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13.私情を挟む

 当のローズはその文面を見ていなかった。
 当初の思惑(おもわく)と違ったものの、結果的に『レオノーラが自分の体臭がキツいと気づく』との目的が達成されたため、飽きてしまったのだ。
 今度はシェイラの番だと、ローズは暇にあかして、クローゼットのチェックを行っていた時である――

「むごっ……」
「むぎゅっ!?」
「あぐっ!?」

 突然、本の中に居たベルグ・シェイラ・レオノーラの三人が飛び出し、取り込んだ洗濯物のように折り重なっている。それに遅れて、ペッと吐き出すように、レオノーラのブーツも飛び出し、ボトリと音を立てて床に落ちた。
 想定外の出来事に、ローズは硬直してしまっていた。残りのページ数は半分――“本の登場人物たち”が戻って来るには、まだ少し時間がかかるはずだ。

「え? も、もう完結までいった……わけじゃなさそうだけど……」

 もし完結していても、どこかインモラルな空気に包まれたまま帰ってくるはずであった。にも関わらず、出て来た三人からは、そのような雰囲気が微塵も感じられなかった。
 突然の大きな物音にカートも駆けて来たが、折り重なる三人に、シェイラの下着を握っているローズ、その傍らで小さく震え続ける本――と、どれもが異様なその光景に、どこから突っ込むべきか分からなくなっていた。

「う、うーん……ちょ、ちょっとローズさん!? 何で、私の下着漁ってるんですか!?」
「今度はアンタの番よっ、何よこの色気のないフルバックばかりは!
 せめて、ビスチェとか勝負下着ぐらい持っておきなさいよっ!!」
「べ、別に良いじゃないですか!?」
「オカンかお前は……」

 と、カートの呆れた声と共に、レオノーラは片眉をピクりと動かした。

「“今度は”……?」
「お、お姉ちゃん!? ――いや、何でもないよっ、うんっ!
 それより、そのブーツ何とかして! 臭いっ!」
「あ、ああっ……」

 レオノーラに対し、直球で物を言えるのはローズだけである。
 これまでは、『何を言う』と逆に嗅がせにきたのであるが、今回ばかりは凌辱に近い羞恥プレイを受けたせいか、素直に妹の言葉を聞き入れ、いそいそと“封印書”でブーツの蓋を行った。
 すると――

「何だ!? ほ、本が震えているぞ!?」
「た、タイトルが浮かんで……【 * H * E * L * P * 】?」

 シェイラは、すぐにその意味に気づいた。
 確かここに戻される直前、『吐く』との言葉を発し、すぐに三人が外に追い出された――。
 本当に、『本=《サキュバス》』であるならば、()()()()は今、とんでもない目にあっているに違いない。
 冷や汗か、脂汗か……本が湿り気を帯び始めている事が、何よりの証拠である。

(確かに、酷いことしたからしょうがないけど、()()は確か……)

 シェイラはその本を持ち上げ、入った時と同じように本を開く――。
 それを見たベルグは慌てて、手を伸ばそうとした。

「シェイラッ、何をするッ! その本は――」
「この本……ううん、《サキュバス》は『“ヴァルキリー”に封印された』って言ったの。
 それに、“断罪者”とも言ったし、私以外にもいるのかと思って――ねぇ、他に“裁く者”はいるの?」

【…………】

 ――本は何も反応しない。
 シェイラは、どこか悪戯な表情で、無言でレオノーラのブーツに本を近づける……。
 すると、本は拒絶するかのように再び震え始め、ポツポツと字を浮かばせ始めたのである。

「私のそれは尋問に使えるほどなのか……?」
「精神イカれるレベルだよ……」

 衝撃の事実に、がっくりと肩を落としたレオノーラの傍らで、本は――

【……〔エルマ・フィール〕って女がそうよ。そこに、“断罪者”と“審理者”ってのも居たわ。
 あの女が、ワタシを本に封じ、ヴァルキリーしか溶けない封印を施したの。『罰を受けなさい』――ってね。
 訓練場の男一人、二人ぐらいゴチソウサマしてもいいじゃないのよ……まったく】

 と、綴り始めたのを見て、ベルグは怪訝な顔をしながら首を傾げていた。
 そこに挙げられた名前は、全く聞いた事がなかったからだ。

「エルマ・フィール……? それに、“断罪者”も他にいるなんて、聞いた事なぞ……おい、その者の名は何と言う?」

【あー……何だっけ、“ジャス”なんとか?】

「ジャス……“ジャスパー”か?」

【あぁ、それそれ――】

「それは、三百年以上前の、“裁断者”が消えた時の“断罪者”だぞ……」

【……マジで? それじゃあ、もうあのクソ女いないってコト?
 あー……うーん……。封印解けないなら、もう刺すなり焼くなりして。中がニオイ残って最悪なのよもうッ!】

 と、最後は自暴自棄気味に言葉を残し、本は押し黙った。
 何百年も本の中に封じられていた上、その中で捕虜虐待のような目にもあったのだから当然だろう。
 シェイラは、パタン……と本を閉じ、思案に耽っていた。

