向け、手を振りながら店に戻って行った。