7.幼馴染な姉はヴァルキリー
「――ほら、これを飲みなさい。落ち着くわ」
「は、はいっ……ありがとうございます……」
《グール》を討伐したシェイラは、ローズの研究室の中に連れられていた。
そこは重苦しい空気で鎮まり、椅子に腰かけたシェイラは、居心地が悪そうにじっと下を向いたままだった。
(温かい……って、あ、あれっ?)
温かいお茶が入った陶器のコップを受け取ると、彼女は自分自身の身体の異変に初めて気づいた。
薄黄色のお茶の表面が波打っている――両手に伝わってくる、じんわりと温かさが心地よかった。
寒いわけではないのに……と、彼女は驚きを隠せない。そっと口にすると、ジャスミンのよい香りが鼻に抜けると同時に、痺れのような身体のこわばりがほぐれてゆくのを感じていた。
様々な薬草も混じっているようだが、今の彼女が分かるのは、ジャスミンの香りだけだった。
(これも、恐怖なのかな?)
先ほどまでの騒動がまるで嘘であるかのように、不気味なほどの静寂が辺りを包んでいる。
草木を撫でる風が、開け放たれたままの扉を不気味に揺らし、ギィィ……と訓練場の廊下を抜けた。
落ち着きを取り戻したシェイラを見て、ローズはいきなり本題に入る。
――どうして、シェイラが
しかし、当の本人は知らぬ存ぜぬの一点張りだった。
事実、何がどうなっているのか、本人ですら分かっていないのだ。
「あぁ……どうしたもんだろう……」
この件に関し、ローズは頭を抱え込んでしまっていた。
“教官”であるがゆえ、“訓練生”の異変について対処せぬわけにはいかない。
ここはまず姉・レオノーラに報告・連絡・相談し、指示を仰ぐべきなのだが、そこで必ず『その間、お前は何をしていた?』と、問われるのが問題なのだ。
『訓練場に駆けこんだシェイラに気づかなかった』
『《グール》と戦っているシェイラに気づかなかった』
こんなダブルパンチを話せば、まずタンコブ四つは確実だろう。
そして、音楽を爆音でかけており、研究室の片づけと整理が全く終わっていない――これで三つは追加される。
しかも、部屋の中で酒盛りまでしてた……ともなれば、二発追加のオマケに一発、計十発はレオノーラの拳骨を喰らう事になってしまう。
ローズの取っていた行動全てが『教官にあるまじき行い』であり、姉はこのような規範や規律に反するような行いを、決して許さないのだ。
「う、うぅー……」
「ど、どうしたんですか!?」
過去に似た事をし、最高記録となる拳骨八発喰らった痛みを思い出したのだろう。
今回は、それを更新してしまうかもしれない――ローズは頭を押さえながら、その場に蹲ってしまった。
研究室内部での事は誤魔化せたとしても、《グール》が徘徊していた事と、既に討伐済みである事だけは、絶対に話さなければならない。
そうすると、襲われたシェイラに関しても話さなければならない。……つまりは、最低でも四発は喰らう事が確定しているのだ。
「理由はっ、理由は何なのよ!?
