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5.これが大人

 翌日から、“ハサミ”探しの情報集めが始まった。
 しかし、町の中は既にスロネットが探している可能性がある上に、彼が探している事を大っぴらに話すわけにはいかない。
 それとなく『よく切れるハサミの話を聞いたことないか?』と尋ねるぐらいしかなく、ただ時間だけが過ぎ去っていった。
 そんな中、レオノーラだけは特に絶不調と言ってもいいほど、調子が出ていないようだ。
 灰を被ったような町のように、彼女の心も薄暗く、鬱々としていた。

(ベルグ殿の件は、きっと何かの見間違い、であろう……。
 ああッ、ダメだダメだッ! 今は“ハサミ”の件に集中しろ!)

 あれからずっと平静を保てなくなっていた。
 気にしない、何かの間違いだと言い聞かせているものの、シェイラにはどこかよそよそしく、距離を置いたような態度をとってしまう。
 それはベルグに対しても同じあり、チラチラと様子をうかがっては、

(直接、聞いてみるべきか……)

 と、ぐっと腹に力を込める。
 レオノーラにとってその言葉は、メイジの詠唱(スペル)ようなものであろう。
 思い切って口を開くも、そこから発せられるのは、音ではなく溜息(ブレス)ばかりだった。

「はぁ……」
「朝から何か言いたげであるが――俺の顔に、目ヤニでもついているか?」
「いいっ、いえ……な、何でもっ」
「むぅ、そうか」
「あのっ、そ、その……シェイラに関してなのですが……」
「うむ?」
「いえ、その……」

 勢いに任せれば聞けると思ったが、その言葉を固く飲み込んでしまう。
 大きな物を失ってしまうかもしれない恐怖が、彼女を躊躇わせた。

「あ、間柄と言いますか、関係と言いますか……」
「む? むぅ……世話のかかる“姉”と言ったところか」
「“姉”――」

 その言葉に、レオノーラは胸の詰まりがすっと流れた気がしたが、

(表向きはそう言って……)

 と、疑心暗鬼の気持ちが、己を苛む。
 ベルグに対してまで、つまらない懐疑心を抱く自分が嫌になってしまう。

(それに、ローズもだ。あの顔は、何かを隠している顔だ――)

 昨晩から、ローズは何かニマリとした笑みを浮かべているが、その顔をしている時は何かイタズラ事を考えている。もしくは、している時だ。
 なので、絶対に何か裏あるはずだ、とレオノーラは踏んでいる。
 そんなローズは、姉に『誤解だよ』と言葉をかけるも、最後に『確かに《ワーウルフ》は性にフルオープンだけどね』と、不安にさせる一言を付け加える。
 それがレオノーラを余計にやきもきさせた。


 ◆ ◆ ◆


 その一方で、ローズは楽しくてしょうがなかった。
 昨晩、女将からチケットを貰ったローズはカートを連れて、バー【ヴァルハラ】を尋ね、あの二人が店を出るまでの経緯を尋ねていた。
 事の真相は掴んでいたものの、確定的な情報がない――だが、バーテンダーからの話がそれとなったようである。

「ふふん、やっぱりね――あの酒癖の悪さからして、そんな事だろうと思ってたわよ」
「いい趣味してるよ……。アレフ、同じのもう一杯くれねェか?」
「わかりやした」

 アレフと呼ばれたバーテンダーは、シェイカーを振り始めた。
 この店のオーナーであり、先日ベルグ達の対応をしたバーテンダーでもあり、

「……アンタの家の子分って、一体どれだけいるのよ」
「あちこちにいるぞ? ただアレフみたいな“足洗った”のを含めて、だけどな。
 数で言えば、“領地”に二、三小隊ってとこか?」
「ふぅん……」

 カートの一つ年下のアレフは、かつて手癖の悪いチンピラであった。
 ある日、スキナー一家の者からスリを行い、“処罰”しようとしていた所をカートが助け、子分となったのである。
 裏社会に身を落とした者が、そんな簡単に表社会に戻れるのか……とローズは思ったが、

(私は“断罪者”でもないしね――使えるなら、何だっていいわ)

 そのおかげで、こうしてタダ酒が飲めるのだから良しとしていた。

「しっかし、人間の転機ってわかんねェもんだな。
 俺の()()()中に、興味を持ったそれが仕事になってんだからよ」
「感謝してますぜ、へへ」

 時間と共に元の顔に戻ったアレフは、カートがかつての恋人・イザベラと“別室”に向かっている間、留守番役としてカウンターで待機していた。
 その時、バーテンダーの仕事ずっと見ており、次第に作り方の手順や技法などを“盗む”ようになっていたのである。
 それを見込んだ店主がスカウトし、今では独立してルクリークの町に店を構えるようになっているのだ。

