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12.導き手

 ベルグとシェイラが再開した一方、ローズは不敵な笑みを浮かべていた。
 窓の外は深い青みがかり、ランプの燈火が蒸し暑いシェイラの部屋を照らしている。
 その机の上に広げられた“封淫書”の文面を眺め、傍に用意した薄紅色のワインをそっと口に注ぎ込む。

(さて、どうしてやろうかしら……)

 登場人物の行動は、全て文章で表される本である。
 潜伏者は本そのもの、物語の完結までさせまいと、あの手この手で堕落へと導こうとしているようだ。

(バラを摘んだ罰として要求された少女――とは程遠いけどね。
 せっかくだし、“楽しい物語”になるよう手を貸してあげるわよ……う、ふふふふふっ)

 頬杖を付きながら、艶っぽく不敵に微笑んだ。
 そのローズの脇には、大量の汗が染み込んだタオルが落ちている。


 ◆ ◆ ◆


 本の中のベルグとシェイラは、物語の中を駆けてきた。
 同じ町が延々と続いているかと思えば、大きな屋敷の部屋の中に、突然ダンスホールにとコロコロと場面が変わる。
 それに合わせ、二人……特にシェイラは、その影響をまともに受けてしまう。急に、恋する王女様に成りきったかと思えば、その衣類を脱ぎ捨て、裸でベルグに迫ろうとまでしてしまう。

「――意思が弱すぎる」
「うぅ、そんな事言われたって……」

 ベルグの後ろで、シェイラは脱ぎ捨てた服をいそいそと着直している。
 反応を示されても困るが、姉の立場・弟の立場であろうと、紛いなりにも見せたのは“女”の裸には違いないのだ。その女の身体に、何の反応も見せなかった獣に対し、どこか複雑な気持ちを抱いていた。

(据え膳食わねば、とも言うじゃない……それとも、高楊枝のつもり?)

 簡単にあしらわれてしまったシェイラは、“女の恥”すら感じている。
 もう一人の自分の声はしないが、シェイラ自身が悔しくて堪らない。

(ちょっとぐらい、何かどぎまぎさせてやっても“罰”は当たらないかも)

 と、思案している時だった――

「む、今度のシーンは……地下牢か?」
「が、骸骨っ!?」

 突然、世界が暗く、鉄格子が張り巡らされた石積みの空間へと姿を変えた。
 冷たい地の底のようであり、重苦しい漆黒の闇があたり一面を包む。
 檻の中には、鎖に繋がれたままの骸骨が無数にあり、その他にも新旧二つの死体が転がっている。
 その奥の牢屋から、なにやらガチャガチャと鎖を鳴らす音が、ひっきりなしに響いていた。

「く、くそッ、外れろッ……外れろッ!」
「――れ、レオノーラさん!? ほ、ホンモノ……ですよね?」
「んなっ!? しぇ、シェイラに、ベルグ殿までッ!?」
「……こんな所で、一体何をしているのだ?」

 そこにいたのは、両手首に錠がかけられ、壁に吊るされたレオノーラであった。
 訓練終わりの、部分鎧を身に着けたままの姿である。

「た、鍛錬が終わって宿に戻ったら、ローズに――『くっ、魔王めっ!』……え?」
「『くくっ、いい恰好だな』――むう?」
「『ぐ、早く殺せっ!』――な、何で口が勝手に!?」

 突然、敗戦の女騎士と魔王と言った設定が始まりを見せた。
 それに、ベルグとレオノーラ、横で聞いているだけのシェイラまでも

(何が起こっているのこれ……? もしかして、これも《サキュバス》の罠なんじゃ……)

 と、困惑の表情を浮かべている。
 ベルグはこれまで、何度か仕掛けてきた|《サキュバス》の誘惑を跳ね返してきた。
 しかし、今回は抗えないようだ――その獣の手はレオノーラの頬を撫で始めていた。


 ◆ ◆ ◆


 その頃、ローズは本に目を落とし、ケラケラと大笑いしていた。
 右手には羽ペンが握られ、サラサラと白紙に文字を書き加えてゆく。

「あははっ、お姉ちゃんすっごい悲鳴あげてるー。あっはははっ!
 えーっと『敗戦の騎士、レオノーラは期待に身体を震わせ――』っと、う、ふふふっ」

 楽しくてしょうがない声は、宿に戻って来たばかりのカートの耳にも届いていた。
 開きっぱなしの扉から見えるのは、ローズがシェイラの部屋で本を書いている姿――。
 そのどれもチグハグな光景に、カートは訝しんだ顔でローズを見ている。

「……なーにやってんだ、お前? しかも、シェイラの部屋で」
「んー、面白いこと?」
「面白いこと? お、何だ、“封印書”かそれ?」
「あら、知ってるの?」
「何年か前に掘り出した奴が居て、遊んでるの見たからよ。
 文章書き加えたら、中の奴がその通りに動くって奴だろ?」

 ローズは、“封印書”の()掛<<・>>()を知っていた。
 これは一人で使うと危険な代物であるのだが、二人以上で使えば何の問題もない道具なのだ。
 第三者が手を加えてやれば、快楽の虜にならずに済むのである。
 最初は睡眠を妨げ、手を煩わせた罰として、シェイラにイタズラしてやろうと考えていた。
 だが、そこにレオノーラがやって来たため、その標的を変えたのだった。

