2.大人って何だ?
数日後、ベルグとシェイラは、一足先に【ルクリークの町】を目指していた。
ルクリークは、エルフが営む店が多く、町はずれには迷宮まで存在する町である。
その迷宮に足を踏み入れる冒険者のおかげで、町は潤っているはずなのだが……どうしてか、大きく発展する様子が窺えない。その儲けの殆どは『迷宮の“モンスター”に献上されているのではないか?』と、まことしやかに噂されるような、謎の多い町でもあった。
スロネットと名乗るエルフも例外ではなく、その町に本店を構えている。
エルフは長命であるがゆえか、店の主が戻って来るのは数十年に一度――連絡も無く戻って来ては、またすぐに去る。
その店主の謎の行動に、周りの者たちは――
『実は何かを探しているため、各地を転々と渡り歩いている』
『何かを隠し持っているため、逃げ回っている』
『とんでもない情報を知っているため、同じ場所に留まれないのだ』
と、勝手な憶測を立て、好き勝手に噂していた。しかし、今回の彼の帰還は、人間たち――特に女からすれば、これは千載一遇のチャンスでもあった。
ベルグ達も『次はいつか分からない、せっかくの機会なので』と、ベルグとシェイラ・カートとローズの二班に分け、交代で行ってみる事となったのだ。
「――先に言っておくが、ヘアサロンは“いかがわしい店”では無いぞ?」
「とと、当然じゃないっ、何をお、おかしな事言ってるのっ?」
シェイラは、何を当たり前のことを……と、平素を装っているが、その目は泳いでいる。
先日、とんでもない知ったかを皆の前で披露し、思わぬ大恥をかいてしまったのだ――。
◇ ◇ ◇
その日の深夜、シェイラは《サキュバス》から貰った“コールリング”を使い、彼女を呼び出した。
使い方は聞いていなかったが、指輪をはめて『ちょっと来て』と念じれば、空間を歪ませながらすぐにやって来たのだが――
「ねぇ、ヘアサロンって知ってる……?」
「当然じゃない。ってか、そんなコト聞くためにワタシ呼び出したの……?」
「え、いや……あ、あはは、ちょっとね……」
「まさかと思うけど……知ったかかまして、いかがわしい店と勘違いした、とか言わないわよね?」
「そ、そんなわけっ……違うの?」
「本の時もそうだったけど、どんだけムッツリなのよアンタは……いや、無知か。
お腹も割とたるんでるし、『ムッチリ』――うん、アンタに最適っ」
「……また封印されよっか? 今度は、レオノーラさんの靴箱に保管してあげる」
「じょ、冗談よ、じょーだんっ! で、ヘアサロンだっけ?
そこは美容室とかの、髪の毛を整えて貰うとこよ」
「な、なんだ、それだけの店……」
言ってみれば、ただの床屋ではないか、とシェイラは内心ガッカリした。
彼女はこれまで、母親に切って貰うか自分で切るかしていたため、美容院にすら行ったことが無い。ただ髪を切ってもらうだけなのに『誰々の店だから行きたい』という行動原理に、どこか疑問を抱いている。
◇ ◇ ◇
しかし、新たな単語を覚えたシェイラは、どこか誇らしげでもあった。
あの後、《サキュバス》より色々教わったシェイラは、ベルグに『何でも聞いてっ』なオーラを放ちながら、ルクリークの町につながるあぜ道を堂々と歩いて居る。
町までは平たんな一本道であり、かつてのラスケットの町の山道にも比べればだいぶマシなのであるが……この最近の、異常なまでの直射日光が、二人の体力をじわりじわりを奪ってゆく。
そして、この暑さにすぐさま根をあげたのは、意外にもベルグであった。
「――暑い。もう歩きたくない」
「た、確かに暑いけどさ……歩かないと先に進めないでしょっ!」
町まではまだ半分、と言った場所にも関わらず、日蔭で横になるベルグは出ようとしない。
シェイラが首を掴んで引っ張っても、その足を強く踏ん張って抵抗する――それはまるで、散歩から帰りたくない犬と飼い主のような光景だった。
だが、ベルグが嫌がるのも無理はない。毛むくじゃらなその獣の身体は、このうだるような酷暑の中で、常に毛皮のコートを着ているようなものである。
「このままだと日が暮れちゃうよ!」
「是非とも暮れて欲しい……」
日暮れまで動きたくないベルグは、シェイラにすり寄り『暑いからもうちょっと休みたいー』と、湿り気を帯びた身体で甘え始める。
ベルグはその図体に反して、生来の“甘えた”であった。人前では見せぬ姿であるが、シェイラに対して……二人っきりになると、途端にそれを見せる。
