1.罪と罰
あれから二週間が過ぎ、蜃気楼が出来そうなほどの日差しが各地を襲い始めた。
しかし、コッパーの訓練場では、それに負けじと再び活気のある音が響き渡っている。
任務でしばらく訓練場を離れていたものの、それぞれは“訓練生”であり、日々の鍛錬は怠らない。
シェイラは、《キングクラブ》と戦った経験が自信となっているのか、これまでのような攻撃する事への
ベルグには、裁きの理由なくば戦えぬ“制約”が存在するため、これまでは専ら回避か防御役であったが、今回は違うようだ。
『“独裁”の力を使って、“断罪”の力を出してはどうでしょうか?』
事の起こりは、レオノーラのこの提案からであった。
攻撃・反撃を受けないと分かっている状態のせいか、どこかシェイラに緊張感がないのを見た教官・レオノーラは、シェイラの“独裁”を使ってみる事を提案したのである。
あまり良い顔をしなかったベルグであるが、シェイラのためになるのであれば、とその案を試してみる事にした。
レオノーラの思惑通り、ベルグは“制約”を免れ、戦えるようになったのだが――。
「――ぬんッ!!」
「うッ、ぐッ……」
赤い眼を見開いた時にはもう遅く、獣の握りこぶしに、“姉”の腹の感触が伝わる。
シェイラの槍を掻い潜ったベルグは『これも避けるだろう』と思っていた攻撃であった。
柔らかく鈍い感触に合わせるように、カラン……と槍が落ちる音が響いた。
「うゥ……ッ……ゥ……」
「す、すまないッ、大丈夫か!?」
「っ……だ、だいじょッうぶ……ッご……がほっ――」
シェイラは、両腕で腹を押さえたまま
ベルグの前で、弱音を吐くまいと強がってみるものの……視界が滲み、呼吸もままならない。
彼女が今できる事は、こみ上げてきた物をぶちまけないようにする事だ――。
腹部への打撃は、“地獄の苦しみ”との言葉通り、内蔵の位置が変わったのではないかと思うぐらい、それは苦しいものであった。
ベルグは、“姉”をこんな目に逢わせてしまった、とオロオロと慌てふためいている。
手加減しているつもりなのだが、“断罪”の力を持って戦うとなると、力の調節が上手くできなくなってしまうのだ。
「ベルグ殿、シェイラを日蔭に――!」
「う、うむ、分かった」
日増しに強くなってゆく日差しを避けるよう、ベルグはシェイラを抱えて訓練場横に連れて行った。
照りつける陽の光は、グラウンドの水を即座に飛ばすほど強い。
この町ではまだ起こってないが、熱中症を訴える者、倒れる者まで出て来ており、町によっては干ばつの被害がまで出始めている町もあるようだ。
「シェイラ、ゆっくり呼吸しろ――」
「は、はい……すぅぅ……はぁぁ……」
レオノーラの介抱により、シェイラはゆっくりと呼吸を取り戻してゆく。
日に焼けた頬の上を、涙袋に溜まっていた涙が一筋の道を作った。
「や、やはり、“断罪”の力を使っての訓練は危険すぎる」
「すまない、相手より僅かにでも上回ると聞いただけで、話を進めた私が悪いのだ……」
「い、ぃえ……」
自分が弱いせいで――と言おうとしたが、ベルグの指で口を抑えられた。
“断罪”の力は、基本的にはどのような罪の重さであっても、“必ず相手を上回る”。仮に――シェイラが100の力とすれば、ベルグの力は加減しても101となってしまうのである。
ベルグが口を抑えたのは、シェイラが弱いせいではない。“断罪”の力の性質のせいなのだ、と。
「罪人は“断罪者”から逃れられぬはずですね……。
もしその力が悪用されれば、即座に魔王のようになってしまうでしょう」
「その分、制約も厳しいものだ……。“自由”どころか“余裕”がまるでない。
“裁断者の宣告”がなくば、一人しか相手にできぬし、“断罪”の力に耐えうる“器”――身体も必要であるし」
器でない者が使えば、一度で身を滅ぼす。とベルグは言う。
それを聞いていたシェイラの頭に、ふとある疑問が浮かんでいた。
「そういえば……天秤や、私の宣告がないまま攻撃をしたらどうなるの?」
「うむ。神……と言うべきか、“裁きの間”と言う空間に即連行され、相手に与えた“罰”と、同じ重さの“罰”を受けることになる。
親父と喧嘩した時、連行されてとんでもない目にあった――」
親子喧嘩の際、父親が制約を知った上で挑発して来たので、ベルグは情状酌量に期待してぶっ飛ばした。
しかし、連れて行かれた“間”に居たのは、何の意思の持たない石像――機械的に処理を行うため、弁明も何も聞き入れられなかったのだと言う。
「私はその……ベルグ殿のお父上に会った事がありますが、その、怒った姿などは、あまり想像したくない方でした……」
「そうか? 見た目は偉そうだが、弱っちぃぞ?」
「あ、あはは……。でもそれって、何をしても絶対に免れないの?」
「人の話に
意思を持たないから、“
だから、シェイラも気を付けた方がいい。“裁断者”は普通に戦えるものの、“無罪”と宣言した者を傷付けたりでもすれば、ただちに連行されてしまうぞ」
「う、うん……スリーラインほどじゃないけど、結構大変なんだね……」
「単体なら問題ないのだが、やはり盗賊団のような複数相手だと、時間と手間がかかってしょうがない……ああ言った時は、やはり“守護者”が欲しくなる」
“守護者”と聞いて、レオノーラとシェイラは、ビクッと身体を反応させてしまった。
それは“断罪者”の妻――その候補であるレオノーラは、ベルグの妻とならなければならない。
レオノーラからすれば、今すぐにでもしたいのだが、今のベルグは必要としていない事と、“教官”であるが故に保留となっている。