ねぇっ!? 何で、私の時にこんな厄介事持ち込むの!?」
「そ、そんな事、私に言われましても……っ!?」
「これまで居た訓練場で、
「メイスを振る訓練や学科は少し受けましたが、そんなディ……えーっと」
「ディスペル」
「あ、その“ディスペル”と言うのも、初めて聞いたワードですし……。
「死霊などの呪いを解いて、魂を昇華させる――まぁ、プリーストの特技みたいなものね。
あぁ……っ、こんな『私凄い能力持ってました!』なんて事されても困るのよ……。
もういっそ、酔った事にして――」
自分の言葉に、ローズはハッとある事を思いつく――。
問題が起っていなければ報告をする必要はない。
「そうよっ! お酒よっ!」
「え?」
「もうお酒飲んで無かったことにする! よし、シェイラの部屋にゴーゴー!」
「え? え?」
ローズはもうヤケクソだった。
酔い潰し、シェイラは酔って夢を見ていた事にする。そうすれば全て丸く収まる――と。
研究室に隠していたワインの瓶を両手に持ち、強引にシェイラを連れて宿屋に向かっていた。
・
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シェイラの部屋に飛び込むやいなや、ローズは大急ぎでワインのコルクを抜いた――。
町は寝静まっており、先ほどまで《グール》が徘徊していた事など知る由もないだろう。
ローズは並の冒険者より腕が立つため、彼女が討伐した事にすれば、誰も怪しまない。
つまり……シェイラの記憶さえ忘却できれば、今日と言う日を切り抜けられるのである。
「じゃ、かんぱぁーいっ」
「は、はいっ、いただきます……。ん――ぐっ……」
シェイラは酒の飲み方を知らない。よく分からないまま、不作法にぐっとグラスをあおり、口内に広がるアルコール臭にえずいてしまう。
涙目になりながら、無理矢理ごくり……と
「ビールじゃないんだから。
ワインはもっとこう、香りを楽しんみながらそっと飲むのよ」
「そ、そうなんですか……?」
言われた通りにしてみれば、確かに吐き出しそうになるようなアルコール感が少なく、何とか飲めそうであった。
しかし、それでもアルコールはアルコール。喉を通過してゆくにつれ、シェイラの顔が徐々に赤みを帯び始める。
それを見たローズは、にまりと悪い笑みを浮かべた。
「――で、こんな時間にどうして外に居たの?」
時計をチラりと見れば、時間はもう十二時を回っている。
シェイラは、夜遊びするようなタイプではない。なのにどうして外をウロウロしていたのか、と気になっていた。
酔って頭がぼうっとしているシェイラは、少しいい気分になりながら、今日の出来事をぽつりぽつりと、ローズに語り始める。
「部屋からお酒の匂いがしている、って大人っぽいですよね!」
「まぁ、うん、大人を実感するのは、人それぞれだからね……」
ローズは、背伸びしようとする少女の微笑ましさよりも、イタさを感じてしまう。
ベルグやカートよりも、一歩先に進んだ“お姉さん”になろうとしているようなのだが、昨日今日会っただけのローズでさえ『あの二人はシェイラより一万歩は先に進んでいる』と、気づいているのだ。
居たたまれない気持ちを隠そうと、ローズはワインをチビりと飲んだ。
(でも、何か金貨の話が気になるわね……)
自ら光を放つ金貨――確かにそのような物は、いくつか存在する。
だが、側面書かれている文字を読むなどはせず、天にかざして祈るぐらいだ。
それに近い物なら珍しい、新たな発見かもしれないが――今は見たくない、とあえて聞かなかった。
「でぇ、私は『あちらのお客様から』みたいに男の人にお酒を差し出されてぇ、
私はそれに、長し目を送るだけで応えるような女が理想でぇ――」
「あぁはいはい。大人大人……」
シェイラは完全に出来上がっており、延々とくだをまいていた。
こいつと酒を飲むのは今日限りにしよう、と心に決めてまでいる。
「どーしてこうなったか、といいますとね、教官。
教官のお姉さんが悪いんですよぉ……いくらスリーラインのためでもね、順序ってものが――」
いつの間にか“
もう耳を預けるのも辛くなり、こっそりと耳栓をして一人の世界で黙々と飲んでいると、急にシェイラが立ち上がり部屋から出て行った。
(トイレかしら……?)
それにしては、帰ってくるのが遅い――。
吐いているのか、寝ているのか……とりあえず、様子を見に行こうと腰を浮かせた時であった。
突然、廊下の奥からドタドタッと、慌ただしい音が鳴り響いたかと思うと――
「ローズッ! 一体どういう事だッ!」
と、血相を変えた、寝間着姿のレオノーラが、部屋に飛び込んで来たのである。
「え、な、何!?」
「何? ではないッ!
《グール》が訓練場の中に居たと言うのに、お前はどうして気づかなかった!