そして、シェイラもこうなると弱い。“弟”にすり寄って来られると、彼女自身もデレデレになってしまい、『もう……仕方ないなぁ』と目じりを下げながら、ベルグの言う事に従ってしまう――。
シェイラの扱い方を知っているベルグは、昔からこのようにして“姉”に面倒事を頼んでいたのだった。
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結局、再出発したのはそれから数時間後、周囲を茜色に染め始めた頃であった。
ルクリークの町に着いたの時には、もう二十一時を回り、群青色の町に燈火が浮かんでいた。
シェイラには、もう寝る準備を始めている時間帯だ。既に目をしぱしぱとさせ始めており、早く取って休もうと、町の真ん中にある宿屋に足を踏み入れた二人であったが――
「えぇ!? ひ、一部屋しかないんですか!?」
「――ええ、申し訳ありません。なにぶん、スロネット氏の予約待ちの方が多く。
人気の馬小屋なら空いておりますが、ええ、無料なので」
耳が尖っている女――エルフの従業員は、悪びれる様子もなく淡々とそう告げた。
エルフは、非常にプライドの高い種族で有名であるが、近年では冒険者以外でも、こうして人間の町で働く者も増えており、人間より丁寧と言われるほどとなっている。
「その部屋は、たまたまキャンセルが出たのですよ」
「う……じゃ、じゃあそれで……」
ラスケットの町でも一緒に寝たし……とシェイラは、うんと頷いてチェックインの手続きを済ませた。
この宿の名前は【OOPS!】――。エルフが経営している店らしく、掃除はしっかり行き届き、アメニティグッズも充実している綺麗な部屋だった。ただその分、宿泊料金が少々高い。
シェイラはこのような宿は初めてであり、部屋に入ってもなお、落ち着かない様子であちこちをキョロキョロと見回している。
片や、ベルグは慣れた様子でイスに腰かけ、ロビーから持ってきた宿のパンフットを広げていた。
「ふむ、隣の馬小屋は、この本館の三倍の大きさらしい。
む、これは? モーニングコール『おたんじょうび おめでとう!』サービス――?」
「無かったことにしたくなるね……」
そのパンフレットには『week/G 宿泊延長は不可』と、手書きで書き加えられており、部屋の空きが無い事は事実だと証明していた。
エルフの従業員が言うに『店主であるスロネット本人が全く髪を切っておらず、その予約客ばかりが増えて行く状態』であるようだ。
他の目的で来訪した客や、冒険者の足が遠のいてしまうため、あまり長く居座られても困るらしい。
「ほう、ルームサービスも結構充実しているようだ。
クッキー・ルクリーク定食・アンヘッド・スライムゼリー・ジャイアントトードのフライ・ウサギがハネた首に……従業員?」
「八割ぐらい不穏なワード含まれてない……?」
「なおドワーフは注文不可、らしい」
エルフはドワーフと非常に仲が悪い。
互いに、“冒険”に差支えのない程度には改善されているものの、種族間の雪解けは遠いようだ。
宝石を巡ってモメた過去があるが、
人間の世界に迎合している方であるが、清潔感に関しては、決して譲れぬモノがあるらしい。
「――そのくせ、こんな物を用意しているのだからな」
ベルグはベッドの枕元に置いてあった小箱に気づき、そこから一つの包みを取り出した。
「何それ?」
「避妊具」
「ひにっ――!?」
現物を初めて見たシェイラは、ぎょっと目を剥いた。
すぐさま、それがどうしたの? と、余裕のあるフリを見せているが、気になってしょうがないのか、チラチラとそれに目をやっている。
ベルグはそれを光に透かすと、『店名通りになるな』と、それを全てゴミ箱の中へ放り投げた。
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それからすぐに、ベルグとシェイラは、宿屋から近くの食堂で遅めの夕食を摂ろうと足を向けていた。
町はずれに地下迷宮があるせいか、夜遅くまで営業している店も多い。
あちこちで営業中を示す、松明の赤い看板明かりは、シェイラにはお祭りのようにも見え、好奇心と期待で胸を膨らませてしまう。
冒険者は酒場で仲間を募り、その仲間と冒険が終わりの一杯――それが冒険者の暮らしであり、醍醐味であると聞いていたのだが、