「宿の女将に、『店の名前出せば二杯ほどタダ』って言われたが。お前、あの女にタマ掴まれてんのか?」
「え、えぇその、実は……」

 ごにょごにょと話し始めたそれは、店をここに構えたのは宿屋の女将に惚れたからであり、想いが抑えきれなくなったある日、夜這いを決行したのだと言う。
 昔の悪癖を使って居室に忍び込んだのは良いものの、そこに女将はおらず、ベッドの上にあったそれを持ち去った……と、続けた。

「ま、まさかお前……」
「ええその……それで翌日店に来て『何者かに忍び込まれ、下着が盗まれた』と言うんです。
 それで、『魔法を使えば大体の場所は特定できるかも』と言われ……それからは、チケットを勝手に作られ、タダ酒同然で……」
「で、名乗り出せずってわけか」
「ええ、ですが時期が来れば“自首”するつもりですよ。今はそのお蔭で潤っておりますしね、へへ……」

 ローズは酒が回ってきたせいか、会話がよく理解できないでいる。
 白い薔薇のような肌をほんのりと赤く染め、カクテルをぐいっとあおる。
 女将はタダ酒のチケットを餌に、客を斡旋していた――それが無くても十分店がやって行けるようになれば、“自首”して()()()()()()()()つもりでいるようだ。

「……で、そろそろいれますか?」
「バカ野郎、コイツにそんなこと出来るか」

 出来上がりつつあるローズの酒に、シメの混ぜ物をするかどうかだった。
 もちろんカートはそんなつもりはなく、軽く一蹴する。

「そう言えば、何でも“よく切れるハサミ”ってのがあるそうだが……何か情報ねェか?」
「“ハサミ”ですか……俺には分かりませんが、町はずれの迷宮地下にある、“社交場”のオンナなら、もしかしたら知っているかもしれませんぜ。
 そこには、“仕立て屋”があるって噂ですし」
「“社交場”……? あの迷宮に、そんな所あんのかよ」
「ええ。行き方は……恐らく宿の女将なら教えてくれますよ」
「どうしてだ?」
「“そこの出”――らしいですので」
「ああ……」

 カートはどこか納得した表情を浮かべた。
 ローズは話を聞いておらず、ツマミであるピスタチオをポリポリと齧っては、殻を積み上げて遊んでいる。

 ・
 ・
 ・

「ええ、確かに私は“社交場”の出ですが――」

 日が落ち、藍色の帳が町を包んだ頃――ベルグ達は、宿屋の女将を部屋に呼び寄せていた。
 それとなく聞いたカートであったが、女将はあっけらかんとして答えたので、逆に周りの者が脅かされている。

「別に驚く事でもないでしょう? 後ろめたい物ではありませんし。
 ですが、バーテンダーもお喋りさんですね。ふふっ……」
「脛の傷を明かすのは、信頼した者にすべきだぜ」
「長く生きていれれば、秘密の一つや二つあるもの。
 時には、誰かに聞いてもらいたい時だってあるんですよ」

 意図的か、それとも気の迷いか……女将はどちらにもとれるような妖艶な笑みを浮かべた。
 それは、酸いも甘いも経験したものだからこそ出来る笑みでもあるだろう。

「――で、“社交場”の場所なら案内しますよ。
 ただし、店番を一人置いて行く事が条件ですがね」
「よし、ならそこのバカを置いて行くッ! たっぷりとコキ使ってやってくれッ!」

 レオノーラは、目を怒らせてベッドで爆睡しているローズを指さした。
 一応は勤務中にも関わらず、昼間っからバーで酒をバカバカ飲み、赤いバラを満開にして帰って来たのだ。
 それだけでも十分な材料であるのに、レオノーラの叱責の声も小ばかにしたように返したため、そのは怒りはもう頂点に達している。

「分かりました。ルームサービスはどうしましょう? 彼女のお花が散っちゃう事に――」
「構わんッ、やれッ!!」
「いや、ダメだろ……」

 この店の裏の顔は却下され、女将は少し残念そうである。
 ベルグの一件も相まって、レオノーラの怒りは収まる所を知らない。

(あ、あはは……レオノーラさん、朝からすっごい機嫌悪い……)

 シェイラは長年培ってきた“顔色を窺う”スキルにて、レオノーラに深く関わってはいけないと察し、今朝から気配を消して矛先を向けられないようにしていた。
 レオノーラの心を波立てている原因が、ベルグとの夜の事だとは気づいていない。それよりも、彼女自身が覚えていないから当然だろう。