「いやー、お姉ちゃんは初心(うぶ)だかんね。もう“婚約するつもりでいる人”に近寄られた、触られただけで大騒ぎよ」
「いい性格してるよ……」
「ふんっ、普段のお姉ちゃんを知らないからそう言えるのよ。
 いくら“断罪者”の妻、“守護者”になれるからって、うちの家が《ワーウルフ》に『はいどうぞ』なんて二つ返事で、簡単に長女を差し出すと思う?」
「違うのか?」
「違うわよっ!! あの人はボーイッシュを突き抜けた、色々終わってる女だから貰い手いないのよっ! 汗かいた自分大好きで、“努力の証”って言ってそのままにしてるせいで、夏場のバルディア家は地獄なのよっ!
 分かる!? 調子悪い時、年中履きっぱなしたブーツと、くっさい足の臭いをダイレクトに嗅がされた妹の気持ちが!! それでマジ吐きした妹の気持ちが分かる!?」

 それは、ローズの魂の叫びでもあった。
 そもそも彼女が“アルケミスト”になった理由の一つに、酸味が甘味に変わるミラクルフルーツのように、姉の激臭をフローラルな物に変えられないか? と考え始めたのが含まれているのだ。
 そのため、“断罪者”の嫁になる話が持ちかけられた時は、バルディア家にとって願ってもない千載一遇のチャンスでもあったのである。

「――とんでもなく苦労してんだな、お前も家も……」
「私や家族が言っても聞かないから、“旦那”を通じて分からせてやるのよ!!
 そこで『吐きそうだ、改めないと婚約破棄するぞ』と、でも言わせれば、馬鹿でも気づくはずよ!!」

 ローズは羽ペンをさらさらと動かし、ベルグを操った。
 獣の鼻を、黒く生い茂る腋に近づけ、その臭いの感想を言わせる――。
 汗の香りを嗅がせに来る姉への復讐と、嫌がられる事を分からせれば、姉も多少なりとも気を使うだろうと考えていた……のだが、


 ◆ ◆ ◆


「む、また元に戻ったようだ――さっきから、一体何なのだ?」
「も、もう許して……お願い許してくださ、ぃぃ……」
「ス、スリーラインッ! いくら好きでも、女の子の臭いをそんなに嗅いじゃダメなのッ!」
「いや、これは俺の意思でも無いのだが……」

 破裂するのではないかと思えるほど、顔を真っ赤にしたレオノーラの足元で、ベルグは耳を垂らしてキューンと鳴いた。
 ローズが嘔吐したほどと言うだけあり、その臭いは表現しがたいものであるようだ。
 シェイラも視界がぐらりと揺れるのを堪え、眉間に皺を寄せて耐えている。

「それに、レオノーラさんもです。スリーラインはそう言った臭い好きだから、少しは抑えないと、きっとまた同じ目にあいますよ……」
「そ、そうするっ! 自分でも、目眩を起こすほどとは思わなかった……」
「んむ? レオノーラも感じていたのか?」
「かっ、かかっ感じてなんか、いいっいませんっ!」
「意味が違いますっ!? ――でも、もしかしてみんな目眩がした、の?」

 それほどの臭いなのか、とレオノーラは不意に自分のそれが恥ずかしくなった。
 ローズ以外、誰もこうしてハッキリとは言い出さないため、ほとんど自覚していなかったのだ。
 ベルグは、レオノーラの手錠をガチャリと外すと、嗅がれていた腋や足を隠すように身を縮めている。
 ふと、脱がされたブーツが気になったレオノーラは、臭いに蓋をするかのようにブーツをひっくり返す――

「ま、また目眩が……」

 全員が同じ症状なのか、目元を抑えている。
 シェイラはふと、

(これは目眩じゃなくて地震なんじゃ……)

 と、考えた時であった。
 突然、シェイラの中にいるもう一人のシェイラが叫んだ。

『ぐぅぅッ……このクソ・ヴァルキリーッ!!
 もう、凌辱……それ以上の目に逢わせてやるから、覚悟してなさいよッ!!
 どこまでワタシを苦しめたら気が済む――ウプッ……』

 もはや堕落へと導く悪魔の囁きではなく、恨み言に近い。

「あ、貴女は誰なの!?」
『ハァ? アンタ達はあの〔エルマ・フィール〕の仲間なんでしょ!
 ワタシをここに封じ込めた、あのクソ女の! ぐ、くぅぅ……』
「ち、違いますっ!! そんな人知りませんっ!!」

 突然大きな声を出し始めたシェイラに、ベルグは驚いた目を向けた。

「シェイラッ、一体どうしたんだッ」
『しらばっくれるんじゃないわよ! そこに“断罪者”もいるじゃない!
 アイツを呼びなさいよッ、この本の封印解いたら、仲間解放したげるって言いなさいよ!』

 誰かと人違いをしている――とシェイラは思ったが、もう一人のシェイラが『本の封印』と言った事が引っかかった。

「あ、貴女もしかして、|《サキュバス》!?」
『そうよッ!! お、おぇ……あのヴァルキリーの女がワタシを封じたのよッ!!
 そ、それどころか、こ、こんな悪臭を嗅がせるなんて酷いッ……ゥぐゥゥ……』
「悪臭……?」

 それは何の事かすぐに分かった。
 諸悪の根源に目をやれば、蓋をするようにブーツを逆さまに向けている。

(――頭の中に、この“悪臭”を流し込まれている。ようなもの?)

 まるで拷問のようなそれに、シェイラは戦慄していた。
 言葉に合わせるように揺れる世界、悲鳴に近い叫びをあげる《サキュバス》はえづき、今にも吐きそうだ。

「ここ、本の世界でもあって、《サキュバス》そのもの……?」
「おお! そう言えば、ローズもそんな事言ってたな。で、大丈夫なのか?」
『も、もうだめ……は、吐く……ウッ――』
「あ、あはは……。多分、こっちの“シェイラ”は大丈夫じゃなさそう……」

 突然、世界がぐるぐると周り始め、シェイラ達はそれに飲まれた――。

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