6.解呪(ディスペル)
「ま、町の方に行かなきゃっ……」
そこならベルグやカートが居る、そう思った時だった。
シェイラはピタりと足を止め、《グール》と化した元教官を見やった。
――もし町の人が襲われたりしたら
シェイラが町に逃げ込めば、目の前の《グール》も追いかけて来るだろう。
町の者は戦闘訓練など受けていない。そんな所に誘導なんてすれば、寝静まった町が悲鳴で溢れる危険さえあった。
もし、そんな事になったら……と思うと、シェイラは震える手をぐっと握り締めた。
(私は……私はもう逃げたくないっ!
戦うために、私は冒険者を目指したんだから……!)
もう自分の都合で、町やそこに住む人を危険に晒したくない。
その一心で、レオノーラが整理したばかりの用具室に駆けた。
そこには訓練で使う、ロングソードやショートソードなどを模した木剣が置かれている。
訓練生たちはこれを使い、明日を夢見た。
今《グール》となっているケヴィンは、その多くの夢や希望を踏みにじり、明日を奪って来たのだと思うと、彼女の胸に言い表しようのない怒りがこみ上げ、同時にある“言葉”がよぎった。
――罰すべき者
どうしてそう思ったか分からない。
しかし、そう思えばシェイラの脆弱な身体に、どこか力が湧きだってくるように感じられた。
訓練では木剣を主に扱ってきたが、アンデッドでもある《グール》に対しては弱く脆い。
それに、ショートレンジの武器でもあるため、非力な者が扱えば逆に危険になるだろう。
彼女はそう判断し、リーチのある長柄の武器――小さな旗がついた、飾り槍をぐっと握りしめた。
「もう、逃げも隠れもしないんだから……っ!」
槍の訓練は受けた事ないのにもかかわらず、手にしっくりと来ている。
だが、構えはまるで出来ていない。威勢に反して、及び腰で廊下に引き返した。
「う、うぅ……」
やはり、怖い物は怖い――。
先ほどまでの威勢はどこに行ったのか。再び訓練場の中に入った痕跡を目の当たりにし、現実味を帯び始めた“実戦”に脚を震わせていた。
シェイラは自慢ではないが、模擬戦において一度も勝った事が無い。
気の弱さと甘さ、そして優しさから、どこかで相手を攻撃する事に躊躇い、隙が生まれてしまうのだ。
だが、今回は相手を攻撃する理由もちゃんとそこにある。短槍の柄を握り直し、神経を集中させた。
これまで逃げ回っていた廊下――その先に、呻き声をあげながら近づいて来る“元教官”の姿を確認すると、彼女は一気に駆けた。
「やぁっ!」
先手必勝と言わんばかりに、
しかし、血肉に飢えた《
ブスリ、ブスリと胸部に穂先を突き入れられても、逆に足を踏み込み、自ら深く埋没させながらシェイラに近づいて来る。
突き刺されたりすれば、何かしら大仰なアクションがあると思い込んでいたシェイラには、それがとてつもなく恐ろしかった。
実際、《
槍の訓練など受けたことがないシェイラには、足腰の踏み込みが全く足りておらず、その細く弱い腕の力だけで刺している。
そのため、本人は穂先を深く突き入れたつもりであるものの、実際は半分すらも刺さっていない。
《グール》を筆頭に、不死族《アンデッド》にも“痛み”と言うのはあるものの、興奮剤を使ったかのように、その表層の神経・痛覚は鈍い。そのため、相当の威力でなければ、痛みらしい痛みを感じないのだ。
「くっ、やッ、やぁッ!」
何度も刺して抜き、刺しては抜く――それはもはや、相手との距離を保つだけの攻撃だった。
それも、じわり……じわり……と距離を詰められてゆく。
何の手ごたえがないことに、焦りを覚え、不安と恐怖がシェイラの顔に浮かんだ。
それを見た《
ブン――と横薙ぎに振られた《
また振られた腕を、身をかがめて躱す。その勢いで前によろけると、彼女は脇を抜けて位置を入れ替える――。