いや、それどけではないッ、シェイラがそれを倒したと言うではないかッ!」
「え゛っ!?」
ローズはそこで初めて気づく――。
酔ったシェイラは、トイレに行ったのではなく、寝ているレオノーラを叩き起こし
『私は《グール》と化したケヴィンに襲われ、戦っていたのに、ローズさんは部屋で音楽聴きながら酒を飲んでいたせいで、それに気づいてもらえなかったんです』
と、妹が隠そうとしていたことを含め、姉に
モンスターよりも恐ろしい存在を前に、ほんのり赤みを帯びたローズの顔が、みるみる内に青薔薇になってゆく。
背が壁に張り付いていてもなお、後ずさりしようとしている。
突然起った大騒動に、カートや女将が『何事か』とシェイラの部屋に集まって来たものの、事情を知らぬ者には、
――シェイラの部屋で、ローズが姉にシバかれている
と、いう異様な光景にしか見えていない。
その一方で……その肝心なキーパーソンであるシェイラは、レオノーラが眠っていたベッドの上で、すうすうと寝息を立てていた。
・
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・
翌朝――。
目の下に隈を作り、頭に氷嚢を乗せるローズと、二日連続の二日酔いで、頭を抱えているシェイラを中心とした審問会議が開かれていた。
その裁判官および執行人は、ベルグではなくレオノーラが勤めている。
「もし、シェイラが
レオノーラの言葉に皆が頷き、皆が同じ疑問を抱く。
そのコインは、迷宮の奥深くのモンスターを討伐してようやく得られるような、かなり貴重な代物……そんな物を貨幣代わりに、たった一食のためだけに使うなど、到底考えられない事なのだ。
ベルグはそれに腕を組み、更に険しい表情を浮かべていた。
「犬っころ、さっきから何難しい顔をしてんだ?」
「うーむ……シェイラ、そのコインを持っているか?」
「う、うん。これ、だけど……」
シェイラから手渡された金貨に、ベルグは目を見開き、やはり……と漏らした。
側面の文字が消えているが、一枚の羽が描かれたそれは、彼の父より聞かされていた物――。
「やはり、“裁断者”のメダルッ……。
どうしてこれが、シェイラの手元に……」
「そう! 確かそんな言葉が書かれてた!
えぇっと確か、ヴァ、ヴァ……」
「……ヴァルキリー」
「それ! って、スリーライン知ってるの?」
「や、やはり……しかし、これは一体どう言うことなのだ……」
「ヴァ、ヴァルキリーとは、まさか……」
レオノーラの驚愕の表情を浮かべていた。
彼女のクラスは
善にも悪にも属さない、中立の女にしかなれないそれは、“半端者の君主”と揶揄されていた。
あまりに限定的すぎる条件に加え、その力を授かる場所すらも分からない――消えるべくして消えたクラスなのであった。
「――以前も話したが、“裁きを下す者”は一人ではなく、かつて断罪・裁断・審理の三人が居たのだ。
この世に“断罪者”だけが残った原因となる、メダルの持ち主……それが、“裁断者”と呼ばれていた」
「な、何だとっ!?」
「では、恐らくシェイラは……」
「犬っころと同じ、“裁きを下す者”になったって言うのかよ……」
その言葉に、ベルグは力なく頷いた。
“裁きを下す者”が一人になった“原因”――今頃になって、どうして再び舞い降りたのか、どうしてシェイラにそれが与えられたのか……理由が全く分からないでいる。
「続けて、“審理”を行う
そして再び、“羽のメダル”がここに現れ、“裁断者”が蘇る……。何かの前触れなのか……?」
「い、一応詳しく調べねばなりませんね。
ローズッ、クラスの調査する道具は持ってきてるのか?」
「い、いらないと思って、家に置いて来たよ……」
「うーむ……よし、しばらくお前の手はいらないし、すぐに取りに戻れ!」
「その言い方、私が役立たずみたいで、すっごいヤダ……」
レオノーラの鋭くキツい目が、ローズをギロリと睨みつけた。
「訓練場とその生徒を守る立場にも関わらず、助けを求めて飛び込んだ生徒に気づかなかった“教官”が、役立つ――と?」
「すっ、すぐに行って参りますっ!!」
その言葉に、ローズは反射的に頭を押さえてしまっていた。
昨晩、隠ぺいしようとした事で予想の二倍、計二十発の拳骨を喰らったのだ。