シェイラは不安だった。再び孤独に戻るような気がしてならなかった。
だが、どちらもそのままにしておけぬ、避けては通れない現実なのである。
それを察知したのか、ベルグは思い出したように口を開く。
「ああそう言えば、レオノーラとの勝負もせねばならんな――」
「あ、あれなのですが、実は……」
初めて出会った日、レオノーラは『負けを認めてしまっていた』と言う。
前を見ておらず、ベルグの胸に飛び込んだレオノーラは、気が動転するあまりベルグに殴りかかった。
その時の最後の一撃――ベルグに拳を止められたそれは、思わず本気を出してしまった一撃であり、それを容易く受け止められた事に、心のどこかで敗北を感じたのだ、と。
レオノーラからすれば、戦わないための理由づけに過ぎないが、ベルグもそれに納得したようで、
「ふむ。なるほど……」
「な、なので――」
「ノーカンッ!」
「へ?」
「ノーカンなの! レオノーラさんは得意である剣じゃないし、正式な試合じゃないからノーカン!」
「いや、私は体術も――」
「それでもノーカン! “裁断者”の私がノーカンと言うのだから、ノーカン!」
「だが、俺は普通に戦えんし、“断罪”の力を使うと――」
どうしてもレオノーラより上回ってしまう。
レオノーラの持つ力がとてつもなく強いため、最悪のケースまで想定せねばならない。
なので、初めて会った日のそれを判定に使うなら、ベルグにとっても大助かりなのであった。
「むぅぅ……じゃ、じゃあ料理ッ!」
「……何でまた料理?」
「女将さんも『厨房は女の戦場』って言ってたし、決戦の場には相応しいのっ!」
無茶苦茶言ってるのは分かっていたが、シェイラは“裁断者”として反対を口にした以上、退くに退けなくなっていた。
ベルグも『断罪の力を使わぬのなら、対等な勝負となる』と承諾したため、レオノーラもどこか苦虫を噛み潰したような顔であったが、その提案を受けたのである。
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・
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「――で、厨房にお姉ちゃんと、ベルグさんがいるわけね」
その厨房には、ベルグとレオノーラが立ち、審査員としてカートと女将さん・病み上がりのローズとシェイラが座っている。
「一つお勉強担当の教員らしく、シェイラに教授してあげるわ――敵を倒すには、敵を良く知る事、よ」
「え……? ど、どう言う事ですか?」
「こう言う事――。お姉ちゃん、野菜はちゃんと洗ってね!」
「洗う――あ、ああ、そうか。して……洗剤、洗剤はどこだ?」
「……」
「お分かり?」
全員が調理前にストップをかけたため、料理勝負は開幕二分で決着がついた。
シェイラは頭を抱え、うんうんと唸りながら次の手を必死に考えている。
諦めの悪い“姉”に、カートは呆れ顔でシェイラに口を開く。
「もう諦めろって」
「気持ち切り替えて、髪型を少し変える……てのはどうだい?」
「し、失恋したわけじゃありませんから!?」
だが、女将の言う通り『髪を切って、気分転換を図るのもいいかもしれない』と考えている。
このところ忙しく、髪も伸びっぱなしな上にこの暑さ……毛量も多いので、訓練時に帽子などを被ると蒸れて仕方がないのだ。
「ああ、髪型変えるんなら、東南東にある【ルクリークの町】がいいわよ。
腕のいいエルフのヘアサロンが、期間限定でオープンしてるんだって」
「へ、ヘアサロン?」
「ああ、スロネットの店だろ。俺も行こうか考えてたんだ」
「あら、じゃあ一緒に行く? アタシも行くつもりだったし」
シェイラは一体何の話をしているのか、まるでサッパリだった。
(へ、ヘアサロンって……何?)
美容院すら行った事のないシェイラにとって、それはエルフの言語より理解しがたい言葉なのである。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥――シェイラは思い切って口を開くのだが
「あ、あの――」
「私はヘアサロンと言った所には行った事がない……ベルグ殿はありますか?」
「うむ。だが、どこに行っても料金の三倍は取られてしまうのだ……」
「そりゃそうだろ……そもそも、犬が行くなよ」
レオノーラに遮られ、シェイラは口をモゴモゴとさせてしまう。
それに気づいた女将は、シェイラに声をかけた。
「シェイラちゃん、何か聞こうとしてなかったかい?」
「い、いい、いえっ、何でもないですっ!」
ベルグが知っていて自分が知らない――姉としてのプライドが出てしまい、女将のフォローも空しく完全に聞くタイミングを失ってしまっていた。
こうなればと、ベルグですら行く場所・お金が凄くかかる・カートやローズが行って、レオノーラが行かない……とのワードから推理してゆく。
(ヘアと言ったら髪とかの“毛”だよね……?
サロンは確か、“社交場”とか“交流の場”の意味だったはず。
遊んでそうな二人が行って、堅物なレオノーラさんは行った事がない。
スリーラインのような《ワーウルフ》は、本来行く場所じゃない……。
遊んでる人が行く、お金が凄くかかるオシャレな“毛の社交場”――?)
シェイラの頭のシナプスは、ある場所を指す間違った単語に結合した。
「す、スリーラインはまだ子供なのにっ、そ、そんな所に行っちゃダメッ!!」
「今は子供でも行く時代だぞ……?」
「この世の中って、そんなに乱れてるの……?」
その場に居る全員が、『お前は何を言っているんだ』と呆れ顔をシェイラに向けていた。