(な、何か想像してたのと違う……)
二人が足を踏み入れた酒場も、確かに冒険者で溢れかえっていた。
しかし、中に居た者は――薄汚く
多少の覚悟はしていたものの、まさかそれを大きく上回る者がひしめいているとは思ってもいなかったようだ。
当然、女も殆どおらず、居てもハエをはらうように軽くあしらっていたり、何か交渉しては踵を返す。
もちろん、シェイラの所にも寄り付こうとするのだが、目の前の“獣”の一睨みに、“負け犬”たちは尻尾を股に挟み、すごすごと退散してゆく。
シェイラが想像していたのは、もっと小奇麗な場所で、小気味よい音楽がかかっているような場所だ。
この食堂にはそんな物は一切なく、ガヤガヤと雑踏な騒音がBGM代わりとなっている。
音楽には山場と言うのがあり、この食堂のそれはムサ苦しい冒険者同士の罵り合いから始まった。
「どど、どうしようっ!?」
「放っておけ。あいつらはああやって日銭を稼いだりしているんだ」
ベルグの言葉通り、その横では誰が勝つか賭け合い、煽り立てている。
味と量に不釣り合いなほどリーズナブルな店であるが、この騒動が日常なら二度と来ないだろう、とシェイラは思っていた。
騒がしいぐらいなら構わないのだが、人の罵り合いや殴り合い、汚い言葉の投げかけ合いは、昔を思い出してしまうため苦痛で仕方ない。
それを見かねたベルグは、食べか始めたにも関わらず、シェイラを連れて外に出た。
「ごめんね……」
「構わんさ。店員も申し訳なく思ったのか、こんな物をくれたぞ」
「これって、チケット?」
冒険者なら“日常”であるが、一般人にとってはただの“迷惑”である。
そう言った人のために、店からの“迷惑料”として、近くの【ヴァルハラ】と言うバーへのチケットを配布している、とベルグは言った。
店員が渡したのは“迷惑料”には違いないが、単に会計中ずっと眉間にシワを寄せていたワーウルフが恐ろしかったからである。
シェイラを沈鬱とさせた上に、夕食までも食いっぱぐれたのだから無理はない。
「なかなかの店のようだ。並の冒険者では到底踏み入れられぬ場所だろう」
遠回しに、『先ほどのような血の気の多い連中はいないから安心しろ』と言っており、シェイラにもそれが通じたのか、どこら声を上ずらせながら『うんっ』と返事をした。
(バー……何て大人な響きの場所なんだろ……)
バー=大人の店、と思っていたシェイラのイメージ通り、黒檀のカウンターが店の雰囲気をより引き締めていた。
まさにシェイラが求めていたような店――なのだが、服装はイメージとは大きくかけ離れ、うすぼけたクロークとボトム姿。いくら世間知らずなシェイラですら、これは場違いだと気づいている。
(でも、スリーラインのおかげで助かった……かも?)
店の注目は、場違いな田舎娘なぞ視界にも入らず、半裸の獣人に注目が行っていた。
獣の胸元には蝶ネクタイがついているが、これはベルグの悪ノリである。
そのお蔭で、服装もさることながら、カウンターに掛けてからの挙動不審な行動も注目される事が無い。
『ね、ねぇ、スリーライン……』
「ん?」
『その、メニューはどこに――』
「え、何?」
『いい、いや、な、何飲みたいのかなっ、てね』
シェイラは、バーにはそれがない事を知らなかった。
そもそも酒の
「まぁ、俺は《虹のきらめき》で」
「わ、私もそれでっ」
「かしこまりました――」
初めてだから教えて、と言えば済むだけの話であるのだが、“姉プライド”が邪魔をして聞けずにいる。
なので、シェイラは、“とりあえず乗っかっておけ作戦”に出たのだった。
(でもこれこれっ! このシャカシャカやってくれるのっ!)
感じの良い音楽がムードを盛り上げてくれる、物語の中の一節のような光景――。
横にいるのは恋人でもなく、小洒落たドレスも着ていないが、シェイラにとっては夢が叶った瞬間でもあった。
出来上がったカクテルを注がれ始めたのを見て、シェイラは『ん?』と首をかしげている。
「スリーラインと私の違うけど、まちが――」
「《虹のきらめき》を注文したからだろう?」
「え、ああ、うん、そ、そうだったねっ」
虹のきらめき――宝箱に仕掛けられた罠で、色々な状態異常を引き起こすそれである。
バーでは、何が起こるか分からない=バーテンダーにお任せ、の意味で使われている事を知らないシェイラは、目の前に出されたカクテルを不思議そうに眺めるしかなかった。