 ・
 ・
 ・

 その夜は、レオノーラとローズが続けて宿に泊まる予定であったが、怒れる獅子がうっかり首を絞め殺してしまいかねなかったため、シェイラがローズと泊まる事になった。
 ベルグと一緒に居れば、間違った行動を起こさないだろう……と、考えたのだ。

「う、うぅ……」
「どうした、冷えるのか?」
「い、いえっ、あ、暑いぐらいですっ」

 その考えは正しく、馬小屋に敷き詰められた藁の上で眠るレオノーラは、獅子から借りてきた猫となっていた。
 冒険者の中には、石鹸の香りがする宿屋のベッドよりも、馬くさい藁のベッドの方が良いと言う者もいる。
 暗い藁の上――ロマンもムードもない場所であるが、添い寝している事には変わりないため、レオノーラの体温は怒りから緊張で高まってしまう。

「馬小屋は久しぶりですが……その、落ち着きませんね……」
「そうか? 俺はこの獣臭い所がいい。腹が減れば食うモノもあるし」

 近くにいた馬が『それは藁の事だよな?』と言った目を向け、静かにベルグとの距離を取った。

「シェイラも気に入ったようで、馬が可愛いと遅くまで眺めていたぞ」
「そう、ですか……」
「……ふむ。今朝からもそうであったが、シェイラと何かあったのか?」
「えっ……!?」
「いや、どうにもシェイラに関わると、僅かに顔が曇っているようなのでな」

 レオノーラは己を恥じた。
 嫉妬しているのは分かっていたが、まさか顔に出るほどであったとは思っていなかったのだ。
 いくらニブチンのシェイラであっても、もしかしたら気づかれているのかもしれない……。

(もう、思い切って聞こう……このままでは、“教官”としても支障をきたしかねない)

 ――そう思った時だった。

「シェイラと言えば、ここにやって来た晩は大変だった……」
「え、えぇ。その、女将からそれとなく聞いております」
「む、やはり迷惑がかかっていたか……。
 しかし、まさかヤケ酒から、時間差で大トラになるとは思いもしなかった……」
「へ……? ヤケ酒、おおとら……?」
「獣人と関わった女は、獣性が露わになってくると聞いていたが――あれは意味が違う。
 ベッドに入った途端、鼻を鷲掴みにして怒り出すのだから……」

 レオノーラは身を起こし、目をパチクリとさせている。
 男と女が小洒落たバーで酒を飲み、寝床を共にする――酒に酔った“姉”は、妄想にも酔っていた。
 だが、頭を悩ませる“姉”に対し、それを何とも思っていない“弟”に腹を立てたのが発端だった。
 この日だけで、シェイラはどれだけの恥を上塗りしたのか。犬の鼻先を掴んだ彼女は『もっと、お姉ちゃんを敬いなさいよっ!』と、ベルグに怒った――のが、この事件の真相である。

「しぇ、シェイラが、ただ悪酔いしただけ……?」

 無駄にヤキモキしていただけ、と悟ったレオノーラは、気が抜けたようにうなだれた。

「む、どうかしたのか?」
「その、実は……」

 シェイラに勘違いであたっていただけであった、と正直に述べた。
 女将は、それを知っていてわざと勘違いさせるような事を言い、ローズも途中からそれに気づいていた……。何も知らない自分は、思い違いで嫉妬し続けていただけだった、と。

「ハッハッハッ! それで、朝から様子がおかしかったのか!」
「わ、笑いごとじゃありませ――え?」

 高笑いするベルグは身を起こし、そっとレオノーラの肩を抱き寄せた。
 初めて出会った時のように、その身は温かい。ねっとりとまとわりつくような蒸し暑さとは違う、不快感のない温もりであった。
 レオノーラの頬に手をやると、そっと獣の鼻先を近づけ――

「俺は約束した事は守る。これはその誓いだ――」
「は……はは、はっ、はっ、はいっ!」

 傍から見れば、犬と人間のスキンシップにしか見えないであろう。
 しかし、レオノーラにとっては重要な……将来を決定づけた口づけであった。
 どっ……どっ……と、早い鼓動が、獣臭い馬小屋の中で響く。
 産まれて初めての口づけに、レオノーラは思わず唇に手をやり固まってしまっていた。
 ベルグは『言うことを言った』と満足した様子で、再び寝藁のベッドに倒れ込んだ。

「ああ、一つ言い忘れていた事がある。
 母にアホほど怒られた一件だから、恐らく親父は言っていないだろう」
「はっ、はいっ……」
「獣の掟、ではないが――《ワーウルフ》は、最大“十人”まで嫁を取れる」
「…………え?」

 レオノーラは、その言葉に再び固まってしまっていた――。

しおり