 ――《サキュバス》は、“エルマ・フィール”と言うヴァルキリーを恨んでいる。

 そして、そのヴァルキリーはもういないと分かった本から、どこか“目的”を失ったような物寂しさが感じられた。

(何か悪い事をしたから、“罰”を受けたんだろうけど。
 終身刑じゃないんだし、三百年もこのままってのも酷だよね……)

 シェイラは、そっ……とその本に手をかざした。
 その方法は知らない。《グール》と化したケヴィンの時は、無意識にやった事だ。
 だが、心にあるそれに従えば、きっと出来る気がしていた。
 手の平がぼうっと、温かくなるのを感じた。

「ちょ、ちょっとアンタッ! 何してるのよっ!」
「――この《サキュバス》は、確かに悪い事をして封印されたのかもしれません。
 ですが、“スリーライン”の言う通り、何百年以上も前の人がそれをしたのなら、もう“時効”だと思います。
 その、昔の“裁断者”の人に怒られてしまうかもしれませんが、私は――」

 この《サキュバス》を赦します――と、シェイラは告げた。
 その言葉と同時に、ぐにゃり……と空間が歪み始め、“何か”が這い出て来るのが分かった。

(これが、《サキュバス》……?)

 それは、コウモリようなの羽根を付けた、赤い髪の女の姿……服は着ておらず、たわわに実った果実に、肉感を残したくびれ、丸みを帯びた流れるようなハリのある尻――。
 見る者全てを虜にするような、同性でも羨ましく思えるプロポーションをした女であった。
 ずるり、と音を立てるように、這い出てきた女は――

「う゛ぼぇ゛ッ……」

 ゴミ箱の中に吐いた――。
 出てきた真横にレオノーラのブーツがあり、その臭いが嘔吐感を呼び戻してしまったようだ。
 締まりのない復活であったが、ゴミ箱を抱え、四つん這いのような姿で吐き続けるその後ろ姿――肉付きの良い尻とその股ぐらからチラチラと覗く秘所に、今現在、女に興味のないカートですら惹きつけられるモノであった。

「……何アンタ、早速トリコにされてんの?」
「ち、ちげェよッ」
「ふんッ、あんな女のどこがいいんだかッ」

 嫉妬を覚えるほどのスタイルに、ローズの言葉にはトゲしか含まれていなかった。
 だが《サキュバス》のその姿は、男も骨抜きにされる……と諦めの気持ちと同時に、焦りと憤りまで感じていたのが不思議でしょうがなかった。
 シェイラは、嘔吐する《サキュバス》の背中をさすって介抱しており、ベルグはその横でレオノーラのブーツに鼻を近づけてはブシッと鼻を鳴らし、また鼻を近づける――それを繰り返し続けている。

「べ、ベルグ殿ッ……そ、その、もう分かりましたし、は、恥ずかしいので、嗅ぐのは止めて頂きたく……」
「止めたいのだが、この匂いが妙に癖になるのだ――」
「え、う、うぅぅぅ……」

 犬は、“守ってくれる者”の匂いに安心感を抱く――。
 嘔吐する《サキュバス》の、本能に働きかける能力が漏れ出てしまっており、その近くにいる、ベルグも犬の本能に逆らえない状態であったのだ。
 だが、誰もがそれに気づいておらず、目の前の“断罪者”を『悪臭が好きな変な犬』としか見えていない。

 ・
 ・
 ・

「あ゛ぁー……だいぶマシになったわ。
 そこの脳筋女、ブーツはちゃんと湿気取ってから履きなさいよッ!
 と言うか、こんな時期にブーツなんて履くんじゃないわよッ」
「わ、私の勝手ではないかッ!」
「アンタの勝手で、ワタシがこんな目にあったのよ!
 くっさいの嗅がされる身にもなりなさいよッ!
 あんなのイイなんて言うの、変態とそこの犬ぐらいよッ!」
「――シェイラ、俺は変態と同レベルなのか……?」
「ひ、人によっては、そう思われてもしょうがないかもね……」

 ベルグは『心外だ』と言わんばかりに、ブフッと口を鳴らした。
 主な被害者はシェイラとレオノーラであるが、シェイラは昔からそうだと知っている上に、習性としての理解があるため、恥ずかしさ以外は問題ない。
 レオノーラは、恥ずかしくて堪らないのだが、ローズが見せるような不快感を示さないため、内心では嬉しくも感じている。
 なので、二人にとってそれは特に問題がないであった。

「で、そこのアルケミストッ!
 そもそもアンタが、この脳筋女を連れて来て『腋や足の臭いを嗅がせる』、なんて書かなきゃこうはならなかったのよッ!」
「ワ、ワワワワーッ!?」
「文を書き加える……? ど、どういう事なのだ?」
「あの本は、第三者の加筆の力が強いから、第三者が書き加えた通りに、人物が動くのよ!」
「ふむ。なるほど……。なるほど……」
「わ、私は半年ほど、お(いとま)を――」
「ローズッ!!」
「は、はひッ!?」
「怒らないからちょっと来い、なっ?」