彼女はこれまで勝った事もないが、攻撃を何度も受けて負けた事も無い。
身を躱す事、身を守る事に関しては、引けを取らぬほど上手いのだ。
ただ、最終的に疲れなどから、クリーンヒットを貰って負ける――これが定番だった。
今回もそうなりそうであったが、咄嗟に《
「ガァッ――」
避けようと足腰に力を入れたためか、その威力は上がっていた。
《
(槍って突くだけじゃないんだ……)
と、初めて槍の扱い方に気がついた。
思わぬ一撃に、ケヴィンは大きく仰け反ったものの、その足は緩まない。
呻き声をあげる口元が、醜く緩んでいるのが分かった。
その醜く崩れた顔は苦悶か、それとも獲物に対しての笑みか――いずれにせよ、シェイラには不快なものには変わりない。
舐めまわすような目、『握り方、振り方はこうだ』と言っては、手の甲や腰をいやらしく撫でる――思い返せば、ケヴィンからは不快感しか教わっていないと、シェイラは忌々し気に《ケヴィン》を睨んだ。
「教官には感謝しています――ですが」
ケヴィンは飛びかかる様に、両手をあげて襲いかかって来た。
「あなたから教わった事は、何一つありません!」
無意識の内に、足腰に力をこめている。
飛びかかろうとして来た勢いもあり、それは胸部に、再び脈打った心臓に深く突き刺さっていた。
「グ……アァ……ッ」
「やぁぁぁぁッ――!!」
ぐっと足を踏ん張り、駆ける――。
一瞬で終わらせるべきだ、と前に踏み込んだ勢いで、近くの部屋の扉にドンッと叩きつけた。
その勢いで、槍がより深く突き刺さり、シェイラの手から首筋に嫌な感触が走る。
「ですが教官。私は最後の最後に一つだけ、大事な事を教わりました」
もし夜の町に出て、もしここケヴィンに襲われていなければ――。
シェイラはそれに気づくことがなく、ずっと受け身のままであっただろう。
槍を握る手に力が込められ、その言葉を発しようとした時、ガラリッと勢いよく部屋の扉が開かれ、中に居た女が顔を覗かせた。
シェイラが押し付けた場所――そこは、ローズがサボっている研究室だったのである。
「な、何が!? はッ、アンタは!」
「ろ、ローズさ……ん!?」
「アンタ一体何を……って、これ《グール》じゃないの!?」
ローズはその組み合わせに驚いたものの、すぐさまズンズンと重圧な音が漏れ出ている部屋から飛び出し、腰から液体が入った瓶を引抜いた。
「よしっ、アタシに任せない!」
「あ……まっ、待ってください」
「へ?」
シェイラは、聖水をかけようとするローズを制した。
槍に突き立てられ、身動きが取れなくなった《
「言い損ねましたが、ケヴィン教官。あなたがこれまでしてきた事は許せません。
ですが……私は最後に大事な事、“決して逃げ出さないこと”を教わりました。
だから……誰も許さなくても、私は……教官を許します……」
シェイラは聖水を頼もうとした直後であった――。
朽ちた《
「ア……アァァァ……ァァッ……」
その失われた目、光の無い瞳から涙がこぼれたように見えた。
体内から生じる煙と、淡い光――それを見たローズは
「もしかしてこれ……
と思わず叫んだ。
その言葉が言い終わらない内に、ケヴィンのその身は焼け、灰と化した――。
許さない、と死してもなお恨む者が多すぎたことが、そもそもの原因なのだ。
その呪われた言葉が恨みの鎖となる……シェイラは“許す”事で、その身に絡み付く呪縛から解放したのだった。
「あ、ああ、あんた何でっ、何で
「ふぇっ!? な、何がですか?」
シェイラは、驚きに打たれたローズの言葉が理解していない。
そもそも、シェイラには何をしたか理解しておらず、《グール》が死んだから消滅したとしか思っていなかったのだ。