 その言葉は、百パーセント嘘である。
 目はもう怒りに満ち、先日シェイラが行った“独裁”による、ベルグのそれのような威圧感すら漂わせていた。
 “レオノーラ”を怒らせたローズは、“お仕置き”から逃れられない――。

 カートも『レオノーラのためにやっていた事。結果的に本人が気づいて反省したではないか』と、弁護してやりたかったが、ローズ本人が嬉々として姉とベルグを操作していたため、弁護できなかった。
 逃げ道無し、万事休す――と、覚悟したローズであったが、シェイラを見てハッと思いついた。

「さ、“裁断者”に裁判して貰おう! ねっ?」
「えぇぇっ!?」

 シェイラは、“罪を告げるヴァルキリー”である。
 その絶対的な力を持つ判決で、『罰を与えるほどではない』とでも言ってくれれば、ローズは姉にシバかれなくて済むのと考えたのだった。
 それにローズは、“第三者の加筆”について黙ってはいたものの、それによってシェイラたちが救われたと言っても過言ではない。

 ・ベルグを送った事で、《サキュバス》からシェイラの貞操を守った事
 ・そのベルグと、ちょっとイイことした事
 ・結果的に姉の悪臭ブーツのおかげで脱出できた事
 ・ヘタレなシェイラには、重い罪を言い渡せない

 と踏んで、シェイラはきっと“無罪判決”を下してくれると確信している――。
 急に裁断を求められたシェイラも、ローズと同じポイントをあげていた。

(ローズさんが、スリーラインとレオノーラさんを送り込んでいなければ、今頃どうなっていたか分からないんだし……。
 そう考えたら、ローズさんに助けてもらったと言っても過言ではない。
 だったらここは、酌量の余地有りとして、あまり怒らないようにしてもらうべきかも)

 総合的に見れば、特に大きなトラブルも無く事を済ませられたのだ。
 シェイラは、『“無罪”、もしくは酌量の余地有り』と告げよう口を開いた。

「ローズさんは――」
「でも、“女の恥”はかかされたわよね?
 それに、本の中で願望叶えられるのを邪魔されたんだし」
「だ、黙ってなさいよこのアバズレッ!!」
「原告は静粛に!」

 いつの間にか、ベルグは裁判官となっていた。
 ちゃっかり天秤を前に置き、レオノーラの弁護士《サキュバス》の証言を認めている。
 対する、ローズの弁護士《カート》は無言――巻き添えを喰らいたくない、と関わろうとしたくないようだ。
 沈黙は金、雄弁は銀――彼にとって、己に深く関わらぬ時は、下手に首を突っ込まないのが得策だと考える。

(確かにスリーラインは、私の裸見ても何とも――だったよね?
 それに、あんな邪魔さえなかったら、もしかしたら……い、いや、あっても困るんだけど。
 ――と言うか、あそこにレオノーラさんいらないよね? スリーラインに腋や足の臭いを嗅がれ、変な性癖に目覚めかけてたし。
 スリーラインも、あの臭いにそんなに抵抗無いどころか、その(くさ)いブーツ嗅いで遊んでるし……。結果として、ローズさんが二人の仲を後押ししただけじゃないの?)

 最後のそれに、無性に腹が立ったシェイラは、“裁決”を下す。
 ここでも“公平な裁量”を下さず、“独裁”を示した。

「――有罪っ! ローズさんは、思いっきりシバかれてくださいっ!」
「アンタ、最後に私情挟んだでしょッ!? 不当よ不当ッ、上訴するわよッ!」
「“裁断者”の判決は絶対である。これからその罪の重さを――」

 天秤にそれをかざそうとすると、レオノーラはメダルを置く反対の皿を指で押した。
 裁量は不要、と言う意志表示だ。その目は、完全に“死刑”相当の罪を与える、“断罪者”の目である。
 ローズは逃げられなかった――下手に“裁断”を求めたものなので、その拘束から逃れられなくなっているようだ。
 “守護者”は、恐ろしい笑みを浮かべながら、ジワリジワリと“罪人”に近づいてゆく。
 その横で、やりきった顔をしているシェイラの下に、《サキュバス》がやって来た。

「――封印解いてくれたお礼に、アンタにコレあげるわ」
「これって、指輪……?」
「コールガールしてた時に使ってた、“コールリング”って指輪よ。
 用事がある時は、これをワタシを呼べるわ」
「え、えぇっ!? そ、そんなのいいの……?」
「いいわよ。ワタシが嫌いなのは、アンタの前任であって、アンタじゃないもの。
 いくら悪魔族と言えど、恩義に爪突き立てるほど、ワタシは落ちぶれてないわよ」

 じゃーねー♪ っと言い残し、《サキュバス》はスゥ……と空間に出来た穴に消えた。
 ローズの謝罪と悲鳴だけが、部屋および宿屋中に響き渡っている。

しおり